平成18(2006)年、「大栄(たいえい)」町は成田市と合併しました。
「旧佐原街道」はこの先、「現佐原街道(「国道51号線」)」を歩くことになります。
しかし、旧街道は「歴史的農業環境システム」によると、「昭栄郵便局」のところを(二軒並んで「長屋門」があった手前)右折していく道(現在は農道のような道)がそうだったようです。事前の「新・旧道」確認が不足していました。
1880年代のようす。街道は、かつての城山を回り込むように山裾を進んだ。
電子国土基本図(2010年代)。現街道(国道)は城山を切り崩してつくられたようだ。下の○が分岐点。→が旧道。上の○が支所裏の道との合流点。
成田市コミュニティバスで「大栄支所」まで。200円で来ることができます(「千葉バス」だと520円)。
その代わり、ぐるぐると寄り道をしながら、成田空港のすぐ脇を走ったり、森の中を行ったり、集落を進むので、開けたところ、右に左に急カーブ、・・・それでいてけっこうスピードを出します。
(9:28)さっそく支所の裏手へ。上図の旧道歩きはパス。
この道は旧道ではありませんが、里山風景が広がります。
田植えを終えたばかり、緑がまぶしい。
その先で旧道と合流(地図で上の○地点)。
路傍の草むらに「道標」。すり減っていて読みにくいですが、「西 きちおか なり田」・「東 いのう さはら」・・・。
この道が旧道であることには間違いなさそう。
田んぼの向こう、左手に現佐原街道「国道51号線」。
(9:39)「馬洗(まあらい)橋」(大須賀川)。
この付近の高台には、「馬洗(まあらい)城」があったようです。
「おかげさま農場」「かざぐるま」。この道は旧道ではありません。
(9:43)「国道51号線」に出ます。これから長い、国道歩きが。
バス停の数で25以上?
日ざしの割には爽やかな風が救い。
沿道も花や野菜などが目をひきます。ソラマメ。
(9:53)「千葉から41㎞」ポスト。
「歯科病理学之祖 花沢鼎先生之碑」。
沿道には咲き誇る草花。
「明日からあなたはこっとう屋さん」。応援します第二の人生・・・。
車の行き来が激しい、単調な国道歩き、目を和ませる草花が。
この付近は台地のため、畑地が多いようです。
(10:15)「東関道・大栄IC」へつながる道と交差します。
この付近の今昔。
1880年代のようす。旧道は集落を縫うように進んでいます。
2010年代のようす。「国道51号線」が中央を貫いています。旧道は、北側の広い道から右手の集落へ向かう道がそのようです。
こうした空撮からだと何とか類推できるが、実際歩いていると、なかなか難しい。特に成田空港や東関道などの開設以来、この付近の変化は激しい。この先もそんな感じです。この旧道もパスします。
「」HPが、旧道をできるだけ正確に辿ろうとしています。「迅速測図」(「歴史的農業環境閲覧システム」が利用している資料)をもとに、実際に歩いた記録。
ただし、この方は成田から佐原まで休憩時間もほとんどないまま一気に歩いていて、その間にこまめに写真を撮り、「迅速測図」と比べながら歩き、細かなメモをしているんですから、驚異的でとうてい真似できません。
左手の一画にバラが咲いています。
車が通過するばかりで、歩いたり自転車で通る人の姿は無く、ゆっくり眺める余裕はなさそうですが。すてきなバラがけっこう植わっています。
(10:23)「千葉から43㎞ 鹿嶋まで30㎞」ポスト。
「旧佐原街道」はこの先、「現佐原街道(「国道51号線」)」を歩くことになります。
しかし、旧街道は「歴史的農業環境システム」によると、「昭栄郵便局」のところを(二軒並んで「長屋門」があった手前)右折していく道(現在は農道のような道)がそうだったようです。事前の「新・旧道」確認が不足していました。
1880年代のようす。街道は、かつての城山を回り込むように山裾を進んだ。
電子国土基本図(2010年代)。現街道(国道)は城山を切り崩してつくられたようだ。下の○が分岐点。→が旧道。上の○が支所裏の道との合流点。
成田市コミュニティバスで「大栄支所」まで。200円で来ることができます(「千葉バス」だと520円)。
その代わり、ぐるぐると寄り道をしながら、成田空港のすぐ脇を走ったり、森の中を行ったり、集落を進むので、開けたところ、右に左に急カーブ、・・・それでいてけっこうスピードを出します。
(9:28)さっそく支所の裏手へ。上図の旧道歩きはパス。
この道は旧道ではありませんが、里山風景が広がります。
田植えを終えたばかり、緑がまぶしい。
その先で旧道と合流(地図で上の○地点)。
路傍の草むらに「道標」。すり減っていて読みにくいですが、「西 きちおか なり田」・「東 いのう さはら」・・・。
この道が旧道であることには間違いなさそう。
田んぼの向こう、左手に現佐原街道「国道51号線」。
(9:39)「馬洗(まあらい)橋」(大須賀川)。
この付近の高台には、「馬洗(まあらい)城」があったようです。
「おかげさま農場」「かざぐるま」。この道は旧道ではありません。
(9:43)「国道51号線」に出ます。これから長い、国道歩きが。
バス停の数で25以上?
日ざしの割には爽やかな風が救い。
沿道も花や野菜などが目をひきます。ソラマメ。
(9:53)「千葉から41㎞」ポスト。
「歯科病理学之祖 花沢鼎先生之碑」。
沿道には咲き誇る草花。
「明日からあなたはこっとう屋さん」。応援します第二の人生・・・。
車の行き来が激しい、単調な国道歩き、目を和ませる草花が。
この付近は台地のため、畑地が多いようです。
(10:15)「東関道・大栄IC」へつながる道と交差します。
この付近の今昔。
1880年代のようす。旧道は集落を縫うように進んでいます。
2010年代のようす。「国道51号線」が中央を貫いています。旧道は、北側の広い道から右手の集落へ向かう道がそのようです。
こうした空撮からだと何とか類推できるが、実際歩いていると、なかなか難しい。特に成田空港や東関道などの開設以来、この付近の変化は激しい。この先もそんな感じです。この旧道もパスします。
「」HPが、旧道をできるだけ正確に辿ろうとしています。「迅速測図」(「歴史的農業環境閲覧システム」が利用している資料)をもとに、実際に歩いた記録。
ただし、この方は成田から佐原まで休憩時間もほとんどないまま一気に歩いていて、その間にこまめに写真を撮り、「迅速測図」と比べながら歩き、細かなメモをしているんですから、驚異的でとうてい真似できません。
左手の一画にバラが咲いています。
車が通過するばかりで、歩いたり自転車で通る人の姿は無く、ゆっくり眺める余裕はなさそうですが。すてきなバラがけっこう植わっています。
(10:23)「千葉から43㎞ 鹿嶋まで30㎞」ポスト。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます