HARD HEAD

旅行 社寺

高天神城

2019-12-07 11:01:21 | 
 2019.11.23 浜名湖同級旅行の後、皆と別れて掛川駅前のホテルに泊まり

     高天神城と金谷の諏訪原城を登城して来ました。



  掛川駅  昨日の雨で濃霧ですが、7:18発のしずてつジャストライン大東浜岡線のバスに乗車

       山城で心配していた濃霧も7:41土方バス停に着く頃は晴れてきました。



  高天神城追手門入口。 奥に見える高天神城の遠景。



  同上 切割。



  馬場平。



  堀切。





  高天神城  国指定史跡 続日本百名城。 徳川.武田が奪い合った要衝の城。

      高天神城の城域は尾根の鞍部にあたる井戸曲輪を境にして東峰と西峰に大きく分かれ、

      一城別郭と呼ばれる構造をもつ。



  縄張図。



  略図。



  想像図。



  攻防城砦図。



  追手門。



  着到櫓跡。



  三の丸跡。 城の南端へ突き出した曲輪で眺望がすばらしく遠州灘まで見渡せる。

     小笠原与左衛門清有が大将を務めたことから左衛門平とも呼ばれる。





  本丸跡。



  同上にある 元宮(元天神) もともと、ここに高天神社が鎮座していたが、八代将軍徳川吉宗の

        時に現在の地に遷宮されたため元宮と呼ばれる。



  御前曲輪跡。この下が三の丸跡。



  同上から眺めた風景。



  本丸跡にある 松幹化石。



  本丸西側虎口と左側大河内政局牢入口。



  大河内石窟 山腹に洞窟状に掘った横穴でここを牢屋として使用した。



  的場曲輪。 右崖上は本丸跡。



  井戸曲輪。 この付近は東西の曲輪の中央で馬の背にあたる所で激しい戦いが

        行われた場所と言われている。



  同上にある かな井戸。 井戸の「かな」の表示は鉄分が含まれているとか...。 



  高天神社石段。 最上段は西の丸跡。



  西ノ丸跡。



  高天神社 本殿。



  同上から眺めた景色。





  馬場平との切割。 尾根伝いに攻め寄せる敵兵を防ぐために作られた。



  馬場平。



  同上からの抜け道。 甚五郎の抜け道(犬戻り猿戻りの険)



  馬場平。 一説にはここで馬の管理をしていたための名称と言われるが、

       三方が断崖絶壁で、ここより先は城外であることから、ここに

       番所が置かれていた説があり番場が馬場に転じた可能性がある。



  同上から見た遠州灘。



  井戸曲輪まで戻り二ノ丸、井桜曲輪へと向かう。



  二の丸跡。



  袖曲輪跡。



  本間氏.丸尾氏 戦死の址。



  堀切。 平時は丸太等の簡素な橋を架けて通行し、いざ戦いとなると

      丸太を落とし通行を遮断する。



  堂の尾曲輪跡。



  同上から振り返り今渡ってきた深い堀切を見る。



  同上から井桜曲輪跡迄尾根上の細い道が続く。



  井桜曲輪(せいろうくるわ)。 西ノ丸から北へ突き出た半島状の先端に位置する

     曲輪でここに物見の望楼(櫓)が建っていたと言われることから

     井桜曲輪と言われる。城内でここの西側斜面が最も傾斜が緩いため、

     土塁、堀切、横堀などの防御施設が二重三重に施されている。



  同上 防御施設の横堀。



  井桜曲輪跡から見た景色。 今は木々が茂っているが隙間から見える風景は望楼には最適と思われる。



  三日月井戸。 城内に存在する二つの井戸の内の一つ。金魚が数匹泳いでいます。



  この先が搦手門跡。 ここを下りず来た道を追手門口に戻り「土方バス停」より

       10:25発のバスで掛川駅に戻り次の諏訪原城に向かう。