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《 リアル 棋士 ルポ 》 やっぱりかあ・・・・。旧・国立の高校を、ガッコ公認不登校&通学不足児の、藤井聡太。一夜明けて、家族の喜びのコメントは・・・・

2020-06-29 13:21:42 | 真偽を求めて・・・こころ旅

棋聖戦、2連勝で、「王手」を賭けた昨日から、一夜明けた、本日、朝のワイワイ、騒ぎまくるだけの、井戸端バタバタ会議、ワイドショーの扱いをチラリと見かけたら、

  この家族4人が、国内3か所に別れて暮らしているのだが、

 母の、裕子。父の、正史、そして、4歳年上の兄の、皓介のうち、誰一人として、儀礼的にも、コメント無し、コメントせず。

 やっぱりなあ・・・・・。

 もっとも、一昨年。藤井聡太の強さに注目し、家族。

 とりわけ、東京の日本将棋会館へと、朝早く、起こして、新幹線に乗せて、対局に行かせるために、早朝から起きて、車中で、聡太に食べさせる弁当を作って、お茶を持たせ、バッグに詰めこんで。玄関から送り出す母親の裕子に取材出来ないものか?

 と、日本将棋連盟の広報に、正面切って依頼したところ、広報が、聡太が未成年ということもあり、全面的に窓口になっており、すべて、お断りのニュアンス。

  聡太が、頭角を現し始めた頃は、このように、代表取材に応じていたものの、家庭の事情を私のように、調べまくる記者も登場して・・・・・。

 個人情報と、プライバシーの、最大配慮していただいて、と、さりげなく言い伝えてきて・・・・・

 現状のように、家族が、期待と、歓喜のエールを、送ってもおかしくはない状況なのに、このように、シャットアウトという状況だ。

 代わりに、史上最年少で、棋聖誕生か?と、騒ぎ立てている、テレビマスコミの盾になったのが、

 過日、弟子である聡太に完敗してた、師匠である、杉本昌隆・8段。

 本日も、東京のテレビスタジオに足を運ぶことなく、リモート出演。

 しょせん、一過性の騒動、と、過去のいくたびの体験で熟知しているからでもあろう。

 昨日、負けた渡辺明について、対局後の説明に、好印象を抱いた者もいたように、コメント群の中に、見受けられたが、その者達は、4年前の、三浦弘行・棋士に対して、この冤罪仕掛け人が、どのような発言を繰り返し、マスコミが、どのように、ソレに乗っかっていったか・・・・・知らないのだろうなあ・・・・

 わたし、将棋の専門家ではないが、別に18歳になって、棋聖の冠を抱いても良いし、この先、おそらく、バタバタと、3冠くらいは、連続して獲り、最終的に、藤井聡太は、7冠は、達成するであろうと見込んでいる。

 で、この先の、「家族事情」については、ソレ、お得意の、週刊文春や、新潮に、お任せしようと想う。


《 リアル 棋士 ルポ 》 冤罪仕掛け人・渡辺明を、一気に撃破。文字通り「王手」を指して、本日、午後6時36分、2連勝! 史上最年少よそに、棋聖になれそう。今夜は、単身赴任中の父と、乾杯か

2020-06-28 21:13:14 | ニュース

 いつもの、午後8時前後ではなく、今日は、午後6時36分。

 冤罪仕掛け人が、投了。

 予期していたより、早い時刻で、藤井聡太が、棋聖戦、2連勝を果たした。

 これで、阿違いなく、7月中に、「棋聖」の冠を獲得出来る。

 後半、一気の攻め。序盤から、自分のやりたい将棋が出来たとの、発言。

 マスコミは、「史上最年少」の、キャッチ・フレーズを、藤井聡太の気持ちなんか、委細構わず、見出し欲しさに、一日も早く、欲しがっているが、冤罪仕掛け人の若ハゲ、渡辺明も、そうは、弱くはない。

 次は、3連勝とは、いかない気がする。

 今日の対局場は、以前予定されていた、豊橋市ではなく、マスコミの都合で、東京の日本将棋会館に変更になったと聞いている。

  ならば、今夜は、対局後の質問を、15分ほど受けたあと、新幹線代を、往復代金、領収書を提出後、日本将棋連盟から受け取り、タクシーを呼んで、左記の父が単身赴任して、アパート借り上げで住んでいる、西武線のとある駅から歩いて行ける、父の部屋へ行って、また、2人で、ゆっくり、祝ってもらうはず。

 すぐ、渡辺明との、第3局を迎える前に、7月1日、すぐ他の対局が迫る、相変わらずの過密スケジュール。

 不登校は、まだまだ、続く。

 実は、彼の名目上、通学在籍していることになっている、ガッコの広報担当部署は、高校では無く、なぜか、名古屋大学の広報になっており、形式だけでも、大学に在籍していただき、大学の宣伝に一役買って欲しいという、えげつない意図が、昨年から透けて見えていた。

 おまけに、対応の態度が横柄。

 ナニサマ?という、印象を残した。

 藤井聡太自身は、高校も行く必要性を、少しも感じていなかったし、アサイチの新幹線に乗って、名古屋駅のコインロッカーから、折りたたんだ制服や、通学カバンを取りだし、背広から着替える面倒クサさを感じていた。

 もはや、棋士に、大学卒は、必要性を感じていない彼。

  瀬戸市に、ただ独りいて、マザーコントロールしかけている、この母は、大学にも、そのまま、エスカレーター式に、進学して欲しいと願っている。

 だが、高校の時は母の願いを、やむなく、聞き入れたが、今度は、そうもいかないであろう。

 父の方は、聡太の、思うようにすれば良いとの気持ちでいると、聴いている。

 通学せずとも、「看板」欲しがる、名古屋大学との、水面下での暗闘は、これから続きそうだ。

 ただ、危惧されるのは、藤井聡太には、谷川浩司のように、「将棋バカ」だけには、なって欲しくないということだけ。

  右上の兄とも、疎遠のまま。棋聖になろうとも、コメント一つ、出さないであろう。

 何やら、谷川浩司一家のようでいて、危惧している。

 ちなみに、将棋ファンは、すでに、御存じであろうが、浩司を、会長の位から、引きずり下ろした急先鋒に立って、旗振り役を担ったのは、実の兄であったことは、余り、知られていない。

 さてさて、いかがなりますやら・・・・・

 にしても、藤井聡太が勝つたびに、、市内川北町に住む、藤井家とは、まったく、親しくも無いのに、商売につなげて、儲けようと掛かる、「せと銀座通り商店街」のオッサン、オバサン、8人足らずが、マスコミの注文に応じて、ひととき、歓喜の声と、棋聖ならぬ、「奇声」を挙げて騒ぐ・・・・のは、もう、辞めてもらえないだろうか。

 なんか、「棋聖」になったら、ソレ、刻印した、土産物陶器や、記念品やら、食品作って、ラベル貼って、売り出して、一儲けしようとかかっているのが、今から、早くも、見え透いている。

 あまりにも、ミエミエの、バカバカしさ。

 瀬戸市民自体は、そんな、喜んでいませんよ。

 ただ、冷静に受け止めているだけですよ

 

 


《 リアル 棋士 ルポ 》 もっか、棋聖戦、第2局、対戦中。不登校高校生、藤井聡太には、是非とも、「冤罪」生んで置いて、逃げた、渡辺明に対し、今夜2勝目を挙げて、文字通り、「王手」を賭けて欲しい

2020-06-28 12:45:07 | 報道現場の、実態

ついに、不登校高校生棋士、藤井聡太が、あの、冤罪を生んで置いて、この3年間。逃げ回ったままの、渡辺明を、倒し、棋聖になれる日が、巡ってきた。

 棋聖戦、告知ページより

 すでに、ニュースや、ネットでも、報じられているので、将棋ファンでなくとも、御存じな読者は、多いであろう。

 冤罪の意味は、すでに、約3年前の記事を、再掲載したので、読んで戴ければ、おわかりになると想う。

 棋聖戦の、一局目で、藤井聡太・7段が勝利しており、今夜8時過ぎ、2局目で連勝すれば、5局対戦のなか、文字通り、「王手」を賭けることが出来る運びだ。

 藤井聡太に関しては、これまで、他のマスコミが記事化しているような、彼の強さなどではなく、母の望む、高校進学をを拒否していたり、父が東京に単身赴任したままにより、夫婦関係にキシミが生じていることや、実の兄と、聡太が不仲であることなども含め、

 対戦が、平日であることが、圧倒的に多く、高校には通学出来ていない事実などを取材し、いくつも、記事化してきた。

 これで、棋聖になったら、名古屋大学への、入学も、しないであろう。

 にしても、すっかり、禿げ上がった、渡辺明。

 三浦弘行を、冤罪に落とし込んで置いた後、自分のブログへのコメント、閉鎖。

 卑怯極まりない、人間性。

 一日も早く、すべての冠を失い、将棋界から、去っていただきたい


実力ある棋士を冤罪に仕立てあげた、日本将棋連盟会長・谷川浩司の「辞任」会見。若い頃の彼の、あきれ果て、驚くほか無かった素顔を想い出した。[追加最新情報版]

2020-06-28 11:52:32 | マスコミの、誤報

   < 2017・1・24 掲載記事 >

 ≪ 2017・2・9以降も、 追記掲載≫

 将棋に興味がある方なら、この1月18日。

 向かって写真左に座っている、谷川浩司(たにがわ こうじ)が、日本将棋連盟の会長職を、「辞任」するという発表の記者会見を行なったということを、記憶しているはず。

 もっとも、その前に、すでに「辞任する」という意向と共に、「このたびのことで、心身に不調をきたしており・・・・」などという辞任理由も、遅くとも前日までに相次いで発表されていたので、会見そのものには、さほどのインパクトも無かった。

 

 ただの「事実確認」めいた雰囲気が漂っていた。

  このようにして、下を向いて文章をひたすら読み続けたため、前髪が垂れる。ソレを撫で上げる、54歳にもなった谷川浩司。

 ちなみに、右側の男性は、「常務理事」をしている、片上(かたがみ)大輔。彼もまた、棋士であり、現在6段。

 この時の会見時間、午後3時に連盟のある会館で始まり、たったの19分でオシマイ。 それも、大半は、右の片上が、すでに発表済みの文面が記載された紙を手に、改めて読み上げ、それに続いて、この谷川浩司も、書かれた文章を、たんたんと、暗い声で読み上げただけ。

それも、小さな、聴き取りにくい声で。

 2~3の質問も飛んだが、谷川、くぐもった声で、何をどう言っているのか? 耳をそばだてても、聴き取れないほど。

 谷川の分、都合6分足らず。それで、幕を閉じた。待って下さいよ!と言う声も、背に飛ばず。カーテンを開けて、去った。

 見るからに、谷川の顔から滲む、嫌々ながら、しぶしぶ辞めるんですよの心。詰め将棋ならぬ、詰め腹切らされて・・・・という顔

 この「事件」の責任取るカタチで辞任するのは、この谷川と、島朗(しま あきら。写真左下)常務理事のたった2人だけ。その、奥底に横たわる、くすぶったままの谷川の不満・・・・・。

 

 変わっちゃあいねえなあ、その根の暗~い性格と、ぶすっとした表情と容姿。

 そう感じた。

 知ってんのか、お前!?

