Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

大川神社(2013年11月9日参拝)

2013-12-29 | 神社


長閑な風景を見ながら最後の参拝となる大川神社へ向かう。

ここは以前、宮津の和貴宮神社を訪れた時、
宮司さんに大川神社の本殿は凄いと教えていただいたのですが参拝出来ず。

帰宅してからその凄さに驚き、いつの日か訪れたいと願っていました。

今日、やっと願いが叶い興奮気味です。(^^

<2011年10月1日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/4e92c3b4336182cd775729accf95c010



所在地:京都府舞鶴市大川徹光山169-1
御祭神:保食神
相殿:句句廼馳神、軻遇突智神、埴山姫神、金山彦神、罔象水神
創建:顕宗天皇乙丑年485)
社格:式内社、郷社、府社



【由緒】
創建は五世紀末第二十三代顕宗天皇乙丑年(四八五)三月二十三日に
宮柱を立て鎮祭したところから始まったとされる。
同年九月八日祭祀云々と社伝にもあり、古来、天一位大川大明神と称え奉った。

第五十六代清和天皇貞観元年(八五九)神位従五位より上に進み、
同十三年十一月、更に正五位下に昇進、「延喜式」の制なるや
「名神大」二百八十五座の中に加えられ、また孝徳・天武・持統天皇記中、
奉幣祈雨の記事も見え、「六国史」所載の神社である。近世に至って
旧田辺藩主細川惟成の武具寄進があり、明治十四年一月十五日、
久邇宮朝彦王殿下より「大川神社」の親筆が寄せられている。

明治五年、郷社に列し、大正八年六月七日、府社に列せられた。

「人皇第二十三代顕宗天皇の元年(四八四)三月二十三日、由良の浜の漁夫、
野々四郎というもの、孤舟に棹さして波濤に釣糸をたれていた。
夜三更に至って風さわやかに雲晴れ、清らかな月は海を離れて潮の音も静かに、
漁火幽ひそかにたゆたうとき、俄然一道の光輝がさすよと見るうち、
金色の鮭に乗った霊神が左手に五穀を、右手に蚕種を携えてあらわれた。

霊神のたまわく『我扶桑上古の神である。
永く大川の里に鎮座してこの地方を護らん。
汝すみやかに行きて之を村長子そんちょうしに告げよ』と、御姿は雲霧のように消えた。
野々四郎急ぎ帰り大川の里人に告げると、里の人々恭しくこの地に祀った。
翌年三月二十三日このこと天聴に達し、神廟造営のご沙汰があった。
同年九月二十八日神殿に移し、丁重な祭礼が行われた。
それから岡田の荘は五穀よく実り、養蚕の業もますます栄えるに至った。」


【第一鳥居】



【茅葺旧家】


鳥居と鳥居の間にある茅葺屋根の民家です。

かなり古そうですが今でも住んでいらっしゃいます。


【第二鳥居】


かなり細長い神社のようですね。


【中門】


寛政2年(1790)に建立されたもの。

中門をくぐり神域へ入る。
いよいよあの本殿が見れる。


【御神木】




樹齢約400年で昭和59年に市の木「小結」に認定。


【拝殿】




文政3年(1820)建立されたもの。

拝殿の下を歩けるのがおもしろいですね。


【狛犬】



【本殿】






きたきた、これですよ。
この本殿が前から見たかったんですよね。

地域の規模を考えると不釣り合いなほど大きな本殿です。

その凄みと重厚感にゾクゾクする。

明治5年(1872)建立されたもの。














また、この本殿は彫り物が凄い。

これは本当に見事なモノで、ずっと見ていても飽きない。


【拝殿】



【興和神社】


御祭神:氏子中の英霊1322柱


【神馬神社】


交通安全の神。


【病除神社】


御祭神:健速須ノ男命


【医祖神社】


御祭神:少彦名神


【竃神社】


御祭神:澳津彦神・澳津姫命


【神饌所】



【さざれ石】


天皇陛下即位20年を祝し平成21年に奉納されたもの。


【御神木】



【野々宮神社】




神社の外に出て国道の反対側に鎮座するお旅所。

御祭神:野々四郎命


【由良川】


野々宮神社の裏は大きくゆったりとした流れの由良川。


【御朱印】



いや~、予想通り凄い本殿であった。

元伊勢三社はまさに神の領域といった雰囲気を感じられたが、
この大川神社はそれとは違った雰囲気と凄さを感じられた。

この大川神社と元伊勢三社は遠いけど、
行く価値は大いにありです。

大袈裟になるかもしれないが、
日本が誇る神社と言ってもいい。

是非とも訪れていただきたい。