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< リアル 芸能 ルポ > 「追記版」絶妙の歌唱力を持つ、シンガー・髙橋真梨子の、意外と知られていない本当の逸話

2022-12-17 14:20:13 | 芸能ネタ

 【 2016・12・31 掲載 】

 髙橋真梨子、というシンガーを知っている人は、いるだろうか?

 高、ではなく、髙。

 独特の、声。艶のある、声。そうそう、多くはテレビ、雑誌にも出ない女性シンガーだ。 だから、そういう書き出しにした。

  実態を書いた、今日大晦日の「NHK 紅白歌合戦」には、なんと出演し、ヒット曲「ごめんね・・・・」を、しっとりと歌い上げるはず。

 そのほかの、世の中に良く知られた曲といえば、「五番街のマリー」、「ジョニィへの伝言」、「for you」、「桃色吐息」などが、たちまちのうちに列記出来るほどの、シンガーだ。

 そんな彼女の、「意外と知られていない、本当の逸話

 といっても、実母との長い年月にわたる、複雑な感情や、晩年の想いなどでは無い。

 また、すでに67歳と9ヶ月にもなり、決して健康な身体とは言えないこと、などでも無い。

 それに関して、添え書きしておくならば、あくる来年、2017年のコンサートは、まだ1本も決まっていない。いや、決めていない、入れていない。

 人気が無いとか、やっても客が見込めないとか、言う訳では決してない

 2016年のコンサート・ツアーが、終了したのが先月11月。

 しばらく休養したい、というのは表向きであろう。

 実は、あまり体調が思わしくないのではないか・・・・。

 これまでも、いくつもの病いを抱え、乗り越えてきた。

 「以前は出ていた声が、さすがに67歳を越えると、出ないというか、正直、出にくくなっていますよねえ・・・・・。腹筋とかやって、鍛えているつもりでも、やはりねえ・・・・」

 と、本音をもらす。

 客を目の目にして、常に「ベストの状態」で、歌声を聴かすことを信念としている彼女としては、悩んだ末の、今後の休養であろう。

 そんな彼女の、「逸話」は、時計を20年ほど前に巻き戻す

 全国で、コンサート、及び、公演を手掛けている、鑑賞団体に「労音」というところがある。

 音楽取材で、広報や実務担当をこなしている人と、次第に親しくなっていた。

 その人。とても、正直に話す。

 なもんで、次第に信頼出来あう仲に。

 そんな日々のなかで、ふと、こちらにクイズめいたことを問いかけてきた。

 「ウチが手掛けている歌手やバンド、グループのコンサート。全国隅々で、とても数多くやっていることは、御存じですよね?」

 ええ。

 「そんななかで、常に長年にわたって、トップの観客動員数を数えている歌手がいるんですが、誰だと思います?」

 う~ん・・・・。〇〇ですかね? それとも、✕✕かなあ・・・・。

 「まったく、違いますね。その人達、東京や、大都市では確かに、ほぼ満員に近い状態で客は来てくれてます。でもねえ、あんまり書いては欲しくはないんですが、地方に行くと、まあ、弱い。客が来ない。実は、そんな歌手が、殆んどなんですよ」

 へえ・・・・。噂には聞いていたけれど、やっぱり、か。

 「でね、正解言いましょう。髙橋真梨子です。彼女は、まあ、スゴイ!大都市で完売はもちろん、どんな地方やひなびた田舎に行っても、完売、満員なんですよ! そういうこと、全然知られてませんけどね。常にトップ! ダントツの、集客力です」

 テレビ、ラジオにも出ない。当時は、ネットも無い時代、口コミが、せいぜいの頃。彼女のコンサートの盛況ぶりなど、スポーツ新聞でも、1行も伝えられてはいなかった。

 実の所、私自身、髙橋真梨子という歌手は知ってはいたけれど、ナマでコンサートを聴いたことは、当時、一度も無かった。 

 今度、近いうちに行きたいな。チケットは?

 「だめです。申し訳ないけど、もう完売です。いくら親しい仲でも、空席が無いのに、来てくださいとは言えませんもん」

 当時、マスコミに向けての宣伝は、彼女、一切していなかった。取材依頼も皆無。むろん、コンサート取材の呼び込みも、無い。

 世間では広く知られずとも、宣伝や、仕掛け一切せず、着実に、彼女自身の歌声だけで、この実績を一つづつ積み上げてきた、唯一無二の歌手。

 そう断定していいだろう。

 その集客力は、いまもまったく衰えていないのには、ただただ驚くほかない。

 でありながら、客が入るから、儲かるからといって、東京ドームでコンサートを行なったという記憶は、無い。

 せいぜい、5000人が入る「東京フォーラムA」が、定番。むろん、当日前に完売と聞く。ライブは、観た。

 髙橋真梨子なりの、毅然とした矜持信念なのであろう。

 今夜のナマの歌唱のあと、しばらく休養、検診のつもり、か。

 聴き手に届くか!? その、今の想い。

 まさに、「ごめんね・・・・・」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 午後11時前。

 髙橋真梨子の「熱唱」と言うにふさわしい歌声を聴いた。

 こちらが望んでいた、おそらく彼女のフアンも望んでいたであろう、シンプル・イズ・ザ・ベスト!