 そう、言われそうだ。

 知ってます、彼が史上最年少の21歳で「名人」になった後のころですけどね。数時間インタビューしたもんでね。その前には、電話取材も、ね。

 

 その時のことを書く前に、コトの推移を簡単に書いておく。

 昨年の7月から10月にかけて、三浦弘行・9段(写真左下のマイクを握った、涙顔の右側)が、長時間の将棋の互いの熟考のさなか、対局中の駒の差し合いのなか、しばしば席を立って、その場を離れることが多かった。

 

 で、戻ってきて・・・・・結局、勝った。勝ち続けることが多かった。

 かつても含め、負けた相手の棋士らは、悔しさまぎれに、疑念を抱いた。勘ぐった。

 部屋から出て、何か外で秘策を練って来たんじゃないのか? そうだ!おそらく、スマートフォンで検索した将棋ソフトを利用していた・・・んじゃないのか? いや、そうだ!そうに違いない!ソレしか、無いッ!

 とんでもない、証拠の何も無い「三段飛躍論法」。

 マスコミが、その流れと、尻馬に乗って、あおり、炎上させた

 取材の求めに応じて、「疑惑」を語った渡辺明

  

 さらに、佐藤天彦(あまひこ)。

 久保利明ら、棋士の面々。

 10月に、渦中の三浦弘行は、出場停止処分を喰らい、上記掲載写真の記者会見場で、涙を浮かべ「わたしは、一切、そのようなことは、やっていない。どうして、このような処分を受けなければいけないのか・・・・・くやしい!」

 会長である、先の谷川浩司は10月11日の「常務会」で、事前に、当の三浦弘行を呼び、問い質している。三浦は、全面否定。

 谷川ら、日本将棋連盟の理事らは、その言を疑い、翌日、年内いっぱいの「対局出場停止処分」を下す一方で、協議した結果、弁護士による「第三者調査委員会」に真偽の調査を依頼。

 今、思う。もし、コレが無かったなら・・・・・・・・。

 主要3人に加え、主任格の弁護士の事務所に所属している、俗に言う「イソ弁」6人を補佐・補助調査員に加え、計9人で、本格的聴き取りと、裏取りを開始

 さらに、当の三浦弘行にも、詳しく聴取。問題になっている彼のスマートフォンも提示を求め、その使用形跡、文面などの詳しい内容を綿密に調査した。

 結果、全面シロ。

 全くの「冤罪」(えんざい)。昨年の末間近の12月26日。その調査結果を公表。やっと、三浦は冤罪が認められ、天下晴れての無罪となった。

 だが・・・・・・。

 可愛くもないキューピー頭と顔した渡辺明が、自分の祝賀会の席上、マイク前で謝罪したのは、それから3週間もたったあとのこと。

 それも、その日に、谷川と島が辞任を表明した後だ。

 他は、渡辺も含め、谷川も、三浦に会って、連絡を取るなどして、直接謝罪は一切していない。

 やるべき順序が、人間として逆なのではないか!?

 いわば、「犯人視」しておきながら、いざとなったらこのざまか・・・・・・。

 コトのテンマツを見ていた将棋ファンのなかには、他の理事全員も責任を取って辞任すべき、との声も多い。

 とりわけ、ここに至っても、理事筆頭格の専務理事として、居座り続ける青野照市(てるいち。写真下)への批判は、根強いものがある。

  新しい会長は、2月6日の「臨時総会」を経て、正式決定する。

 連盟の総務部総務課では、「まだ立候補の受付すら始めていません」とはいうものの、すでに報道やファンからは、佐藤康光(写真左下)で決定!という声が、圧倒的。

  佐藤は、谷川と同じく、名人の経験が有り、やはり現在「棋士会 会長」を務めている。このコースが、会長への道の慣例なのかどうか、は知らない。

 なお、数いる棋士のなかで、ただ独り、三浦に掛かった容疑は、ありえない、と断言していた人間がいる。

 林葉直子、だ。  師でもあった中原誠と、愛人&ずぶずぶの不倫愛に陥った、あの女性である。

 「そんなことありえない。対局している間に、将棋ソフトを見て、勝てるほど甘い世界じゃないもの。第一、三浦さんて、そんなもの使わなくても、勝てる、強い人なんですから」

 その声は、無視され、またたく間に消えた。

 現在彼女は、こんな妖艶撮影時より、さらにやせ細り、まだ48歳にして、末期の肝硬変の病いと闘っているという。

 中原のオンナ好きの病いは止むことはなかった。

 林葉との不倫がばれて間もなくのこと。紀尾井町にある有名ホテルから出てきた中原と、とある若い女性。

 わたしが、直撃するや、2人手を取って逃げる逃げる、走り去る。

 その夜、中原が自宅に帰っていないことを、彼の妻に確認し、その後は、編集部に下駄を預けた。

 さて・・・・・・・・

 冒頭の、谷川浩司が、史上最年少の21歳で「名人」になったころ

  将棋人気が、今よりあった頃とはいえ、まだまだ、誰もがその名前を知る、ほどでは無かった。

 当時、若者が読者対象の雑誌で、芸能人の徹底取材を続けており、人気トップの松田聖子を取り上げた。

 そこで、彼女のファンじゃなくとも、曲をよく聴いている著名人に広くコメントを求めた。そのなかで、若き「谷川名人」をリストアップ。

 松田聖子と同い年のうえ、彼女の歌声を聴いているということを、耳にした。

 ならば、と、谷川の当時住んでいた実家へと、電話を入れた。

 谷川は、ぼそぼそ声ながらも、気を入れて将棋盤に向かう緊張の毎日のなか、気分転換も含め、松田聖子の歌は良く聴いていると、答えてくれた。

 なにしろ、5歳から将棋を始め、中学1年生で「プロ棋士」になった、ひたむき将棋青春。

 むろん、回答は録音。1人あたり、わずか10~15行ながら、話してくれたまま、まとめて文字化し、掲載。

 掲載誌を、当時実家に住んでいた谷川浩司に送った。

 別に、返礼も、逆に、話していないことが書かれているとの、抗議も無し。

 それからしばらくして、他のインタビュー雑誌で、彼をやろうというハナシになった。

 連絡をとり、神戸市須磨区にある実家でのインタビューと撮影が決まった。

 関西に住むカメラマンと、その助手と、最寄りの駅で落ち合い、簡単な打ち合わせをしたのち、実家へと向かった。

 実家は、浄土真宗の寺、「高松寺」。そののち、阪神・淡路大震災で、全壊したという寺だ。

 そこに隣接して、実家があった記憶あり。

 父の憲正は、外出中。母の初子とともに、谷川浩司は出迎えてくれた。

 ところが! いきなり、母がこう言い出した。

 「この子が名人になったからというもの、いろんな取材が来てんのよ。もう、忙しくって」

 と言いながら、胸張り、嬉しそう。

 「この前は、息子が言ってもいないことが、よう知らんとこに書かれてもうてねえ。困るんよねえ。なんかねえ、この子が松田聖子のファンやゆうて勝手にデタラメ書かれてしもうて・・・」

 えっ!!!!!!

 デタラメって!

 母・初子のそばにいる彼は、黙りこくって何も言わず。反論も、異議もとなえず・・・・・。

 おいおい、おいおい! まいったなあ・・・・・。

 そこで、それ、実はわたしが電話で息子さんに話しを聞いて、キチンと、録音テープも聞き直して、正確に書いたものなんですけど、と、今なら、言う。

 母のウソを黙って聞いている「若きエリート名人」の性格を突き、そこから崩して、素顔をあらゆる手練手管で、書ききってしまう、という手法を採る。

 だが、そのとき、そこで、ソレ言ってしまったら、すべてがおじゃんになる雰囲気。ましてや、わざわざ、キャリアある商業カメラマンと、レフ板や、大型カメラバッグ、いくつも担いだ助手まで来ているのだから。彼らに、申し訳ないことになる。

 ともかく、その母の言葉は聞かなかったことにして、家の中でインタビュー。

 が・・・・・・良くも悪くも、将棋しか知らない、若者だった。若者というより、すでに21~22歳にして、驚くほど老成していた。

 世間一般の同年代の若者とは、まったく違う。ニュースに関心無し。スポーツ、苦手。遊び、しない。ましてや、恋愛なんぞとは、無縁。

 将棋だけ、知っていることと言えば。ドコを突いても、チラッとも出ず、ポロリとも落ちてこない。

 そばで、監視するかのように、耳をそばだてている、母親。

 んんん・・・・・・。

 こちらは、将棋、まったく知らない、いまだ、興味も無い。ただ、故・升田幸三など、破天荒な人物に惹かれる部分は有り。

 史上最年少に名人に駆け上がった若者の、意外な、フツーの若者の部分を引きだし、読者に共感や、意外性を知って欲しいと言う狙いは、時が経つにつれ、ガラガラと音をたてて崩壊していった。

 ともかく、一言でいうなら、話しがまったく面白くない。自らの会話が続かない、つながらない。

 将棋以外、関心を示さない。

 確かに、そこまでのめり込まないと、名人には到達出来ないのだろうが。ましてや、「史上最年少」ともなるためには! ソレは、想像は、付く。

 んだけどさあ・・・・・・・。

 性欲や、恋愛、好きな異性のタイプなど、女性のハナシを振ると、母の視線を気にしている素振りが、モロミエ。

 写真を撮るとなると、すぐ母親が寄って来て、襟なおす、袖なおす、髪型直す。

 うわああああ・・・・・。溺愛、で・き・あ・いが、匂い立つ

 棋士としての正装の、羽織袴姿に、一応、なってもらう。

 もう、母親は、カンペキ着付け係。

 全ての身の回り、なすがまま、なされるがままの「名人」「若者」。

  マザーコンプレックス、というより、マザーコントロールの「マザコン」。

 カメラマンと、その助手も、”何か”を感じていたようだった。

 外での撮影に連れ出した。

 付いてこようとする母親を制し、写真映えの良い風景の所まで行き、グラビア撮影。

 話しかけて、カメラマンまでも、冗談をかましても、笑顔、自然な笑い顔が浮かんでこない。

 う~ん・・・・・・・。こりゃあ、ダメだあ・・・・・・。

 将棋差しってさあ・・・・・。一芸に秀でた者って・・・・・

 自宅へ戻し、「長い間、ありがとうございました」と、深々と3人、礼を言い、アタマを下げてカメラマンの持つ、ワゴン車へ。

 駅まで送ってくれる間、自らも少し、将棋を楽しむという、谷川浩司と年齢が近い助手クンが、吐き出すように、しゃべりまくった。

 「失礼やけど、なんでっか、アレは! あんなマザコンとは、想わんかったわ」

 苦笑いして、聞くほか無かった。

 そうだろうなあ・・・同年代の、普通の生き方をしている、元気な若者からすれば、そう感じる以外無いよなあ・・・・。

 撮影したカットの中から、コレ!というモノを、カメラマンが自ら選び、東京の編集部へと送ってくれるとのこと。

 なので、今もって、わたしの手元には、その時の写真は、ただの1枚も無い。

 やがて、つたない原稿が出来上がり、編集部へと届けた。

 が、時が過ぎても、文字校正の連絡が来ない。

 ん??

