Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

高野山霊宝館~明泉院・増福院~釋迦文院(2014年5月4日参拝)

2014-06-03 | 高野山
壇上伽藍と堪能した後は霊宝館で仏像を堪能するとしよう。


霊宝館






国宝21件、重要文化財143件をはじめ5万点以上保管されています。
拝観料600円を支払い中へ。


最初の部屋の十二神将が凄過ぎる。
凄過ぎて30分くらい見ていたよ。

次の部屋では仏画とかあったけど、
これは特に興味の無い部門なんで、サーッと見て次の部屋へ。

またまた仏像が見れて盛り返し。(笑)

館内は全て撮影禁止でした。


今回の拝観で印象に残ったのは十二神将ですね。
これしか残っていないと言っても過言ではない。(笑)

それぐらい素晴らしかったです。

でも、個人的には興福寺の国宝館の方が圧倒的にいいですね。

国宝21件、重要文化財143件が全て揃ったら、
高野山霊宝館の方が凄いかもね。

無理か。(^^;




霊宝館でも御朱印をいただくことが出来ました。


次は霊宝館の前にある明泉院へ。



明泉院
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山339   
宗派:高野山真言宗
御本尊:愛染明王
創建:不明
開基:源賢和尚


【縁起】
鎮守府将軍多田満仲公の末孫多田仲光の三男源賢和尚の開基。

満仲公は元弘法大師を深く尊信し高野山を師崇していました。
長徳三年病床に伏すや高野山に寺院を建立、
弘法大師を讃仰し一門の「福祐増進を祈るべし」と遺言しました。

増福院の院号はここから来ています。

清和天皇の御代、土岐山城守の長子以空上人が入寺して当院を中興しました。
また、鎌倉時代の傑僧覚海大徳は当院に併合された華王院に住し寺内興隆を計ると共に、
高野一山の宗学を振興しました。

さらに弘法大師に祈って神通力を得、
自己の七生の流転を知るや天狗と化して昇天した事は当院に於ける伝承であります。




山門。






こちらの宿坊も綺麗な境内です。




本堂。




十三重塔。




延命地蔵尊。




御朱印。


釋迦文院
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山349   
宗派:高野山真言宗
御本尊:釈迦如来
創建:不明
開基:祈親上人


【縁起】
上人は常に両親の菩提を祈っていたのでこの名前が付きました。
高野山第一回の荒癈期の復興した人で奥院の貧女の一灯の話の頃です。

高野山が雷火により一山灰燼に帰し、住山の僧さえもまばらとなり、
奥の院、伽藍諸堂の香煙も絶え、第一の荒廃期となった。

上人はこれを復興し高野山を発展させた。

徳川時代家康公より、山内一千余ヵ寺の中で
名室寺院二十ヵ寺に選ばれ全盛を極めた。

徳川時代には津山、赤穂藩主森家(森蘭丸一族)の菩提寺で、
明治四年最後の仇討となったのがこの家臣で、討たれた七名の墓も管理している。

国の重要文化財には大日如来、不動明王、弘法大師筆の碑文がある。




この奥に行くと山門があります。




ご覧のように境内に車は停めれますが、
ギリギリの幅でした。






桜が見れた。(^^




本堂。




表玄関。





とりあえず今日はここまで。
まだまだ続く。