すべてにおいて、あり得ない、デタラメ、ウソづくしの、「なつぞら」に、怒りを込めて、再掲載します。
たかが、ドラマ。
されど、ドラマ・・・・・であってほしいから
≪ 2019・3・31 掲載記事 ≫
≪ 2019・4・1 再掲載 記事 ≫
≪ 2019・4・26 再再掲載 ≫
≪ 2019・6・4 再再再掲載 ≫
戦前の、昭和13年から、物語が始まった「まんぷく」に続いて、4月1日、偶然にも、中身を表わす「エイプリルフール」の日から、放送開始される、「なつぞら」。
過日、すでに、危惧されると書いたが、さらに、詳しく指摘してゆく。
主人公の「なつ」なる、少女が、人を頼って、北海道の十勝地方の、開拓民の家に住み込むという。
親や家族は、すでに太平洋戦争で死亡し、身寄りがないという設定。
物語は、その戦後すぐの、昭和20年から始まる・・・・とのこと。
で、この、カラフルな、いまふうの服装ですか?
このまんま、テレビ画面に、いずれ出て来るにしても、昭和の30年代。
それでも、この十勝地方では、あり得ないのだ。
共演者も、ロケーションのカットからの、この服装もまた、あり得ない。
こんな服装。札幌という都会じゃあるまいし、この地域の、ソレも、酪農家では、昭和20~30年代後半まで、あり得ないのだ。
いったい、作り手の狂った、甘い、キチンと歴史的事実を調べないで、撮影に臨む神経は、どこからきたものなのだろうか・・・・・・。
未開拓地に入っての、手作業。
荒れ果てた地と、うっそうと茂った林、また、自然林。
道は、無い。あっても、石ころが転がっている、道とは言えそうも無い、草が剥げている細いデコボコ道。
昭和40年代前半でも、このような、果てしない荒野が、十勝全域に、広がっていた。
牛を育てるために、牧草を刈り込んで、収納してゆくための「サイロ」が、ポツン、ポツンと、数キロ置きに、見える。
ソレは、平成の幕を閉じる今も同様だ。
物語の舞台となっている、十勝は、戦後からでも、驚くほど、貧しい暮らしを続けてきた。
今は、過疎と、少子化に拍車が掛かっている。
だからこそ「事実」を伝えているとは、到底思えないドラマにすがり、渡りに船と、乗っかって
こんな宣伝をしているのだ。
しかし、戦後どころか、昭和30年代後半から、40年代にかけても、貧しさは、変わることが無かった。
ワイロで勝ち取った来年のシロモノ、ニセモノ五輪ではなく、昭和39年に開催された東京オリンピックの開催年だって、大都会の喧騒をよそに、だ。
実は、十勝の児童たちが見つめた、素直な視点で、つたなくても、心のこもった、ありのままの眼で、良い詩を書いてもらおうという運動が、教育現場で起こり、昭和35年。
その名も、「サイロ」という、児童詩集が創られた。
それは、59年後の今も、出されており、この表紙は、3月の最新号のもの。
そこに、かつて書かれていた詩は、ひたむきで、胸を打つ。
「なつぞら」と、かけ離れている、事実を、以下、列記してゆく。
昭和38年。十勝の、陸別という地域の子。
それまで、我が家には、灯りをとるものは、ランプしかなかった。でも、今日から、やっと、電気の配線が届き、そのしたで、夜、過ごせることの喜びを書いていた。
ランプのススが出るため、ほや磨きは、子どもの仕事だったため、その大変さから解放される喜びが、その詩から、溢れ出ていた。
その前年の、昭和37年。
家に水道管が、まだまだ、引かれておらず、井戸水を家族で使って生活しており、そこまで、何度も、何度も、水汲みに行くのも、子どもの仕事だった。
雪積もり、それが凍る、寒い冬の時期も、同様。
その大変さと、辛さ。
さらに、家に風呂が無いため、遠い所にある、銭湯に家族して、行っていたこと。
服は、つぎはぎだらけの物を着ていて、恥ずかしかったこと。
「なつぞら」の衣装のウソは、カンタンにばれる。
給食は、十勝地方の小学校にまでは普及しておらず、麦ごはんと、イモをすりつぶしたものや、その料理したものが、いつも、おかずだったこと。
昭和39年。東京オリンピックで、騒がれていた頃、この十勝では、鉄道が、すべてに行きわたっておらず、簡易軌道車であったり、酪農家の主な交通手段は、馬ソリだった。
馬車が、活躍。
走る車は、高額で、とても、手が届かない貧しい家庭が多かった。
昭和41年。十勝地方の、幕別。
酪農と農業では、食べていけなくなり、仕方なく、馬車でも、荷物をひいて頑張ってもらっていた、我が家の農耕馬を、泣く泣く、帯広市大正町にある、馬の競り市場に連れて行った時の、悲しい想いも、つづられていた。
家計の、足しにしなければ、人間たちが苦しくなることは、子ども心に分かっていても、涙が流れたと。
また、同じ、昭和41年。
家族総出で、イモ拾いに、農場に出かけて行った。
子どもといえども、大切な、働き手の1人であった。
そのことは、小学校も、承知していて、学校が、臨時休校になったという。
翌年の、昭和42年。十勝の、上士幌町(かみしほろちょう)。
この年でも、小学校にお弁当を持っていかねばならないことが続いていた。
しかし、その中身は、麦ごはん。良くて、白米が2割ほど、混ざっていれば良い方だった。
米を買おうにも、農家にとっては高額で、買えるものではなかった。
この地域、米は、当時、育たなかった、不毛の地。
でも、子どもにとっては、弁当の中身を見られることが、恥ずかしくて、競って、フタで覆って、隠して、食べていた。
十勝地方の、農作業に励む住民にとっては、凶作と、冷害を、何よりも恐れた。
昭和36年、鹿追町。
町全域で、大豆の凶作に襲われ、収穫が、出来ず。
農協は。高い金利で、カネを貸し付け、返せないと分かると、身ぐるみ、剥いでいった。
家族して、夜逃げする農家は、後を絶たなかった。
このような、廃屋や、家畜場は、今も、至る所に、いまだに見られる。
昭和39年から40年にかけて、十勝地方を襲いまくった冷害は、ひどいものであった。
池田町や、忠類村の子どもの詩には、米も買えず、毎日、おつゆと、おこうこ、つまり、温めた具の入っていない空汁と、お新香で、食事していたと、子どもが書いている。
この前後、十勝地方だけでなく、北海道全域を襲った、低温、冷害、虫の害で、農産物が全滅、自殺者も、相次いだ。
自然が巻き起こす、人間への「試練」と、アタマでは理解しつつも、やりきれない想い、貧しさゆえの、切ない想い、自然の猛威にあらがっても、どうしょうもない想いが、子どもの目線で、つづられている。
それは・・・・昭和の43年になっても、さほど変わらない。
上士幌町の、小学校2年生の女児の、詩には、今年は、家族が、都会に 出稼ぎに行かなくて、済んだ、と。
上の姉ちゃんも、本州にまで、行っていたんだけど、今年は行かなくて済んで、家にいてくれて、うれしいなと、素直な気持ちが、書かれていた。
地球温暖化などと言われて久しいが、やはり、十勝は寒さ、変わらず。
今から28年前のころでも、春を待つ、温かく、木々も芽を吹き、花が少しだけ咲き出す、春の訪れを待つ気持ちが書かれ、清水町の子どもからは、農業の機械化の様子がつづられている。
だが、それが、破たんしたとたん、農協、現JAによる借金漬け地獄が、待ち受けている。
夜逃げしても、取り立てる。近在の農民を、保証人にさせ、そこからむしり取るシステム。、
これらを知るキッカケとなったのは、「なつぞら」のPR特番であった。
なんとか、この駄作・愚作でもいい。観光の呼び水に出来ないものか・・・・・・との、想いは分からないでもない。
