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《 リアル アナウンサー ルポ 》 (1) NHKラジオ。朝の「すっぴん!」藤井彩子。午後の「ごごラジ!」神門光太朗。ニュース読み、鹿島綾乃。神門の、あきれた変貌と、藤井の誤読。番組不要&中止要請

2018-12-15 23:47:12 | 聴取者が知らない、アナウンサーの素顔

   昨年、11月。先輩ならぬ、パイセン藤井彩子・女帝が、襲来!の記事内容の中で、初登場させた、神門光太朗(かんど こうたろう)アナ。

  ともに、「NHKラジオセンター」所属。

   つまり、アナウンサーではあるが、基本的に、仕事や、出演は、ラジオのみに限られる。

  テレビには、出られない、出さない方が良いアナ。そう、局の上層部が、判断したということ。

  それは・・・・正しい、決断&判断であったように、想う。

  先の記事化後の、この1年。

  折りに触れて、藤井彩子が、あくまで「アンカ-」を勤めている・・・・・はずの、朝の番組、「すっぴん!」について、記事化。

  そして、午後に入ると、「ごごラジ!」で、神門光太朗(かんど こうたろう)が、「メイン キャスター」を、張り切って勤めている。

  そのどちらも、かけっ放し、流しっ放し・・・・・まではいかないが、要所要所。折りに触れて、聴きまくっている。

  読者も、記事を疑ってなのか、「ウイキペディア」には無い、藤井彩子の「離婚」の真偽も含めてなのか、番組を、聴いているひとが、かなりいるようだ。

 狙ってもいないのに、逆に、番組の聴取者を増やす、宣伝になってしまったようだ。

   ( 番組 ブログ より)

 彼女特有の、「そっか、そっかあ」、「だよなあ」、「だよねえ」、「だな」、「ふ~ん、ふん」、「うん、うん」・・・などという、とても子供じみた、あいづちの打ち方や、理解の仕方、うなづき方など、プロのしゃべり手や、聞き手のプロであるべき存在なのに、50歳間近で、この言葉遣いの汚さに・・・・・・・。

 ソレも、年長のゲストに向かっても、しばしば、平然とクチにする。

 そのことについて、ひやりと危惧し、何本か、記事にした。

  さらに、以下のことは、すでに、番組をよく耳にしていらっしゃる方は、気付いているはず。

 藤井彩子本人が、あくまで言い張る、再婚ながら、「わたしは、結婚していて、落語家の妻です」と言うならば、なんで、夫との生活について、何一つ、語らないのであろうか?

 日々の生活に欠かせない、料理、洗濯、掃除、そして買い物、会話、性技、夫との、感情の行き違いや、逆に、喜び、エトセトラ・・・・。

 それらを、一切、具体的に語らない。カンペキに、話さない。打ち明けない、同意しない。

 各曜日の、売れない男性・タレント・キャスターのなかには、2人ほど、時間に余裕が有るためか、父として、子どもの世話を、子育てよくしていたり、妻とよく会話し、上記の、料理、洗濯、掃除、買い物などを、妻に任せず、自分でもしている者が、いる。

 で、藤井。

 彼らの話す、日々の生活を聴きつつも、藤井さんは? と、その話を逆に振られると、見事にスルー。あざやかに、いつも、かわすルー。知らんプリして、触れない。

 すぐさま、逆に、矢継ぎ早に聞きまくり、話しのほこさきを、巧みに、変える、

 ウソは、つきたくはない。しかし、今さら、本当のコトは、言えないし、言いたくも無いという、バレルのは、嫌という、かたくなさ。

 それは、聴取者から寄せられた、日々のメール文に対しても、同様。

 夫の為に、料理つくらないままだったせいもあり、、野菜、魚、食料品の値段の移り変わりすら、知らない。買いにも行ってないからだ。

 どうやら、包丁も、掃除機の柄も、握っていないようだ。

 かわす、さらりと、かわす。かわしまくっている。そこんとこだけは、キャリア25年間の、プロのわざ。

 だから、キャスター陣は、次第しだいに、聞くことは、タブーのように受け止めて、忖度し、聞かなくなってきている、

 されど、酒の話題になると、のってくる。好きなんだなあ、酒なら何でも、心底から。

 2度目の、ソレも、短期間の結婚生活に、自らの性格ゆえに失敗してしまったことが起因だけに、かたくなに、幻の妻でいたい、としか、思えない。

 熟年独身は、恥じ! と、想い込んでいるようだ、かたくな、に。それだけは、厚化粧で隠さない、すっぴんの性格。

 最初は、同僚のディレクター。そして、2度目の夫は、落語家。

 前夫・古今亭菊之丞の語る、噺のレベルは、「落伍家」までは、落ちていない。

 月のうち、25日ほどは、高座に上がっている。

 演芸場などは、昔から、その日の入場者数の増減で、手取りが決まる、

 さらに、同じ真打ちでも、そのキャリアと年数で、金額に格差が付く。

 そのため、実入りは不安定。

 だから、独自に、全国各地に出向いて、「独演会」や、地方の劇場やホールで、演芸場よりは、比較的高額の入場料をとって、二人会、三人会を催し、ソコで、確実な、ギャラを、興行主から振り込んでもらい、手にしている。

 菊之丞の稼ぎは、良い方と言える。 

 私が、離婚の真偽を直撃したのも、そう言う場に向かう時であった。

 むかし、ラジオの演芸番組で、彼と知り合ったせいで、業界について、少しは詳しくなったのであろうか。

 レギュラーに、女性新作「落伍」家の三遊亭粋歌(すいか)などを入れ込み、喰わせて行かせてあげようと、仕事を与えたカタチになっている。

 新作を高座に上げている者の起用が目立つ。だが、誰もが、笑えない、本業の高座に上がる機会が少ない、人気も知名度も無い「落伍家」ばかり起用には、あきれる。

  出演したことのある、この三遊亭白鳥などは、俺様の新作どころか、マクラや、下げまでにも、終始笑わないのは、客が悪いんだという態度が、あふれる。

 ん?と、思う人は、この白鳥の、動画を見るといい。

 そのごう慢さに、あきれるはずだから。横浜にぎわい座の、独演会にも、お客の数は乏しい。

 そんな落伍者たちを食べさせてあげている一面が大いにある、「すっぴん!」。

 噺家(はなしか)業界の、楽屋雀の間では、噂好きが集まっており、とっくの昔に、古今亭菊之丞と、その女子アナとは、離婚したということが、知れ渡り、もはや定説になっている。

 なもんで、誰もかれも、菊之丞師匠は、今日、どこに行ってるんですか?とか、朝早いから、師匠の朝食は、どうしているんですか?

 な~んてことは、はれ物に触るように、聞かない、あえて、触れない。

 いまだかつて、放送で、流れたことも無い。

 一方で、立場は、「アンカー」でありながら、午前9時台のインタビューでは、キャスターを差し置いて、ついつい、質問の矢を放ち続けてしまう、藤井彩子。

 控え目、が出来ない性格。なれない性格。

 その反面、ゲストに、歯が浮くほどの、ヨイショに満ち満ちた紹介をやってのける。

 必要以上に、「ご」を、付ける。「ご活躍」その目で見ていない事が、大半。

 ソコんとこは、平気で、2枚舌のウソ、付ける。原稿、読める。、

 で、「そっか、そっかあ」、「だよなあ」、「だな」、「おお、そうか」。

 その、余りの落差に・・・・・。

 マトモが、無い。普通が、みられない。普通が、話せない。

  そんななか、先日のゲスト、小室等には、終始、失礼が無く、終えた。

 おおっ! やれば、気を付ければ、出来るじゃん!・・・・・と、思っていたら、すぐ、翌日には、「ふ~ん、ふん」の連発。

 おまけに、あきれたことが!

 無名の演劇役者・片岡正二郎。幼き日、カッタンと呼ばれた、人物へのインタビューのさなか、こう、言ってのけた。

 「しきょくの芸?」

 キャスターの高橋源一郎が、あきれたように、言い添えた。

 「至極(しごく)の芸」。

 いやあ、読めて当たり前、しごく、当然な漢字を、読めないとは!熟語を、じゅく熟女が、間違えるとは!

 これでも、アナウンサー歴、25年にもなるという・・・・・。

 彼女、原稿に、フリガナ、付けてあげないと、今後、やっていけないかも?

 逆に、以前、「東京財団」なるところの、小原凡司なる男が、「ごくう政党が」と、みのもんたに、言ってのけて、みのもんたが、その間違いに気付きもしないという・・・・・。

 それ、「極右(きょくう)政党」というんじゃありませんか?、とも言えない低能力に・・・・。 

 藤井彩子。かつて、甲子園の全国高校野球選手権大会の、ラジオ実況放送を、初めて、女子アナとして、担当する直前、あの小野塚康之アナと、酒を飲み、こう、すっぴん顔で打ち明けている。

 わたしは、ニュース原稿も満足に読めないし、何もかにも、ヘタでダメ。自覚も、してます。もう、スポーツ中継や、野球実況だけしか、やれる余地が無いんです、だから成功させたいんです、と。

 だが、その実況も、その大会だけで、クビ、お払い箱に。

 小野塚、いわく、彼女。竹を割ったような性格でおさまらず、「竹を、割り過ぎた性格」。

 男勝りの、性格は消え去らない。

  もう、酒のみ女、酒なしには、生きていられない熟女に、与えられた仕事は、コレしかないんだから・・・。

 局は、「女帝」を、キャラクターにして、売りにしたいのかも、知れない。

 とはいえ、あくまで、チンポ、否、半歩引いた立場の「アンカー」のはず。

 インタビューの場では、キャスターが、詰まってしまった時だけ、質問しなきゃあ。

  遠慮の2文字、忘れている。

 「聞きたいこと、何にも聞けなかった」とか、「半分も聞けなかったなあ」と、毎回、言わせないようにしなきゃねえ・・・・

 フリーに転じたら?

 どこの局も、使いこなせません。ひととき、話題になって・・・・あとは、使い捨てで、ぽしゃる。

 営業の舞台では、ヨイショ三昧、駆使して、食べていける?かも知れませんが・・・・・・

 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 さて、さらに、最低なのが、「ごごラジ!」の、メイン・キャスター、神門光太朗(かんど こうたろう)。

  (1) 終了。

 ≪ 忘れていた 追記 ≫

 先日。聴取者からの、メール文に、ホントに珍しく、女帝が・・・・・・

 その内容は、自分の、ひごとに重なってゆく、ワガママな振る舞いと、行状に、夫が切れて、家を出て行ってしまった。

 このままだと、離婚になりそうです・・・・という、妻からのもの。

 悪妻。反省は、している模様。

 ソレを読み終えて、藤井・襲来女帝・彩子。 

 「う~ん・・・・・なんかあ、想い当たるというかあ・・・・心に、重く、しみますねえ・・・・」

 やっぱり、かあ・・・・・

 


まだ16歳の高校生7段棋士、藤井聡太。100勝のお祝いに、冷や水をぶっかけるつもりは、ござんせんが。この先、大丈夫かなあ・・・・

2018-12-13 23:07:23 | ニュース

  昨日、12月12日のこと。

  ニュースや、記事で知った人も、いるかもしれませんが、一時期、マスコミで連日のごとく、取り上げられた、中学生棋士(きし)、藤井聡太(そうた)が、高校1年生となり、この日の対局でも勝利。

  まだ16歳4カ月で、計100勝を、飾ったことが、報じられた。

  もっとも、逆に報じられないのが、100勝は、確かにしたけれど、非公式戦も含めて、20敗以上している事実が、隠されたこと。

 とはいえ、すごい将棋差しであることは、間違いない事実。

 このように、あらかじめ用意されていた赤い袋を手にして、記念撮影。ミエミエのセレモニー。

 この日は、水曜日。そう、平日。

  彼が、在籍している、通学していることになっている、国立大学法人 名古屋大学教育学部 附属高等学校は、この日、通常は、6時間授業なのだが、水曜日は、7時間授業が、行なわれていた。

 だが・・・・・この日も、ガッコ、行かず。堂々の、不登校児、藤井聡太。マスコミが、報じない、不登校児。

 私は、将棋しか知らない馬鹿には、成って欲しくなく すでに、何本か、この点に焦点を充てて、取材して、記事化した。

 ちなみに、聡太のいる、1学年は、たったの3クラスしかない。

 少数精鋭と言うより、少子化の影響でもある。 そのため、7段じゃなく、余談だが、硬式野球部は、四苦八苦、青色吐息。

 2016年の秋季、愛知県大会は、ほかの高校、2校と、「連合チーム」を組んで、参戦し、惨敗。

 それでも、9人、野球経験者を、毎大会、かき集め、参戦。

 この数年の戦績を列記する。むろん、すべて、1回戦です。

 2015年、3-13。

 2016年、1-8.0-9.0-15.

 2017年、2-22.

 2018年、1-8.0-14。8-12!

 野球場に、涙と、大歓声が、湧き起こったという。

 が・・・・・0-17.1-13.

 野球部の、悲願は、せめて、せめて・・・・・・1回戦突破!

 聡太の、100勝の、一片でも、欲しい・・・・・・・・。一生、1勝、攻めて、1勝を!

 さてさて、中学生時代からの、彼の対局スケジュールと、そのために、どのくらいガッコ行くの休んで、東京や、大阪に、新幹線に乗って、往復の日々を繰り返しているか、調べ、取材。

  上記、附属中学校の、対外的広報担当も担った、故・野際陽子似の、副校長・原順子にも、取材。

 藤井聡太の、学業成績、学年順位、そして、対局日の翌日は、ガッコを休んでも良いということに、変わっていった、いきさつについても、聞いた。

 やはり、そうならざるを得なかったのは、

 対局後、翌日、早朝に新幹線に乗り込み、到着するや、名古屋駅構内に設置されている、コインロッカーに、入れていた、制服と、教科書と、ノートが詰めこまれたバッグを取り出して、あわただしく着替えて、駅で簡単な食べモノをクチにしてソレを朝食に変えて、まっすぐ、ガッコに行く生活に、耐えられなくなってきたことが、背景にあった。

