60歳を過ぎてからというもの、さながら、病気のコンビニ&デパートの様相を呈している、この、有名、自作自演歌手。
シンガー&ソング・ライターと、表題に記述しなかったのは、別に、奇をてらった訳では無い。
ただ単に、文字数が、倍以上の13文字と多く、タイトルに、全部書き込めなくなるから。
若い時から、1970年代を若者や学生として、70年代安保闘争の潮流のなか、闘ってきた、ないし、その時代を生きてきた世代からすれば、とても、とても、自身の言うような「フォーク歌手」とは言えない恋歌ばかりが、多く、創られてきた、松山千春。
その一方で、その「恋愛」や、「人生の過ぎし想い」を、深い、味わいある詞とともに、歌い挙げる歌手、松山千春には、その64という実年齢以上に、不遇にも、相次いで、病気が、容赦なく、襲い続けている。
例えば、もはや持病とも言うべき、糖尿病。
あまりに高過ぎる数値を抑えるために、インスリン注射を打てば、カラダに変調をきたす体質という、やっかいで重度な事実。
他方、突然、不意に、死ぬかと想えるほど、心臓に激痛が走る、狭心症も、常に不安が伴い、心配するほか無いまま、その細身の中に、爆弾のごとく、抱えている。
北海道立足寄(あしょろ)高校時代は、バスケットボール部の選手として、当時、強豪であった、帯広柏葉高校と競い合い、人一倍、健康体だったのに、近年は、疲れが、残りがち。
この、宿敵、帯広柏葉からは、ドリカムの吉田美和、TBS重役アナウンサーの、安住紳一郎、そして、中島みゆき(本名・美雪)らが、卒業しているが、この3人とも、同期の同窓会には、一度も、顔を出してはいない。
北海道の零下、マイナスの、10度以下の幅で襲う、寒暖差にさえ、近年は、敏感になり、昨年の6月には、季節は冬でもないのに、重度の、急性咽頭炎(いんとうえん)を発症。
のどを痛め、コンサート・ツアー中であったが、とても、歌える症状では無く、医師に判断を仰ぎ、やむおえなく、その間、期間は開いていたが、福島県のいわき市と、大阪市など、2か所の会場での公演を、急きょ、中止にせざるを得なかった、
その後は、無事、治ったが、心臓の定期検診も含め、投薬、診察など、北海道札幌市街地を見下ろせる、絶景の地に建つ、高台の自宅から、旧知となった医師のいる病院へと、長くマネージャーを勤めている、井上元(げん)に運転してもらい、3か所、車で、駆け巡っていたほど。
昨年の、秋から冬にかけての全国ツアーは、最終公演を、地元の札幌市で、12月25日に、なんとか、かんとか、無事に終えた。
年末年始、カラダをいやすようにして、休んでいたところ、急に、またも、のどを痛め、表題に書いたように、しゃべるのも、きつい状況。
ましてや、歌い挙げるどころか、歌を歌うなんてことは、とても、無理な有り様。
今は、すでに、コンサート・ツアーが、終わっていて、不幸中の幸いというべきか。
1月12日(日)の夜、21時。地元札幌にある、STVの、第3スタジオから、全国向けに送り出していた、レギュラーのラジオ番組のしゃべりが、おかしかった。
ちょっと一言、いつもより、ゆっくりと、しゃべっては、息苦しくなり、言葉が詰まりがちに。
・・・・・・3秒ほど、休んでは、また、ゆっくりと、言葉を、一言、一言、刻むかのようにして、しゃべり出す。聴いている者までも、こころに痛みが走る印象。
のどが、詰まり、苦しそう・・・・・。
せき込むまでもない、ようであったが・・・・。
次の、2020春の全国ツアーは、カラダと相談して、昨年のような、きつい日程のスケジュールを避けて、ゆったりとした、組み方をしなければ、突然のアクシデントが、再び、生じかねない印象。
昨年の秋から年末近くにかけてのツアーは、カラダと、のどに負担が掛かっていたというニュアンスを、時折り、もらしていた。
スケジュールも、きつかったなあ・・・・と。
すでに、2019年春からのツアーでも、4月30日、石川県。翌5月1日には、飛んで、長野県。
5月21日、山口県下関市。5月22日、広島県広島市。
5月28日、福岡。29日、大分。
この辺りから、キツサを、感じ始めていたフシが、感じられる。
だが、いったんステージに、一歩、踏み出るや、待ち焦がれていた満員の客席から、万雷の拍手と、体調を心配する声と、声援が、入り混じって、飛び交う。