だが、この先、ありえないデタラメが、連日、描かれ続けたら・・・・・
どう、感じて、受け止めていくのだろうか・・・・・・
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十勝地方が、一時期、全国的な話題を呼んだことが有る。
そう、この「幸福駅」の、切符だ。
だが、時おかずして、この鉄路は廃線となり、十勝全域を走る列車は・・・・すべて無い。
ココだけは、ポツンと今も、あのひとときの名残りを、感じさせて、淋しく、たたずんでいる。
十勝地方における、過疎化と、少子化の勢いは、道内の中でも、トップを、ひた走っている。
高校野球を例にとろう。
2019センバツ。
本日、準々決勝を終え、明後日、準決勝を迎える。
その、出場校の選抜方法の一環として、十勝地方大会が、随時、開催されているのだが、満足に部員9人がいる硬式野球部は、少ない。
十勝は、少子化の、極み。
5つの、高校の野球部員が、100キロ以上、互いに、遠く離れた地域から、集めて、やっと、9人になって、出場している。毎年だ。
例えば、上記「サイロ」につづられて出てきた、上士幌、更別農業、士幌、大樹、そして、たった部員1人しかいない、新得高校。
その「5校連合」で、やっと、十勝地区大会に出て・・・・・毎回、大敗、コールド負けを繰り返している。
連係プレーの守備も、なにも、普段、一緒に出来ないのだから、そのようになる。それでも、出たい、戦いたい、熱い想い。
道内には、現在、そのように、連合チームをやっと結成して出られているチームと呼べないチームが、9つもあるのだ。
それだけではない。
全国に、この9チームも含めて、なんと、81連合にも膨れ上がっている。
100連合になる日も、そう遠くない。
最期に、十勝が産んだシンガー&ソングライター、松山千春のつぶやきにも、触れて置く。
先日のこと。彼が、センバツのことに触れ、そう言えば、我が、母校、十勝の足寄(あしょろ)高校、硬式野球部は、今は、ど~なってんだべかなあ?と、淋しげに、クビをかしげていた。
出る、負け、一回戦敗退が多い野球部ではあったものの、彼が在籍していた頃は、9人以上、常に部員がおり、以前、西武ライオンズに入団した投手まで輩出した過去がある。
ところが・・・・いまや・・・・・。
部員が9人どころか、ゼロの年もあり、4年間「休部」にされた。
そして、やっと昨年、9人に・・・女子マネージャー数人も加えて、なった。
が、試合には出られず。練習だけは、辛くも、続けていると、風の便りに乗って伝わってきたが・・・・。
十勝の球児に、10勝ちは、遠い。
貧しさと過疎化と、少子化。
エイプリルフール・ドラマでも、なんも、かんも、いいべさ。
なんとか、コレをきっかけに、観光客が再び来てくれないべか。頼むわ。
切ない想いを乗せて、「なつぞら」見上げて、叫ぶううううううううううう・・・・・・・・
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≪ エイプリル・フール 追記 ≫
観た。ひどく、デタラメ。
戦後の、昭和21年。
あの、広い、砂利道は、まだ、出来ていない。あんな道は、戦後すぐは、無い。
野原、原野も、違う。明らかに、違う。しつこく、しつこく、ロケハンすれば、見つけられるはずなのに。手抜きしたなあ・・・・・。
あの家。あの時代には、無い。
アレは、昭和40年代の、酪農家の家です。
風呂。ある家には、とても、驚いた。
服装以前に、
松嶋菜々子の、十勝弁、デタラメ!
イントネーション、アクセント。すべて、ウソ、デタラメ
先が、しょせん漫画的ストーリーとはいえ、思いやられます・・・・・・