 下手な踊りも、場違いな応援も、目がチラつき、聴くチカラを散漫にさせるライトや映像もなく、じっくり彼女の今の時点での歌声、を聴けた。

 声の伸びも、声量も、申し分なし。

 それでも、彼女にとっては、声の老いを感じ始めているという。少し、やせ過ぎが、気にはなる。

 しばし、休養をとり、また全国隅々の満員の聴衆を、その歌声で魅了して欲しいものだ。

 重い病気でなければ、いいのだが・・・・・・。

 それにしても・・・・・ゴジラを追い払える「良質の歌」が、髙橋真梨子だけだったというのが、なあ・・・・。

 宇多田ヒカル。

 堕ちたなあ・・・・音程の危うさは、デビュー時からあったけれど、普段から日々歌い続けていないと、ああいうぶざまな歌い方になっていくことを痛感した一夜だった。

 森昌子が、典型。10代のころの上手さと声量には、死ぬまで戻らないままであろう。

 視聴率。また一段と下がっているのではないだろうか・・・・・・・

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 【 2022・7・23 追記 】

 「老体にムチ打って・・・」 現在,髙橋真梨子は、最後の、全国コンサートツアー中だ。

 常に、完璧なステージを目指し、聴かせる

 客席、どこに行っても、いまだに満杯

 新型コロナウイルス禍や、相次ぐ、東北各地を襲った地震の影響で、公演中止や、延期

 振替公演は、すぐ完売になっている

 11月まで、コンサートで全国を巡り、12月には、ディナーショーを行い、それで、長期のツアーは、永遠に幕を閉じる

 日本一、チケットが、全国津々浦々まで売れる歌手が・・・

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 【 2022・12・17 最終追記 】

 全国ツアーを終え、残す「ディナーショー」も、12月20日の福岡と、ラスト、24日の東京を残すのみ。

 翌25日も、追加公演なのか、ホテルンニューオータニで、まさにラストが開催される

 料金は、5万円や、5万4000円だが、完売

 最後まで、ベストコンディションで、マイクのまえに、スックと立ち続けるであろう

 強気な、松田聖子の荒稼ぎディナーショーとは、本質的に違う

 亡き娘とは、仲たがいしていたのに、平気で、うそ涙流せてしまう

 ・・・・・・・・・・・・・・・

 来年WOWOWで、コンサートツアーのライブの模様が、1月から3か月間、放送され、ライブCDも、相次いで発売される

 商売上手

 まあ、唯一無二の、絶世の歌唱、お楽しみください


< リアル 芸能 ルポ > もっか、38歳。3人の子持ち、シングルマザーの竹村こずえ《第5弾》。演歌歌手業、しばし休業中! どうして? 隠された事実を一気に書く

2022-09-29 20:40:42 | 芸能ネタ

  2016・11・14 掲載記事 >

 今まで2度記事化したことのある、竹村こずえ

 といっても、演歌に興味がある中高年世代じゃないと、彼女の歌う曲は、なかなか知られていない、まだまだ深く広く浸透していない。

 アマチュアの時代に、地元の滋賀県栗東(りっとう)市で髙く評価され、プロ歌手として、CDデビューして、早2年7か月が過ぎ去った。

 若くして、次つぎと出産。すでに38歳の身で、3人の食べ盛りの学生の、男女の子供がいる、俗に言う「シングルマザー」。

  連日、「キャンペーン」という名の、全国レコード店巡り、各地の大小さまざまなテレビ局やラジオ局への挨拶回り。

 ゲスト出演も、ある。サテライト・スタジオで、カラオケを背に歌うことも。

 そして、レコード店というより、今はCD店の前で、路上、道行き交う、1人でも多くの人に、自分の歌を聴いてもらい、フト、気になって足を止めてもらい、耳を傾けてもらい、さらに、手渡しして売る、いわゆる「手売り」をするために、上記写真のように、声を張り上げて絶唱する。

 その1枚が、やがて10枚になり、100枚、1万枚、そして10万枚を超える大ヒットにつながる・・・・・・かもしれない。

 そんな「果てしのない夢」を抱いて、全国各地、隅々にまで、くまなく巡る。

 時折り、コンサートもする。

 また、前回の記事で指摘したように、素人の自称演歌歌手たちの、晴れの舞台に呼ばれ、さながら「人寄せパンダ」。「看板スター」となって歌いまくり、多くのギャラを得る。

 もろ、「営業」。

 キャンペーンは、すべて「持ち出し」。

 そのスケジュールを追っていくと、竹村こずえは、ほぼノーギャラ、もらえても薄給に近いと想われる。

 一応、テレビの歌謡番組には、一巡り出た。

 そこで、私のような一記者の目と耳に引っ掛かったわけだが、メジャーの記事には出ていない。

 ひたすら、ムカシの旅役者のように、全国各地をくまなく流れ、流れ、歌い続けている。

 それが、多くのプロデビューしたのちの演歌&艶歌歌手のたどる道だ。文字通り、「地道」な活動。

 この3年あまり、竹村こずえは、ソレを軸に仕事を続けていた

 むろん、まだまだ大手歌謡プロダクションが、幅を利かせるテレビ界。

 マスメディアの象徴とも言える歌謡番組で、事務所の腕力で毎週のごとく顔を出させ、そこで知られ、短期間でヒットを飛ばす幸運な歌手もいる。

 だから・・・・・・と、想った。

 デビュー以来所属していた事務所、「オフィス・ジュニア」は、歌謡曲などの歌手のプロダクションではない。

 無名、有名問わず、男優、女優が多くいる「俳優」の事務所であった。知られるところでは、酒井美紀くらい。

 それだけに、同じ芸能界とはいえ、畑違い。歌謡界には、弱い。

 ならば、ドラマに、俳優として、セットで押し込めば良いものを。

 そこで、ひょいと注目されれば、違う展開も考えられるのに、と思っていた。

 歌い続けてはいるものの、良いモノを持っているのに、2年以上、目が出ないままなのだから・・・・・。

 そう想っていたところに、実はとんでもないニュースが飛び込んできていた。

 竹村こずえの、その事務所の営業状態が思わしくなく、経営が悪化、業績大悪化、台所が火の車らしい、という。

 その噂が、6月24日、東京地裁へ、自己破産を申請というカタチになって表面化。

 負債額、1億5000万円。所属事務所は、つぶれた!

