おやじのつぶやき

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「震災復興52小公園」の現状。まとめその6。江東区編。

2014-02-22 19:51:46 | 震災復興小公園

《江東区》

46元加賀公園 昭2(1927)年 元加賀小学校(2013,10,9掲載)
 開園当時の施設が残っている。
壁泉付露床。
藤棚から西の広場を望む(樹木は植えていないので、近所の幼稚園、子供会などの運動会・催し物には最適)。中央が「壁泉付き露床」。

校庭との間にはフェンスと植え込みがあり、それぞれの独立性が高いものになっている。学校の校庭との通用口が二カ所。それぞれ立派な門扉で、簡単に出入りできるようにはつくられていない。

47八名川公園 昭5(1930)年 八名川小学校(2013,12,2)
藤棚をあしらったテラス。
公園側の通用門。
小学校のフェンス脇には花壇があって、目を楽しませる工夫がされている。

48森下公園 昭5(1930)年 深川小学校(2013,12,3)
 公園の名称と小学校名が異なる組み合わせ。
通りをはさんで存在する。右が「深川小」。
広々とした中央広場。
藤棚のあるテラス。

49臨海公園 昭5(1930)年 臨海小学校(2013,12,4)
臨海小の校庭拡張の影響か、内側にカーブしたかたちになっている。
校庭とのフェンス。

50東陽公園 昭2(1927)年 東陽小学校(2013,12,6)
永代橋通りと高層ビルに囲まれた公園。
右奥が「東陽小学校」。
学校との関連は薄い。

51扇橋公園 昭5(1930)年 扇橋小学校(2013,12,6)
カーブした藤棚。
藤棚から小学校方向を望む。
学校は、全面改築中。

52川南公園 昭6(1931)年 川南小学校(2013,10,10)
 一体的に使われている公園。
校庭と公園の出入口。
 戦後、復興した校舎の位置は、戦前とほとんど変わりませんが、公園は、学校側にプールができ、手狭な印象。
 当時のままの二連式滑り台。
正面に子どもを描いたレリーフ。
公園の西側から東を望む。


(「震災復興52小公園」の原資料は、「kantoquake.kanagawa-u.ac.jp/pmapf/index/park.html」さんより引用。番号は便宜的に付した。)

 なお、( )内は、掲載した日付です。公園、小学校の現状や歴史、周辺地域の話題など盛りだくさんなつもり。詳しく知りたい方はぜひ訪問して下さい。

 「震災復興小学校」として鉄筋コンクリートづくりの校舎があったが、戦災で大きな被害を受けたり、その後の統廃合によって取り壊されてしまい、現在、現役校舎、あるいは他の用途として使われているものも含め、数少なくなってしまっています。
 「震災復興52小公園」の中で紹介した以外の小学校(隣接した「小公園」がないか、あるいは小規模のもの)で、当時のままの校舎が残っている小学校(他の用途に転用したものも含む)を訪れ、掲載しています。まだ行きそびれている校舎も訪ねて、別の機会にまとめる予定です。

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