  聡太本人や、実母の裕子とも、相談を重ね、余裕のある、通学日程に変えてもらった。

 2週間に、3対局ほどの、スケジュールと、ガッコ通学という、切れ目ない、休息なき生活に耐えかね始め、「学校行くの、やめたい」と言い出していた、聡太。

 土日が休みでも、残り10日間のうち、都合5~6日間が、将棋に割かれていた。

 もはや、言うべき言葉も無い。

 プロ棋士に、高校卒業、大学卒業という、学歴は、確かに、さほど、影響は及ぼさない。

 とはいえ、母の裕子は、「せめて、高校だけは行ってちょうだい」と、懇願。

 その結果の、余裕ある、対極とも言うべき、対局優先のスケジュールに代わった。

  だが、昇りのエスカレーターに乗って、付属の中学校から、同じ、名古屋大学東山キャンパス構内にある、附属高校へ行くべきか、どうか・・・・・・・・。

 昨年、聡太は、東京の将棋会館での対局を終え、恒例通り、カコミ取材を終えたあと、タクシーで、東京に単身赴任している父が住んでいるアパートに向かい、宿泊。

 そこで、じっくり、自分のホンネを打ち明けながら、相談していた。

 実は、父は、ここに至るも、まったく、マスコミの取材に、一切、応じていない。

 かつて、父が勤めていた、家庭用品の会社は、経営が悪化。 

 他の、同種企業2社に企業合併、統廃合されるカタチで、吸収され、名古屋にあった本社は、事実上、つぶれた。そして、父は、その合併吸収された会社の、東京本社勤務に。

 地方から、東京へと転勤させられた社員はとても多く、且つ、父への取材連絡と、取次は、一切取ってくれなかった。

 当初こそ、週末を利用して、愛知県瀬戸市にある我が家へと帰って、ひとときを過ごしていた父だが、最近は、帰ることもなくなった。

 さらに、実は、聡太には、今は大学生になっている実の兄がいるのだが、瀬戸市の実家を、早々に出て、独りで生活しており、幼い頃の兄弟の写真こそ、1枚だけ、公開されたものの、この兄もまた、まったく、実家に寄りつかず。弟の、めでたいハナシが続いているというのに、彼もまた、一切、取材に応じず、拒否したまま。

 オモテに出てくるのは、母の裕子だけ。 

 そこで、思い出されるのが・・・・・。

  同じ、棋士。谷川浩司のこと。

 かつて、行なった、神戸にある寺に、隣接された実家での、ロング・インタビューと、近くの公園での、グラビア撮影。

 天才と、評されていた当時の、彼の隠された素顔を知った。

 将棋だけしか知らない、ひとりの若者の姿に、背筋が凍った。

 母への、マザー・コンプレックスならぬ、生活すべて、マザー・コントロールされた、「マザコン」成人。

 兄の俊昭のこと、父のことは、聞いても、一切語らず、語らせず。

 完全、2分断。根深い、越えられない、溝。

 それが、やがて・・・・。

 有能な棋士を、渡辺明や、この谷川浩司や、羽生(はぶ)善治らの確証なき、疑いと、思い込みによって、冤罪におとしめてゆき、やがて、それが、解明されても、会長の座にしがみついていた、谷川浩司。

 そして、仕方なく・・・・・・辞任の記者会見に臨んだ際の表情が、上の写真だ。

 なお且つ、責任をとれと、谷川浩司以下、執行部全員の辞任要求の急先鋒に立ったのが、なんと浩司の実の兄、谷川俊昭であった。

 偶然とはいえ、藤井聡太と、まったく同じ家族構成と、オモテに出ない、拒否の、父と兄の姿に・・・・・。

  そして、羽生善治は、今日13日。

 棋士として、絶壁断崖に、立たされ、後が無くなった。

 かつては、やっぱり、天才棋士と、もてはやされ、「統合失調症」を、今も根深くわずらったままの、アヒルや、ウサギ、犬、大好きの、「玉の輿に乗って無いと、主張した妻」とのアレコレ、抱え・・・

 今や、将棋の8大タイトルのうち、今年、名人、棋聖の冠も失い、羽生の手元に、わずかに残っているのは、「竜王」だけ。

 それすらも、本日、負けて、あっさりと投了し、3勝3敗に追い込まれた。

 7番勝負に、あと、1敗したら、無冠に成り、タダの棋士に、陥落。 通算、100期も、水泡と期す。

 同じ、「100」ではあるが、平成最後の年に、次代は代わり、明暗、分けた。

 今後、はたして、藤井聡太は、ガッコ、どうしてゆくのか?

 彼の、この問題についての、窓口は、なんと、高校では無く、名古屋大学の広報。

 名義上の、通学に仕立て上げ、校名を、挙げていこうという、えげつないまでの戦略が、見え隠れする。

 今や、税金で成り立っている、国立大学といえども、営利を目指す。宣伝に利用出来るモノ有れば、したたかに、利用しまくる近年。

 上記、原順子・副校長の背後にそびえる、「名古屋大学」の、大きな文字。

  今回、ノーベル医学生理学賞を、授賞した、京都大学「特別教授」、本庶佑(ほんじょ たすく)が、妻の滋子を伴っての、記者会見の席上の、背後に掲げた看板・幕は、「国立大学法人 京都大学」のマーク!

 時代は、あざとく、商売、商売と、急激に、変わってゆく・・・・・。

 この後、藤井聡太の、ガッコ問題は、どうしてゆくのか?

 ちなみに、墜ちてゆく 無冠の帝王、羽生善治は、かつて、「都立富士森高校」に進んだものの、月に10日しか、やはり、通学出来ず。

 そのため、「東京都立上野高校」の、「通信制課程」へと、転校し、卒業している。

 また、マザコンの谷川浩司は、「滝川高校」。

 現・棋士の会長を、谷川に代わり、勤めている、佐藤康光は、中学校時代から、対局のために、授業に来ず。

 クラスメイトに「佐藤休みつ」と呼ばれていたほど。それでも、高校は「國學院高校」へ。

 また、やはり、冤罪作りに加わった、佐藤天彦(あまひこ)は、「東京学館浦安高校」へと進みはしたが、

 谷川、ダブル佐藤。すべて、高校は、私立。

 授業に出なくとも、特待生でなくとも、卒業出来た。

 国立名古屋大学は、さてさて・・・・・。

 今まで、失敗した8大タイトル挑戦に向けて、藤井聡太の対局は、2019年。増加してゆくこと、必至。

 ソレに対して、対極を成す、起死回生ならぬ、棋士回生策は、あるのであろうか・・・・・・・・

 

 

 

 

   

 


《 リアル 汚相撲 傷害・暴行事件 ルポ 》 乱暴者の、貴ノ岩こと、バーサンドルジ。「狂怪」の事情聴取を受けて、千賀ノ浦親方に運転手させて、御帰還。その時に見せた、驚きの言動

2018-12-06 19:39:42 | 相撲犯罪者

 ( テレビ朝日 ニュース画像より )

 自ら犯した、傷害・暴行事件。

 この、新悪童、貴ノ岩と言う、しこ名を持つ、バーサンドルジ。

 今日、午後。「狂怪」の、事情聴取を終えて、「千賀ノ浦部屋」に、夕方、午後5時半頃、御帰還。

 車の、運転手は、なんと、千賀ノ浦親方、そのひと。

 後部座席に、ふんぞり返るようにして、帰る、バーサン。

 自分は、何様のつもりなのか。バーサン様よ。

  何回観ても、開き直り、ふてくされているようにしか、見えない。 

 そして、黒いバッグを右手で掴み、後部座席から下車。

 炊かれまくる、フラッシュ!