 ありのままの模様を書いた流れが、まずかったのかなあ。

 連絡が、来た。

 「悪いね!どうしても、はずせない、営業からの依頼で、広告が入ったもんで、あの原稿、ボツになったんだわ。申し訳ないっ!」

 ・・・・・・・

 真の理由は、いまもって分からない。

 次号に、掲載がずれると言うことも無く、谷川浩司の記事は、陽の目を見ることは無いまま、消えた

 所定の原稿料は、遅れることなく、キチンと振り込まれた。

 おそらく、あのカメラマンにも、振り込まれたはずだ。

 振り込んでも、余りある、それより高い広告代金。んな経済論理は、子供でも分かる。

 谷川には、お詫びと共に、筆がつたないため、掲載が見送られたことを手紙にしたため、ポストに投函した。入れる時、彼の母の顔が、ぶわっと浮かんだ

 返事は、何も無かった・・・・・・。

 今、思えば、ソレで結果良かった・・・のかも知れない。

 電話のコメントでさえ、母がアレなのだから。

 4ページともなれば、全部デタラメ! ウチの浩司は、こんな人間じゃない!あ~たねえ、史上最年少名人なのに!失礼極まりない記者がいたんよ、と、また、他の取材に来た記者に言っていただろうし。そばで浩司本人は、また、黙っていたであろうし・・・・・・。

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 彼が、結婚式を挙げたとの記事を見た。

 谷川浩司、30歳の時。御相手は、江尻恵子なる女性。

 

 神戸ポートピアホテルでの、大披露宴には、兵庫県知事や神戸市長など、お偉いお歴々300人が集ったとの記載。

 人づてに聞いたところ、周囲がお膳立てした、見合い結婚だったらしいよとのこと。納得。

 まさか、実家で同居?と危惧していたところ、六甲アイランドに建つ高層マンションの13階での暮らし。

 22年前の大震災では、マンションに供給しているガスタンクが故障。

 避難生活を余儀なくさせられ、2004年に引っ越し

 今は、JR神戸線を走る列車の音が聞こえる、線路近くの一戸建てに住んでいる。

 家族は、4人に増えた。

 息子が、2人。上なのか、下なのか、中学1年生がいるようだ。

 座ってばかりの「仕事」。健康と体力維持のためにと、購入したエアロバイクをこぐ。

 そうそう、父は、7年前に、86歳で他界。

 かの、母・初子は、2014年6月27日、肺炎のため、84歳でこの世を去っていた

 次の日、次男である浩司は、仙台で仕事があったため、とんぼ返りし、29日の通夜、翌30日の葬儀には間に合わせたという。 

 母の死から5か月後、彼は「紫綬褒章」(しじゅほうしょう)を手にした。

 もし、あの母が生きていたなら、どれほど、晴れがましい想いだったことであろう。

 会長の任に就いたものの、将棋をする人口は、年々減少の一途をたどっている

 先日のこと。

 会館で、終末に実施される将棋道場で働いている人に、やっている人間の数の感触を聞いたところ、「10万人くらいじゃないですか」と言う。

 将棋4段以上のプロは、230人ほど。

 レジャー白書」なるシロモノを出している、「公益財団法人 日本生産性本部」なるところが、はじき出した数字は、2015年で、530万人

 2013年には、670万人、近年のピーク時は2009年の、1270万人。

 ところがこれ、「1年に1回でも、将棋をやったことがある人は?」という、問いに対して、「やりました」という答えが返ってきた、15歳から79歳までの人数・・・・・だとのフレコミながら、回答があった人数たるや、わずか全国で、たったの2375人!

 それも、インターネット上に乗せての回答というから、とても信じにくいデータ。

 今は、かの渡辺明が持つ「竜王」など、7つものタイトルに膨れ上がり、それぞれにマスコミ企業が後援・主催していることもあり、単なる娯楽・レジャーの一環でありながら、常々報道されることにより、将棋ファンの目が注がれている世界。

 だから、何とか維持されている世界。

  今年に入って、加藤一二三(ひふみ。写真左下)が、77歳の老齢に区切りをつけ。今期限りでの現役引退を決意。

  それを報じる記事のなかで、彼が「ひふみん」と呼ばれていると多く書かれていた。だが、ソレをすでに知っていた一般人は、どれほどいただろうか・・・・・・。

 ましてや、老人とはとても思えぬ、とんでもなくかん高い声と、とんでもなく、せわしなくしゃべりまくる話し方まで知っている人に至っては・・・・。

  

 せいぜい多くの一般人が知っている棋士といえば、羽生善治(はぶ よしはる。写真左下の右)か。

  その明暗の際立つ新旧の性格の違いは、大きい

 わたしがロングインタビューをした当時は「光速の寄せ」と、将棋界で報じられた谷川浩司の光速の光りは近年衰え、減速。タイトル皆無、勝利からすっかり遠のいている。

 羽生が、年収1億3000万円。ソレに較べ、谷川は1220万円。1割にも、満たない

 勝負師の世界は、厳しい。

 会長に成り、月の報酬は41万円。年間に、492万円。

 対局の基本給、50万円。その回数に、講演会に、イベント出演料、そして子供などへの、全国各地を巡る指導料で、近年は生活を維持していた。

 約4年余の会長職。

 連盟の経理部に聞くと、彼は神戸に住んでいるため、上京する際の新幹線代など、交通費は、全額連盟負担。

 週に1回、曜日不定期の「常務会」という会議などがあり、平日の大半は東京暮らし。

 連盟のある千駄ヶ谷近辺に借りているマンションの部屋代は、「全額は連盟が払っておりません。割合は言えませんが、会長も負担して御支払い戴いております」。

 週末は、家族の待つ神戸住まい。

 この2月6日。佐藤康光が新会長になり、谷川は任を完全に解かれる。

 辞めたくはなかった表情の、会見時の彼の苦りきった表情。

 2月7日からは、単なる1人の将棋差しに戻る。

 概算、年収の3分の1を失った。三浦「冤罪」事件の、思わぬ爪痕と悔い。

 母に溺愛された、元マザコンは、この先、どんな軌跡をたどるのであろうか・・・・・・ 

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 < 2017・2・7 記 >

 すでに上記で指摘したように、新会長には、佐藤康光が決まった。

 他は、島が辞任したのみ。

 青野照市以下、他に辞任する意思が無いことに疑問を抱いた棋士たちから、辞任要求が出た。

 ソレを受けて、2月27日に「臨時総会」がとりあえず開催される運びにはなったが・・・・。

 島の代わりに、誰が理事になったのか、テレビやネットで観る限り、6日深夜現在、報じられていない。

 7タイトルの「後援」と言う名の、スポンサーである新聞各社が、紙の上で報じているのであろう。

 佐藤の記者会見を、短くニュースでやっていた。

  決議や、総会での話し合いがもめにもめたらしく、この記者会見の開始時刻が、1時間も予定より遅れ、取材陣を待たせた滑り出し。

 

  驚いたことに佐藤康光、華が全く無いうえに、谷川同様、暗い!

 しゃべり方すら、暗く、もぐもぐ・・・・。

 新しい将棋ファンの拡大を、と抱負を述べていたようだが、この先、会長がコレでは、印象通り、この先は暗い。

 かの谷川”マザーコントロール”浩司は、本当は入院まではしていないようだが、体調不良のビョーキとやらで、理事会にも臨時総会にも、欠席。

 まさか、この記事を見て、深く落ち込んで・・・・というわけではないだろうが・・・・・・。

 このまま、世間的にも、光速の寄りは、光りを失い、暗く消えてゆく実力。

 A級からも、現在、陥落しており、勝ちに見放されたままだ。

 2月13日の、恐妻家 対 冤罪被害者

 その対局振りが、どのように報じられ、どういう決着をみるか!?

 ニコニコ動画で、ナマ中継されるようだ。渦中の勝負、なればこその臨時中継。

 ひっそりと、しかし、厳しく、将棋知らずは、見守りたい。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 < 2017・2・9 記 >

 渡辺明という棋士の、ゲスな性格が、あらわれた自身のブログ。

 2月6日の、日本将棋連盟での臨時総会で、自身に向けての「厳しい意見が、私に向けられた」と記載。

 だが、ソレに立ち向かうこともなく、誰に向けてか「機会があれば」とか、「書く機会があれば」などという書き方で、この日に至るも、逃げまくって、頬かむりしているまま・・・・・。

 1人の人間として、どうなんだろう・・・・・・・。

 いまだに、三浦弘行・9段に、直接謝罪はせず、いさぎよく理事を辞任した島朗(しま あきら)のせいにしてのニュアンス色濃い、記述。

 人間としてゲス!

 そう、コメントを差し上げようとしたら・・・・・

 コメント欄、閉じてやがんの!

 この腐れキューピー、どこまでいっても・・・・・・・

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 《 2018・2・17 追記 》

  久々に見た、谷川浩司。

  会長を辞任せざるを得なくなって、表舞台を去ってから、幾年月。

 いまや、下位に甘んじている、元が付く棋士。

 本日、午前。生放送で、出演。

 にしても、森友学園にもらったオカネは、どうなってしまったんだろう・・・・

 もはや、聞く価値も無いネームバリューの無い人になってしまったか・・・・・・・

 


《 リアル 芸能 ルポ 》 まだ、覚えている人、いるかな? 久米宏、まもなく76歳。テレビから消え去り、本日、ラジオからも、丸14年目の幕を閉じる。真の降板理由?。実は・・・

2020-06-27 13:20:18 | 視聴者が知らない、タレントの素顔

久米宏(くめ ひろし)。その名前を、まだ、覚えている人は、ある年配以上の人達であろうと、思う。

 TBSの局員アナウンサーから、スタートし、フリーに転じ、た。 

 まだ、記憶あります、という多くの人達は、見たのは、「テレビ番組」であり、同局の「ザ・ベストテン」や、テレビ朝日の「ニュース・ステーション」あたりであろうと想う。

 ウイキペディアでも、詳しい人物像が、あーだら、こーだら、載っているが、

 そこで、載っていない、自身が、体験した逸話や、言い残しておきたくない想いで、さまざまを、マイクの前で、自由にくっちゃべりまくっていたのが、

  その名も、「久米宏 ラジオなんですけど」。

 この告知番組写真も、今日で、番組ホームページから、抹消される。

 毎週、土曜日の、昼下がり。午後1時から、同3時手前まで、この丸14年間続けてこられた「ラジオ番組」を、今日、降りる。

 今日が、最終回となる。

 とはいっても、惜しまれつつ・・・・という感傷もなければ、おそらく、今日の当人にも無い。

 そして、かつて「テレビ」で」有名、「ラジオ」では無名の「厳実」を背景に、ネットのニュースの片隅にも、載らない。

 私でさえ、たまたま、コンビニで見かけた、週刊新潮の、それも、コラム記事で、降板を知ったくらい。

 久米が、今月6日。番組で、自ら降板理由を述べていたが

 一字一句、正確ではないかもしれぬが、主要を記載する。

 「番組の中での、集中力や、記憶力が落ちてきた。良い時期に、番組を自ら降版することが、リスナーにとっても、自身にとっても、良いことだと考え、今年、初頭から、番組スタッフと、話し合いを重ねて来ていた結果だ」とのこと。

