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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

お金で買えるものと買えないもの

2008年06月10日 | 千伝。
ブログ仲間の方が紹介していた作者不明の中国に伝わる箴言に感心しています。

東京・秋葉原での通り魔殺人事件の犯人は、凶器となったサバイバルナイフを、わざわざ福井まで来て買ったというニュースに、ショックを受けました。

この世には、お金を払っても・・報われぬ絶望があります。
そして、お金では買えない・・癒される絶望もあるのです。

だからこそ、希望のある微笑みが、明日への扉を開けるための・・あなた自身の守り神になるのです。

小生も伝えたく・・書き記して置きます。

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お金で「家」は買えるけれど、「家庭」は買えない。

お金で「時計」は買えるけれど、「時間」は買えない。

お金で「ベッド」は買えるけれど、「快適な睡眠」は買えない。

お金で「本」は買えるけれど、「知識」は買えない。

お金で「名医」は買えるけれど、「健康」は買えない。

お金で「地位」は買えるけれど、「尊敬」は買えない。

お金で「血」は買えるけれど、「命」は買えない。

お金で「セックス」は買えるけれど、「愛」は買えない。

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加えて、西洋の箴言を補足追記して置きます。

貧乏人が、金持ちを殺すのを防ぐ役割が、宗教かもしれません。

お金で「成功」を買えるけれど、「成幸」は買えません。

お金で「人生の一部」を買えるけれど、「人生の全部」は買えません。

希望は、絶望を殺したりしません。

絶望が、希望を産むのです。

笑止千万

2008年06月09日 | 千伝。
昨日の日中は、体調が優れず、ずっと居眠り状態でした。

昨日は、大阪教育大付属池田小学校の乱入殺傷事件から7年だそうです。
同日、東京・秋葉原で、通り魔殺人事件・・また痛ましい事件です。
被害者の方々のご冥福を心から祈りたいです。合掌。

笑止千万な事件・・そんな想いを打ち消すようにテレビのバラエティ番組から、機関銃のごとく言葉が飛び交い「秒単位での笑い」が聞こえてきます。

二世紀にまたがって戦争を継続中の自由の国アメリカならば、精神もしくは身体障害者が異様に多いのも当然として受け止めることもできますが、この日本の国に精神異常の薄笑みは、不自由な社会を連想させます。

笑顔は、人間だけに許された宝物です。
最近、他の動物のほうが、いとおしく見えるのは何故でしょうか?

ところで、最近、地球温暖化対策として、やたらにテレビや雑誌で「日本のエコ生活の推進、未来の地球環境」を取り上げています。

しかし、日本の地方の田園生活と都会生活は、大きな隔たりがあります。

思い切って、首都移転をきっちりと定める、あるいは半径50KMエリアに人口100万人以上の都市を作らない、消滅させる・・強制的に地方の田舎に移住させるぐらいの決断と法規制がないと、日本の取り巻くアンバランスな現状の環境に変化も未来もありません。

ましてや、先進国と発展途上国になると経済格差と環境格差、人口と食糧問題・・もっと大差があります。

水と金・・そのどちらを選択しますか?

もし、これが地球冷却化の時代に変遷すると、未来の人類は、どのように対応すればよいのでしょう?

ホルストの組曲惑星の第4曲 ジュピター(木星)・・平原綾香さんの唄う歌詩は、とてもいいけど・・タイトルとかけ離れています。

日中・・あの人は無事で元気でした♪

・・へそが茶を沸かすような居眠りをしていた白昼夢でした。

笑止千万・・What a laugh!