 矢継ぎ早に、質問が飛ぶ。

 だが、一切、答えない、悪童バーサン、殴り魔、ドルジ。

 もし・・・・付け人をさせられていた、貴大将に、「本当」に、「つい、自分が、どうかしていた。申し訳なかった」と、謝罪した?

 のなら、まったく、違った態度、言動を、マスコミ陣に、見せたはずだ。

  こんなだった、いつもの顔が、 顔を、大きなマスクで覆い隠さなければ、人前に出られないほどの傷害を負っている状態に、行橋市でも、貴乃花部屋にいた時からと、同じように、させてしまった、新悪童、バーサンドルジ。

 本当に、自分のいつもやっていることを反省している・・・・・としたら、報道陣に、一言、このたびの自分の行為につき、誠に、申し訳なく想ってます。

 貴大将こと、松木にも、申し訳ない気持ちで、一杯です。「狂怪」にも、迷惑かけてしまいました、などと、言ってもおかしくない。

 が・・・・・

 カケラも、その気は、無い!

 悪童、貴公俊と同じく、傷を負わせた番付け下位力士に、一言も、謝らないまま、平然と、処分を待つ。

 そんな神経しか、持ち合わせていないのであろう。

  これが、これが、花田光司が、力説した「相撲道」の、実態と、なれの果てだ。

 鳥取県警にも、行かなかった、この師匠ならぬ、支障ばかり、騒ぎ立て、起こしてきた男の、「指導力」カケラも無い、実例だ。

 良く、見て置けよ。今後もな。

  にしても、どえらい時限爆弾群、押しつけられたなあ・・・・千賀ノ浦親方。


《 リアル 芸能 ルポ 》 演歌界の大御所、サブちゃん、こと、北島三郎。平成最期の紅白歌合戦に「特別出演」。出るのは良いけれど、ありのままの姿さらした時の衝撃!を、どう隠すのだろうか・・・

2018-12-04 20:59:42 | 視聴者が知らない、タレントの素顔

 ほう・・・・・サブちゃんこと、北島三郎が、5年振りに、「紅白歌合戦」の、「特別コーナー」に、お出になるとか。

 明らかに、急速に老い始めた今、何か、心に期するものが、あったのであろうか?

 かつては、NHKホールに、出場する全歌手が揃って、個別に、この時とばかりに、立派に歌い挙げ、競いまくり、応援もどきの馬鹿騒ぎを避けて、まさに文字通り、「歌合戦」であった。

 且つ、その年の歌い納めをする、特別な場であった、「紅白歌合戦」。

 例えば、当のサブちゃん。

  ステージ全体に、大量の「紙吹雪」を、微妙に巧みに回させ、照明技術を駆使して雪舞う、真冬の北国をイメージさせる舞台の中で歌い挙げる「風雪流れ旅」。

 三味線の大合奏が、どんどん、どんどん高鳴り、ソコで踏み出す歌声。

 ♪破れ、ひとえに、三味線、抱けばああ・・・・

 もう、独壇場の世界が、繰り広げられた。他に、類する者、なし!比する歌い手、なし!

  また、今年、大晦日に歌うという、「まつり」。

 前奏高鳴り、フルオーケストラが盛り上げていくなかで、舞台中央にせり出してくるこの、龍神さま。

 それえ ♪おおとおこは、まああつりだあ・・・・

 ソレが、いつの間にやら、前面に、なかば強制応援させられる、練習させられた挙句の、歌手たち応援ショー。

 さらには、目玉歌手のワガママ聞いて、外部中継から送信される「特別扱い歌手」。

 時が、経つごとに、明らかに「歌合戦」じゃなく、「応援騒ぎ合戦」に、変貌していった。

 紅白「まつり」は、軽薄まつりへ。おかしな方向へと、ねじ曲がっていった。止めどもなく。

  そんな紅白の実態に、愛想をつかし、「後進に道をゆずりたい」という、オブラート言葉に、本音を包み込み、腐った紅白に蹴りをいれた。

 視聴率も、とめどもなく、下がっていく。

 それが・・・・・

   ( BSテレビ東京。12月1日放送、「サブちゃんと、歌仲間」より )

 今や、支え無しに、歌い、専用御手付き台無しに歌えなくなっている、今のサブちゃん。

 その惨状を、どうカバーし、ありのままを見せず、隠す「演出」を、紅白は、してゆくのだろうか・・・・。

 つい3日前に書いた記事。

 こんなに、やせ細った姿を映しだしたとき、古くからの歌謡曲ファン、艶歌&演歌ファンは、衝撃を受けるに違いない。

 そのうえ、立ち続けて、さくさくと、歩けないのだから。

 「まつり」を、歌う時、龍神様にでも、またがるか、アタマに手のヒラを添えて歌うか。

  御手付き台を、いつものように花で飾り付けて、あでやかに隠すか・・・・・。

 そこんとこは、見定めて置きたい。

 最期の彼の、ここぞという晴れ舞台を・・・・・

 


《 リアル ボクシング ルポ 》 5階級制覇した、「ストーカー事件疑惑、完全無実」の、元日本王者・湯葉忠志。その息子、湯葉海樹が、プロ5戦目でも、6ラウンド、判定勝ちは、したけれど・・・・[後篇]

2018-12-04 17:11:20 | ボクシングのニュース

  さて、後篇をば。

 「ストーカー疑惑 完全無実」の、湯葉忠志(ゆば ただし).

 その長男の湯葉海樹(かいき)の、プロボクサーとしての、デビュー戦。

 相手は、タイ王国の選手。すでに、プロボクサーとして17戦も経験しているとのフレコミの、ペットマハラート・イミネントエアー。

 ところが、ゴングが鳴らされるや、ペット。腰を引いて、距離を取り、出すパンチは、すべて腰が入っていない、正面や横に向けて、左右の腕を伸ばしただけの手打ち。

 パンチは、湯葉海樹に届かず。威力さえも、まったく、感じられず。

 ソレをみてとった、海樹。距離を、テンポ良く詰め、連打を浴びせた

 もう、相手のペットマハラート。 すぐさま、コテン!と、ダウン。1ラウンドから、始まって、まもなく、安易にダウン。

  結果、3ラウンド。2分12秒。この3度目のダウンで、レフェリー。すかさず、テクニカル・ノックアウト勝ちを宣告。

 ・・・・・・はたして、このペットマハラートに、戦う気持ちや、勝ちタイ、勝ってタイに帰国する気持ちが、あったのか、どうか?