 ソレは、確かに、一面、そうであった。

 記憶力の低下、はなはだしく、かつて自分で、話していたことを忘れ、ゲストのことを事前に著作を走り読みして、且つ、事前に打ち合わせでも確認してるのだが、それでも、勢い余って、焦った口調のまま。間違えてしまう。

 「ボクは、お調子もんですから。そんなこと、言ってましたか? ハハハハ」と、笑いで、ごまかすが、集中力も、確かに欠けて来ていた。

 トコロが、先の週刊新潮は、実は、ギャラの問題でもめていて、もっと上げて欲しい。いいえ、もう、これ以上は出せませんと、結果、決裂したのが、真の降板理由と指摘。

 それも、的外れのように想う。

 テレビならともかく、しょせん、ラジオ。

 先に書いた、山田邦子の例にも、有るように、ラジオは、テレビと製作費も、ギャラも、0の桁が違う。

 その代わり、「縛り」「規制」が、薄い。

 それを利用して、久米は、言いたい放題を、言い続けてきた、

 自民党と言うより、常に、時の、現政権批判を、ぶちまける。あたりかまわず、噛みつき、キャンキャン、、吠える。

 小気味いいが、間違い、も多い。

 キチンと、調べずに、言いまくる。

 ところが・・・・

 散々批判した、、自民党政権の、かつての総理大臣。小泉純一郎をゲストに読んで、対面したとたん、腰砕け。

 突っ込み、切り裂き、なにもせず、さやにおさめ、ヨイショ姿勢の、みっともなさ。

 小泉も、近年、人気稼ぎに、あざとい、現政権批判しているとはいえ、久米という、軽重浮薄なタレントの、底が透けて見えて、ガッカリした。

 NHK批判も、しかり。

 昨年、あさイチに、出演して、生放送を逆手にとって、言いたい放題。

 しかし、そこが、底が、果てしなく浅い人間性。

 これまた、ガッカリした。

 「ボクは、しょせん、お調子もんですから、ハハハ」で、笑ってごまかし、常に逃げまくる。。 

 でも、ゲストの事は、聴く者が驚くほど、良く調べて来て、スタジオに臨む。

 近年、調べ過ぎて、相手にしゃべらせず、相手がやっと問われて、話し始めてすぐ、久米が、自分の言葉を重ね、自分勝手に、進行しまくり、23分、無いし、長くても、32分に、いきなり、幕を閉じる。

 ヘタになって来たなあ・・・・

 司会者としても、キャスターとしても、オシマイかも。

 しょせん、一介の電波芸者としても、墜ちてきたなあ・・・・と、痛感していた今。

 辞めるに、潮時であろう。

 安住紳一郎ではないが、ラジオの聴取率は、無いに等しく、限りなく、ゼロに近い。

 誰も聴いていないのでは?とさえ、思える時があった。

 この久米の番組。

 土曜の13時半、

 女性レポーターが、新橋駅頭の広場に立ち、20代の男女の若者、100人に

 「久米宏ってヒト、御存じですか?」

 と、質問を投げかけたところ、、1人も、知らなかったッという、厳然たる事実。

 ラジオなんですけど・・・・・テレビと大違い。聴かれていなかった、ということだ。

 私も、2時からのゲストが、興味ある人物であれば、聴くという程度。 それでも、その週や。コマきれにであるが、聴いていたほうだろう。

 だから、人物像が、このように書ける。

 、かつて、上記、「テレビ番組」で、一世を風靡したはずの、久米だが、自分の意思で、特番以外の、レギュラーのテレビ番組を辞し、要請を辞退・・・・と、一応、受け止めているが、

 この76歳の、お調子もんの言うことは、当てにならない。

 カネはタンマリ有るので、76歳以降の老後の生活は心配ない。

  さて、この時期に降板する、真のウラ理由を、書いておこう。

 このところ、過疎地の、在宅診療医師医師や、新型コロナウイルスに詳しい医師や学者センセ―を、ゲストに呼ぶ中で、久米自身が、ポロリ、ポロリと、近年、相次いで、自身が病院で診察を受けて、カラダのあちこちに、おかしな部位がみつかり、治療や検査、、短期期間で済む手術を受けていることを、吐露。

 おそらく、これから、クスリでは収まり切らない、いくつかの手術を受け、長期入院を余儀なくされていくはず。

 このつぎに、久米が久しぶりに、ネットに載る時は、訃報でなければよいのにと、祈るばかりだ

 おっ、番組が始まったぜ


《 リアル 芸能 ルポ 》 まだ、覚えている人、いるかな? 久米宏、まもなく76歳。テレビから、消え去り、本日、ラジオからも、14年目の幕を閉じる。真の降板理由。実は・・・

2020-06-27 13:02:49 | 視聴者が知らない、タレントの素顔

久米宏(くめ ひろし)。その名前を、まだ、覚えている人は、ある年配以上の人達であろうと、思う。

 TBSの局員アナウンサーから、スタートし、フリーに転じ、た。 

 まだ、記憶あります、という多くの人達は、見たのは、「テレビ番組」であり、同局の「ザ・ベストテン」や、テレビ朝日の「ニュース・ステーション」あたりであろうと想う。

 ウイキペディアでも、詳しい人物像が、あーだら、こーだら、載っているが、

 そこで、載っていない、自信が、体験した逸話や、言い残しておきたくない想いで、さまざまを、マイクの前で、自由にくっちゃべりまくっていたのが、

  その名も、「久米宏 ラジオなんですけど」。

 この告知番組写真も、今日で、番組ホームページから、抹消される。

 毎週、土曜日の、昼下がり。午後1時から、同3時手前まで、この丸14年間続けてこられた「ラジオ番組」を、今日、降りる。

 今日が、最終回となる。

 とはいっても、惜しまれつつ・・・・という感傷もなければ、おそらく、今日の当人にも無い。

 そして、かつて「テレビ」で」有名、「ラジオ」で『無名の「厳実」を背景に、ネットのニュースの片隅にも、載らない。

 私でさえ、たまたま、コンビニで見かけた、週刊新潮の、そtれも、コラム記事で、知ったくらい。

 そこには、久米が、今月6日。番組で、自ら降板理由を述べていた。

 一字一句、正確ではないかもしれぬが、主要を記載する。

 「番組の中での、集中力や、記憶力が落ちてきた。良い時期に、番組を自ら降りることが、リスナーにとっても、自分にとっても、良いと考えていて、今年、初頭から、番組スタッフと、話し合いを重ねて来ていた」とのこと。

 ソレは、確かに、一面、そうであった。

 記憶力の低下、甚だしく、かつて自分で、話していたことを忘れ、ゲストのことを事前に著作を走り読みして、且つ、事前に打ち合わせでも確認してるのだが、間違えてしまう。

 「ボクは、お調子もんですから。そんなこと、言ってましたか? ハハハハ」と、笑いで、ごまかすが、集中力も、確かに欠けて来ていた。

 トコロが、先の週刊新潮は、実はmギャラの問題でもめていて、もっと上げて欲しい。いいえ、もう、これ以上は出せません…t、決裂したのが、降板理由と指摘。

 それも、的外れのように想う。

 テレビならともかく、しょせん、ラジオ。

 先に書いた、山田邦子の例にも、有るように、ラジオは、テレビと、0の桁が違う。

 その代わり、「縛り」「規制」が、薄い。

 それを利用して、久米は、言いたい放題を、言い続けてきた、

 自民党と言うより、常に、時の、現政権批判を、ぶちまける。あたりかまわず、噛みつき、キャンキャン、、吠える。

 小気味いいが、間違い、も多い。

 キチンと、調べずに、言いまくる。

 ところが・・・・

 散々批判した、、自民党政権の、かつての総理大臣。小泉純一郎をゲストに読んで、対面したとたん、腰砕け。切り裂き、なにもせず、さやにおさめ、ヨイショ姿勢の、みっともなさ。

 小泉も、近年、人気稼ぎに、あざとい、現政権批判しているとはいえ、久米という、軽重浮薄なタレントの、底が透けて見えた。

 NHK批判も、しかり。

 昨年、あさイチに、出演して、生放送W逆手にとって、言いたい放題。

 しかし、そこが、底が、果てしなく浅い人間性。

 ガッカリした。

 「ボクは、しょせん、お調子もんですから、ハハハ」で、笑ってごまかし、常に逃げまくる。。 

 でも、ゲストの事は、聴く者が驚くほど、良く調べて来て、スタジオに臨む。

 近年、調べ過ぎて、相手にしゃべらせず、相手がやっと問われて、話し始めて、久米が、自分の言葉を重ね、自分勝手に、進行しまくり、23分、無いし、長くても、32分に、いきなり、幕を閉じる。

 ヘタになって来たなあ・・・・

 しょせん、一介の電波芸者としても、墜ちてきたなあ・・・・と、痛感していた今。

 辞めるに、潮時であろう。

 安住紳一郎ではないが、ラジオの聴取率は、無いに等しく、限りなく、ゼロに近い。

 誰も聴いていないのでは?とさえ、思える時があった。

 この久米の番組。

 土曜の13時半、

 女性レポーターが、新橋駅のヒリ場に立ち、20代の男女の若者、100人に

 「久米宏って、御存じですか?」

 と、質問を投げかけたところ、、1人も、知らなかったッという、厳然たる事実。

 ラジオなんですけど・・・・・聴かれていなかったということだ。

 私も、2時からのゲストが、興味ある人物であれば、聴くという程度。 それでも、その週や。細切れにであるが、聴いていたほうだろう。

 だから、人物像が、このように書ける。

 、かつて、上記、「テレビ番組」で、一世を風靡したはずの、久米だが、自分の意思で、特番以外の、レギュラーのテレビ番組を辞し、要請を辞退・・・・と、一応、受け止めているが、

 この76歳の、お調子もんの言うことは、当てにならない。

 カネはタンマリ有るので、76歳以降の老後の生活は心配ない。

  さて、この時期に降板する、真のウラ理由を、書いておこう。

 このところ、過疎地の、在宅診療医師医師や、新型コロナウイルスに詳しい意志を、ゲストに呼ぶ中で、久米自身が、ポロリ、ポロリと、近年、相次いで、自身が病院で診察を受けて、カラダのあちこちに、おかしな部位がみつかり、治療や検査、、手術を受けていることを、吐露。

