元・プロ野球選手、清原和博。すでに、引退して、8年。49歳にもなった。
その荒々しい言動と、常に礼を欠く態度から、「番長」と呼ばれたのは、当然の流れだ。
大阪の岸和田市、リトルリーグ、及びシニアリーグの監督・コーチ、卒業した小学校、中学校、卒業アルバム、教頭先生、校長先生、担任、実家、母、PL学園、練習グラウンド、監督、野球部選手たち、先輩、後輩、西武ライオンズ、入寮初日、無断外泊してまでセックスした元・女優、そのアパート、彼女の2階の部屋、西武戦、清原家族の住むマンション、親しい暴力団幹部、巨人戦、練習グラウンド、有名人大好き医師、病院、六本木、銀座、クラブ、キャバクラ、遊興先、また病院、医師、そして・・・・・重症糖尿病患者、医師。
そんな長い過程で、すぐさま判明したのが、清原の「初体験」のことや、「桑田真澄が絡んだ、チンポ性器挿入直前停止事件」や、桑田との当時からの不仲など、どこも知らない興味深いこと。
記事化し、ネットでも記事に盛り込んだ。
だから、先日の11月30日。
清原が、新たな「野球殿堂入り」の元プロ野球選手のリストから外れたことについて、桑田が「とても残念です」などと、公的発言とはいえ、あまりにも白々しいサマに、あきれ果てた。
おそらく、その言葉を又聞きした清原も、苦笑いしているはずだ。
にしても、まあ、こまめに、細かく、洗いざらい取材を重ねてきたもんだと、我ながら想う。
追いかけたのは、ひたすら「事実」のみ、正確に知りたくて。
本人には、すごまれたし、逃げられもした。
ヤクザに憧れていたんや、と言っていた清原。周囲に薦められてではなく、自分の希望で、写真の箇所の他にも、足など、カラダの数か所に「入れ墨」を彫った。
当時の妻の「亜希」や息子2人が反対したにもかかわらず、だ。ペイントでは無い、痛みに耐えてまでして、彫ったのだ。どや!と、悦にいっていた。
どんどん、態度が傲慢不遜に成り上がり、まともに質問に答えてくれたのは、PL学園時代だけ。
そんな清原が、改めて書くが、かねてよりウワサされていた「覚せい剤 所持、及び使用」の罪で逮捕されたのが、今年の2月3日。
長期間にわたる調査、追跡、そして張り込み。
逮捕当時住居にしていたマンスリー・マンション。警視庁組織犯罪対策5課の担当刑事は、清原が捨てたと思われるゴミまであさり、覚せい剤に関わるブツを採取。
その結果、99%の確証を胸に、数人で一挙に踏み込んだ。あぶり、を終えた頃の時刻を、キッチリ狙ってだ。
捜査を終え、起訴、
5月17日、初公判。同、5月31日に、「懲役2年6月 執行猶予4年」という、初犯にしては、やはり重い刑であった。
逮捕時の、清原和博の体形は、写真下のように、腹は突き出て、でっぷりと太っていた。かつて通っていたジムにも行かず、運動不足も、たたったうえ、元々抱える左ひざの痛みもあり、常に車を使用、ろくに歩きもしない。ましてや、ランニングなど、皆無。
結果、推定体重、130キロ以上。大相撲力士並みの体形と言って良い。だが、覚せい剤の影響によるものではない。
日頃の不摂生、すさんだ生活ゆえの、暴飲暴食がたたったもの。結婚生活していた頃は、比較的規則正しい食生活をしていたが、別居後は、喰いたいときに腹一杯喰い、呑みたいときに、浴びるほど呑む日々。
糖尿病の悪化街道まっしぐら、暴走、爆走。血糖値が、900にまで上がったのは、充分に有りうる。
人生、今まで自分で料理をしたことが一度も無いだけに、外食オンリー。血糖値など、気にしてられるかい!血糖ばせ!!