 かなり、疑問の持たれる戦いぶりだった。

 この、デビュー戦は、前篇でも書いた、テレビ宮崎の、週末番組、「U-doki」の中での特集で、そのまんま10分あまりの放送のなかで、試合部分は短縮されて、意図的に海樹の強さを怪奇的に、強調編集されてはいるものの、動画で検索すると、今でも、観ることが出来ます。

 ハナっから、日本に倒れに来た、ボクサー?と、見えなくも無い相手。

  試合後の湯葉海樹には、打たれて、腫れあがった形跡、ひとつもなし。

 確かに、高校生として、優勝こそ出来なかったものの、先の極めて不可解な「奈良判定」なども、からまって、全国3位が最高戦績ではあったが、そのリング上の打ち方、足さばき、パンチ力の確かさ、などなど。

 その実力は、誰もが認める・・・・ところでは、あるけれど・・・・・。

  父の湯葉忠志は、喜びながらも、18年間の経験上、実情を知っているだけに、複雑な表情も、チラリと見せていた。

 実は、ボクシングファン。それも、後楽園ホールに通い、自分の目でキチンと、試合を第一試合から、メインの試合まで、観ている客にとっては、ほぼ全員が気付く、明らかな、おかしさ。

 主に、タイ、インドネシア、フィリピンなどから、日本に呼んだ、いわゆる「招へい選手」について、ささやかれる、「無気力試合」、はたまた、「実力不足」の問題が、10年以上前からリング上に、ぶ厚く横たわっていた。

 興味、持たれた方は、「日本ボクシングコミッション」と、検索し、「招へい禁止ボクサー」の、一覧を見てゆくと良い。

 いかに、この3国に、集中して、そのテのボクサーが多いかが、分かる。

 で、呼ばれるのを禁止されると、今度は、別のリングネームで、来日。そして、安易に、コテン、また、コテン、コロリ、KO&TKO負け。

 時には、強くパンチが当たってもいないのに、倒れて、うずくまる者まで、現われた。

 リングネームに多いのが、「うんたら、かんたら・・・・・ジム」。

 自分の所属する、ムエタイの選手もいる、ボクシングジムの名称を、そのまんま、名乗って、リングに登場。 

 だから・・・・ほぼ同じ似たような名前の選手が、試合興業ごとに、登場する、おかしなことが、平然とまかり通ることになっていた。

 おまけに、リングに上がるたびに、リングネームを、コロコロ変えて、再登場、再再再登場する者まで、現われた。

 そうまでするのには、むろん、理由がある。

 日本に来て、数万円のファイトマネーが、ラクしてもらえるから。

 数分から、かかっても20分足らずの、1試合こなせば、30日ぶんの、月給同額分がもらえる。

 おまけに、きれいなホテルに泊まれ、日本製の電化製品や、お土産まで、帰国するまでの時間に、買って帰れる。

 それ以前のように、トルコ風呂まで連れていってくれる、日本のジムの会長は、さすがにいなくなったが。

 ジムぐるみだけでは、ない。

 タイ王国でいうなら、プロボクシング競技を統括・管理している正式団体、「タイ国 ムエ・スポーツ協会」や、「タイ国 プロ・スポーツ協会」が作成し、日本ボクシング・コミッションあてに提出してくる、試合出場選手の、「試合勝敗記録」が、かなりデタラメ。

 信用出来ないものになっていった。

 なので、今は、信用度、信頼度、まったくゼロ。

 世界的ボクシング記録組織があり、そこのみに信用度を置いている事態となっている。

 さらに、試合出場の申請にあたっては、本名が記載された、公的な書類を添付させることも、義務付けた。

 名前・戦績でいうなら、後楽園ホールでの、試合会場入口で配布される、パンフレットに印刷されている、タイをはじめとする、アジアの出場選手の名前と戦績。

 これが・・・・・

 リング入場の際に、声高らかに読み上げられる時の名前と大きく違っていたり、戦績のアナウンスの時も、数字が大きく違っていたこと、しばしば。

 名前にしても、バが、「ヴァ」とか、ボが、「ヴォ」という、表記違いなどでは無い。

 殆んど、違う。

 正しいのは、リングアナウンサーが、読みあげるもの。

 ウソがばれて、急きょ、同じジムの、まったく別の選手が、急きょ来日して、リングに上がる・・・・な~んてことも、あった。

 日本は、ダマせる。稼げる国。そう、思われているフシがある。

 コレ、何も、アジアに限ったことではない。

 なぜか、昨夜から急に検索された、43歳の、おばちゃん。ン階級制覇王者・藤岡奈穂子(なおこ)の、マリアナ・ファレスとの、メキシコ遠征試合の記事で、わかりやすく書いたが、

 この、ボクシング大国のメキシコからして、計量デタラメ。はたまた、テキトー、大まか、ラフ。

 さらに、試合記録も、ラフ。正しさ、皆無に近い。

 リングに上がって、ゴングが鳴ってからでないと、本当の実力、強さ、弱さのことは分からないという国。

 弟の亀田和毅(ともき)が、はるか異国のメキシコのジムで、慣れぬ環境の元、練習を積み重ねていた頃のこと。

 兄の、あの、亀田興殻が、共に短期間、和毅と過ごし、ジムの練習に参加してきた感想を、後楽園ホールの控え室で、彼自身から直接、聞かされたことがある。

 あの興毅でさえ、驚いたこと。

 「選手らなあ、自分の戦績ホンマ、わからへんねん。とぼけているのとも、違う」

 「覚えておらんのよ。勝った試合の内容は記憶してるんやけど、その勝敗数は、聞いても、あやふや。彼らにとってな、大事なことは、チャンピオンになりさえすれば、他はど~でも、ええねん。でな。ジムの事務やっとるやつも、細かく記録しとらんのよ」

 「試合数が多いせいなんやろか、国民性なのかなあ・・・・。驚いたし、ホンマ、あきれたわ」

 ボクシング有名国、メキシコのジム、すべてではないと、信じたいが、それが実情だ。

 さて、湯葉海樹の試合に戻る。

 どうして、そんなタイの相手と、輝かしき、それも、デビュー戦で?

 なお、調べたが、この相手は、「招へい禁止リスト」には、入っていなかったのだが・・・・。

 その点について、当時、トレーナーとして付き、リング上で、セコンド陣の中心をなしたベテラン・トレーナーに聞いた。

 ーーー失礼ですが、なんで、あんな選手との試合が、組まれたんですか? 観るも鮮やかな、ノックアウトを、客に意図的に、見せたかったんですか?

 しばらく、ムッとしたあと

 「戦ってくれる選手が、国内に、いなかったんですよ!」

 海樹が、強い、弱い、以前の問題だったようだ。

 「だって、海樹と戦っても、相手の国内選手に、メリットが無いでしょう。声を掛けても、マッチメイク、拒否され続けたんですよ」

 そうなると・・・・・選択肢は、無い。

 プロボクサーとしての所属ジムは、かつて、父の湯葉忠志が若い頃所属していた、同じ宮崎県にある、「都城(みやこのじょう)レオスポーツジム」に、名義上、暫定的にした。

 その後、湯葉忠志が、元日本5階級制覇王者として、「日本プロボクシング協会」に、ジム加盟申請費500万円を用立てた時期に、申請。

 ところが・・・・・前篇で書いたような「ストーカー事件」に、引っ掛かってしまい・・・・正式加盟は、いまだ認められず。棚上げされ、据え置きのままにされ、ほこりかぶって、こんにちに至っている。