 おそらく、これから、クスリでは収まり切らない、いくつかの手術を受け、長期入院を余儀なくされているはず。

 このつぎに、久米が久しぶりに、ネットに載る時は、訃報でなければよいのにと、祈るばかりだ

 おっ、番組が始まったぜ


《 リアル アナウンサー ルポ 》 「最新追記版」 おおおっ! TBSの、田村真子。思わず、身を乗り出し。目を射抜くかのような、大胆な上着、重ね着して、ニュース読んでいらした

2020-06-26 12:02:02 | 視聴者が知らない、アナウンサーの素顔と実態

 タイマー録画しておいてでも、観ているのが、TBS系、「ひるおび!」後半の、午前11時半から、組み込まれている、ニュース枠。

 本日は、女性アナは、田村真子(たむら まこ)。

 週のうち、2回くらい、噛む、ミス、言い間違いや、読み間違いをしているが、まあ、若いのに、安定感のある、担当と言えるだろう。

 と、と、ところが、本日。5月29日(金)。

  このような、重ね着衣装で、御登場。

 んんんんん・・・・・

 まるで、ブラジャー仕様。

  豊乳では無いことは、分かるが、どうにも、こうにも、気になる御衣裳、

 重ね着、逆なら、まだ、分かるけど・・・・・

 目を射抜く、大胆な・・・・・と思うのは、間違いですかねえ・・・・・

 なお、ニュース原稿読みの、正確無比、間違いが、少なくとも、私が見ている範囲で、気付いたことのない、TBS局員アナウンサー。

 男女、2人だけいる。

 女性は、昨年入社した

  この、篠原梨菜(しのはら りな)。

  男性は、この、赤荻歩( あかおぎ あゆみ)。

 カンペキです。報道内容、信頼出来ます

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ≪ 2020・6・26 追記 ≫

 本日は、ノーマルな上着で、スタジオで、午前11時半からのニュースを読んだ、上記、田村・ブラジャー仕様・真子。

 あの、皇室にいる眞子の方は、いまだに、どうしたいのか? 

 はっきりしないまま、国民の税金を1円ももらわず、勝手にアメリカに、駆け落ちしてくれてもいいんだけど・・・。

 男を観る目が、無いからなあ・・・。

 男の方は、バカモが、ネギしょってくる、皇室離脱金の1億5000万欲しさで交際していたフシがみられるし・・・・・。

 さて、こちらの真子。

 ミス、やらかした。

  アメリカでの、新型コロナウイルス対策費の,なかの、給付金の金額。

 「1500万、1500億円を」

 シラッと、言い直し。

  失礼しました、は言わず。

 女だけど、睾丸無恥な性格が、くっきりと、浮かび上がってくる。

 なお、上記、赤荻歩。

 過日、初めて、言い間違い、噛んでいたのを観た。

 弘法も筆の誤り・・・・か。

 


<リアル 芸能 ルポ> 昭和の大女優・原節子は、今。(第5回)95歳になったのだが・・・

2020-06-23 19:58:06 | 真偽を求めて・・・こころ旅

 ≪ 2015・6・19 掲載記事 ≫

 原節子、こと、會田昌江。

 この6月17日で、95歳にもなった

  左の写真は、日本というより、世界的にも、あまりにも有名な映画「東京物語」のワンカットだ。

 この時、彼女、33歳。

 日本だけではない。世界中の家族が、国は変わっても、身につまされる、永遠の課題を描いただけに、評価され過ぎの”虚匠”黒澤明など及びもつかない観客数を、平成の今になっても積み上げ続けている。

 そんな名作に出演した彼女が、サッと人知れず、表舞台から姿を消して、すでに53年が過ぎようとしている。

 表題で気付いた人もいるでしょうが、すでに、不定期連載で4回。この記事が、5回目に当たる。

 彼女の「今」について、これまでも書いてきた。

  古都・鎌倉のこの2階建ての、「離れ」にあたる家に「住み続けている」と、親族が言い続け、わたしもこの家の間近にまでも、何度も何度も、通い続けてきた。

 聞きたかったのは、なぜ、事実上の引退をしたのか? その間の、小津との感情など、さまざまなことについて、今の生きている顔を見ながら、問い質したかった。

 別に、スクープ狙いの気持ちは、無い。自分が疑問に想い、それを解消したいから。

 声が、いつしか、家人に聞き覚えられるまでに、なってしまった。

 この間に、まあ、出版社はあざといというか、汚いというか、彼女の芸名を冠した単行本を、世に出し続けている。

 とりわけ、すでに書いたが、原節子手作りのカレーライスを食べたという斎藤充功や、直接取材もまったくしないまま2冊もの本を出した貴田庄、さらに末延なる人の本など、よくもまあ、出せるもんだと、あきれ果てるほかない。

 印税が例え入ったとして、ご飯がのどを通るのであろうか・・・・・。

 そんななか、久しぶりに、ふと、思い出して、會田昌江の母屋の方へと連絡をとった。

 その日が、95歳の誕生日であることは、その直後に改めて知った。

 「今日は、なんでしょう?」

 ---會田さんのことについて

 「ああ、元気ですよ」

 また、か。この返答・・・・・・・。

 ---食事は、どうなさっているんですか? やはり、お年もあるし、母屋でとっていらっしゃる?

 「いえいえ、そんなことないですよ。自分でも、やっていますよ」

 ---もう、さすがに外出は少ない?

 「そうですねえ・・・・・・」

 ---やはり、足腰も弱まっていらっしゃる?

 「・・・・何を、聞きたいんですか!」

 気分を害したトーン。

 ---また、勝手にというか、本が出ていますけど。

 「そうなんですか? それは、知りませんでした」

 ---また、あの手作りカレーのやつも、転載されているし

 「う~ん、もう・・・・・しつこいですね」

 ---いずれも、本を出しますよ、という連絡とか、一報とか、取材申し込みとか、何か、来てるんですか?

 「全然、無いです」

 ---例えば、代理人を立てるとか、弁護士を立てて、無断出版の差し止め請求とかするお気持ちは、当人に無いんでしょうか?

 「う~ん・・・・・また、それも、また、うるさくなるしねえ・・・・・」

 ---しかし、このままでは・・・・

 「本屋さんに、見に行きますよ」

 ---すいません。また、と言われそうですが、お顔を見て、インタビュー出来ませんでしょうか?

 「ダメですね」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 梅雨時とはいえ、離れの雨戸は、閉じられたままだ。

 あじさいが、小雨に濡れて、あざやかに、咲き誇っていた。

 すでに、95歳という老齢。元気、であるわけがない。

 年齢も重なり、足腰は弱まり、台本が読みにくくなるほど、すでに引退時、視力が良くなかった。

 白内障、緑内障・・・・・・

 痴呆までは、分からないが、実は・・・・・

 第4回で書いた、叫び続けた、あの日。超大声で、呼びかけた声が、板戸を突き破って、居室にまで届いていた。

 あの「離れ」の板戸を開けて、「うるさい!」と叫んで、怒りの表情を浮かべて、わたしに歩み寄ってきたのは、男性の老人だった。

 ---!? あなたは、誰なんですか?

 「うるさい! 言う必要無い!」

 そして、すぐ母屋へと引っ込んだ。

 代わりに出てきたのが、會田昌江の甥っ子だった。

 「うるさいから、帰ってください。いい加減にしてください!」

 そう、言い捨て、母屋へと足早に戻って行った。

 ・・・・・・・・・・・・・

 声出し、は続けた。

 だが、もはや、もしあの離れに會田昌江がいたとしても、寝たきり老女。

 あの老人が、介護しているとも思えぬ。ましてや、老いらくの恋、などは考えられない。

 施設、も当たった。

 神奈川県、東京都、千葉県・・・・問いあわせまくり、捜しまくった。

 私の、取材不足か、力量不足か・・・・・・

 だが、おそらく、家人が自宅で教えているピアノ教室の生徒の問いに、ポツリと言った「施設」に入ったまま、というのが、もはや確率は高い様に想う。

 會田昌江に、資産はある

 ぜいたくはしておらず、まだ数億円は残っている

 世田谷区に持っていた敷地、邸宅を、かつて売却。税金を引いても、まだ充分に暮らせるはず。

 なにしろ、かつて驚いた逸話がある。

 故・木暮実千代が晩年の頃。

 妹のために、神楽坂にあった老舗旅館を居抜きで買って上げ、プレゼントした。

 その金額、たった1本の映画出演料で、まかなえた。

 ましてや、所属する映画会社は違ったとはいえ、看板女優・原節子だ。

 そのくらい、ギャラは天井知らずであった。映画のみが、唯一の娯楽であった時代。

 高級老人施設の、個室で、95歳の誕生日を迎えた彼女。

 しあわせ、であろうか・・・・・・

 なにひとつ、語らず、言わず。

 直接取材の打診すらないまま、でっちあげエピソードも入れ込んだデタラメ本が、書店に並ぶ。

 そこに、事実、ましてや、真実など、カケラも見当たらないまま・・・。

 死んだら、こんなもんでは、納まらないであろう。

 いつか、迎える、逝去のニュース。

 おそらく・・・・・・・

 身内で滞りなく、すべてを終えたのち、どんなに早くても1週間後、松竹に1枚のファックスを書き送る。

 <會田昌江は、・・月・・・日、逝去いたしました。ここに、謹んで、お知らせいたします>

 へタすれば、まったく知らせず。

 町内に住む老人の、逝去や葬儀を知らせる立て看板が、辻辻にある。

 ソコに、上記のお知らせが貼られ、誰かが、良かれとマスコミに連絡して、そこから世に広まる可能性もある。

 またひとつ、「昭和」が消え去ってゆく・・・・・であろう。

 


リアル 芸能 ルポ <「昭和の大女優 原節子」は、今> 知られざる真実 を初めて明かす 第3回

2020-06-23 19:51:28 | 真偽を求めて・・・こころ旅

Cimg0272 2012・12・23 記

 =========================
≪ 2014・8・20 再掲載 ≫

 うっそうと茂った樹木と、天高く伸びた葉。それらに、まるで身を隠すようにして立つ家(写真・上)。

 それが、昭和を代表した女優、原節子が今も住んでいるとされている2階建ての家だ。

 屋根だけが、写真では、ハッキリ見える。家は、25坪ほどか。しかし、四季を通して、殆んど雨戸は閉められたまま。

 この写真の日付けを見ると、2年9か月も前だが、その後も、いつ撮っても、さほど変わらない。

 クーラーは、1階にも2階にも付けられている。たまに雨戸が引き戸に収められていることがあった。しかし、柵状の桟の奥の窓ガラスには、厚いカーテンが引かれ、まったく中は、伺えない。

 光の反射で、中が透けて見えることも、無い。ためいきが、思わず出る。

 

 彼女が90歳を超えた頃、鎌倉市役所に行き、打診してみた。一市民としての、會田昌江を引っ張り出せないか? 御高齢だが、市を越えて、ある意味、国を代表する名誉市民として、御祝い品を直接、彼女の顔を見て、渡すことなど出来ないものか?

