ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ・・敗戦を体験した日本人は、感情で平和を訴えます。
若い頃、被爆者二世として、東京都被爆者団体協議会の活動に参加したこともありました。
何かの総会時に、若気の至りで、左寄りの政治活動を批判めいたことを述べると、被爆者教師達から、痛烈な逆襲批判を受けたことがあります。
「平和を憂う」ということは、今の日本は、平和国家であるという意味合いを持つかもしれません。
平和解決は、論理的志向よりも、力のある感情を含む論理的思考が、より効果的なのではないかと思います。
ただ、日本のお歳を召した方に、「もし有事の際には、どうするか?」と聞くと、大抵の方が「戦争は二度と嫌だ」と答えてくれます。
英国のお歳を召した方に同じ質問をすると、大抵の方が「国のために戦う」と答えます。
そのどちらも平和という愛国心だと思います。
平和や宗教は、もともと人道上の心の安静を求めているはずなのに、互いの人道を無視し合い、争いの要因になっていることが、原罪かもしれません。
時代が移り変わり・・
いつの日か、この地球上の一人でも多くの人間が、共に心が通う「平和通り」を自由に歩けるような平和な国に暮せるように願います。
若い頃、被爆者二世として、東京都被爆者団体協議会の活動に参加したこともありました。
何かの総会時に、若気の至りで、左寄りの政治活動を批判めいたことを述べると、被爆者教師達から、痛烈な逆襲批判を受けたことがあります。
「平和を憂う」ということは、今の日本は、平和国家であるという意味合いを持つかもしれません。
平和解決は、論理的志向よりも、力のある感情を含む論理的思考が、より効果的なのではないかと思います。
ただ、日本のお歳を召した方に、「もし有事の際には、どうするか?」と聞くと、大抵の方が「戦争は二度と嫌だ」と答えてくれます。
英国のお歳を召した方に同じ質問をすると、大抵の方が「国のために戦う」と答えます。
そのどちらも平和という愛国心だと思います。
平和や宗教は、もともと人道上の心の安静を求めているはずなのに、互いの人道を無視し合い、争いの要因になっていることが、原罪かもしれません。
時代が移り変わり・・
いつの日か、この地球上の一人でも多くの人間が、共に心が通う「平和通り」を自由に歩けるような平和な国に暮せるように願います。