 なので、ボクシング記事によっては、「YUVAX」所属などと記載されているが、それは誤りだ。

 そして・・・・国内から、対戦相手が名乗り出ないまま、デビュー戦から4か月後の、2017年6月13日。

 2戦目。練習は、YUVAXや、試合が近づくと、父の知り合いの東京のジムで、先のトレーナーの指導のもとで行ない、試合は、改めて上京して、後楽園ホールで行われるパターン。

 相手は、今度は、フィリピンの、ペナー・サンティブ。で、1ラウンド。テクニカル・ノックアウト勝ち。

 んんん・・・・・・・。

 次いで、3戦目。

 4か月後の、10月12日。ライト級、6回戦。また、相手は、フイリピンの、パブリト・カナダ。倒せず、6ラウンド、フルに戦い、3-0の判定勝ち。

 スコアは、58-56。59-55。そして、60-54。

 このような結果でも、自分は、真の強打者だもん、と、勘違いしてきたのか。 

  髪を、このように金髪に染め、調子こいて、かっ歩する日々。

 4戦目で、初めて日本人プロボクサーと戦うことになった。

 今年の、2月26日。海樹にとっては、まさに「2・26事件」へと変わった。

 相手は、富岡樹。同じ、「樹」がつくが、こちらは、「いづき」と、読ませる。

 富岡は、日本ユースの、ライト級王者。そのベルトの初防衛戦に、海樹が挑んだ。

 試合は、思わぬ展開となった。

  (ボクシング モバイル より、転載)

 良い滑り出しを見せた両者だったが、専門メディアの書かれ方は、すべて、写真左の富岡樹のパンチのスピードが、海樹を上回っていたとのトーン。

 2ラウンド、途中で、両者のアタマが、ぶつかり合い。偶然のバッティングで、、海樹の、右目じり上が切れて、流血。

 この後の、試合続行は不可能と、リングドクターが見てとり、レフェリーは試合中止を、宣告。

 2ラウンド、負傷判定。ラウンド数が2であったため、ドロー。引き分け扱いとなった。

  試合後、海樹は、医務室でチェックを受け、取材に応じた。

 右目じり斜め上の、切り傷は、さほど、深く、大きなモノでは、無かった。

 真価を試す、試される、絶好の機会で有っただけに、終始、残念な表情。

 ボクシングマスコミの、海樹の評価は、事件がらみも伴い、その後、ガタ落ち、注目度も落ちた。

 この1か月後、富岡樹は、このベルトを返上。自らの主戦場である、日本スーパー・フェザー級のタイトルマッチに挑めるチャンスが巡ってきたことが理由。

 強豪プロボクサーにとって、ユースのタイトルは、実は、さほどの価値が無いことも、背景にある。単なるひとつの階段、真の王者への、試金石みたいなもの、通過点の指標みたいなものでしかない。 

 評価が、少し、傾きかけてきた、海樹だが、この4戦まで、メインのトレーナーを、事実上のボランティアで務めてきた、先のトレーナーは、力強く、言った。

 「浅い傷なのに、試合をあそこで止められてしまって・・・・」

 「止血もうまくいっていたし、あのまま戦っていれば、海樹が、勝っていたと想いますよ、本当に」

 「作戦通り、進んでいたし、後半勝負と、狙いも定めていましたんでね」

 このヒト。別に、身内だからといって、甘い評価は、いままで、まったくしてこなかった人物。だから、私も、信頼をおいていた、ひとり。

 湯葉忠志とも、長年に渡ってコンビを組んで、トレーナーとして、時間の許す限り、指導もしていた。湯葉に、容赦なく、厳しいことも、言ってきた。

 「このままいけば、海樹は、日本チャンピオンにはなれる実力を、持っていると想っています。そのぐらいのチカラは、持っている選手ですよ」

 その試合1か月後に、予期せず起こった、ストーカー事件。

 プロボクシングジムの申請は、今もって棚ざらしにされ、メインのトレーナーとして、父に代わって、海樹がジムの少ない会員に向けて、ボクシングを、練習生に、わずかプロ4戦のキャリアの身で、教えることになった。 

 九州の宮崎市でのジム申請が認められれば、500万円は支払わなければいけないが、西日本新人王戦には、有利に働く。

 有力ジムがひしめき合う、関東の「東日本」と違い、選手層が極めて薄いため、エントリーする者が少なく、試合数が少ない。勝ち上がるのに、有利。

 ラクに、西日本新人王になれる確率、可能性は、髙い。

 その反面、ライバルや、スパーリングをし合う相手選手がいないに等しいため、真の実力、未知数。

 お山の大将でいるうちは良いが、マッチメイク、客を多く呼べる試合が、組みにくい。チャンスが、なかなか、巡って来ない。

 そのため、ジム維持と、選手に華を持たせて、あざやかなノックアウト勝ちを、連続して、目の肥えていない応援団に見せつけようと、かのタイ国選手や、フィリピンの選手団との対抗試合を組み、完勝、KOの連続試合を見せる…なあんてことが、時折り、行なわれている。

 それでいいのかな、と想うが・・・・・・。

 海樹。自分の実力を試す目的と、遊びも兼ねて、9月末から、約1か月間。タイに合宿遠征。ボクシングの練習と、スパーリングを重ねた。

 むろん、タイにも、打たれ強く、日本の試合でも、連打20発近く浴びてても、ニヤリとほくそ笑み、倒れないままのボクサーもいるし、ホントは倒せるのに、「自分の立場」を考え、倒さずに帰国する強者もいる。 

 また、フィリピンにも、マニー・パッキャオみたいな、とんでもなく強かった世界王者もおり、一概にはいい切れない背景もある。

 その間にも、K-1の友達や、日章学園からみで、Jリーグの選手と遊んだり、自動車免許を、短期合宿で取得したり、サーフィンして楽しんだりと、遊びに明け暮れる、今どきの若者らしく、軽い性格の一面も、海樹は、みせている。

  こんな記念撮影も、ツイッターやブログに掲載。

 そして…父とも協議を重ねた末、宮崎のお山の大将で居て、満足してるわけにはいかないとばかりに、東京の、今や、どんどん、ジム移籍組も増えて、最大大手のジムとなった、「ワタナベ ボクシングジム」に、11月、正式移籍を決意、相談して、正式決定。

 このジム。プロボクサーと、アマチュアのボクサーの男女総数の人数といったら、多いこと、多いコト。

 さまざまなタイプのボクサーと、トレーナーがおり、スパーリングの相手と、指導者には、まったく不自由しない。

 そればかりか、他のジムから、強打者、ランキングボクサーが、スパーリングに訪れる者多く、わざわざ、遠路、宮崎市から上京していた頃とは、雲泥の差。

 急きょ、あわただしく、移籍を決めて、臨んだのが、この11月28日に、後楽園ホールで行なわれた、「第5回 日中 対抗親善試合戦」。

  ワタナベジムに、深く関係しているプロモーターが、冠スポンサーも得て、開催にこぎつけた。

  相手は、左側の、スー・バオシャン。

 組まれた対抗戦は、5試合。

 すべて、日本の選手の完勝で終わった・・・・・。

 そう、湯葉海樹の試合もだ。

  相手を、苦も無く、このようにダウンさせたものの、しかし、詰めも精神も甘く、最後まで、倒しきれず。

 ライト級6回戦、判定結果は、海樹、フルマークの60点。相手、スー・バオシャンは、53点。三人ともに、同じ採点。

  完勝、ではあるが・・・・・。

 実力差、打力差が、大きくあるのに、この「低度」か、と言う、厳しい見方も出来る、試合展開。

 以前、亀田興毅に仕掛けて、世間の注目を浴びただけの、今、マネージャーも帯同しない、プロダクションに見放された、冒険タレントに成り果てた、内藤大助という、元世界王者がいた。 