 それで、私が会えないまでも、市の職員が生死を確実に確認できる。施設に入っているなら、そのことを確認できるはず。

 聞いてみると、かなり前から、講演とか挨拶とか、市の公けの席に出て戴けないか? ということを、折に触れて打診してみたことが有ったという。

 ところが、「もう、どこにも顔を出す気はありません」との親族からの返事で、ことごとく断られてきた過去があるのだという。

 ・・・・・・・・そうかあ・・・・・・

 まあ、彼女の、いわば古巣といえる松竹が、商売の宣伝の一環の目論見もあって、公けの席での出席を頼んでみても、けんもほろろだったということを、すでに知っていた。だが、鎌倉市でさえもコレか! と、改めて痛感した。

 やはり、施設巡りで”感触”を掴むしかないか・・・

 高級施設でも、面会や問い合わせには、比較的寛容だった。加えて、タダのフツ―の老人なら、捜すのも大変だが、「原節子」といえば、入所・入院患者も、まだまだ記憶が残っているヒト。

 入れない場合は、ロビーで面会者の帰りを待ち受けながら、さりげなく聞いていった。よく顔を出す面会者は、噂話も耳に入ってくる。それに「期待」した。

 しかし、原節子はもちろん知っているけれども、ここに入ってるというのは、まったく聞いたことは無い、という言葉が、連なる。

 ダメ元で、男女の職員にも当たってみたが、ダメ。

 ならば、他の施設などで、それらしいヒトがいると聞いたことはないか? と聞いたが「無いですねえ」と一言。陽は,どんどん暮れる。気持ちも、どんどん暮れる。

 

 真っ赤な夕陽が湘南の海に落ちてゆくのが見えるとかであれば、ああ、観光気分に切り替えて、ここに来て良かったなあと思えるが、無しのつぶては、気分が落ちる。

 そこは、葉山の御用邸にほど近い施設。皇室の人間が急に来ることも無いのに、24時間・365日、不眠不休で、交代して警護する。

 な~んだか無駄遣いしてんなあ~と思う・・・・

 先ほど書いたように、施設の上の階からは、太平洋の地平線と共に、日によってはきれいな、目を射抜くかのような鮮やかな夕陽が見えるという。

 超高級とは言えないまでも、ひょっとしてこの「施設」かも? 

 しかし、職員数人にさりげなく聞き出してみたが、「見学にも、そういう方がいらしたというのは、聞いたことありませんねえ」との、返答。

 一体全体、どこの施設に入った!? というのだろうか・

 チカラが抜けつつあった。帰りのバス停までの足取りは、重かった。

 めげてばかりじゃいけない。

 もし、家人の言う通りなら、上の写真の家にいるはず。

 「情」に、訴えてみるか! 元女優とはいえ、ココロに響くものがあれば、インタビューはかなわなくとも、御礼の一言ぐらいあるだろう。そう、思った。

 Cimg0269 これは、原節子こと會田昌江も入るであろう墓石だ。中央に刻まれた文字は、「無」と読む。

 この「無」。故・小津安二郎の墓にも、同じ「無」の文字が刻まれているのだ。小津といえば、黒澤明以上に世界で今もその監督作品は評価され、生前は、原節子との秘めた恋も囁かれた人でもある。

 「無? 偶然ですよ」

 「あのころには、けっこう流行ったそうですよ、無というのを募銘碑にするのが」

 そう言って苦笑したのは、原の甥。家人の夫だった。父は、小津のように有名ではないが、同じ松竹の映画監督だった。その妻となったのが、原の姉。

 その姉の命日には、欠かさずお墓参りに原は来て、花を手向けていたという。

 しかし、老齢となったここ10年。墓がある菩提寺の事務職員や、お坊さんたちに折々に聞くと、原も親族もは墓参には来ていないようだという。

 別に、来るのに事前連絡も必要なし。とはいえ、墓は老齢の身には、少々キツイ高台にある。

 「元気ですよ」というのが本当なら、来てておかしくはないはず。

 その墓には、縁もゆかりもないが、来るたびに手を合わせていた。そのたびに、その汚れが、いささか気に成り始めていた。

 たむけられた花も、汚くよごれ、しおれ、折り曲がったたまま。

 実姉の命日に、彼女が墓参をするとは、もう思えなかったが、洗ってあげよう。そう思った。墓を洗ったのは、自分の人生で、実は後にも先にも、これ1回だけだったが・・・

 命日の2日前、なんとか都合をつけて向かった。

 この日も、雨戸は閉じられたまま。

 花と線香は、鎌倉駅前で購入。深く手を合わせ、頭を下げた後、入念に洗い、買ってきたばかりの花をたむけた。

 線香に火をと、しようとした頃から、雨が、ポツリ、ポツリ・・・・・

 止めて、線香とともに、そのむねの手紙を添えて、原宅のポストに入れて辞した

 

 しかし・・・・・御礼どころか、なにひとつ連絡も無かった。

 勝手にやったこととはいえ、非礼なのか、それとも生きていないのか、痴呆か、寝たきりか?

 はたまた「施設」か・・・・・・・・

 生死を確かめるには、コレしかないか!?

 少々、荒っぽいが、最後の手段に出た!

 

 (つづく)

 

 

 

 


<リアル 芸能 ルポ> 「昭和の大女優 原節子は、今」第4回、最終章。94歳の身体は、この世で・・・

2020-06-23 19:49:14 | 真偽を求めて・・・こころ旅

 ≪ 2014・8・20 掲載 ≫

 このルポの、第3回を書き(打ち)、掲載してから、早くも2年弱が過ぎようとしている。

 実は、その間も、折りに触れては、原節子こと、會田昌江(あいだ・まさえ)の今の状態について、聞いてきた。

 そして、原の状態を確かめに、家を見て来ていた。

 聞くのは、母屋の住人。昌江は、少しだけ離れた「離れ」の2階建てに、住んで・・・・・いる・・・・と、言われている。

 昌江さんは、今どうしていますか?と聞けば、返ってくる言葉は、いつも絵に描いたように、一緒のお答え。

 「元気ですよ」

 今年の6月。神奈川新聞の、記者までのレベルに至らないトロッコも、それを信じ込んで書いて、大スクープだと自画自賛して喜んでいる。

 しょうがないなあ、取材力の無い、ぼんぼん坊やは。

 ため息が、出る。

 やはり、キチンと書いておかねば、しめしがつかないな。

 そう想った。

 半ば、古都観光気分で、その後も鎌倉へ。

 Cimg0249 これは、一応撮っておくか、と鎌倉駅を撮影した1枚。

 駅前のバスターミナルから、慣れたカンジで、原節子宅近くのバス停まで乗る。

 いつも、乗客はお年寄りが多い。ココ鎌倉は、高齢者の比率が、神奈川県下というより、全国的に見ても、極めて高い。まさに、古都。

 だが、そんな古都も、年ごとに変わりつつある。

 前回訪ねた時に見かけた日本家屋が取り壊され、いつの間にか、その敷地に2階建てのアパートが建っていたり、かと思えば、夫婦共に亡くなり、廃屋となってたりしていた。

 そのうちに、そこに一戸建ての新築がいくつか、軒を連ねて建っていたり。

 なかには、息子夫婦や、娘夫婦が、親の敷地に新築の家を建てて、転居してきた者もいる。

 横浜ならともかく、都内へ通勤で通うとなると、まだまだ時間がかかるため、急激に新築は増えてはいない。

 また、景観を損ねたり、そぐわないとの、古都ならではの条例の縛りもあり、2階建て以上のマンションや、アパートが建てられないため、人口増加は、そうそう望めない。

 しかし、日ごとに確実に、古都・鎌倉の住宅は、ひっそりと、且つ、音も無く、変貌を遂げつつある。

 かつて、それなりに結びつきがあった「町内会」も、いまやカタチばかり。何度か通ったものの、原節子の生き死にすら、近所の人ですら、わからなくなってきていた。

 集会も、寄合も、町内会の会議も無い。町内会長こそ、持ち回りになっているものの、個人情報保護法が、歪んだカタチで楯になり、各家庭の電話番号すら知らない、教えない、教え合わない。

 會田昌江の住んでいるとされる家屋は、そのままだ。

 しかし、母屋の作りは変わった。庭のど真ん中に、すっくと立っていた大きな木は、いつの間にか、斬り倒され、縁側もなくなり、当初は、原節子の荷物を仕舞い込んだのか?とさえ思った、プレハブ作りの物置2つが庭の隅に置かれた。

 かつては一緒に住んでいた、母屋の家庭の息子はいなくなり、家主は定年退職して、家にいるようになった。

 原が、寝起きしている家は、一度たりとも窓が開け放たれたことは、無い。室内空気と、外気の交換も無い。

 時には、雨も上がったのに、雨戸を閉めたまま。

 雨戸は開けても、窓ガラスには、ぶ厚いカーテンが拡がり、まったく、人がいるのか、いないのかさえ、わからないまま。

 室内が透けて見える可能性のある、レースのカーテンなど、ただの1度も見かけたことは、無い。

 玄関の、開け閉めも無い。

 換気扇や、1・2階とも、大きなクーラーが取り付けられているので、暑さ寒さは、しのげるだろうが・・・・・。

  電話をかけるたびに、またか、という声にならないため息とともに、苦笑しながらの「元気ですよ。心配なさらなくても、いいですよ」という答えは、もう聞き飽きた

 第3回で書いたが、覚悟して、ソレを確認するために、最後の手段に出た

 春のやわらかな陽射しが朝から降り注いでいる日。

 その計画を実行することにした。

 Cimg0272 うっそうと茂っている木々。外からは、家の中が見えないようになっている。

 Cimg0256

 Cimg0258 写真で見ると、一目瞭然。このようなすき間から、在住と、動きを確認する他ない。

 小路に立つ。

 Cimg0262 思いっきり、大きく息を吸い込み離れに向かって叫んだ。

 「會田さ~ん!! 會田昌江さ~ん! 居ますかあ~!」

 「居たら、返事して戴けませんかあ~~~~!!!」

 ・・・・・・・・反応どころか、「は~い」という返事も、無い。

 再び、思いっきり大声を出して、叫び続けた。

 「原節子さ~~~ん!! いますかあああああああ~~~!!」

 「原さ~~~ん!! いますか~~~~~!!!」

 「原さ~~~ん!!!」

 「會田さ~ん!!」

 叫びながら、家の窓の人影や、玄関の開け閉めなどに、目を注ぐ。

 「會田さ~~~ん!」「原さ~ん!!」

 「いたら、顔出してくださ~~~~い~~~~!!!!」

 さすがに、背後に建つ家の人が、何事かと、窓を開けて、こちらを見た。だが、無言のまま、閉めた。

 気恥ずかしいが、この手は、2度と使えない。

 家から、原節子が、ちょいと顔出ししてくれるか、出てくるまで、叫ぶ他、無い。

 「會田さ~~ん、元気でしたら、ちょっと顔出してみて下さ~~い!!」

 「原さ~ん! 原節子さ~~~ん!!!」

 さすがに、ココまでくると、予想はしてたが、母屋の家人が出てきた。

 怒りの表情が、葉と木々と、絡まるツタの間から、感じられた。

 「何してんだ! あんたは!」

 ん?離れから、老人が出てきたように見えたが・・・・

 ーーあのヒトは、誰なんですか?

