百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

蒔かぬ種は生えぬ

2008年06月04日 | 千伝。
昨日今朝とラジオ深夜便で4時から一時間、致知の創刊主で編集長の藤尾さんの話でした。

創刊して30年以上になるが、最初の10年は苦しかったとのこと・・。

10年経ったら少し気をぬいたところで、TDKの役員に「致知は、土手に咲く桜でなく深山の桜」と言われ、わざわざ山深くとも尋ねてきてくれるように努めねばならぬ自覚をしたとのことです。
 
苦境があるから、人は人生を尋ね、苦境があるから物を書くと言います。

苦境は感謝すれど疎むことならず・・。

人生の達人は、寝ること以外に休まず、これとあれは別という考えはなく同一円だとのことです。
 
人生、60歳から10年頑張れば・・70歳には人から褒められ、それから10年頑張って、90歳の頂でやっと人生が見えるという話でした。

森信三先生の話も出て、子供は一つふたつ九つという「つ」の付く歳まで、挨拶・ハイという返事・靴をそろえることを躾けねばいけないともありました。

さて、6月の福井平野の郊外へ出かけると・・
水田の稲穂は、延々と緑一色の風景を醸し出します。
一方、麦畑では、黄金色の稲穂が棚引いています。

置き去りにされつつある地方の風景を眺めながら、日本の未来の光景を想い巡らします。

地方の高校の成績のトップクラスや個性溢れる優秀な人材は、首都東京に流出して、その中でもさらに優秀な人材は、海外へと流出します。

(ただ、東京や地方という地域に限らず、どこの生活エリアでもどんな職場でも、能力のない人間ほど、口うるさい、口やかましいという事実もあります。)

残された日本の地方に暮らす人々は、致知のような「深山の桜」になる覚悟が、ほんとうに必要なのでしょうか・・。

それよりも、土手であろうが深山であろうが都会であろうが・・それぞれの生き方が、問われているような気がするのです。

例えば、日本の地方から、地球規模の提案、アプローチをすること自体が、自治体の未来構想の実現の種となるかもしれません。

8月、ギリシャの五輪陸上代表が、北京オリンピック直前のキャンプを、去年の世界陸上に続いて、再び、福井で行うことが決まりました。

Nothing comes from nothing.