 その前に、事務所の斡旋で、他の事務所へ移籍・・・出来たらしいが。

 だが、竹村こずえの、日々のブログを見る限り、そんな事実は、ただの1行どころか、一文字も書かれていない。

 隠していたいのだろう。

 そして、声帯にポリープが出来てしまい、先日、除去手術をしていた

 まあ、今の境遇の彼女にとっては、弱り目に、たたり目。踏んだり蹴ったり、というところか。

 日々、快方に向かい、まず、少しづつ、しゃべっても良い段階になっているようだ。

 スケジュールは、白紙。

 演歌歌手にとっての夢でもある、NHKの紅白歌合戦は、夢のまた夢に遠のいた。

 日本歌謡大賞や、レコード大賞などは、「実売CD枚数」とは関係の無い、裏取引の勘定で決まるから、気に掛ける意味も無い。

 すでに38歳。この先を見通し、経済的にも、将来的にも、深く考えなければならない時期に差し掛かってきた

 とはいえ、演歌、はたまた、艶歌の世界。

 手売りの1枚が、じわじわと聴く人の心の奥底に浸透し、気付けば1万枚になる世界でもある。

 ただ、このパソコン上でも、CDを買わずとも、タダで聴ける時代。ユーチューブで、動画まで見ることが可能な時代。

 本当に、その意味でも、演歌は「冬」どころか、「厳冬の時代」と言い切って良い。

 その風雨が叩き付ける海のなかで、今後迫る、2017年を、ともかくどう生きていくか・・・・。どう、泳ぎ切れるか・・・・・。

 遠くから、竹村こずえを見守っていくほかない。 

 


< リアル 芸能 ルポ > 竹村こずえ、《第4弾》「ポリープ除去手術」を経て、ただいま演歌歌手、休業中。なんと、新事務所や、新マネージャーのことを調べて、おら、びっくらこいただ!

2022-09-29 20:38:41 | 芸能ネタ

  2016・11・19 掲載記事 >

 ん・・・・・・極めて、限られた年代層が、興味・関心を持って、読んでくれそうな気が。

 んでも、調べて、取材したもんで。熱烈ファンですら驚くはずの、知られていないことも判明。まあ、興味を持って読んでもらえるかな?と。

 全国各地を旅から旅へ。まるで、フーテンの寅さんみたいな、啖呵(たんか)バイならぬ、キャンペーンの旅稼業(写真下)をしていたさなかに、竹村こずえ襲った、所属芸能事務所の「自己破産」。

  

 負債債務額、1億5000万円。債務者、50人。が、全額自己破産ゆえに、チャラになった。

 ウィキなんとやらでは、自己破産前に、所属芸能人へは、他社への斡旋交渉を勧め、それをすべて終えたのちに、自己破産を今年の6月24日に、東京地裁へ申請したことになっている。

 だが・・・・私の知っていた、ある無名の所属舞台女優は、引き取り手が無いまま、フリーになっていた。

 では、演歌、ないし、艶歌歌手・竹村こずえは?

 先のウィキでは、すでに潰れて、今はこの世に存在しない「オフィス・ジュニア」に所属のままになっている。

 ウィキのずさんさ、でたらめさは、今さら改めて書くまでも無い。

 では、竹村こずえは、今どこに所属を?

 所属しているレコード会社である「日本クラウン」に問い合わせた。

 「ああ、それは、今は「tree top (ツリートップ)プロダクション」というところですよ」

 ん? treetop? treeって、樹か?

 「そのようです。住所や、電話番号ですか? いえ、都内とかではありません。ええと・・・・・滋賀県栗東(りっとう)市×××ですね。電話は、×××です。詳しい経緯は、申し訳ありませんが、そちらに聞いてください。なにかね、個人事務所のようですよ」

 栗東!? 個人?

 そ、それって、竹村こずえの出身、住所地じゃないか! アパートの1階に事務所を新設した?のであろうか?

  3人の子供(写真左)が、母のこずえ(左から2人目)を手伝っているのかな?

 早速、開業時間限定の「tree topプロダクション」へ電話を入れてみる。

 「はい。tree top 竹村です」

 ?? 出たのは、中年女性。ひょっとして?

 ---あのう・・・失礼ですが、竹村こずえさんのお母さんでいらっしゃいますか

 「そうですが? 何か・・・・」

 --- そうすると、娘さんは移籍交渉をせずに、故郷に帰って、新たに個人事務所をおこした?ということですか?

