おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

鉄砲洲児童公園。中央小学校(鉄砲洲小学校)。湊界隈。(震災復興52小公園。その22。)

2013-12-22 19:54:35 | 震災復興小公園
※「鉄砲洲小学校」の沿革碑。(鉄砲洲児童公園内に設置されている。もともとは、小学校の敷地にあったものか)

⑥鉄砲洲児童公園(旧鉄砲洲公園)

学校の解体、新校舎建設と合わせて整備されたようす。
こじんまりとした公園。児童の帰りを待つ母親達が団らん。
公園の東側の通り「鉄砲洲通り」。

 隣接してある小学校が「中央小学校」。
公園東南から中央小学校を望む。

中央小学校(旧鉄砲洲小学校)
 明治時代に創立された旧京華小学校と旧鉄砲洲小学校が統合されて、平成5年4月1日に誕生した学校。


平成24年9月より新校舎での生活が始まりました。(「中央小」HPより)
正面玄関はかつての意匠を生かした感じ。
外壁などのつくりは、かなり斬新なデザイン。復興校舎の趣とはかなり異なる印象になるのは、しかたがないが。

※「中央区立中央小学校(昭和モダン建築探訪)」として、旧「明石小」と同じく、すでに取り壊された「中央小(旧鉄砲洲小)」の震災復興校舎の貴重な写真が文章とともに掲載されています。
(「関根要太郎研究室」...fkaidofudo.exblog.jp/10882180 2009/04/23)

 この「湊」地域は、かつての家屋が残っている一方、再開発で取り壊され新しい町づくりが始まっている地域でもある。「中央小学校」も新しい町づくりの一環としてモダンな様式の校舎になったようだ。
1970年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。周囲のほとんどが低層住宅の中で、「鉄砲洲小学校と「鉄砲洲公園」は目立った存在だった。右の運河(川)は「亀島川」。

隅田川沿いの地域。再開発が進んでいます。対岸は、月島地区。
昔ながらの街並み。
歯が欠けたような一角。
ぽつんぽつんと残された家屋。
古風な家の構えとマンション。
近代的なビルと日本家屋。後者がしだいになくなっていく時代の流れ。
数年のうちにまるっきり雰囲気の違う街並みになるほどの再開発ブーム。

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