笑止一寸

2008年06月08日 | 千伝。
16年ぶりに日本男子バレーボール代表のオリンピック出場決定!
今回、代表には、福井人二人(荻野と清水)もメンバーに選ばれています。

主将の荻野正二(38歳)は、福井県越前町出身。
彼の歓喜の涙に感激でした・・おめでとう♪

地元では、同じく福井市出身の中垣内祐一(元主将 現堺ブレイザーズ監督)の存在の隠れてしばらく地味な存在でしたが、大したものです。

ガンバレ・・ニッポン♪

ところで、競泳ジャパン・オープンで英国スピード社の水着(LR)を使用して日本新記録のラッシュでした。

知り合いの子供も出場していましたが・・残念ながらいい結果が出ませんでした。

ところで、水着に浮力が伴うと、規則違反になります。
が、スピード社の水着は、生地の水への摩擦軽減もさることながら、素材の芯の中身をミクロの単位で空洞化して、おそらく浮揚力を高めているのではないかと推測します。

水着や靴は、全く同一の範疇内での使用で、競ってほしいものです。

昔、1960年、ローマ大会でアベベ選手は、裸足で走ってマラソン優勝を遂げました。

遠いお伽話のような気もします。


リラックス スラックス デラックス・・
リラックスするアインス ツバイ ドライ同様に息抜きであります。

たとえ地球が爆発しようが、リラックスと思えば、日常の些事は全て緊張するほどのものではないはずです。 

すべての幸運と勝利の女神は、リラックスの中にあるのかもしれません。

笑止一寸・・ Just relax♪

念彼観音力

2008年06月07日 | 千伝。
あの人・・いいえ、あなたは、観音経を読んだことがあるのでしょうか?

あるとすれば「念彼観音力」の意味は、解ると思うのですが、今日は、これをタイトルにしました。

あなたの属する宗派も趣味も判りません。
多分、あなたは、映画を好きだと勝手に思っています。

数年前に、「21グラム」という映画を観たことがありました。
21グラムは・・魂の重さだと言います。

ショーン・ペン、ベニチオ・デル・トロ、ナオミ・ワッツ等々の役者の個性がぶつかりあい、演技が光った映画でした。

余談ですが・・結局、21グラムの重さを、どういうふうに測ったのか、知りたいと思いました。人魂でも捕まえたのか、あるいは、この世からあの世へと時間経過前後の体重でも測った平均値なのでしょうか・・余談事でした。(笑)

観音経が、心の救いとなるお経ならば・・

もうひとつ、般若心経というお経があります。
これは、心の悟りを導くお経とも呼ばれています。

・・これもお読みになったことがあるでしょうか?

もし、魂の重さが21グラムだとすると、煩悩の重さも同じなのかもしれません。


念彼観音力を唱えると、苦境の境地から救われるとのこと。

が、人間の煩悩は消えず、地球の重力の引っ張られるまま年齢を重ねてゆきます。

とても風邪気味です。

あなたの声が聞きたい静寂な夜です。

あなたの苦悩が、ひとつでも消えますように・・。

貧乏神の贈り物

2008年06月06日 | 千伝。
福井県、若狭地方に三方町という所があります。
そこに伝わる貧乏神の昔話です。

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むかしむかし、三方という村に、働いても働いても楽にならず、増えるのは子供ばかり・・そりゃ大変貧乏なお百姓さんが暮らしていたそうです。

もう冬も越せない切羽詰ったある日、夜逃げをすることに決めました。

その当日の夜中、納屋の前を通ると、見知らぬ男が、何かゴソゴソしていました。

「お前は、誰じゃ?」
「わしゃ、貧乏神じゃ」
「貧乏神? こんなところで何をしとるのじゃ?」
「この家のもんが逃げ出すちゅうで、わしもついて出かけるので、ほれ・・こうして草鞋(わらじ)を編んでいるんじゃ」

