おやじのつぶやき

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「フィオリの丘」。美野里ハイタウン。東武線「六実」駅~JR「松戸」駅。番外編。(「鮮魚街道」をゆく。第2日目)

2020-10-27 21:17:18 | 鮮魚街道

            「美野里ハイタウン」時代の地図。団地になっています。(「今昔マップ」より)

開発前のようす。雑木林がなくなり、整地されている1970年代のようす。

解体前の写真。(「美野里ハイタウンNEWS」より)

和名ヶ谷地区は、もと葛飾郡に属し、1889年(明治22年)の町村制施行時には東葛飾郡八柱村であった。八柱村は1938年(昭和13年)、松戸町に編入。もともとこの地区は雑木林であった。1976年に美野里ハイタウンが建設された。美野里ハイタウンは1980年代後半に最盛期を迎えたが、1993年頃になると、空き部屋が目立つようになり、2004年に住民は立ち退かされた。

和名ヶ谷地区の人口は平成10年10月1日(984世帯・3,109人)から令和2年7月末日(2,571世帯・6,444人)までの22年で約2倍近くになっている。

(この項、「Wikipedia」参照)

傍線部にある「美野里ハイタウン」の跡地が現在の「フィオリの丘」一帯となってなっているようです(一部は、その後の開発地域を含む)。

上記の「1993年頃になると、空き部屋が目立つようになり、2004年に住民は立ち退かされた」というような言葉で一括りされない実態があったようです。ネットをみると、「美野里ハイタウンNEWS」、「美野里ハイタウン資料室」などでその経過、立ち退かざるを得なくなった住民の方々の思いを垣間見ることができました。

大地主が個人の敷地を開発し、社宅のようなかたちで団地がつくられたようですが。その会社が倒産し、負債を抱え、土地は、別会社の手に。三井生命、神戸製鋼、川崎製鉄、九州石油、三菱、東芝などの社宅が、次々と引き上げてしまう。そのあと新しい入居者が入らなかった部屋や棟もあり、徐々に空き部屋が増えていく。子ども会がなくなって定期的な掃除をしなくなり、また、大家さんによる樹木の剪定や雑草の刈り取りといったメンテナンス、ゴミ集積所の掃除などが行われなくなって、次第に団地の中は荒れていく。粗大ゴミの不法投棄も目立ち始める。建物は解体され、その後、現在のマンショや戸建て分譲住宅というかたちで再開発されたようです。

 

 

それから15年以上が経過。すっかり変貌した街並みになっています。

                          2010年代のようす。(「歴史的農業環境システム」より)

フィオリ (イタリア語: fiori)=「花」の複数形。

 


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