バックに控える、ミュージシャンたちは、キーボード奏者で、CD及び、コンサートの演奏曲のアレンジャーも担う、27年目という、長い付き合いの、夏目一朗ら、全7人。
客の歓喜の声に後押しされて、ついつい、乗せられ、アンコールも、数曲。25分くらい、いつものように2度出て、やってしまって、午後10時近くにまでなり、あとで、ドッと、楽屋で、我が身の性格を振り返って、苦笑するという、繰り返しの性格。
構成も、上手く、したたか。客の心理状態の掴み、を、心得ている。
下記につづったが、近年の、残念ながら、狙いがはずれ、ファンが購入してくれなかった、不人気曲は、殆んど歌わない。
「窓」、「旅立ち」、「時のいたずら」や、「季節の中で」、「かざぐるま」、そして「恋」などを、しゃべりの、あいだ、、あいだに、散りばめ、
時には、意表を突くかのように、堂々と、「網走番外地」や、「風雪ながれ旅」、さらに、「夢は夜ひらくという、
故・髙倉健、かつて、親交があった北島三郎、そして、故・藤圭子の、誰もが耳にしたことがあるヒット曲を並べ、どっと、盛り上がらせる。
詰め掛けている客層が、それらの曲を、間違いなく、知っている年代。
さらに、松山千春特有の強みは、その年代の客が、自分の子どもを誘い、ファンにならせ、その子が、さらに、孫世代や友人を誘い,チケットを、連番で、購入して、遠方から、詰め掛けてくれていること。
「良いから、一度、行こうよ 。面白いんだから。楽しんだからさあ」と。
決して、大きくは無いが、ドーナッツ現象が、全国で、長年にわたって、自然に出来上がっている。
コンサートへ行くのではなく、「参加する」という言い方を、熱烈ファンは、する。
かくて、客席を一望すると、80歳代から、20歳代までの、驚くほど、幅広い、男女が、ほど良く、座っている。
コレは、強い、盤石の強味。
そうそう、一気に、減る、ないし、客が去ることは、無い。屈強な、自然に出来上がっていった客層構造。死ぬまで、コンサート・ツアーだけで、食べていける。
ましてや、チケット料金。いつの間にか、1階席も、2階席の奥も、一律、8800円という、比較的高額。
千春本人。
知ってか、知らずか、驚き、「そんなに、しているのか? じゃあ、俺が、1万円分、歌うぞ!」
盛り上がる、客席。
上手いっ! 座布団、5枚、差し上げましょう。
この春から、ツアー、やれる・・・・・のであれば、おそらく、9500円くらいの設定で売り出すのでは、なかろうか。
それでも、中島みゆきの、ストーリー、難解、不思議??の「夜会」より、はるかに安価。
その一方で、千春自身だけでなく、客の体力も考慮?し、一度、必ず、休憩時間を設ける。
そして、アンコール。
あの、あの、ヒット曲が、まだ、歌われていない、 まさか、歌わないまま、この地を去るなんて、ことは、無い・・・・・はず。
ファンが撮影した、この写真でも、そのカンジは伝わるであろう。
そのような飢餓感を掴み、万雷の手拍子、刻まれ、渦巻く中、待たせ切ったアンコールで、ようやく、
「銀の雨」、「長い夜」で、老齢の客全員が立たないまでも、手拍子を浴びて、リズム刻んで、客を乗せまくり、「大空と大地の中で」など、知られたヒット曲で、バチッと、締め、惜しまれつつ、幕がおりる。
かつては、意味深い、「凡庸」(ぼんよう)で、締めたこともある。
客は、どの会場でも、満足しきって帰るという、構図。
近年、かつてあった伸びのある声は、あとをひそめ、詰まり、「いいいいいいい」とか、「おうおうおうおうおう」、「うううううううう」などで、ごまかし、時に音程が、外れがちにもなる。
それは、私が記事にした、昨年の8月7日の、地元、札幌で開催された、「NHKのど自慢大会」での、ゲスト出演して、歌ったときだけでなく、パソコンでも観られる、デビュー30年目、40年目の、節目のコンサートの歌声でも、確認できる。
しかし、自らも、老い始めている兆しがのぞく、男女の客層は、ソレを甘受、驚くほど、寛容に受け止めている。
会場出口ロビーには、重厚な卒業証書のような、モノに、1曲目から、アンコール2度目の、ラストの曲まで書き込まれて有り、メモして帰る観客もいる。
そして・・・・遠路、はるばる、列車や、車を飛ばして他府県、隣県からも、来る者も多い。終列車で、あつい想い出を胸に秘めて、持ち帰る客もいる。
