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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

Mystic River

2008年06月02日 | 千伝。
数年前の映画だが、久しぶりに観た映画・・。

Mystic River・・どういう意味に解釈をすればよいのだろう。

ブライアンヘルゲランドの脚本(菊地氏の字幕ではない)は、凄く良かった。

ただ、クリントンイーストウッド監督のこの作品は、少しミステリアスだ。

子供の頃、受けた暴力や虐待の強いトラウマ。
友情、親子愛、夫婦愛の不完全さ。
そして、か弱い魂の告白。

強制された告白は、その命と罪が、あの川に流されるのだろうか・・。

そして、生き残った者は、あの背中の刺青のように十字架を背負うのだろうか・・。

それにしても、いい映画だった。

インサイダー取引

2008年06月02日 | 千伝。
昨晩の日曜のNHKスペシャル「低炭素社会に踏み出せるか ドイツの衝撃・・」を観ました。

「ドイツの衝撃・・」という大袈裟なタイトルにもかかわらず、少々がっかりでした。

要は、巨大化する世界の環境ビジネスにおける中国市場進出に、日本企業がドイツ企業に対抗できるかという内容です・・これでは、インサイダー取引に熱中する職務怠慢なNHK職員と批判されても仕方ありません。

中国市場への売り込みは、日本企業は、欧米企業には、太刀打ち出来ないという前提で取り組まないといけません。

例えば、人間の愛情や憎悪は、世界各国共通であり、地球人として共通の感情です。

身内に被害者が出ると、当然、加害者への報復として憎悪が沸き起こります。
「殺してやりたい」という気持ちになるのも当然です。

ただ、死刑廃止を掲げる国、国民が、ほぼ欧州全体になるのに・・
何故、東洋の中国や日本が、法律上「死刑廃止」を掲げられないのかです。

欧米には、キリスト教という宗教的な精神支柱が大きい部分があります。
罪には、宗教・道徳上の罪(sin)と法律上の罪があります。
この二つの罪は、深く関わりあっています。

彼らは、犯罪者を死刑宣告するという立場には道義的に反対せざるを得ないのです。
何故ならば、神のみが人を裁く立場に居り、その代弁者の祖であるキリストが反対しているからです。

これは、神と人との「インサイダー取引」という契約であると呼んでもいいのかもしれません。

昔、日本人の「本音と建前」が話題を呼んだことがありますが、欧米人の建前は、欺く嘘と繋がる可能性があります。
だからこそ、欧米人の本音は、法律に基づく範囲内となるならば、正義を掲げての強烈な実行力です。

聖地奪還への十字軍の正義のように、殺戮でさえ戦争遂行任務に付随するものに変わります。
ヒロシマの悲劇もしかりです。

日本人の建前は、謙虚であったり遠慮であったりしますが、だんだんと欧米化して本音が叫ばれるようになりました。
日本社会は、民事にしろ刑事にしろ犯罪や訴訟問題は、増加の一方です。
刑事訴訟の場合には、死刑宣告を望むという声も増えています。

感情が理性を超えるとき・・
友情や恋愛が生まれます。
駆け落ちも不倫も心中事件やら三角関係で決闘という国家同士の戦争事態も起こります。

しかし、国際間のビジネスでは、これでは成り立たなくなります。
That's your business, not mine..の世界です。

中国は、より高く経済成長を唱える我の強い感情優先共産国家です。
我の強い理性優先国家の多い欧米側からだと、四千年の歴史を誇る国であろうが、ほんとうに精神年齢の低い国家に映るはずです。

子供を手玉に取るぐらいの気持ちで中国市場を開拓しているはずです。

さて、中国の隣国である我が日本は、善き幼馴染のような関係でいたいものの、今までの苛め、虐められたという感覚感情を拭い去るのが不自由な関係です。
不自由な関係とは、感情同士の冷戦です。

これでは、東洋的なインサイダー取引に繋がりません。

だからこそ、冷静な理性が、熱い感情に屈していては・・
喰うか喰われるかの・・喰われぱなしの状態になります。

商売や関係が成り立たないのです。

この世の社会は、インサイダー取引なしでは成り立ちません。

その事前情報を信用すべきかどうかの判断は、別問題です。

貧富に関わらず、楽しい生きる糧(人生、生活、仕事、ビジネス)とは、感情と闘い、感情を喜ばす「理性のインサイダー取引またはゲーム」であるような気もします。

それが、良くも悪くも・・夢という人生舞台なのかもしれません。