百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

Voice-秋の声

2014年10月24日 | 千伝。
秋めいて、秋日和。

今朝、近所の河原を久しぶりに散策しました。



今日は、いつも座るベンチが、とても大きく見えて・・。



・・目の錯覚かとも思いました。

そう言えば、昨日の朝、中央公園で、大きな扉が立っていました。



あの扉の向こう側の世界から届いたような大きなベンチがありました。



ちょっと座っていると、向こうから「幸せかい?」という声が聞こえてきました。



また・・来た道を戻りました。



もっこりとしたオブジェに向かいます。

・・高さ5メートルぐらいかな?



間伐材でつくられたものです。

内側にも入れました。



名前は、VOICE・・ 作:松見知明とあります。

秋めいて、秋日和、秋の声。

天晴れ!・・ありがとう。

背負った苗字

2014年10月24日 | 百伝。
百島に暮らしていると「旗手」という苗字を持った友人、知人を誇りにしたい記憶も、思い出も沢山あります。

昨日、旗手のおじさんのブログを読んで、「背負った苗字」という心持ちを考えさせられるものがありました。

下記の通り、シェアさせていただきます。

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一昨日、夕食時のテレビニュースを観ていた時、驚きのあまり思わず私の箸がピタッと止まってしまった。

それは「 旗手 」という姓を背負う私にとっては、とんでもない不名誉なニュースであった。

「 自宅で大麻1.7キロなど所持容疑、男を逮捕 広島三原署によると「 旗手○○容疑者 」は自宅近くの山林で大麻草を栽培したとして  現行犯逮捕された」であった。

私は常々「 旗手 」と言う姓は、日本全国に1,000人弱しか存在しないから下手な生き方は出来ない・・と自分に言い聞かせてきた。

私の住む三原にも数人の旗手さんが存在しているとうわさでは聞いていたのであるが、このような不名誉な形で自分の苗字がニュースになるとは、そのショックを拭い去ることは出来ない。 

今朝の出掛けに、家内が言うには「 私は今日一日が憂鬱・友達には何を言われるか・・それにしても旗手と言う名字はこんな時には、困ったものだ」と。

勿論、犯人は赤の他人には違いないが、多くの人は同じ苗字が少ないほどに当然親戚だと思うに違いない様である。

古い文献による旗手性の由来を調べてみると・・
広島県尾道市百島には「 平家の落人 」が一部逃げ延びて集落を形成した。
壇ノ浦の戦い後、敗走した平家一族が、落ち延びた島と言われている。
ここに落ち延びた平家は持ち帰った旗を埋めて”旗”、
平家の“平“と言う文字に似ている”手”を加え、
”旗手”と言う姓を名乗るようになったと言われている。
戦国時代は、毛利水軍(村上水軍)に属して活躍した。
と記されている。

今、生存している誰もが、そもそも一人で勝手に生まれて生きてきたわけではなくて多くの先祖の営みに導かれて、今日の自分が生きているわけである。

この世に生まれて生存して行くことは、何百年もの先祖の血を繫でいる深い家系を敬わなければならない。

その苗字を引き継いで生きることは、そこに罪づくりの不名誉なことが起きれば先祖代々までの名誉を末代傷つけることではないだろうか。

「 先祖が子孫を見守る 」ということは、過疎化の続く現代には実感として感じにくくなっているのも事実である。

そこで生まれ、生活し、そして死んでいく時代ではなくなったが、引き継いだ苗字は代々のものである以上、その命を愚かな生き方で汚すようなことがあってはならない。

それは先祖代々を侮辱する汚点となる。

人間は己一人の命で生きているのではない。

多くの先祖との絆で、苗字という大きな責任を背負っている。

先祖や自らの子孫を辱める生き方は、決してあってはならない。

それが苗字を背負う約束の道である。

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・・以前にも、尾道の千光寺で「大麻栽培」?

旗手の苗字を持つ同級生から、以前、そんな話を聞かされて、珍しい希少な苗字は、有り難くもあり、そうでない時もあると・・言っていたのを思い出します。

旗手姓・・ほんとうに良い苗、善い名字なのです。