 「そうですねん。今年の3月頃からかねえ。4月には、もう始めてましたね」

 母は、68歳。彼女の話しによれば、「tree top」というのは、娘が決めた事務所名で、英語の意味は「こずえ」「梢」。

 な~るほどね。そ~ゆ~ことか。シャレてるわい。

 母が、実家から通って来て、産まれて初めての慣れないプロダクション業務を手探りで行なう毎日。すでに、8か月。ズブの素人が、曲がりなりにもキチンとやり続けられている。

 ---子供さんたちは、手伝っていないんですか?

 「なんかねえ・・・3人とも、なんというか、こ~ゆう芸能界のことは、興味無いようですわ」

 改めて聞けば、長女が20歳、以下、18、15。大学生、高校生、そして中学生。

 まだまだ、教育費がかかるし、3人とも大学に行かせ、実家以外から通学ともなると、さらにおカネがかかる。

 母や祖母が、食べさせていかねばならないということか。

 娘のこず恵(本名)が、のどに出来たポリープの除去手術を行なったのが、11月の4日。

 「あの子の曲が、声を張り上げて歌う曲が多かったせいですかねえ・・・・・。私は、心配しとったんですよ。大丈夫かなあって」

 「キャンペーンもねえ・・・・・少し減らした方が、ねえ・・・。アレも影響したのかなあ、と。一番新しい「あかね雲」ですか。アレは声を張り上げなくても良いようなんで、安心しとったんですが・・・・」

 稼いでもらわなきゃいけない立場の歌手を抱えるプロダクションの重役というより、娘のことを常日頃から心配している母親の顔がのぞく。

 ーーープロモーションビデオのなかには、日本海の浜辺で、寒い中、震えながらも、薄い羽衣のような衣装で歌うシーンもありましたねえ

 「そうなんですよ。あの子、寒いのは苦手でね、アレルギーなんで、大変だったんですよ」

ーーー唇が、何度も歌い込む撮影につれて、ぶす色になっていって

 「そうそう、アレはねえ・・・・・」

 手術後の経過は、順調の様子。

 当初は、しゃべることを禁止され、筆談で用を済ませた。徐々に快方に向かうにつれて、一言、二言、三言に。少しづつ、話しても良いようになっている、とのこと。

 「歌うのは、まだまだですねえ。お医者さんからも言われており、12月に入ってからになりますかねえ」

 先日の、彼女のブログを見ると、長女の運転する車に乗って、遠出。神戸のきらめく夜景を見に行った様子が、打ち込まれていた。

 兵庫県の「実家」に、野菜を取りにも行っている。

 「ああ、あれは、私の実家のほうにですね、行ってのことですね。農家を少し、やっているもんでね」

 祖父母、のいる「実家」かあ・・・・・・。

 また、ブログには、男性マネージャーとのステージでの様子が面白おかしく、写真のつなぎで載っていた。いずれも、ピンボケなのが、惜しいが。

 業務提携先は所属レコード会社である、日本クラウンの「クラウン ミュージック アーティスト マネージメント部」。

 ---そこから、新たなマネージャーが派遣されてきているんですか?

 「いえいえ。アレは、こず恵の兄なんですよ」

 えっ! 家族、ファミリー経営か。家族総出。兄は、40歳代。

 「まだ、慣れてはいなくて、毎日、苦労して大変なようですけどねえ

 聞いて、ビックリ! ブログには、その辺りの事は、自己破産も含め、1行も打ち込まれていない。

 「そう、ですね」と、母。こず恵の性格と、彼女なりの個人情報の配慮なのであろうか。

 だが、上から無理やりやらせられることは、まず無い。兄妹と母で、話し合いながら、すべて納得づくで一歩一歩、仕事を進められる。

 オフィス・ジュニア時代は、月給制であった。失礼かな?と思いつつ、その金額を聞くと「それは・・・・・・・・」。

 今は、稼いだ分が、ほぼすべて返ってくる。無ければ、ゼロ。厳しいが、やりがいはある・・・といえよう。

 歌手・竹村こずえの「プロフィール」には、デビュー前は、「トラックの運転手をやっていたとある。本当であろうか?

