特別な思いを込めて子どもの頃歌った歌がある。
「黄金虫は金持ちだ・・・飴屋で水飴買つて来た
黄金虫は金持ちだ・・・子供に水飴なめさせた」
戦後間もなく日々の食べ物もままならないという時代、讃岐の遍路道沿いの小さなうどん屋の6人兄弟の5人目。朝から晩まで独楽鼠のように働く親たちですが、その稼ぎでは子どもたちに食べさせるのが精一杯という中で子ども時代をすごしました。
兄弟たちも近所周りの子どもたちもよく似た境遇なのでそんな「貧しさ」など気になることは無かったのですが・・・ただひとつだけ小さい私が我が家の「貧しさ」を意識する時間がありました。
それはその頃の子どもたちを夢中にさせていた紙芝居の小父さんが来る時間です。小さな神社の境内に子どもたちが集まると、小父さんは自転車の大きい荷台の舞台を開いてまず子どもたちに水飴を売ります。その水飴を買った子どもたちがその日のお客さんとして紙芝居の舞台の周りに集まり紙芝居を楽しみます。
水飴を買えない私は境内の木陰に隠れるようにして小父さんの声を聞きながら見えない紙芝居の絵を想像するという楽しみ方をしていました。そして時には水飴を舐めながら一番前の席で声と絵を楽しみたいと思っていました。
そんな時代を思い出させるのがこの「黄金虫」の歌です。いまも紙芝居を見たりこの歌を聴くことがあると一瞬であの時代の感覚がよみがえります。
今日の写真はアジサイのガクのなかで夜明けを向かえたコガネムシの写真です。
「黄金虫は金持ちだ・・・飴屋で水飴買つて来た
黄金虫は金持ちだ・・・子供に水飴なめさせた」
戦後間もなく日々の食べ物もままならないという時代、讃岐の遍路道沿いの小さなうどん屋の6人兄弟の5人目。朝から晩まで独楽鼠のように働く親たちですが、その稼ぎでは子どもたちに食べさせるのが精一杯という中で子ども時代をすごしました。
兄弟たちも近所周りの子どもたちもよく似た境遇なのでそんな「貧しさ」など気になることは無かったのですが・・・ただひとつだけ小さい私が我が家の「貧しさ」を意識する時間がありました。
それはその頃の子どもたちを夢中にさせていた紙芝居の小父さんが来る時間です。小さな神社の境内に子どもたちが集まると、小父さんは自転車の大きい荷台の舞台を開いてまず子どもたちに水飴を売ります。その水飴を買った子どもたちがその日のお客さんとして紙芝居の舞台の周りに集まり紙芝居を楽しみます。
水飴を買えない私は境内の木陰に隠れるようにして小父さんの声を聞きながら見えない紙芝居の絵を想像するという楽しみ方をしていました。そして時には水飴を舐めながら一番前の席で声と絵を楽しみたいと思っていました。
そんな時代を思い出させるのがこの「黄金虫」の歌です。いまも紙芝居を見たりこの歌を聴くことがあると一瞬であの時代の感覚がよみがえります。
今日の写真はアジサイのガクのなかで夜明けを向かえたコガネムシの写真です。