・・おどろいたのは、そのお百姓さんでした。

「そうか・・ついてくる。貧乏神がついている。だから、ずっと貧乏なんだぁ~。なるほど」

お百姓さんは、がっかりして、夜逃げをして出てゆく気もなくなりました。

次の朝、貧乏神は、草鞋を用意して待っていましたが、いつまでも待っても誰も出て来ません。

次の日も、次の日も・・
一日、また一日・・貧乏神は、せっせと草鞋作りに励みました。

そして、いつのまにやら軒先に草鞋が、どっさりと貯まってゆきました。
こうなると、村の者がくるようになって、「草鞋をわけてくれ」と言います。

貧乏神は、気前がよいのです。
「さぁ、どれでも持っていきなされ」

と、どんどん草鞋をわけてやるのです。

それを見た貧しいお百姓さんは、いいことを思いつきました。
「そうじゃ、この草鞋を売ればいいんじゃ」と。

さっそく、お百姓さんは村へ、町へと、売りに行ったのでした。

草鞋は、よく売れました。
でも、暮らしは、いっこうに楽になりません。

「やっぱり、貧乏神が居るかぎり、暮らしは楽にならねぇってことか・・」とため息がでます。

そこで、お百姓さんは、一計を案じました。

草鞋を売った、わずかな残り金で、ありったけの酒やごちそうを用意して、貧乏神をもてなしました。

「さぁさぁ、貧乏神さま、きょうは遠慮のうやってください。貧乏神さまが、作った草鞋が売れて暮らしも楽になりました。さぁ、いっしょに祝ってください」

貧乏神は、すすめられるままに、食べたり飲んだり・・。

「酔った。酔った。すっかりごちそうになってしもうて・・。暮らし向きがようなると、貧乏神のわしは、もう、この家にはおれん・・」

腹いっぱいになった貧乏神は、こう言うと出て行きました。


お百姓夫婦は、大喜びです。

「出っていった。わしらも、これから暮らしも楽になるぞ。はっはっはっ・・」

ところがです。

真夜中に便所に起きると、納屋のまえに、出ていたはずの貧乏神が居りました。

「ま、まだ、居たのか・・」

貧乏神は、お百姓さんを見ると、うれしそうにニッコリします。

「この家が、大好きなんじゃ・・」

そうして、それからも、毎日毎日、貧乏神は、草鞋作りに精を出しました。

草鞋を作るには、藁がいる。
藁を作るには、米のなる稲がいる。

貧乏神の草鞋作りのために、前よりもいっそう働かなければなりませんでした。

そして、貧乏神がいるかぎり、暮らしは、あまり楽にはなりませんでした。

でも気がついてみると・・

もう夜逃げなんぞは、しなくてもよい暮らしになっていました。

<おわり>

けちな財無小

2008年06月06日 | 千伝。

「李下に冠をたださず 瓜田(かでん)に履(くつ)を入れず」の格言を財務省の輩は、テストのためだけの、うわの空で学んだのだろう。

「論語読みの論語知らず」とはまさにこのことに尽きる。

タクシー代まで身銭を切れない頭では民を養う知恵はなし。

先日、深夜の東京で会った友人は、貧乏学生だった若い頃、「俺は、貧乏だけど、ケチだと思われる方がいやだから、無理しても金を出す」とよく言っていた。

彼は、国家公務員を辞めて、今、とある投資機関の代表を務めている。

ケチが、倹約という言葉に代わると、美徳になる。

Life is a drama and not a progress.

むしゅむしゅ~ぐうぐう・・ちょっと風邪気味です。

舵取り

2008年06月05日 | 千伝。
言葉の舵取りは、人生の舵取りかも知れません。

人は、バカにすると怒るし、しつこいと嫌われます。

あっさりとして適格正確でスピーディなのが好まれます。

そういう行動を行なうには、健康でパワーがあって、その勢いで目が輝いていなければいけません。


All is well that ends well.

