HARD HEAD

旅行 社寺

二本松城 2

2013-12-12 17:30:17 | 
 2013.11.29 山城見学後山を下って行く。



  二本松藩士自刃の地(戊辰戦争) この他にも本丸に城代家老の自刃の碑もあります。



  少年隊の丘(新城館跡) 明治100年の1968年に命名。彫刻家橋本高昇氏製作の

         ブロンズレリーフ「二本松少年隊奮戦の図」や顕彰碑などが建つ。



  智恵子抄詩碑 高村光太郎直筆の「樹下の二人」「あどけない話」の一節を伝説の残る

         大小一対の「牛石」に銅板ではめこんである。周辺の円形野外劇場の

         イメージは詩人草野心平の提案。



  土井晩翠歌碑





  安達太良山 一名「乳首山」とも呼ばれ、標高約1700mの山。詩人.彫刻家の高村光太郎が

        「あれが阿多多羅山...」(樹下の二人)と詠み、智恵子のふるさととして知られている。



  洗心滝 (二合田用水) 丹羽光重入府まもなく、城防備を目的に安達太良山麓より

         延々約18Kもの距離を城内各所に引水した。下流で、るり池に注ぐ。



  霞ヶ城の傘マツ 別称「八千代の松」ともいわれるアカマツの巨木で、樹齢300年を越す。



  るり池 光重公時代の造園の姿を今に残す、布袋滝もある小規模な回遊式庭園。





  洗心亭 城跡内に唯一残る江戸期の建造物。



  七ツ滝 霞池に注ぐ。



  洗心亭から眺めた霞池と三の丸(御殿跡ですが菊人形展の後片付の為写真は撮れませんでした)



  三の丸 土塀



  三の丸 見事な「段の松」



  三の丸 虎口



  箕輪門 光重公入府直後、御殿と共に最初に建造した櫓門。





  箕輪門付櫓



  三の丸 高石垣 



  二本松少年隊群像 戊辰戦争激戦地.大壇口戦場の少年隊の奮戦姿と、わが子の出陣服を

      仕立てる母の姿を、名誉市民の彫刻家橋本堅太郎氏がブロンズで制作。



  箕輪門櫓、土塀と石垣



  旧二本松藩 戒石銘碑 国指定重要史蹟 藩士の戒めとするため、五代藩主高寛公が、

             通用門前の自然石に刻ませた4句16文字の銘文。

             徒歩で二本松駅に戻る。



  二本松少年隊士像「霞城の太刀風」銅像のモデルの成田才次郎は大壇口から敗走中、

    敵兵と遭遇し、敵将を突き殺した後、その場で絶命します。この最後の一太刀は

    出陣に際し「一筋に突け」と父から藩の教えを諭されたものだったと云います。





  智恵子像 彫刻「ほんとの空」。

       東北100名城巡り(6城)の旅を終え、あだたらの青い空に別れ、帰途に着く。



 






二本松城

2013-12-12 10:56:08 | 
 2013.11.29 仙台から新幹線で福島へ東北本線に乗換える、この区間を在来線に乗ったのは

       初めてである、車窓からの吾妻小冨士や次に見える安達太良の山々の景色を

       ゆったりと眺めながら二本松に向かう、途中まつかわの駅があった,

       あの松川事件がこんなのどかなところでおきたと初めて知る。

       二本松城にはツアーで10月初めに来ているが通り一遍の見学で

       本丸跡も時間がなく見られず再訪する。

       二本松駅から二本松城に行くのには途中丘陵越えの急坂と中世山城の

       本丸はかなり高い所にあるので行きはタクシーで行き、帰りは歩いて

       見学しながら駅に戻る事にする。(そのため一部写真に前後が生じています)





  本丸跡



  二本松城 国指定史跡 日本百名城 山上に中世山城、山麓に近世城郭が同居する石垣の城







  大手門(坂下門)跡



  案内図



  本丸跡 室町時代は奥州探題職.畠山氏の居城。
    
          
     
      のち会津領時代に蒲生氏、加藤氏、により石垣積で築造。

      1643年丹羽光重が入府、以後220有余年に渡り丹羽氏(十万石)の居城。

      手前の大きく張り出している部分は東櫓台の石垣。



  本丸跡平面図



  本丸枡形虎口と東櫓跡(奥の一段高い石垣)。



  本丸枡形虎口跡(東櫓から見る)。



  同上と本丸跡



  天守台跡(東櫓から見る)。



  天守台跡より眺める安達太良山が綺麗だ。



  西櫓台跡



  本丸跡(西櫓台より見る)。



  本丸跡 天守台(左)、東櫓台(右)(本丸南西より眺める)。



  本丸西面石垣(⑩面石垣)左側には西櫓台が高く積まれている(石垣の内部に旧石垣がある)



  同上石垣内部の旧石垣の説明。



  本丸北面石垣(⑨、⑧、⑨面の石垣)天守台も見える。



  本丸東北面の石垣(⑥面の石垣)手前に見える古石垣は二本松城に築かれた

       最も古い石垣(慶長期)が検出されましたが、風化により復元には再使用できない為、

       近接した所に移築展示してある。



  同上(⑥面石垣)旧石垣



  本丸東面石垣(④、⑤、⑥面の石垣)。





  本丸直下大石垣



  中腹にある日影の井戸を見に下る、南斜面で温かいのかまだ紅葉が残っている。





  日影の井戸 千葉県印西市の「月影の井戸」、神奈川県鎌倉市の「星影の井戸」と

        共に日本の三井戸といわれる。







  搦手門(裏門)跡 寛永初期の門台石垣と門柱礎石の遺構。 

                    次に山を下りながら近世城郭を見学する。