おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

クローバー橋。五本松跡。扇橋閘門。江東区「小名木川」。その4。(「鮮魚街道」番外編。)

2020-12-16 22:19:48 | 鮮魚街道

「小名木川 クローバー橋」。

小名木川クローバー橋は、猿江・大島・北砂・扇橋の4地区を小名木川と横十間川の合流点で結び、地域社会に快適な生活と、人と文化の交流を提供できるランドマークとしての意義が深い橋として計画されました。完成は平成6年(1994)12月で歩行者と自転車専用橋です。橋の真ん中に四つ葉のクローバーが描かれていて、ロケ地としてもしばしば利用されています。

(この項、「」HPより)

この橋がなかった頃は、お互いの行き来する橋が限られていて、さぞ不便だったでしょう。まだその時分、この辺り一帯は川をはさんで工場街だったためにさほど不便は感じなかったでしょうが、次第に工場が撤退し、住宅が増えて来たり、スポーツ会館が出来た頃には、さぞかし不便だったと思います。


1970年代のようす。まだ橋が架かっていない。

2010年代のようす。

夜景

HPより)

 

横十間川水門橋」。

若洲風力発電施設に続く新たな再生可能エネルギーのシンボルとして、横十間川親水公園・水門橋にマイクロ水力発電施設が完成しました。(平成27年3月18日)

発電の様子を実際に目で見て実感してもらうことによる環境学習、及び「水彩都市・江東」を象徴する新たな観光資源として活用していきます。
発電した電気は電力安定化装置で整えた後に、表示モニター、ライトアップ用LED照明、カメラに利用しております。
発電出力は最大で1KW程度、1ヶ月の発電電力量は600KWh程度になります。

所在地:江東区扇橋3-22先

(注)発電出力が小さい場合(300W程度)、表示モニターは表示されません。
横十間川親水公園の水位は潮位の影響を受けています。潮位が低い時は、水門橋の下を流れる水の落差が小さいため、発電出力が小さくなります。

(この項、「江東区」公式HPより)

「四つ目通り」五本松跡。

               

江戸時代、小名木川北岸の九鬼家の屋敷に、枝を張った形の良い老松があり、徳川吉宗が感嘆したことから有名になり、広重が描いたり、芭蕉もこの場所に舟を止め、「川上と この川しもや 月の友」の句を残しています。この松は、明治の末に枯死しましたが、昭和63年(1988)9月に現在の地に復活しました。

(この項、「」HPより)

今宵は名月。私はこうして小名木川の五本松で川面に揺れる月を眺めているが、この同じ川上には私の心の友もこれと同じ月を眺めているであろう。
 川上で眺めている「月の友」が誰であるかはもちろん分からないが、古来山口素堂であろうといわれているようです。

歌川広重「名所江戸百景 小奈木川五本まつ」。(「Wikipedia」より)

その脇に「五百羅漢道標」。

五百羅漢道標
 五百羅漢道標は、五百羅漢寺への道筋を案内する道しるべです。かつては、現在地より50mほど東にあった庚申堂の前に、川に面して建てられていました。正面には「是より五百らかん江右川[ ](通) 八町ほど先へ参り[ ](申)」、右側面には「此横道四ツ目橋通り亀戸天神□」とあり、亀戸天神への道も示しています。
 造立年代は不明ですが、左側面の銘文により享保16年(1731)、寛政9年(1797)、文化2年(1805)の計3回再建されたことがわかります。現在の道標は文化2年(1805)に再建されたものです。
 五百羅漢寺とは、明治20年(1887)まで現在の大島4-5付近にあった、天恩山五百阿羅漢寺(現在は目黒区に移転)のことです。堂内に安置された536体の羅漢像やらせん状の廊下をもつ三匝堂(通称さざえ堂)が有名で、亀戸天神と並び多くの参詣客を集めました。
 この道標は、川沿いの道を歩く人はもちろんのこと小名木川を船で訪れる人の目にも留まるように建てられていました。陸上と水上の両方の道を対象とした、水路の恵まれた江東区ならではの文化財です。(「解説板」より)

この道標は大島の羅漢寺あるいは亀戸天神社へ参詣に訪れる人々の案内板の役割を果たしていました。また、小名木川を通行する船や、川沿いの道を往来する人々にとって江戸の境界を示すランドマークとしても機能していました。この道標が小名木川に向って建てられていたことは、川岸を歩く人々だけでなく、船から見えることも意図していたと考えられ、陸路と水路の両交通路を対象とした特徴を持っています。

(この項、「江東区」公式HPより)

「小名木川」を望む。

この先、自転車で通れる川沿いの道はなく、ぐるっと回り道。振り返ると、大横川との交差地点。その向こうに「扇橋閘門」が見えます。ここも紹介したことがあります。

・・・

隅田川側(前扉)。
水路。残念ながら柵ごしで水面は見えず。
小名木川側(後扉)。この間が調整水路。
北側にある小さな流水口からは、勢いよく大量の水が噴き出しています。水面の差を実感します。
後扉。

「閘門」とは、水面の高さが違う2つの川のあいだを船が通行出来るようにするための施設。川と川のあいだに前後二箇所に水門をつくって、水位を調節し、水面の高さを同じにして船を通す方法で、まさにパナマ運河と同じ。
 江東区の内部水域は、地盤沈下の影響から水位を隅田川の平均潮位に比べ、マイナス1M下げて常に一定にしています。そのため、満潮時の水位差は、3メートル以上。この水位差を調整しながら船を航行させる施設が、扇橋閘門。

・・・

江東区は、今も昔も、東西、南北を貫く運河の多い街です。

                     2010年代のようす。上部に「小名木川」。

木場があったため、1970年代の写真では、南にある「仙台堀川」などには丸太が川面にたくさん浮かんでいます。

 


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