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旅行 社寺

会津若松城

2013-10-11 16:36:25 | 
 2013.10.05 戊辰戦争では約1ヶ月の激しい攻防戦に耐え抜いた堅城を見学して来ました。







  会津若松城 国指定史跡 日本100名城 1384年葦名直盛が東黒川館を築いたのが始まり

        豊臣秀吉の命令で蒲生氏郷は大改造を行い、七重の天守を築き、名を

        若松城に改めた。天守は後に加藤嘉明により五重に改修された。



  案内図



  追手門西濠 北出丸石垣



  北出丸追手門



  同上枡形 奥は北出丸



  北出丸





  太鼓門





  天守閣 天守台石垣は蒲生氏時代からの野面積。





  表門(鉄門)



  天守閣と走長屋と表門



  干飯(ほしい)櫓と南走長屋



  天守閣 本丸より眺める。

  次からは天守閣からの会津平野を一望。



  南西方向



  北方向



  北東方向 1



  北東方向 2 遠くに飯盛山が見える。





  本丸埋門



  東方向 小田山(戊辰戦争西軍砲陣地)が見える。







  東方向 本丸跡



  南方向 走長屋、表門、南走長屋、干飯櫓



  西方向 帯郭、西出丸



  北方向 太鼓門、椿坂、北出丸。太鼓門石垣には武者走の石段が見える。



  鉄砲狭間



  石落とし



  天守閣と表門



  天守閣 本丸より眺める。



  天守閣 裏門(埋門)より眺める。 天守他全てが赤瓦葺きになり、江戸時代末期の美しい姿、

      雄大なスケールの縄張りと現在まで良く城内が保存されている事に感心しました。