おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

東武線川間駅~川間駅。その4。大凧あげ祭り。いちいのホール。将棋・関根名人。(「江戸川」を歩く。第1回目)

2022-03-09 20:44:10 | 江戸川を歩く

         

         野田・関宿と春日部・西宝珠花を結ぶ幹線道路のようで、車がけっこう行き来しています。

「↑松戸流山 →春日部」。

左手奥に「関宿中央(バス)ターミナル」があります。朝、東武線・川間駅から朝日バスに乗り、ここで、「野田市まめバス」に乗り換え、「関宿城博物館」へ向かいました。

 「宝珠花橋」東詰。

               「海から51.0㎞」。    

橋のたもとにあるモニュメント。

                 河川舟運(かせんしゅううん)が盛んだったことを偲ばせる。

    

サッカーグランド。

この対岸の河川敷が「大凧あげ祭り会場」になっています。

5月の連休。薫風の大空に、縦15m・横11m・重さ800kgの2張の大凧が飛揚

大凧の歴史

大凧に関する史料の初出は西宝珠花にある小流寺の過去帳である。  この過去帳によれば、天保12年(西暦1841年)9月11日に出羽の国の僧「浄信」が、各地巡礼の折に小流寺に宿泊し、土地の人々を集めて養蚕の豊作占いとして凧あげを伝えたことが記されている。人々は喜び合って、その翌年より繭の収穫時期に凧を揚げるようになったと伝えられている。

当時の流通手段は、舟運が主であり、東北地方や関東一円から江戸(東京)への舟運交通として江戸川が大きな役割を果たしていた。その舟運の要所として、宝珠花は大いに賑わい、この地方の文化経済の中心として繁栄していた。

 そこで人寄せのため、繭の収穫前に行っていた凧あげを旧5月の端午節句に男子出生のお祝いとして行うようになった。各戸で子どもの名前や紋章を書いた凧を作り、凧あげ祭りを行うようになった。一部において、凧合戦も行われたようである。

 各戸で揚げていた凧が、いつの頃からか共同で揚げるようになり、凧の大きさも徐々に大きくなり、明治の初期には現在の半分の大きさに、明治中期頃には現在の大きさになったと伝えられている。これまで、戦争や河川改修による宝珠花の移転等で中止された年もあったが、大凧の歴史と伝統は、多くの人々によって継承されこの地に息づいている。

 大凧あげ祭りは、昭和42年までは「宝珠花の大凧あげ祭り」であったが、昭和43年から「庄和の大凧あげ祭り」となり、平成17年10月1日の旧春日部市と庄和町の合併により、「春日部の大凧あげ祭り」と実施主催が変更となっている。

凧文字の変遷

 大凧の凧文字はその年の世相を反映した文字を公募により選定している。
子凧文字は市内の小学5年生から募集し選定している。

2019年度

(この項、「」HPより)

昨年は中止になりましたが、今年は着々と準備が進んでいます。

         (「同」HPより)

先に進みます。

振り返る。

左手に「いちいのホール」。

平成15年6月6日、野田市と関宿町は合併し、新しい野田市が発足。
平成16年4月1日、旧関宿町役場庁舎を支所・図書館・コミュニティ会館・関根名人記念館などの入る複合施設「いちいのホール」としてオープンした。

※「いちい」は旧関宿町の木であった「イチイ」に由来。

※「関根名人」将棋棋士。

千葉県東宝珠花(ひがしほうしゅばな)(現野田市)の生まれ。11歳で11世伊藤宗印名人に入門棋界の不振時代に全国を行脚(あんぎゃ)、修行し、弟子の発掘に尽くした。1905年(明治38)8段、21年(大正10)13世名人となる。35年(昭和10)名人世襲制度を捨て、自ら引退して実力名人制を実施し、現代に続く新聞棋戦を確立した。親分肌で人間味にあふれ、対阪田三吉戦をはじめ棋道行脚に数多くの逸話を残す。後進の育成にも尽力し、門下には土居市太郎金易二郎(こんやすじろう)、花田長太郎木村義雄(よしお)など名棋士を出している。直門に限らず明治・大正生まれの棋士には彼に指導感化された者が多い。関根流の「春風のやうにさらりと指すべし」の名人戦講評、泰然とした正座対局、あふれる人情味は、大名人の風格があった。野田市東宝珠花に将棋の駒をかたどった墓碑がある。

[原田泰夫]『木村義雄他監修『日本将棋大系13』(1980・筑摩書房)』(「コトバンク」より)

後の日本将棋連盟に連なる直弟子としては土居市太郎木村義雄を筆頭に8人を輩出している。また、その直弟子らも数多くのプロ棋士を輩出しており、孫弟子にも名伯楽として知られる高柳敏夫花村元司がいるなど、現代の将棋界において関根門下の系譜が最大の数を誇る。タイトルホルダーも数多く輩出しており、名人経験者だけでも、実力制第一代名人となる木村以降、塚田正夫中原誠加藤一二三羽生善治森内俊之がいる。(「Wikipedia」より)

将棋界のことはほとんど分かりません(藤井聡太君の大活躍ぶりは知っています)が、この方は、すごい名人だったんですね。

河川敷の工事現場が続く。

ほぼ真横にグライダーが。

面白い看板。  

右は分かりますが(でも、「いたずらしちゃうよ?」はアウトかな?)、左の「活用工事現場」「人工衛星を利用し位置を算出します」とは?

「海から49.5㎞」。

              「関宿滑空場」。

         地上にも空にも軽飛行機やグライダーが。


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