 「本当ですよ。10トントラックを、走らせてましたから」

  イベントで、久しぶりに大型トラックの前で、記念撮影。

 「今はもう、怖いって、こず恵が言ってますわ、走らすのが怖がって」と、母は笑った。

 こず恵が18歳の時に、長女を産んでいる。その後も、2人産んだ

 別れた夫も、トラックの運転手だったそうだ。

 「新プロダクション」のなかに、「こずえ倶楽部」と言う名の、彼女のファンクラブも置かれている。

 入会金、1000円。年会費、5000円。

 会報なども含め、なんと「器用にパソコンを使って、こず恵自身がやっております」と。

 今後は、どうなっていくのであろうか? CDデビューして、2年8か月。活動期間は、丸3年近く。まだまだ、大ヒットには結実していない。

 「そうですねえ・・・・・。こず恵自身もね、不安をね、ちょっともらす時も、無いではないけれども・・・・・・」

 やさしい母の想いが伝わってくる、ひとときであった。

 まず、あと1年やってみて。

 すでに、もう、3年。が、まだ3年。たった3年じゃないか、ともいえる。

 苦節10年という言葉もある。が、それ以上に痛感したのが、昨日の夜のこと。

 何気なく、同じ演歌、否、艶歌歌手の藤あや子が、坂本冬美との2人旅の番組の最後で、自身の売れなかった不遇時代のことを、問わず語りに語っていたから。

 「下積みが私、長かったから・・・。民謡歌手の時代も、その前にあったしねえ・・・。キャンペーンもやって、売れない日が続いても、落ち込まなかった。また、明日、頑張ろう!って思えたから。夏ちゃん(伍代夏子)も、そうだったしね。そう言ってたもの」

 藤あや子、今55歳。民謡歌手として、会社に勤めながらも8年間歌い続けたが、目が出なかった。艶歌に転じて、村勢真奈美という芸名をもらっても、デビューして5年間、売れぬままであった。娘が、1人いて、育てた。そして、藤あや子に改名しても、ヒットしばらくせず。

 通算13年目で、ようやく、ようやく、陽の目をみた

 片や、仲が良さそうな伍代夏子。まもなく、藤と同じ55歳を迎える。

 芸名「ひろみ」として、歌手デビュー。が、泣かず、飛ばず。次いで、加川有希中川輝美(当時の本名)、そして現在の伍代夏子と改名。

 だが・・・・下積み、およそ8年間を要した。

 この2人、今でこそ、演歌ファンなら、誰もがその名を知る一枚看板だが、意外や、そんな苦難の道をたどって来ていたとは!

 んんん・・・・・・

 だから、わずか3年とも、言えなくもない。デビュー年齢が遅かったとはいえ、竹村こずえ、まだまだ、ひよっ子・・・・・

 何かのきっかけで、藤あやこ、伍代夏子のようになる可能性は、充分に秘めている。

 今年も年末の日本レコード大賞や、紅白歌合戦。

 相変わらず、あきれ果てるほど、実情とはかけ離れた「相互利益」だけで、出る歌手が決まっている今だからこそ、竹村こずえのこの先を、静かに見つめていきたい。

 静かに、静かに・・・・・・

 

 

 

 


< リアル 芸能 ルポ > 竹村こずえ《第3弾》、がんばってんなあ。3人の子持ち、8月8日、38歳になって賭ける最新曲「あかね雲」。出だし,藤圭子調で快調。が、サビの部分が・・・

2022-09-29 20:36:08 | 芸能ネタ

 < 2016・8・22 掲載記事 >

 先日のこと。

 自分の検索記事数を垣間見たら、「竹村こずえ」のコトを書いた、1年半前の記事が、何故か急にアクセス多数。

 彼女。まだまだ世間では、知られていない演歌歌手。

 3人の子持ちで、シングルマザー。ほどほどに、色っぽい。艶っぽさも、今だ残している。

 この8月8日で、38歳にもなった。なので、再婚か!? それとも、ひそかに有名人と、熱愛か!? それで、見つけたか?