 その内藤が、調子づいていた頃、世界では無名の、身長150センチ足らずの、ユウ・チョウチュウ(熊 朝忠)という、中国人ボクサーと対戦。

 モロに、内藤が、舐めてかかったせいもあって、まあ、ユウの、予想はずれの強さが際立ち、あわや判定負けを喰らいかねない、辛勝に終わった試合がある。

 そのような、強いボクサーは、たまにはいるものの、おしなべて、ボクシング熱は、まったく無い、中国。 

 だからの・・・・・全員、揃いも揃っての、討死結果。

  この試合からは、急きょ、移籍させてもらった、ワタナベボクシングジムの、トレーナーである、右側の、井上孝志トレーナーが、セコンドについた。

 井上が、メインで指導し、世界王者にまでなったのが、真ん中の、京口紘人(ひろと)。

 ミニマム級のままでは、減量に耐え兼ね、この大晦日。マカオに、この井上孝志トレーナーと共に出向き、いきなり、世界ライトフライ級タイトルマッチに挑む。

 なので、井上は今は、本格的に、湯葉海樹の指導に没入は出来ないが、年が明けた来年からは、基本から叩き直すようになっていきそうな厳しさが、待ち構えている。

 というのも、海樹。

 東京で行われる試合のための、暫定期間の名義上の所属か?と思いきや、本格的な移籍となっていた。

 本格的に、東京に住まいも、宮崎市から移し、アルバイトなどをしながら生活費を稼ぎ出し、毎日、ジムに通う日々を始めているという。

 これまでの、5戦。内容が無いよう。相手が相手だっただけで、ほぼ、ゼロからのスタートとみる。

 鼻はポキンとへし折られ、歴戦のつわもの達と、スパーリングを重ねるたびに、「ボコボコにされて、自信を失いかけました」と、再び、言いそうだ。

 この言葉、実は、かつて、意気ようようと、日章学園のボクシング部に「入学」。

 卒部式で、そこでの1年目を語った、湯葉海樹、そのひとの言葉だ。

 そこから、どう、立ち上がって、ゼロから、どう、一つ、一つ、積み上げてゆくか?

 生意気なようだが、厳しく、冷静に、見詰め続けていこうと想う。

 「日本チャンピオンになれるまでのチカラは、海樹は、持っている。そう、思っています」との、かつての、スーパー・ボランティア・トレーナーの言った言葉を信じて・・・・・・。

 あんなボクサーが、いたなあ・・・・というような、単なる、「回帰ハナシ」に、終わらせないためにも・・・・・

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《 リアル ボクシング ルポ 》 5階級制覇した、「ストーカー疑惑無実」の、元日本王者・湯葉忠志。その息子、湯葉海樹が、プロ5戦目でも、6ラウンド、フルマークの判定勝ちしたけれど・・・[前篇]

2018-12-02 23:30:17 | ボクシングのニュース

 11月28日の夜。急に、上記、湯葉忠志(ゆば ただし)の、事件直後の、報じられていない事実記事に、検索が寄せられた。

  はあ? なんでえ? この、5階級制覇、元日本チャンピオンに、今、再び、なにか、有ったかな?

 あの、不意に彼の身に襲った、今年3月の「ストーカー事件」。事件の詳細は、いまさら書いても仕方ない。

 なにしろ、逮捕されたというのに、一応、事情聴取的に供述はしたものの、正しい事実関係と経緯が、次第に判明。

 翌日夕方には、早々に身柄釈放された。

 起訴猶予も、不起訴も、一切報じられていないが、いまだに、何の刑事罰にも、結果、問われていないことを、改めて、強く、書いておく。

 相手の女性が、罪なのか、信じて捜査に応じた警察の罪なのか・・・・・。 

 ただし、忠志。一切、公的に釈明も、事情説明も、すぐ身柄釈放されたことすら、外部に知らせず。

 そのためか、彼の経営する、ボクシングを軸とする、「フィットネス ジム」は、大打撃を受けた。

 支援者は遠のき、彼のジム「YUVAX」に来ていた会員たちも、パッタリと来なくなり、相次いで、退会を申し出てきたと聞く。

 報道から受ける、犯罪者のイメージは膨らみ、ハンパではなかったようだ。ひどいことに、続報は、いまだ、大手マスコミによってキチンとされていない。

  釈放はされたものの、すぐに、残った会員を、ミットを手に、パンチの指導するわけにもいかず、ミットも無いと考えたのか、数日間、ジムは閉鎖。

  それまで、手伝い程度でしかなかった、息子の湯葉海樹(かいき)が、メインのトレーナーとして、ジムの看板となり、再起、復興。

 ホントの事情を見聞きしたのか、新たに会員になってくれた者もあり、ジムのブログ上で、湯葉忠志は、自らも、トレーナー復帰すると同時に、新会員たちに感謝の弁を掲載。

 その息子の海樹の、プロボクサーとしての、5戦目の試合が、調べると、上記、11月28日の夜に、ボクシングのメッカ、後楽園ホールで行われ、判定で、完勝していた。

 そのことでの、検索であったのか・・・・・と。

 さて、ここからは、さらに、実情を書いてゆく。

 その息子の海樹が、父・忠志の期待を背負って、プロボクサーになったのは、知っていた。

 父の湯葉忠志が、現役時。

 彼の試合が、その後楽園ホールで行われるたびに、その殆んどに、息子の海樹が、宮崎県から上京して、試合後の控え室に、顔をのぞかせており、「息子が将来、良いボクサーに、育っていきそうなんですよ」と、嬉しそうに、忠志が、記者陣に言っていたから。

  なので、その海樹の姿も、見かけていた。このように、記念撮影にも、応じていたし。

 海樹が通っていた、故郷、宮崎県での高校は、日章学園。

 そうです。サッカー部は、特待生だらけ。その結果、毎年、全国優勝にからむ、あの、良くも悪くも、有名校だ。

 そこのボクシング部に在籍しており、好成績を挙げていた・・・・ようだ、

 高校時代の試合、卒業式、そして、プロデビュー戦など、地元の、「テレビ宮崎」の、「U-doki」という番組で、郷里の輝けるプロボクサー、湯葉忠志の息子ということで、折りに触れて、長期間取材。

     卒部式では、妻の良子と共に、感涙にむせぶ姿も、このように垣間見える。

 なお、かの無実事件で、離婚したとか、確証も無しに、書きまくり、打ちまくっているのが、いまだに、残っているが、そんな事実は、まったく無い。

 妻の良子の方も、家業と言うか、仕事を以前から持っており、且つ、両親の介護などのことにも、時間をついやされており、多忙。

 そうそう、上京して、試合を継続して観戦する余裕が無い背景もあった。

 忠志も、支援者にかつがれ、都内で、「遊んでいた」実実も、確かに有ったのだが・・・。

 また、海樹の高校時代の全国大会の試合で、判定結果に疑惑一杯の「奈良判定」を、今、パソコンで、即座に観ることが出来る。

 そう。相手は、奈良県出身。いつも、海樹は判定で、奈良に「苦戦」。壁、になっていた。

 海樹のパンチを打ち込まれながら、なんと、しつこいほどに、クリンチや、ホールドを繰り返し、打たせまいとし続ける。

 で・・・・なのに・・・・奈良県の高校生が、判定勝ちする。

 おいおい、おいおいっ!

