バスに戻ろうと参道の階段を歩いていると鳥居を見つけた。
これは江島神社の境内社のものかと思ってたら、
児玉神社という別の神社だと判明。
神社を前にして参拝しないのは非常に悔しいものです。
そういうことでダッシュで参拝。(^^;
所在地:神奈川県藤沢市江ノ島1丁目4-3
主祭神:児玉源太郎命
社格:県社
創建:大正7年(1918)
【由緒】
親友の杉山茂丸氏が私邸内に社を建てて祀ったのが始まり。
日露戦争開戦間際の頃、参謀次長となった児玉源太郎大将は、
毎日曜日に鎌倉の別荘に静養のため 出かけましたが、
面会希望の者たちが鎌倉に押しかけてくるので、
こっそり江の島の山中に閉じ籠もりおもむろにシベリアの形勢を案じていました。
しかし陸軍の諸星や顕官の面々が押し寄せるので、
江の島町民に参謀次長児玉源太郎大将と知れて、町民は大に大将を徳とし、
没後に将軍の静養の地を購って其霊を祀り、
児玉大将が生前こよなく愛した風光の当地に遷座。
大正7年内務大臣から兒玉神社を公認されたといわれています。
【一の鳥居】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/c4/4d0b8c97a86d2e12c310ff80cffb68fc.jpg)
台湾の婦人会が寄進したもの。
【参道】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/37/56f31d72f1ee5887c667466e03365788.jpg)
【二の鳥居】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/86/ea9b69fb25edd178a1973ed9978659ed.jpg)
【三の鳥居】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/a6/0a3a6b3de86a73058047c452036c6310.jpg)
小さい神社なのに三つも鳥居があるとは。
【拝殿】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/69/d6c723c755fd7860a9cc419bc9e1fa04.jpg)
この神社は観光客も余り寄らないようですね。
かつては境内を浮浪者が徘徊したり、
参拝者が拝殿に土足で上がるなど廃絶寸前だったそうです。
【狛犬】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/fb/e298ba172a3e7839c498a2d5d0257625.jpg)
昭和5年(1930)に台湾の有志から贈られたそうです。
【本殿】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/7f/9fbae4f6266194534355398f4bf76d41.jpg)
【児玉源太郎】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/64/e7d3b23840b39be468becb8aad7600e3.jpg)
大日本帝国陸軍大将・満州軍総参謀長・台湾総督歴任。
台湾総督時代には児玉源太郎と後藤新平の二人のよって、
台湾の治安を改善させ、台湾の産業を振興させインフラを整え、
台湾の近代化と平和に尽くした。
児玉の死後、江ノ島に神社を造る際、
予算11万円に対し集まったのは僅か3千円だったそうだ。
しかし台湾にこの事が伝わると残りの金額はわずか2週間で集まったとか。
台湾人民がいかに児玉を敬愛していたかが分かるエビソードですね。
普通、統治される側は反発し恨みを持つもの。
しかし彼らの統治政策は恨みではなく敬愛の情を抱かせている。
もし児玉源太郎が韓国併合時に統治していれば、
今のような酷い日韓関係は無かったかもしれない。
そういや、
東北大震災での台湾義援金は200億円を突破したのは驚きでした。
この巨額の義援金は台湾中部大地震(1999年)や台風による豪雨被害(2009年)で
日本から受けた支援への恩返しと馬英九総統は説明したが、
台湾の方は受けた恩を忘れない素晴らしい国民性を持っているようで本当に嬉しいですね。
日本人として厚く御礼申し上げます。
【御朱印】
社務所はあるのですが閉まっていていただけませんでした。
何でも宮司さんがいるのはレアだとか。(^^;
【江の島】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/93/1fec274c3788ee662434aedd57ce4f64.jpg)
さらば江の島。
また必ず来ます!
これは江島神社の境内社のものかと思ってたら、
児玉神社という別の神社だと判明。
神社を前にして参拝しないのは非常に悔しいものです。
そういうことでダッシュで参拝。(^^;
所在地:神奈川県藤沢市江ノ島1丁目4-3
主祭神:児玉源太郎命
社格:県社
創建:大正7年(1918)
【由緒】
親友の杉山茂丸氏が私邸内に社を建てて祀ったのが始まり。
日露戦争開戦間際の頃、参謀次長となった児玉源太郎大将は、
毎日曜日に鎌倉の別荘に静養のため 出かけましたが、
面会希望の者たちが鎌倉に押しかけてくるので、
こっそり江の島の山中に閉じ籠もりおもむろにシベリアの形勢を案じていました。
しかし陸軍の諸星や顕官の面々が押し寄せるので、
江の島町民に参謀次長児玉源太郎大将と知れて、町民は大に大将を徳とし、
没後に将軍の静養の地を購って其霊を祀り、
児玉大将が生前こよなく愛した風光の当地に遷座。
大正7年内務大臣から兒玉神社を公認されたといわれています。
【一の鳥居】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/c4/4d0b8c97a86d2e12c310ff80cffb68fc.jpg)
台湾の婦人会が寄進したもの。
【参道】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/37/56f31d72f1ee5887c667466e03365788.jpg)
【二の鳥居】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/86/ea9b69fb25edd178a1973ed9978659ed.jpg)
【三の鳥居】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/a6/0a3a6b3de86a73058047c452036c6310.jpg)
小さい神社なのに三つも鳥居があるとは。
【拝殿】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/69/d6c723c755fd7860a9cc419bc9e1fa04.jpg)
この神社は観光客も余り寄らないようですね。
かつては境内を浮浪者が徘徊したり、
参拝者が拝殿に土足で上がるなど廃絶寸前だったそうです。
【狛犬】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/fb/e298ba172a3e7839c498a2d5d0257625.jpg)
昭和5年(1930)に台湾の有志から贈られたそうです。
【本殿】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/7f/9fbae4f6266194534355398f4bf76d41.jpg)
【児玉源太郎】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/64/e7d3b23840b39be468becb8aad7600e3.jpg)
大日本帝国陸軍大将・満州軍総参謀長・台湾総督歴任。
台湾総督時代には児玉源太郎と後藤新平の二人のよって、
台湾の治安を改善させ、台湾の産業を振興させインフラを整え、
台湾の近代化と平和に尽くした。
児玉の死後、江ノ島に神社を造る際、
予算11万円に対し集まったのは僅か3千円だったそうだ。
しかし台湾にこの事が伝わると残りの金額はわずか2週間で集まったとか。
台湾人民がいかに児玉を敬愛していたかが分かるエビソードですね。
普通、統治される側は反発し恨みを持つもの。
しかし彼らの統治政策は恨みではなく敬愛の情を抱かせている。
もし児玉源太郎が韓国併合時に統治していれば、
今のような酷い日韓関係は無かったかもしれない。
そういや、
東北大震災での台湾義援金は200億円を突破したのは驚きでした。
この巨額の義援金は台湾中部大地震(1999年)や台風による豪雨被害(2009年)で
日本から受けた支援への恩返しと馬英九総統は説明したが、
台湾の方は受けた恩を忘れない素晴らしい国民性を持っているようで本当に嬉しいですね。
日本人として厚く御礼申し上げます。
【御朱印】
社務所はあるのですが閉まっていていただけませんでした。
何でも宮司さんがいるのはレアだとか。(^^;
【江の島】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/93/1fec274c3788ee662434aedd57ce4f64.jpg)
さらば江の島。
また必ず来ます!