 調べた。全然、無い。

 ん?

 時折り共演する川野夏美のように、恋だったのか、慕う心だったのか、ある妻子ある先輩男性歌手との、「あかね雲」のもとでの、ひとときの熱愛もないようだ。

 先程見たら、「竹村こずえ」と検索すると、上記記事がラインナップに並んでいた。な~るほど。ソレで気付いたわけか、かつての記事を。

 では、その縁で、今どうしているんだろうか?と、調べる流れに。

 そんな今日、8月22日。FMで、「あかね雲」という彼女の最新曲らしいのが放送されるというので流しっぱなしにしていたら・・・・気付かぬまま、番組が終わっていた。

 おまけに、「台風による、避難情報」がひんぱんに入り込み、流れる曲を裁断・分断しまくり。ならば、と検索。

 「あかね雲」の、プロモーション動画があった。

 それも、初めてのフルコーラスだ。今までは、せいぜい2コーラス。

 まるで、昔の「夜のヒットスタジオ」風の、スタジオセット。そこで、もろに着なれぬ革ジャン羽織って、短い黒ズボン。ホントにかつて、トラックの運転手、やっていたんだろうか?

 

 

 何度も、何度も、聴いた。聴き込んだ。

 出だし、確かに藤圭子を想い起こさせるし、快調!

 だが、肝心のサビの部分が、ありがちなメロディ。ありがちな、締めに向かう。

 う~ん・・・・・・・・。

 デビュー2周年を迎えたとか。地元の競馬のメッカ、滋賀県の栗東(りっとう)でコンサートも開いた。持ち歌は少ないが、かつてのヒット曲を見事に、自分のモノにする能力はある。

 キム・ヨンジャほどの凄さはないが、歌わせたら群を抜く。

 例えば、キムの歌う「あの鐘を鳴らすのはあなた」

 本家の和田アキ子が、ひれ伏す説得力。和田のように、時折り音痴にもならない

 その域にまで達すれば、しめたものだが・・・・・。

 

 ブログではあいも変わらず、全国をキャンペーンで、巡り、回っている。3度目の夏を迎えたのだろうか。

 演歌歌手の、常道パターンだ。

 前のが売れなかったら、次に賭ける。が、賭けてるはずの最新曲ではなく、去年秋の古い曲が冒頭に今もって出てPR。

 本気で、所属事務所や、レコード会社が、「あかね雲」に全力を注ぐ気はあるのだろうか?

 また、無名のシロート歌手5人を「特別ゲスト」や「ゲスト」と名前をとりつくろっての、コンサートをやる。竹村は、客寄せパンダとしての、いわば一定額の「営業」収入。入場料は、3500円も!取る。

 これねえ・・・・・

 以前、調べたことがある。

 竹村より知名度のある鳥羽一郎が、1500人ほど収容出来るコンサートホールで、ソレ、やった。

 来たの、200人足らず。すべて、8人あまりの、無名歌手が、親戚、知人、友人、親兄妹に、押し付け同様に、アタマ下げまくって手売りした総計の客。

 ステージ前3列ほどに、びっしり詰め掛けての、シロート歌手の手作り応援隊。

 あとは、客席ガラ~~~~~~ン!

 鳥羽のファンは、ソレ見越して来ず、買わず。

 赤字は、シロート歌手が、分担して補てんするという次第。

 周年、38歳。

 この先が、はたして見通せるのか?

 歌う曲の売り上げと、世間への浸透度、じわじわ、ドッカ~ンの兆しは・・・・まだ無い。

 演歌、冬の時代はまだ続いている・・・・・・・


《 リアル 芸能 ルポ 》 CD発売して歌手デビュー、丸4年目突入。竹村こずえ《第2弾》、39歳。第5弾記事。4月11日(水)、ナマ出演するが、この1年半に行なっていたこと、これからのこと

2022-09-29 20:34:07 | 芸能ネタ

  【 2018・4・11 掲載 】

 先週、久し振りに表題の演歌&艶歌歌手、竹村こずえについて、初めて記事化した3年2か月前のモノに、検索が集中していた。

 ん? 何か、あったのだろうか?