蒔かぬ種は生えぬ

2008年06月04日 | 千伝。
昨日今朝とラジオ深夜便で4時から一時間、致知の創刊主で編集長の藤尾さんの話でした。

創刊して30年以上になるが、最初の10年は苦しかったとのこと・・。

10年経ったら少し気をぬいたところで、TDKの役員に「致知は、土手に咲く桜でなく深山の桜」と言われ、わざわざ山深くとも尋ねてきてくれるように努めねばならぬ自覚をしたとのことです。
 
苦境があるから、人は人生を尋ね、苦境があるから物を書くと言います。

苦境は感謝すれど疎むことならず・・。

人生の達人は、寝ること以外に休まず、これとあれは別という考えはなく同一円だとのことです。
 
人生、60歳から10年頑張れば・・70歳には人から褒められ、それから10年頑張って、90歳の頂でやっと人生が見えるという話でした。

森信三先生の話も出て、子供は一つふたつ九つという「つ」の付く歳まで、挨拶・ハイという返事・靴をそろえることを躾けねばいけないともありました。

さて、6月の福井平野の郊外へ出かけると・・
水田の稲穂は、延々と緑一色の風景を醸し出します。
一方、麦畑では、黄金色の稲穂が棚引いています。

置き去りにされつつある地方の風景を眺めながら、日本の未来の光景を想い巡らします。

地方の高校の成績のトップクラスや個性溢れる優秀な人材は、首都東京に流出して、その中でもさらに優秀な人材は、海外へと流出します。

(ただ、東京や地方という地域に限らず、どこの生活エリアでもどんな職場でも、能力のない人間ほど、口うるさい、口やかましいという事実もあります。)

残された日本の地方に暮らす人々は、致知のような「深山の桜」になる覚悟が、ほんとうに必要なのでしょうか・・。

それよりも、土手であろうが深山であろうが都会であろうが・・それぞれの生き方が、問われているような気がするのです。

例えば、日本の地方から、地球規模の提案、アプローチをすること自体が、自治体の未来構想の実現の種となるかもしれません。

8月、ギリシャの五輪陸上代表が、北京オリンピック直前のキャンプを、去年の世界陸上に続いて、再び、福井で行うことが決まりました。

Nothing comes from nothing.


Mystic River

2008年06月02日 | 千伝。
数年前の映画だが、久しぶりに観た映画・・。

Mystic River・・どういう意味に解釈をすればよいのだろう。

ブライアンヘルゲランドの脚本(菊地氏の字幕ではない)は、凄く良かった。

ただ、クリントンイーストウッド監督のこの作品は、少しミステリアスだ。

子供の頃、受けた暴力や虐待の強いトラウマ。
友情、親子愛、夫婦愛の不完全さ。
そして、か弱い魂の告白。

強制された告白は、その命と罪が、あの川に流されるのだろうか・・。

そして、生き残った者は、あの背中の刺青のように十字架を背負うのだろうか・・。

それにしても、いい映画だった。

インサイダー取引

2008年06月02日 | 千伝。
昨晩の日曜のNHKスペシャル「低炭素社会に踏み出せるか ドイツの衝撃・・」を観ました。

「ドイツの衝撃・・」という大袈裟なタイトルにもかかわらず、少々がっかりでした。

要は、巨大化する世界の環境ビジネスにおける中国市場進出に、日本企業がドイツ企業に対抗できるかという内容です・・これでは、インサイダー取引に熱中する職務怠慢なNHK職員と批判されても仕方ありません。

中国市場への売り込みは、日本企業は、欧米企業には、太刀打ち出来ないという前提で取り組まないといけません。

例えば、人間の愛情や憎悪は、世界各国共通であり、地球人として共通の感情です。

身内に被害者が出ると、当然、加害者への報復として憎悪が沸き起こります。
「殺してやりたい」という気持ちになるのも当然です。

ただ、死刑廃止を掲げる国、国民が、ほぼ欧州全体になるのに・・
何故、東洋の中国や日本が、法律上「死刑廃止」を掲げられないのかです。

欧米には、キリスト教という宗教的な精神支柱が大きい部分があります。
罪には、宗教・道徳上の罪(sin)と法律上の罪があります。
この二つの罪は、深く関わりあっています。

彼らは、犯罪者を死刑宣告するという立場には道義的に反対せざるを得ないのです。
何故ならば、神のみが人を裁く立場に居り、その代弁者の祖であるキリストが反対しているからです。