妻・亜希からの申し出で、離婚して、約2年。その理由をタテに、慰謝料は無し。もめた末に、男の子2人の「親権」は亜希が手にした。
別居後、正式に法的離婚後、弁護士を介して、息子2人が成人に達するまで、毎月定額の「養育費」を清原が亜希の銀行口座に振り込み続けるということは、合意に至ったはず・・・・・であったが、途絶え、途絶え。
養育費の「原資」は、家族が暮らしていた当時の、港区内に建つ、すっかり古びた億ション。
購入した当時こそ、最新であったが、2014年当時では、もう時代遅れの構造。入り口の各部屋番号を押すのは、丸ボタン。来訪者の顔が見られるカメラも無い。並ぶ郵便受けも、古い。
セキュリティシステムも古く、日中は、ケンカっぱやい中国人が管理人を務めて、応対という、旧態依然たる仕組み。
相当安く不動産屋に叩かれ、足元を見透かされ・・・・たと聞く。
その後も、ソコを引き払ったはずの亜希が車で、たびたび来訪しているところをみると、法的所有権こそ亜希に移転したものの、売却納得額は難航したまま。
亜希の兄が、管理代わりに、代わって住んでいて、亜希の仕事用の物などが、依然として置いてあり、ソレを取りに行ったり、チェックしているという。
元・夫は、元・妻に、子供との定期的面会も極めて少なく、且つ、短時間。そのことに、涙する清原。それを自業自得、とは感じていない。
現在、長男が14歳。次男が11歳になっている。
清原に、高額年俸を手にしていた当時の面影は無く、残り少なくなった貯金を切り崩しての生活。
執行猶予期間が明けるのは、2020年。東京五輪が開幕する少し前。まだまだ、自由の身であって、自由ではない。
以前私が指摘した、糖尿病の悪化は、ますます進んでいる。
今年の2月の逮捕後、すべての取り調べを終え、初公判前の3月17日。保釈され、マスコミとのカーチェイスの末、目をくらますため、わざと遠回りした挙句、千葉県松戸市にある「千葉西総合病院」へ「治療」と称して入院。
これもまた、ASKAこと、宮崎重明と同様、裁判官に向けての「免罪符」の意味合い。
ちなみに保釈金は、500万円であった。
あの、張り込みマスコミ陣に向けての「焼き肉弁当 騒ぎ」を、まだ記憶している方もいるだろう。
だが、そこにいたのは、わずか5日。
目立たぬ部屋へと、院内で代えたと言う説と、転院したという説の2通りがあったが、医師や看護師たちが、あきれ果てているということは聞こえてきた。
キチンと医師の言う通りの治療も受けず、さらに、逮捕前に付き合っていた、良からぬ面々が、面会と称して、出入り。
食事療法に加え、適度な速歩や、ランニングなど、1日30分程度の運動。さらに、薬の服用だけでなく、もはやインスリン注射を、一日3度の規則正しい食事の直前に腹部に自分で打ち込まなくてはいけない。
注射といっても、さほどの痛みは無い、
飲食する直前に打って、血糖値の上昇を抑える。直後でも、ダメ。それを、必ず1日3回、こまめにしなければ、死への道を歩み始めることになる。
いわゆる、血管に流れる血がドロドロに。
それにより、流れる血液が随所で詰まる。
その結果、カラダの運動機能が停滞し、清原の場合、左ひざから下が、え死状態に陥り、切断する羽目になってゆく。
だが、判決後。
都内から、故郷の大阪、岸和田に移り住み、身元引受人となった父・洋文(ひろふみ)の言うことを聞いて、おとなしく入院していた、と伝えられていたが・・・・・。
まったく、確証が取れなかった。
実家兼自宅は、シャッターこそ降ろしていないが、いつ電話しても、ず~~~っと、呼び出し音が鳴り続けるだけ。店内に、人はいない様子。
以前、2014年に電話した際には、母の弘子がおり、記事化したように、話しが聞けた。
報道されているような、痴ほう症は感じられなかったが、入退院を繰り返しているなか、退院して自宅にいた時であったようだ。
ただ、最近は、和博が実家を訪れても、「あんた、誰ですか?」という言葉が返ってきたという。
父の洋文もまた不在。
病気で入院しているとの報道。78歳と、母が75歳。長期不在ということは、そうなのかも知れない。
そんな状況の中、和博が自主的に「覚せい剤」「や「糖尿病」の治療のために、入院するであろうか?
ましてや、自分にひどく甘い彼が!