 アマチュアの、判定基準そのものが、プロと違い、いまもって、極めてあいまいで、不可解なシロモノだらけに、満ちたものとは言えさあ・・・・・。

 だから、そのことも、2020年の東京五輪で、AIBAのドンが、ヘロイン&麻薬類密輸でさわがれている事件以外に、ボクシング競技が中止になる、大きな原因のひとつになっていることに、いまだに、山根に取って代わって、日本ボクシング連盟の権力を握った全員が、愚かにも、気付いてもいない。

 当時、あの自称「世界のヤマネ」こと、奈良県出身の、山根明の独裁体制下であった背景もあるとはいえ・・・・。

 興味ある方は、湯葉海樹の「動画」で検索。

 「U-doki」のモノ、2本を観ると、良いです。

 その後も、テレビ宮崎は、この、父の過去の栄光を背にリングに上がった、プロデビュー戦も、特集取材。 今も、パソコンで、その戦いぶりを、見せてくれている。

 だが・・・・・父・忠志の、先の「事件」以降。まったく取材の依頼なし。手のひら、返すかのように、訪問も皆無。

 メディアなんて、テレビ局なんて、しょせん、そんなもの。とはいえ・・・・・

 さて、デビュー戦の試合が行なわれたのは、2017年2月28日。場所は、後楽園ホール。

 相手は、ペットマハーラート・イミネントエアーという、リング・ネームを持つ、タイのボクサー。

 ボクシングに詳しい読者なら、ん? タイ人か!?と。ははあ・・・・と。

 その危惧と、予期した通りの展開になった。

 [ 前篇 完 ]

 

  

 

 


《 リアル 芸能 ルポ 》 サブちゃん、こと、北島三郎。今朝、映し出された姿が・・・。頬が一段とそぎ落ち、なで肩になり、一回りやせていたばかりか・・・・

2018-12-01 20:46:28 | 視聴者が知らない、タレントの素顔

 その名を、日本人なら、知らぬ者がいないと言って良い、サブちゃんこと、北島三郎。

 時折り、現状ならぬ、厳情を記事化している。

 今回は、まず本日、12月1日。BSテレビ東京、「サブちゃんと歌仲間」の、12月放送分の初回で観た、彼のありのままをお伝えしたい。

 なにしろ、放送時刻が、午前5時半という、淋しく、厳しい状況に置かれている番組。むろん、タイマー録画して、再生視聴。

  すでに82歳にもなっている、とはいえ、驚いたのが、一回り、先月に較べて、げっそり、やせていたこと。

  横向くと、頬が削げ落ちているのが、分かる。オマケに、一回りやせたせいで肩が落ち、なで肩になっていて、来ている背広が、少し、だぶだぶに見えてくる。

  番組最後に歌った曲は、なんと、今年の2月末から、3月上旬くらいの間に、独りで、東京都調布市にある、一軒家の借家に住んでいた、サブちゃんの次男坊、本名・大野誠(写真右側)が作詞し、父である、本名・大野穣(みのる)が、作曲者名・原譲二(じょうじ)という、親子コンビで創った

 「友情(とも)よ」という、ざん新な曲。

 その詩&詞は、素晴らしい。過日、JASRACに問い合わせたところ、一行、丸々も、厳正に言うと、記事に引用しにくいことが判明。

 なので、読んでみたいかたは、検索してみてください。胸に染み入る、良い詩・詞ですんで。

 今から約14年前に撮影された、ジャケット写真の、サブちゃん。今との顔、カラダの違いが、お分かりになるはずです。

   この父子の関係は、長年に渡って、次第に疎遠になってはいた。

 だが・・・・・誰にも看取られることなく、数日間、発見されることもないまま、孤独死した、大野誠こと、作詞・作曲者名・大地土子(だいち  とこ)の、淋しい死を知らされたあと、今年3月7日に、記者会見に応じた時の顔は、失意に満ちてはいるものの、それほど、そぎ落ちていないし、肩も張っている。

 だが、今は・・・・・・。

    

 すっかり、全体がやせており、相変わらず、右手は、専用御手付き台に、このように、付けたままで、最初から最期まで、歌い切った。 

 しかし、仔細に観ていると、クチの動きと、歌声が、微妙にずれているうように見えてならないのだ。クチパク?

 まさか、サブちゃんに限って!?とは、想うのだが・・・・・。

 やはり、右手を置いて、台に支えてもらっていないと、気持ちが不安なのであろう。立ち続けられるが、気持ちだけの問題。そう、思いたいのだが・・・・・・。

 今後、テレビ番組は、この「サブ~」に関しては、1日で、1か月分をまとめ撮りしているので、このままの顔と、歌い振りが流れる。 

 この12月8日(土)の、午後6時半から、ナマ中継で「日本作詩大賞」の審査と、栄光の結果発表が、同じ、BSテレビ東京で、放送され、その席に、北島三郎こと、作詞&作曲家・原譲二として着く。

 提供曲は、娘むこの、北山たけしが歌う、「津軽おとこ節」。

 ノミネートされているのは、全18曲。

 詞&詩としては、ほかにより良い作品が有り、大賞獲得は厳しいと想われる。だがどちらにしても、歌手・北島三郎として歌うことはない。

 その姿の、全体のやせ振りが、確認出来ると想う。 

 すでに、「紅白」は、出演を自主辞退。

 コンサートは、来年の3月に、予定されている。 

 3月2日に、金沢歌劇場。またも、独りではない。原田悠里(ゆり)と、大江裕(ゆたか)が出て、たっぷりと歌い、時間を消費する構成。

 次いで、3月20日から、同24日まで、東京の明治座で、コンサートを行なうが、これにも、上記2人の他に、島あきのという、「尊敬するひとは、北島三郎先生」という、その芸名も、北島三郎に付けてもらったという、郷里も、北島の産まれ故郷の知内町(しりうちちょう)に近い、女性無名歌手まで出て、お披露目する。

 そんな「北島三郎 劇場公演」コンサートって・・・・・・・。

  歌手延命策という、5文字が、チラつき始めてきたように思えてならないのだが・・・・・

 まだ、と、もう。

 むろん、「お客に満足して、帰っていただける、プロ」としての、トップランクのレベルでだが。

 まだ、ヤレル。もう、ダメだと、苦悶、反芻(はんすう)しつつ、間もなく明ける2019年。

 キッパリと・・・・・はたまた、ズルズルと・・・・・・・

 平成は、やがて、幕を降ろそうとしている。

 男、北島三郎。82歳。気持ちは、平静のままでいられるのであろうか・・・・・・・・・・

 輝いて、歩んできた道の、晩節を汚しては、戴きたくないのだが・・・・・・