 「ん? 親戚の人間だよ」

 ――會田さんのお世話をしているとか?

 「違う、違う」

 「うるさいから、帰ってくれ。迷惑だよ」

 ーーすいません。ただ、會田さんが元気だというのなら、ホントにそうなのか、確かめたくって

 「元気だよ。元気だって、こっちが言ってんだから、それで良いだろ。もう、帰ってくれ」

 家族が、家の中へと引っ込んでいった。

 こういう問答をしている間も、離れの窓は、開かない。カーテンすら、動かない。

 まいったなあ・・・

 それでも、続けて叫んだ。

 「原さ~~ん! 顔出してくださ~い!!」

 「元気なら、返事してください~~~っ!」

 叫びながら、考えた。

 ホントに、ココにいるのであろうか?

 施設や、病院にいるのなら、これだけ叫んでも出て来れないのは、分かる。

 しかし、あれだけ探しまくってもいなかった。原節子という名前でも、會田昌江という名前でも、見当たらず。

 偽名では、入らせないという言葉も、今回は信じた。他の病室や、部屋への見舞客にも聞きまくったが、彼女と思われる人間は、見当たらなかった。

 となれば、ココにしかいない、はず。

 雨戸を閉めていても、私の声は聞こえていたはず。大声には、自信があった、

 かつて、200メートル先の家のなかにまで、私の声が届いた。「うるさい」と、怒られたほどであった。

 これは・・・・・原節子こと、會田昌江は、すでに死んではいないものの寝たきり生活としか思えない。

 通常であれば,一度はフトンからむっくりゆっくりと起き上がり、カーテン越しに、何事かとのぞくもの。

 だが、ピクリとも動かず。目、耳、足腰、痴呆も進んでいるのであろうか・・・

 目は、すでに52年前の引退時の前から、見えずらかった。良く見えなかった。

 耳も、女優時代から、実は聞こえにくくなっていた。

 それが、引退を早めた、決断した一因とも言われている。

 足腰も同時に弱まって、寝たきり状態としか思えない。

 元気などと偽るのは、とんでもない。94歳。生きて居れば、長寿ではあるが、元気とは程遠い。

 年齢相応の、体である。

 やがて、叫ぶのを止めた。呼びかけも、辞めた。

 結局、生前にはお逢い出来ずに、このヒトとは終わるんだなあ。そう痛感しつつ、首うなだれて、行き慣れたバス停に向かった。

 映画界から、松竹から、何かに引っ掛けて、表舞台へ引っ張りだそうというチャレンジが、幾たびも成されている。

 そのたびに、家人は断り続けている。

 というより、とても、見るからに、表に出せない、出させたくない容姿と体調になっているからだ。

 それが、この20年近く、アタックし続けた私の、結論だ

 もしかして? と、以前、町内の老人数人に聞いた。

 角々のところに、町内会のお知らせが、立て札に貼り付けてある。ソコには「訃報」として、何丁目何番地何号の、誰それさんが、何年何月何日、永眠されました。享年いくつ。と書き込まれてある。

 だが、ご近所付き合いの無くなった家人宅が、秘かに密葬し、町内会にも知らせることなく、滞りなく終えていたなら・・・

 「ソレは、無いでしょう。あり得ない。例え、原さんが有名人であって、広く知らせたくないにしても、そんなことはしないでしょう」

 それが、全員の意見であった。

 この最終章を書き終えるに当たって、今一度、家人宅へと、電話を入れた。

 出たのは、先に書いた、定年退職して、自宅に日々在宅している家人であった。

 --申し訳ありませんが、會田さんの最近の体の具合、いかがですか?

 「元気ですよ」

 またかあ・・・・

 --あの離れに、住んでらっしゃるまま変わらず、ですか?

 「そうですよ。一人で元気に住んでますよ」

 --食事などは、どうしてらっしゃるんですか?

 「自分で作って食べてたり、こっちへ来て、一緒に食べたりしています」

 --確か、目が悪くなっていましたよねえ?

 「ええ、かなり、見えなっているというか・・・」

 --耳も、かなり遠くなっているはずですよね。すでに、94歳と御高齢になったいますし。痴呆の症状もあるのではないですか?

 「何が、言いたいんですか!」

 --施設や病院に、今、入られているとか、入院されてるのではないですか?

 「そんなことは、ありません。こっちにいます」

 --病院には入っていないと?

 「そりゃねえ、定期的に診察とかには受けに行ってはいますけどね。入院はしておりません」

 --ですかねえ? 施設の名前が、浮上したりもしてるんですが

 「もう、よろしいですか? これで、(電話)切らしてもらいます!」

 明らかに、ムッとした声で、突然、電話は切れた。

 目が、やはり、ほぼ失明に近い状態になっていたのか・・・

 そんな状態で、自分で料理を作れる訳はないし、ましてや、古い家屋。火を使うとなると・・・・。焼く、煮る、炊く、切る。

 包丁も、当然、握らねばならない。

 加えて、食べに行くには、母屋の裏口までわずか2メートルほどではあるが、自ら歩かねばならない。

 それは、かなり、厳しい。

 おそらく、これまでのいきさつから考察すると、他界された場合。

 密葬を家人が中心となって、滞りなく、ひそかに済ませたのち、しばらくしてから、松竹へと、そのことを短く報告。

 それが、芸能マスコミへと、一斉に流れることになるに違いない。

 それが、いつになるのかは、分からない。

 ましてや、家人夫妻が名義上にせよ、主催しての「お別れの会」などは、開かれる訳も無い。

 「昭和の大女優」は、かくして、隠して、ひっそりと、音も無く、消え去りゆく。

 何ひとつ語らず、一切、老醜を見せることもなく・・・・・

 

 

 


リアル 芸能 ルポ <生死不明・・・・昭和の大女優 原節子の知られざる今 第2回> 

2020-06-23 19:45:58 | 真偽を求めて・・・こころ旅

 2012・12・23 記

 ≪ 2014・8・20 再掲載 ≫

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 調べた結果、国民年金には、加入していなかった。個人情報の関わりがあるので、詳しくは書けないが、間違いはない。そうだろうなと、納得。

 というのも、彼女、會田昌江(本名)は、かつての女優時代に世田谷区に広大な敷地と屋敷を所有。それを売却して億単位のカネを手にしており、極端な贅沢さえしなければ、死ぬまで暮らせるはずだということを、すでに知っていた。

 暮らしぶりも質素ではないが、金銀キラキラ身に付ける趣味もみられず、どこかに投資などもしていない。

 かつて、原節子と並び称される「昭和を代表する大女優」といわれた田中絹代。彼女は、高峰秀子と同様、家族・親類にカネを次から次へと、むしり取られ、無一文に近い身だった。

 そのうえ、散財の限りを尽くし、独り寂しく亡くなったときには、無一文であった。家や敷地は、すでに抵当に入っていた。

 そのような晩年になっていないだけでも、會田昌江という女性は、堅実な晩年を歩んでいると言って良い。

 鎌倉のミニコミ誌は、ようやく探し当て、入手。

 會田の古くからの知り合いの女性が、話したというエピソードが、コラムに書かれていた。彼女が湘南の海が一望のもとに見える施設を、見に行き、その景色は気にいったものの、「まだ、私には早いわね」と言って、契約もする事無く去ったという。

 一読して、知りたかったのは、その施設がどこか? もしくは、どこら辺にあったか? いつの、もしくは、いつごろの話しか? 知り合いとは、一体誰なのか?ということ。

 つてをたより、やっとその筆者の連絡先が判明。

 結果をいうと、また聴きのハナシのうえ、個々人の名前は個人情報の前に、すでにして、あやふや。コレ、人づてに聞いた噂話の類いじゃないか!?

 その疑問を正直にぶつけると、鎌倉の文士気取りのその老人は、激しく怒った。しかし、「事実」は、何一つわからぬまま。

 とはいえ、無駄や徒労は、取材の常。またか、というカンジ。

 そんななか、周辺を”散策情報収集””取捨選択”する日々のなかで、手ごたえのある情報を耳にした。

 第1回で書いた「家人」は、家で子供達や知人にピアノを教えていた。直接会ったのは一度だけだが、年齢のわりには、かなりの美人。

 その「教室」で、何気なく會田の近況を家人に聞いた人がいた。

 「このところ、お家にいらっしゃるのか。見かけたことも無いんですが、どこか、身体がお悪いとか、病院にでも入っているんですか?」

 「ううん。でも、施設に入ってもらったのよ」

 どこの? と聞きたかったが、少しそれ以上は、聞いてはいけない雰囲気を感じ、やめたという。

 こちらも家人に、離れにはもういらっしゃらないんじゃないですか? と、さりげなくぶつけてみたが「いいえ。元気にいますよ」と、またも回答。

 ふ~っ、ため息、ひ・と・つ。

 ともかく、捜した、当たった、行って見た、電話しまくった。ダメ元も記者の宿命

 なかには、「電話では、あなたが本当にそ~ゆ~ヒトなのか、どうなのか、分かりかねます。疑うわけじゃありませんが、来て戴いたら、お話します」

 オオ~ッ! てなもん。こりゃ、ひょっとして?