その性格や、冒頭に挙げた言動もあり、4歳年下の、弟・幸治(写真下)とは、昔から疎遠。兄弟げんかを超えた仲。
まったく行き来が無い。幸治もまた、PL学園の野球部で活躍。その後、青山学院大学に進み、松下電器の野球部へ。
社会人野球でも才能を伸ばしたあと、部のコーチまで勤め、今も社員として勤務している。
だが、兄の和博のこととなると、まったく語ってくれない。
和博の周りに群がる人間たちは、覚せい剤に溺れていた頃と、まったく変わっていない。
かつては、遊興の際、おごりまくっていただけでなく、気持ちも、言動も、クチもおごっていた和博。
金欠病になった今は、逆におごられている日々。
ちなみに、清原の逮捕時に、次は!と「大物歌手」や「歌手N」と報じられ、ウワサされた長渕剛は、清原と喧嘩し、今はまったく付き合いは無い。
無いが、長渕の周りに群がる人間たちは、一見して企業舎弟と見まがう者たちばかり。
夏の陽射しの強い炎天下でもないのに、例えば後楽園ホールにボクシングの試合を、主催者招待で観に来た時なども、サングラスをしたまま、屈強な数人に囲まれるようにして入場し、客席に居並ぶ。
すぐさま、場内アナウンスが流れる。
「写真撮影は、おやめください」
撮られてまずい人間たちなのか、と考えながら目に何度か焼き付けておく。
彼らと、どんな関係になっているのか? その親しさが、どのように発展しているのか?
今から21年前、大麻の所持・使用で逮捕された長渕剛。コトが終わって、出迎えた人が感じた「まったく反省していなかったのには、驚いたよ。長渕らしいといえば、そうも言えるんだけどさ…」と苦笑していたことを、昨日のことのように覚えている。
清原も、今も似たようなものだ。
ただ、外出は控えるようになった。
「閉じこもり」と、その多くは報じているが、実は実態は違う。出たくても、出られない、のだ。
小便が、自制出来ず、垂れ、流れ出てきてしまう。前が濡れ、汚れっ放しになるからだ。
まだこの時期は、腹が競り出ていない。
この頃は「前立腺肥大症」。今は、それで収まらない、「前立腺がん」になっている可能性が大きい。
これもまた、投薬と、手術が必要なのだが、覚せい剤を体内に入れていた影響で、自律神経の感覚が非常ににぶり、狂っている。
そのため、もう垂れ流し状態の羽目に陥っている。
その手術を受けたという事実は、聞こえてこない。
そんななか、この9月上旬。
写真誌が報じた、宮古島への旅行。
だが、機内持ち込み可能な、インスリン注射器を何本も入れたバッグなどは、見えず。
タニマチ的な存在になっている飲食店経営者と、高額リゾートホテルに宿泊。
思いっきり羽を伸ばし、呑んだり、喰ったりの日々。
だが、その直前、インスリン注射を、突き出た腹にプチッと刺してという光景は、見当たらなかったようだ。
島を引き揚げ、空港での清原。
以前、この状態だった体形が、
腹の出具合が、減っている。
帽子を深くかぶり、さらに顔を覆うマスク。
(「フライデー」掲載号より、2点転載)
この姿を、糖尿病患者数人や、医師に見てもらった。
「これ! インスリン注射を、殆んど打ち込んでいないんじゃないか!」
打たないで放置したままにしておくと、腹の出が収まるどころか、やせていくのだという。
「これじゃ、死に向かって突っ走っているようなものですよ」
以前、清原自身、「1日、1回しか打たないことがあった」と言っていたことがある。
普通の男性で、血糖値が120~130が正常。それが、一時にせよ、900!
