おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

中川船番所資料館。江東区「小名木川」。その1。(「鮮魚街道」番外編。)

2020-12-11 22:40:06 | 鮮魚街道

                  「中川船番所資料館」

 今回。江東区内を東西に貫く「小名木川」探索。ところが大失敗! 「新川」は、遊歩道を自転車でも通れましたが、ここは、自転車を押して歩いてもダメ! それを知らずに自転車で出かけてしまいました。

 自転車を置いて歩くのはけっこう大変そう。いいや、自転車で川沿いに行ってみよう! ところが、川に沿って進めないところが何カ所も。高い堤防で行き止まりのところも多い。何度も川から離れてぐるっと遠回りしていくハメに。

歴史クルーズ『お江戸日本橋舟めぐり(「小名木川コース)』の運航がありますが、新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止のため、現在はやっていないようです。

(「」HPより)

 

「明治通り」から「丸八通り」へ。さらに「新大橋通り」から都営新宿線「東大島」駅脇を抜け、「中川船番所資料館」に向かいます。

付近の地図。左が「旧中川」、斜めの川が「小名木川」。上方に「荒川」。

資料館入口にあった「田船」。

 深田に浮かべて、肥料や刈り取った稲を押し運ぶのに用いる小舟。弥生時代から用いられている。

水郷や沼などで、乗用や農作物の運搬などに使用される平底の簡単な作りの舟。(「デジタル大辞泉」より)

中川船番所の再現

                

寛文元(1661)年に、江戸を出入りする船を取り締まるために小名木川の隅田川口に置かれていた「深川口人改之御番所」が、中川・小名木川・船堀川の交差する中川口に移転し「中川番所」となりました。
中川番所があった場所については現在の江東区大島9丁目1番地と推定されていましたが、平成7(1995)年の発掘調査において柱材や礎石などが出土したことにより、中川番所跡であることがほぼ確定しました。中川船番所資料館は、この番所跡地より北に50メートルほど離れた場所に建てられています。

(この項、「江東区」HPより)

江戸名所図会『中河口』「中川番所」。

高札現代語訳のもの。

一.夜間の江戸からの出船は禁止、入船は許可する。
一.中川番所前を通過する時には、乗船している人々は笠や頭巾を脱ぎ、船は戸を開けて内部を見せる。
一.女性は身分の上下によらず、たとえ証文があっても一切通行は許可しない。
一.鉄砲は二、三挺までは改の上通行を許可するが、それ以上の場合は指図を請ける。その他の武具についても同様である。
一.人が入ることのできる大きさの器は確かめた上、異常が無ければ通す。小さい器に関しては改には及ばない。万一不審な点があれば船を留置き報告をする。

附 囚人や怪我人、死人についても、証文がなければ通行は許可しない。

1880年代のようす。小名木川と中川の交差するところに番所跡。

2010年代のようす。番所跡の少し北側に資料館。

当時の風景を模した絵。

当時の水運、海運の概念図。

「中川屋清蔵」の役割。

「塩の道・小名木川」の全容。

広重「名所江戸百景 中川口」。手前が「小名木川」で、左下に「中川番所」の建物や石段が描かれている。中央を左から右に「中川」が流れ、その奥が「新川」。

「資料館」には、当時の番所の役割・ようすが詳しく展示されています。別の階には釣り道具や魚拓など釣り関係の展示が豊富に。

眼下を見下ろす。「旧中川」の流れ。

南を望む。右手奥に「小名木川」。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新川西水門遺構。火の見櫓。... | トップ | 「中川船番所」跡。旧小松川... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

鮮魚街道」カテゴリの最新記事