 ココロはずませつつ、病人も入所できる「施設」に打診し、巡った。

 いやあ、改めて分かったことは、そ~ゆ~所は、とても予想以上に多く、且つ、ピンからキリまであること。ピンは、リゾート・マンションと見間違う高級感漂いまくり。

 キリは、悲惨。間違っても、こんなところには入ってないよなあ・・・と思いつつ、もしかして、の想い捨てきれず、当たり巡った。

 それだけで、一冊の本が書けそう。この手合い、経営者やオーナーは、やり方ひとつで、すごい儲かる。その一方で、従業員は永遠に恵まれないってことが、痛いほどわかった。

 神奈川県と、ピンポイントで東京の高級狙い。 実は、千葉県の房総の方に・・・という情報もあって、少し調べたが、親族が車を所有してるとはいえ、東京湾を橋を渡ってまで、とは考えにくく、進めるのは、やめた。

 そして、ついにここしかない、というところ、3か所に絞り込んでいった

 

(つづく)


<リアル 芸能 ルポ> 92歳で、森光子が11月に他界。同い年の原節子は今。誰も知らない、謎に挑んだ 「第1回」

2020-06-23 19:41:29 | 真偽を求めて・・・こころ旅

数年振りに、原節子の名前を、目にした。

 だったらと、孤軍奮闘記、6本を、一気に出して観ようか、と。

 関心、ある方、お読みください。

 ウソつき本とは、一線を画していますんで

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《2012・12・21 記》

 ≪ 2014・8・20 再掲載 ≫

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 森光子こと、村上美津(本名)が、やっぱり病状思わしくないまま、11月に他界。

  あれだけやせ細って、しゃべりさえ,おぼつか無くなってしまってるのに、病室でストレッチをして再起を期してるなど、よくもまあ、週刊誌がキチンと裏どりもせず、意図的に、ありえない、ガセネタを書けるもんだと、あきれていた。

 で、にわかに、同じ92歳になった原節子のことが、気に掛かり始めた。ひょっとして!? もしや?・・・・・・・

 近年、 原節子こと、會田昌江についての本が、相次いで出ている。

 本人や、彼女の面倒を看ている親族への許諾が無いばかりか、本を出しますよという電話や手紙もファックス1枚も書き送らないままに。

 ある程度の実売部数が、見込まれるからだろう。儲かる、商売になるからとはいえ、よく世に出せるもんだと、呆れ果てている。

 なにしろ、テキトーにまとめても、デタラメ書いても、本人サイドから、抗議の声が上がらないのに、味をしめたなと思う。

 貴田庄なる人の文庫本。「こんなのが出てるわよ」と、私に教えてくれたのは、その原節子が「住んでいると、言われている」離れの2階建ての木造家屋から、さほど離れていない老人施設に集う御婆ちゃんたちだった。

 逆に教えられ、書店に行って探した。手に取り、パラパラとめくったところ、原本人へ、まったくコンタクトも最初から取らないで書いた、と記載してあった。単なる資料で書いたものだった。

 それで、今、ネットで検索すると、10万部売れたと。公称だろうが、広告も目にしたから、出す方もカネをかけたのだろう。

 しかし、常に他人が知らないことを取材して書くことを、当たり前のこととしてやってきた身にしてみれば、「こんなもんで、本にして出すのかよ!?」「恥ずかしくねえか?」と問いたい気になる。

 「なんか、その本、出たのは知ってるわよ」、と言ったのは、原というより、単なる老女としての會田昌江の食事を始めとして、世話をしている平屋の母屋に住む人。

 會田との血縁関係で言うならば、彼女の甥の妻。

 「なにひとつ、そうそう、打診も、話しも、挨拶も無かったわよ。あなたのように、本人に話しを聞きたいという連絡1本も、無かったし。失礼なハナシよね、考えてみれば」

 さらに、でっち上げのウソも、月刊誌の「文藝春秋」で、堂々と記事となったこともあった

 かいつまんでまとめると、こんな「事実」なることが、書かれていた。

 なんと、今書いた母屋の家人が留守の時に、斎藤充功なる人が取材の為に訪問。出てきたのが、当の原節子!

 お話しは出来ないけれど、私の作ったカレーライスを、せめて食べてってくださいな、と言われ、庭に面した縁側に腰掛け、待った。

 やがて、原節子がカレーライスを運んできてくれて、それを食べて、その家を辞したというもの。

 読み終えて、ウソ!と、思った。何より、せっかく会えたというのに、日時も、書かれていない。ディテールも、極めてうそっぽい。

 それよりも何よりも、彼女が母屋の台所で、自分で料理を作るなんてことは、あり得なかったからだ。

 なんで、そんな断定できるかって?

 実は、もう15年以上前から、取材を試み続けているから。

 通い、見て、聞き込みして、手紙を出して、電話もして、インターホン押して、モノをポストに入れて、そして・・・・・・・最後の手段は・・・・・

 このカレーライスの件も、2誌にまで性懲りも無く載せていたので、一応、母屋へと確認の電話を入れた。汚ねえヒトもいるもんだなと、あきれつつ。

 「ウソよ~、それ。絶対にありえない。だって、あのひと、ここで料理を作ったこと、ただの1度もないもの。ましてや、手のかかるカレーライスなんて(笑い)」

 そう家人が、ハッキリと答えた。これは、一応録音してある。通算、2度、この件については聞いている。こうも、言ってた。

 「留守番なんて、大体しないし、する必要も無いし。一体、誰に会って、カレーライスなんかって、この前も言ってたとこなのよ。本人が言ってたもの、ありえないことを書くもんねえって

 斎藤は、文によれば10回以上、鎌倉を訪れているそうな。てことは、せめて家人に電話、面会、何らかの接触をしてても、おかしくは無いはず。

 ところが、家人は、その類いのヒトに1回も話したことがないばかりか、斎藤という名前に、「まったく記憶がない」と、言う。

 最近も、これを打つにあたって、確かめた。同じ、答えだった。

 だました斎藤なる人間がしたたかなのか、コロリとだまされた編集者が馬鹿なのか・・・・

 最近、またそれらをかき集めて一冊の本にしたことも、母屋は知っていた。気にしてないようで、情報は知っている。

 さて、かくいう私ですら、事実上の門前払い続きだ。玄関の中までが、いいとこ。それも、1度だけ。

 ただ、取材し続ける中で、いろんなことが、わかってきた。事実というより「真実」が、透けて見え始めてきた。彼女の今の「本当の姿」が。

 離れに1本、電話は、どうも引いてるらしい。だが、当たり前のことと笑われそうだが、何度聞いても、その番号は教えてくれない。

 春、夏、秋、冬。原節子が住む、いや、住んでいると言われている古都・鎌倉は、都心と温度も違えば、冬ともなれば、ぐっと夕刻から冷え込む。

 夕闇も気持ち早く、これ以上ねばっても無駄だなと思いつつ、近くのバス停へと向かう。何度も、何度も・・・・・・・。むなしいと言えば、正直むなしい。

 昭和を代表する元・大女優と言っても過言ではない彼女の事を、その家人に聞くと、いつも一緒。まるでテープ・レコーダーを巻き戻して聞いてるカンジだ。

 「元気よお! 風邪ひとつひいてないもの。なんの心配されることもございません。安心してください」

 それは、原節子が70歳台から、今の92歳になっても、ず~~っと、おんなじ答え。暑かろうと、寒かろうと、雪や雨が降り続けようと、嵐になろうと・・・・・。

 最初こそ、はいはい、そうですか、と聞いてはいたが、いつしか、いつも、そんなわけねえだろう? と思い始めた。

 確かに、かつては元気だった。母屋の木の門の前辺りを朝早く、1人で掃き掃除をしている姿を近所の人に見掛けられているし、軽くペコリと頭を下げて、挨拶も返していた。

 タバコが好きで、自らトコトコと歩いて近所の雑貨店に買いにも行っていた。

その店の、当時、生きていたおばあちゃんと 元大女優の気取りもなく、一言二言の世間話。それを、取材に訪れた記者にしゃべり、それが雑誌に載ると、ほどなくしてパタリと来なくなったと、当のおばあちゃんが、話してくれた。

 そのおばちゃんも、すでにこの世を去り、今は息子の嫁が店番も兼ねて、犬とともにいる。

 たまに、家人や甥やその息子の運転する自家用車に乗って、原節子が出かける時もあったが、それもやがて途絶えた。

 もともと、女優をしていた頃から、目や耳が良くなかったのだが、その治療のために病院にも行っていない、と家人が言う。ホントかよお?

 「私たちも驚くほど、元気で、風邪ひとつひかない」というのも、口癖だ。

 それは、家人の夫、つまり原の甥からも直接聞かされたことがある。

 実は、母屋の台所と思われる部屋から漏れてきた、原節子の話し声を聞いたことがある。勝手口に近いそこに、昼下がり、家人と女性の話し声。窓は、開いてない。

 すぐ、テープレコーダーを取り出し、近づけて録音。原は、映画で聞かせた、あのかん高い声のまま、家人と近所のたわいも無い話しや、噂話で盛り上がって、笑い声まで聞こえた。

 どうやら、食後のようだった。母屋に食べに来たり、家人が離れに運んだり、その時々で、決まっていないと言っていた。

 会話は、長く続くかと思われたのだが、10分足らずで互いの声が、プツリと途絶えた。

 よし、離れに戻るかも。母屋の裏口から、離れの玄関まで、距離にしてわずか2メートルほど。

 フツ―に歩いても、数秒。おまけに。外からは、非常に見にくい。

 このときは、まだすき間から見えたが、年々葉や、つたのようなものが、からみあい、もうグチャグチャに成長し、伸びて、まったくと言っていいほど見えなくなってしまった。

 戻ら・・・な・・・・・・・・・・・・・・・・・い。 まいったなあ・・・・・。

 外は、陽が暮れ始め、もはや出入りが肉眼で確認するのは、不可能になった。街灯は、まったく無い。写真も撮れやしない。フラッシュまで炊いて、驚かせて、のつもりは無かった。

 この時が、原の生死をハッキリと確認出来た、最後となった

 「送ってきた手紙は、本人に全部渡してますよ」とは、言われるものの、1度も返事が返ってきたことは、無い。

 本当に、渡せて、読める状況なのかどうか・・・・。

 何度目かの時に、言ってみた。

 「元気、元気といつも言ってますが、ホントにそうなら、話しをさせて下さいよ。もし、会うというのが、どうしても嫌なのなら、電話して来てくださいよ。それとも、そばにいて、電話ぐちで一言、声を聴かせて下さいよ。それなら、言ってることがホントだって、分かりますから」

 それは、拒絶された。それが、「本当」に原節子本人の意思なら、仕方がないとあきらめも出来るが、この家族が、強大な防波堤になっているのだ。

 「何も話すことは無い! と、本人が言ってんだから」と、ある時、甥が、苛立ったように言い捨てたこともあった。

 やはり、聞きたいことは、なぜ突如というか、引退する気になったのか?

 そうさせたものは、何だったのか

 ところが「本人が話したくないと、言ってんだからあ! しつこいなあ、あんたも」

 甥の息子にまで、苛立って言われる始末。その息子も家を出て、都内にでも移り住んだのか、近年、姿が見えなくなった。

 何度も通い、連絡をとり、近所を観光気分で巡るなかで、入院しているという情報を聞かされた。病院というより、それも兼ねた「老人施設」にすでに入っているという。

 先述の、私に原節子の本が出ていることを教えてくれたお婆ちゃんたちが、すでにその時に「あの家には、もういないんじゃないのう? 施設に入ったって噂よう」

 しかし、その噂なるものの「出所」は、ハッキリしない。また、鎌倉のミニコミ紙に、だいぶ前に原の最近のコトが書かれていた、という記憶がある人がおり、そのバック・ナンバーを是非とも見たかった。

 その歴代の編集者を探す一方で、市役所にも何度も足を運んだ。当時、親がすでに亡くなっているにもかかわらず、その事実を隠し、その親の年金を不正に取得して、自分の生活費に充てていた事件が一気に発覚。

 原節子が、国民年金の加入者かどうか? も知りたかった。

(第1回・つづく)