最低、食前3回。注射の種類は5つほどあり、1日5回の物も有る。
金額はそう高額では無いが、死ぬまで打ち続けなければならない。
ソレをおこたれば、短命で死ぬ。
「覚せい剤」使用の後遺症。「重度の糖尿病との複合・合併症」。さらに、「前立腺がん」。
全身これ何でも有りの、病気のデパートだ。
プロ野球選手会に聞いたところ、「国民年金」の手続きも、「健康保険」の加入の手続きも、何もしていない。
「それは、選手個人が各自やることでしょう」と、突き放した。何にもしない選手会の体質と構造は、依然として変わっていなかった。
従って、清原が、国民健康保険に新たに加入し、3割負担で支払っているのか、それとも10割、全額負担のまま支払っているのかは、確認出来なかった。
ならば、選手会。アメリカのメジャーリーグのように、5年以上在籍していた場合、引退後、生涯年金がもらい続けられるのだが、日本では、その制度、皆無。
何にもしてない、出来てない、無能選手会!
現在、清原は、野球解説者やタレント活動も無く、無給、無収入。手を差し伸べる球友も、1人としていない。
今は、港区内にある「マンスリーマンション」に立ち戻っている。面倒を何くれとなく診てくれていた女性とは、すでに別離。
厳しく、彼の身を案じて、こまめにインスリン注射、投薬、入院、治療を強制・指示する人間がいなければ、他人に厳しく、自分に甘い性格の清原。
巨人軍への恨みは強く
「巨人軍と富士山は、遠くから見ればきれいだけど、登ってみるとゴミばかり」と言ってしまったせいか。いまだに「OB会」には、ただの1度も呼ばれたことは、無い。
裁判で、良く証言してくれた球友の佐々木主浩だったが、そのとき限り。すでに、交友関係は断たれたに等しい。
孤立無援の清原和博。
このまま突き進めば、55歳まで命は持たないのではないか。父や母より先に他界、の確率は高い。
自業自得と斬り捨てるには、しのびないが・・・・・。
幸い、彼が住むマンスリーマンションには、健康維持のためのランニングマシンが、小さなジムのなかに置かれている。
繁茂にトイレに通いながら、走ることを真剣に続けてみたらいかがだろう。早く、死にたくなかったら。
一方、別居・離婚して3年近くたつ、亜希は、日々前進している。
別れた和博が逮捕された約1か月後、仕事の名前も「清原亜希」から、「亜希」に公式変更。
戸籍上も、旧姓の「木村亜希」に戻した。
現在、47歳。モデルとしての老いは、まず、どれほど加工、メイクしても、否応なく、忍び寄ってくる。
ある日のこと。都内港区の、月額家賃45万円の賃貸マンションに引っ越してから、女手一つで男児2人を育てている。
男児2人は、有名大学系列の小中学校に通わせている。教育費は、かさむ。
家にいる時は、普段化粧せず。
何気なく、自分がモデルとして掲載された雑誌を、リビングの机に置いていた。
それを見つけた息子。
「これ、ママ・・・・じゃない。載っている名前はママだけど、まったく別人だ」
化粧と、載せるにあたって、ブラシをかけ、修正を重ねてゆくファッション雑誌。
それが・・・・ばれた。いつまでごまかせるか・・・・。老いという単語が、ブログにのぞく。
そのせいではないだろうが、ここ最近は、モデルとしてだけではなく、スタイリストや、カメラマンとしても仕事を始めた。
さらに、毎朝、食べ盛りの子供2人の為に作っているお弁当を、仕事にも生かし、幅を大きく広げている。
味の良しあしまでは分からないが、見た目の自身撮影の写真は、どれもこれもおいしそうだ。
新進料理研究家としての布石、か?
嫌われない性格・・・・らしいので、マルチに転身は可能だろう。
(ブログより、割愛写真で、転載)
故郷の福井市にいた母を引きとり、最期まで看取った。福井産、と聞くと、もはや47歳。郷愁が沸き、まな板を購入してもいる。
いつも素足に靴。スポーツジムに通い、プロのモデルとしての体形の維持は欠かさない。
いくつもの雑誌で、グラビアに、今は載り続けているので、子供を自力で養っていけている・・・ようだ。
一方、自分の高額ブランド、「AK+Ⅰ」の売り上げは、思うように伸びていない。
そんな日々の中、独りになって、胸に詰まった想いを、紙にしたためている。
「七転び八起き」、「頑張ろう」、「愛情」、「守るも」、「許す」、「母ちゃん」、「泣」、「食育」、「大丈夫だから」、「何とかなる」、「感謝」、「お弁当」・・・・・・・
だが、・・・・・・・復縁はあり得ない。