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旅行 社寺

福島旅行 白河関跡

2013-10-06 14:17:21 | 旅行
 2013.10.04~5福島県白河~二本松~会津若松と戊辰戦争の足跡と城巡りをして来ました。

       4日は白河関~小峰城~霞ヶ城~土津神社~裏磐梯五色温泉泊





  白河関跡(国指定史跡)約1200年前通行人や公益物品の検問などを主な目的として

           また蝦夷(えみし)の南下対策として太平洋側の勿来(なこそ)関、

           日本海側の念珠関とともに、都から陸奥国に通じる東山道の要衝に

           設けられた、奥羽三関の一つ(ヤマトの軍事的要衝)。

           1868年の戊辰戦争での激戦地の一つで、白河口の戦いでは会津藩

           家老西郷頼母率いる部隊が新政府軍に大敗した。



  案内図



  白河関の発掘調査  門跡(北門、西門)や柵列あと等が発見された。



  古関跡碑 白河藩主松平定信が1800年にこの場所が白河関跡に間違いないとして建立した碑





  古歌碑  平兼盛、能因(のういん)法師、梶原景季の白河関を詠んだ歌三首を刻んだ歌碑。





  中世には、丘陵全体が居館として使用され、土塁や空堀で囲まれていた。



  奥の細道 白河の関の碑



  芭蕉.曽良像   



  幌掛の楓 源義家が清原氏討伐(前九年の役)に際し、白河関を通過した時社前の楓に

       幌掛けてしばしの休息をしたという伝説がある。現在の楓は植え替えたもの。



  従二位(じゅにい)の杉樹齢約800年 鎌倉初期の歌人藤原家隆(従二位宮内卿)が

            手植えされたと伝えられている杉の巨木。



  白河神社参道



  白河神社  社殿は仙台藩主伊達政宗が寄進したとものと伝えられている。



  丘陵はカタクリの花や藤の花が春に綺麗に咲く。

    白河関は奈良時代から平安時代頃に機能していた国境の関であったが、

    その後律令制の衰退と共にその機能を失ったが、

    「歌枕」として文学の世界で都人のあこがれの地となった。