放送翌日の13日は、かつての1月15日ではなく、コロコロ、毎年、日が変わりゆく、「成人の日」だったため、44年前の自分の想い出や、やたら、64歳いという年齢をクチにした。
いつ、爆発するか? 予測が付かない、自身の病気がちなカラダのコトが、気に掛かってのことのように想えた。
まだまだ、64歳。
されど、幾多の病抱えた、64歳。
まあ、急性でもあり、今回の咽頭炎は、放送翌日に、診察を受け、数日すれば、治るであろうが・・・・・。
にしても、ファンが、待ち焦がれているとはいえ、コンサートツアーで、稼ぎ出さねばならない、裏事情の「厳実」も、ある。
この30年。新譜のCDは出すものの、本人も、時に、本音を放送で、ポロリともらすが、全くと言って良いほど、期待外れで、売れゆきが、かんばしくない。
12日の放送でも、44歳の時の、20年前に出した曲、いくつか、かけたが、アレンジこそシャレているが、さほど、ヒット性の乏しい詞と、メロディライン。
結局、本人が想うような、売れゆきをみせていない。
セルフ・カバーという名称の、アレンジを大胆に変えまくっての、歌い直しの、かつてのヒット曲を、並べ替えて、何度か、再発売してるが・・・・・これもまた、なかなか・・・・・・。
失礼を承知で書くが、売れていない。
各地のコンサート会場でも、開演前や、終演後、CDや、DVD、及び、グッズが、売店に並ぶ。
グッズ等は、ソコでしか買えないこともあり、売れているが、CDの新しいものは、売れず。だが、会場の雰囲気までも、余すところなく、伝えてくれる、ライブ収録のDVDは、そこそこ、売れている。
すでに、かつてのヒット曲が網羅されたレコード、及び、CDは、観客のほぼすべてが、購入済み。なので、コンサートで、胸に響かない、心に響かない新曲は、買わないままに、帰宅を急ぐ。
先の、ニュー・アレンジCDもまた、好評とはいえない。
だが、コンサートには、全国どこへ行っても、客が入る。
大きなホールで言えば、東京の5000人収容の「東京フォーラムA」iの大ホールも、地方の1000人から、2000人規模のホールも、チケット完売に近い、手堅い強さ。
かつてのヒット曲を聴きたくて、というより、コンサート全体の構成が楽しく、聴きごたえ、見応えがあるからだ。
ともかく、ベースにあるしゃべりが、上手い。
訓練して、、努力を積み重ねて、築き上げたモノではなく、ソレは、デビュー時以来の、天性のモノ。
受ける、笑う、ハナシの持ってき方、引きづり込み方が、とにかく、感心するほど、うまい。
客には、政治的分類で言うならば、右、左、ノンポリ、興味関心の無い男女。さまざまな年代層が、集う。
それら、幅広い男女に、納得させる弁舌。
白を黒に、言いくるめるチカラが、松山千春には、ある。 本当に上手い。
かつて、その受け止められ方を、評して、ステージで、当人
「俺は、新しい宗教の教祖様か?(笑) チケット代は、オイ、お布施がわりか?」と、笑わせたこともある。
あの、ムネオ。鈴木宗男、元・被告人に、国政選挙への出馬を薦められたことが、実は、何度もある。
が、すべて、堅く、固辞してきた。
ボランティアで、巧みな、箱乗り、応援演説はするが、自分は、悪しき、お馬鹿な、センセ~などと、呼ばれる身にならず、外野から、物言う、立場に、身を常においている。
その代わり、幅広い、保守センセ~らとの、ゴルフ、酒宴などの付き合いで、彼らの主張、本音はむろんのこと、愚かな構図・構造も、裏側まで、熟知。
時には、お馬鹿な2世議員の会合・宴席、素人演奏余興コンサートなどに呼ばれて、無給で、歌い、出演も果たしている。
ていよく、議員ならぬ、「偽員」地元人気回復に「利用」されていることを、肌身に感じつつ・・・・。
千春であれば、国会議員程度なら、おそらく、知名度と、その弁舌で、辛くも、受かるであろうと想う。だが、そのなかに入っても、悪しき慣例・慣習の中で、もがき、不平不満溜まりまくり、何にも出来ずに、1期で、辞するであろう。
現在は、伊豆にいる、中山千夏のように、センセ~たちの、くだらなさ、愚かさを、実体験のまま綴り、暴露しまくってくれるのなら、効果あるが・・・・。
むしろ、歴代、お飾りで済む、低能力者が続く、北海道知事になら、適している。