これは、神と人との「インサイダー取引」という契約であると呼んでもいいのかもしれません。

昔、日本人の「本音と建前」が話題を呼んだことがありますが、欧米人の建前は、欺く嘘と繋がる可能性があります。
だからこそ、欧米人の本音は、法律に基づく範囲内となるならば、正義を掲げての強烈な実行力です。

聖地奪還への十字軍の正義のように、殺戮でさえ戦争遂行任務に付随するものに変わります。
ヒロシマの悲劇もしかりです。

日本人の建前は、謙虚であったり遠慮であったりしますが、だんだんと欧米化して本音が叫ばれるようになりました。
日本社会は、民事にしろ刑事にしろ犯罪や訴訟問題は、増加の一方です。
刑事訴訟の場合には、死刑宣告を望むという声も増えています。

感情が理性を超えるとき・・
友情や恋愛が生まれます。
駆け落ちも不倫も心中事件やら三角関係で決闘という国家同士の戦争事態も起こります。

しかし、国際間のビジネスでは、これでは成り立たなくなります。
That's your business, not mine..の世界です。

中国は、より高く経済成長を唱える我の強い感情優先共産国家です。
我の強い理性優先国家の多い欧米側からだと、四千年の歴史を誇る国であろうが、ほんとうに精神年齢の低い国家に映るはずです。

子供を手玉に取るぐらいの気持ちで中国市場を開拓しているはずです。

さて、中国の隣国である我が日本は、善き幼馴染のような関係でいたいものの、今までの苛め、虐められたという感覚感情を拭い去るのが不自由な関係です。
不自由な関係とは、感情同士の冷戦です。

これでは、東洋的なインサイダー取引に繋がりません。

だからこそ、冷静な理性が、熱い感情に屈していては・・
喰うか喰われるかの・・喰われぱなしの状態になります。

商売や関係が成り立たないのです。

この世の社会は、インサイダー取引なしでは成り立ちません。

その事前情報を信用すべきかどうかの判断は、別問題です。

貧富に関わらず、楽しい生きる糧(人生、生活、仕事、ビジネス)とは、感情と闘い、感情を喜ばす「理性のインサイダー取引またはゲーム」であるような気もします。

それが、良くも悪くも・・夢という人生舞台なのかもしれません。


愛国心

2008年06月01日 | 千伝。
ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ・・敗戦を体験した日本人は、感情で平和を訴えます。

若い頃、被爆者二世として、東京都被爆者団体協議会の活動に参加したこともありました。

何かの総会時に、若気の至りで、左寄りの政治活動を批判めいたことを述べると、被爆者教師達から、痛烈な逆襲批判を受けたことがあります。

「平和を憂う」ということは、今の日本は、平和国家であるという意味合いを持つかもしれません。

平和解決は、論理的志向よりも、力のある感情を含む論理的思考が、より効果的なのではないかと思います。

ただ、日本のお歳を召した方に、「もし有事の際には、どうするか?」と聞くと、大抵の方が「戦争は二度と嫌だ」と答えてくれます。

英国のお歳を召した方に同じ質問をすると、大抵の方が「国のために戦う」と答えます。

そのどちらも平和という愛国心だと思います。

平和や宗教は、もともと人道上の心の安静を求めているはずなのに、互いの人道を無視し合い、争いの要因になっていることが、原罪かもしれません。

時代が移り変わり・・

いつの日か、この地球上の一人でも多くの人間が、共に心が通う「平和通り」を自由に歩けるような平和な国に暮せるように願います。


P & P ♪

2008年06月01日 | 千伝。
折角、実のなる植物を育てても、それをもぎ取ることをしなければ成果はないものです。

ピンチとは、もぎ取る力を養う原動力で、ハングリーが果実を口に運びます。
 
じっと動かぬように見える樹木も、太陽に向かって感謝の枝を伸ばし、地中では、養分を求めて縦横無尽に根をめぐらしています。

動物である人間は、日々の糧に手を合わせて感謝し、その足は一筆書きのネットの軌跡を駆使するように創られているのでしょう。

Push&Pull ♪