当選の、可能性、大きい。
自分のしたいように、考え、道民の為にと、推進し、故郷の足寄のように、過疎の「厳状」、酪農が、間違っても「楽農」では無い現実も、彼は、身をもって知っている。
不況を、身を持って、眺めている・・・・わけではない。
炭鉱の町であった、夕張が、閉山し、陽が消えた状況を知り、復興を願う、ボランティア・コンサートを、ノーギャラで開催。
1700人もの客を、集めた過去も有る。
だが・・・・
そんな道を選ぶこと無く、自作自演歌手に、徹している。
かって、共に手を取り歩み、世話になった、事務所代表者や、レコーディング・ディレクターと、たもとを分かち、、唯我独尊を、ひた走った時代もあった。
自覚し、開き直った、かのような詞をつむぎ、「エゴイスト 自己中心主義者」なる表題のアルバムも、発売していた。
それも、人生か。
故郷の、北海道のド真ん中、足寄町(あしょろちょう)に寄せる想いは強く、すでに、妻や娘と札幌市に住んでいるにもかかわらず、本籍を足寄に置き、高額納税者にランクインされた際には、多額の税金が町に入ったことで、町長に喜ばれた。
町長と言えば、その昔、父の明が、個人で、取材。記事作成から、植字、印刷、配達まで行なっていた「とかち新聞」。
千春も、手伝ったことも有る。
千春が、レコードデビューしたのちは、ソレが記事になったりもしたが、父、明の正義を求める、反骨精神は豊かで、生前、その当時の町長の不正を暴き、記事にして、真っ向勝負。
訴えられ、4年もの長き法廷での闘いの場に移った末に、勝訴した。
その父、明に、実は直接、インタビューしたことが有る。
むろん、千春の幼き日や、その当時のコトを、知りたく、足寄駅に降り立った。
彼は、町では、有名人。駅員が、その通りを、右、左に、まっすぐ・・・・などと、教えてくれ、家の前に着いたとたん、丁度、父の明が、車に乗って、帯広空港から、どこかに行くところ。
千載一遇のチャンス。 インタビューをお願いすると、すぐ、この車に乗れ、と。
車中での取材となった。帯広駅まで車を迂回してくれ、到着までが、取材時間。
さまざまなことを聞き、、正直に、質問の数々に、こたえて下さった。車の運転は、姉の夫であった。
一番、印象に残った、遺言のような一言は、最期に添える。
父だけでなく、千春の妻・孝子にも、インタビュー。実は、行なってきた。とは言っても、札幌の自宅の、インターフォン越しにであるが。
千春当人は、不在。
すでに、現在は、結婚して34年間。孝子は、結婚時、市内のデパート勤務しており、千春に声をかけられ、交際を始めている。
聴きたかったのは、当時のコンサートの席上で、娘の月菜が、高校生当時、次々と、交際している男子が、変わっていっている・・・・・ことを、面白おかしく語っていたから。
恋多き、女だと。
自分が、妻子がいながら、幾多の恋をしてきたことは、置いといて、だ。
月菜の母として、娘はどう感じ、受け止めているのであろうか?ということ。
やっぱり・・・・・事実であるにしろ、無いにしろ、ステージなどで自分のことを話されるのは、こころ、傷ついていること。そのようにも、見えるし、感じてもいる。
もう、面白おかしく、話すの、止めてと言っても、ききいれてくれる主人じゃないし・・・・・正直、戸惑っていますとのこと。
かつての写真を観たところ、孝子は、日本的な顔立ちの美人であった。
決して、オモテに出ないことに、徹している、それは、今もって、同様。
で、昨年のコンサートツアー。月日は流れて、今度は、一転、逆のハナシを。
ひとり娘が、もう、30過ぎて、まだ、家にいついていて、嫁に行く気もないし、オトコもいないようで、困っている。
俺が、間もなく、12月16日で、64になるだろ。あと、10年、あの子が嫁に行かなかったら、俺、、74歳。娘は、40過ぎてさあ・・・・。
受け狙いの、「ステージトーク」とはいえ、今、インターフォン、押しても、同じ答えが、プレイバックされて、返って来るんだろうなあ・・・・・。
もてていれば、モテテイルハナシはされるし、三十路で独り身であれば、また、面白く、加工されていくし・・・・・。
にしても、「のどの痛み」と、おかしさ。
来週は・・・・・ と、危惧しつつ、いったん、記事化は止めていた。
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翌週、1月19日の、生放送での声は、驚くほか無いほど、ますます、ひどくなっていた。
声は割れて、ガラガラ声に、近い。
なので、休み休み、先週より、言葉と言葉に、間があく。
主題は、レコードデビュー時の、昭和52年当時から、今までの過ぎし日々を振り返るというもの。1月25日が、レコードデビュー日だからと。
当時の曲。♪ 初恋。 ♪ 君を忘れない。 ♪ 凡庸(ぼんよう)
今、改めて、スピーカーから流れ出る曲を聴いても、コレは、そりゃあ、売れて当然だよなあ・・・と、思う、
近年の、新曲と、雲泥の差。
才能が、時の流れと共に、流れ去ってしまったのだろうか・・・・・・・・・・・・・・・・。
にしても、絞り出すようにして、思いのたけを吐き出す発言の数々が、気になった。
衝撃の死を迎えた、故・竹田健二、STVディレクターとの、想い出をたどるのは、理解出来るにしても
「44年、歌ってきました。やってきました」
「今、生きていられることが、どれほど、大切か」
「今を、大切にしたい」
「今は、休みをとっている」
「今を生きていられることが、すごい喜び」
「体調が良いときを、体調が良いときを、すごい、もらいたいと、思う」
「1分1秒たりとも、無駄にすることなく、ココまで、歌ってきました」
「今年も春から・・・全国各地…回っていきますので・・・」
「お互い、同じ時代を生きてきているなあ」
「64歳に、なった」
「この、1分1秒とも、戻ってくることは、出来ない」
「悔いの無いように、誰だって生きていたいんです」
「・・・・少しでも、悔いの無い人生、送ってください」
こ、これって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
一言、ひとこと、絞り出すように、万感の想いを込めるかのように言い終えて、放送は終わった・・・・・。、
「凡庸」(ぼんよう)
♪ 何も出来ないと、思い悩むよりは
せめて、悔いの無い時を送ろう
こんなはずじゃないと・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
思い切って、札幌の大通公園沿いにある、彼の事務所へ、連絡をとった。
事務員は、放送は、聴いてはいなかったが。
しゃべりが、そう、聴こえるのは、歯の治療を今、しているからじゃないでしょうか
しゃべり辛そうに、聴こえるのは、その影響じゃないかと
取り立てて、入院とか、しておりませんが。
まあ、投薬はしております。
人間ドックも、定期的に、行っておりますし・・・・
基本的には、本人、事務所には来ませんので、その健康状態は、分かりませんが
放送終えて、STVを出る時には、毎週、出待ちの人たちに、送られるような、元気な姿を見せておりますよ
娘さんのオハナシは、まあ、ステージトークと、受け止めて戴ければ、と・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
杞憂に、過ぎなければ、それに、越したことはないのだが・・・・・
例年であれば、1月末に、春のコンサートツアーの、日程と、会場が、公的に発表される。
にしても・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「凡庸」の詞が、心の奥に、しみいる。
父の、故・明が、生前、私に語ってくれた、これからの、千春に、あえて、望むこと
「そうですねえ・・・。良い生き方をしていると、父ながら思いますよ。
あえて言うのなら、この、ココから見える車窓の風景、
この、広い北海道の大地を、歌い挙げて欲しいですね。そう、「大空と大地の中で」みたいなね。
アレは、良い。本当に、良い曲だと想います。
「恋」、アレも、決して、悪い曲ではありません。でも、あれなら、他の歌手の方でも、作れるでしょうし、歌えるものでしょう。
息子の千春にしか、作れない、歌うことが出来ないのは、コレ、このような、見上げれば、青い空が果てしなく、地平線と共に、広がっている、このような、十勝の大地を歌い続けて欲しいですねえ・・・・」
あの時のことを、忘れられない・・・・・
1人のファンとしても
、