 3人の子持ちにして、まだまだ39歳の、女盛り。独身、でもある。 

 とはいえ、ここしばらく、つぶさには観ていないが、ず~っとテレビの歌謡番組には出ていない。とんと、御無沙汰。

 が、4月4日のテレビ東京には出ていたらしい。観ていないので、らしいとしか言えない。

 カラオケで、プロの歌手が歌って、出た点数を競い合う内容・・・・だったらしい。

 そのカラオケでの、歌唱力点数マシン。

 以前から、プロが意外や、低い点数が出て、会場やスタジオが湧く、ということがしばしば見掛けられるので、その狙いがある番組だろう。

 コレで、彼女について記事化するのは、5本目となる。

 遅咲き、そりゃあ、35歳でデビューでは、遅咲き。

 今までの3本を読めば、そんな独りの女性艶歌歌手の足跡をたどれる記事になってるようにも想う。

 まずは、3本目を記事化した後の、この1年半の間、彼女はどうしていたのか。時折り、気になっていたので、調べたりしていた。

 デビューし、しばらくは、順調とまでは言えないにしても、テレビやラジオの歌謡番組に顔を出して、歌っていた。

 名前と顔は、艶歌&演歌ファンにだけは、覚えられるまでにはなっていた。

 また、地方のラジオ番組に、宣伝キャンペーンとして、挨拶代わりにCDを手にして回ることもしていた。 

 が、肝心のヒット曲が、出ない。ヒットしていない。

 日々、重ねるごとに、忘れ去られようとしていた。

 さらに、所属事務所がつぶれてしまい、その前に各自、他の事務所にあっせん移籍。まったく売れていなかった舞台女優などには、声も掛からず。 

 彼女は、なんと、競馬ファンなら皆知っている、滋賀県栗東(りっとう)市に帰郷。のどの病にもかかり、ホントに開店休業状態が、数か月続く。

 その前に、家族と相談のうえ、有限会社を起ち上げ、母に電話受付と事務作業を、少ない時間枠を区切って、パート勤務のようなカンジでしてもらい、自宅近くのアパートの一室を別に借りて運営。

 竹村こずえ自身も、パソコンを使って、ファンクラブの会報を作成作業し、日々の活動、スケジュール、想いを、オフィシャル・ブログで、随時報告。

 ただ、このブログ。当初こそ、常に2~3人のコメントが寄せられていたのだが、一方通行の発信。何も、公けにも応えようとしていない。

 先細りになるはずと、危惧して記事のなかに織り込んだのだが・・・・その通りになった。コメント、きててもたった独り。

 もはや、一度離れた熱烈ファンを呼び戻すことは、極めて難しいであろう。

 一方、人気と、知名度が消えぬうちにと、策を練った。

 実の兄に、依頼し、それまでの仕事を辞めてもらい、なんとマネージャー兼運転手にした。

 これが、うまくいった!

 それまでのキャンペーンと、テレビ&ラジオ出演。

 キャンペーンは、交通費など、すべて持ち出し。自腹切るカタチ。

 テレビで歌うことは、宣伝として効果は見込めるが、もらえる振り込みギャラは数万円。10万円に達しない額で、ほぼ1日、リハーサル、ランスルー、客入れ、本番、御礼、飲み会などで、拘束されるし、ホテルに宿泊するとなるとギャラの大半は消えて、相殺されてしまう。

 もちろん、テレビやラジオ出演は、大事。

 出ていなければ、忘れ去られていき、そのうち、「いたねえ、そんな歌手」で終わってしまう。しかし、ソレを待っていては、事務所維持が出来なくなってゆく。

 それで、兄が妹のこずえと考え出したのが、山陰、山陽、関西、北陸。

 さらに、瀬戸内海を越えての、四国の各地へ行き、カラオケのある店やスタジオに行き、歌う「営業」をメインに置いた。

  キャンペーンという名の、レコード&CDショップは、歌い終わった後のサイン会などで、多少の金額は手に出来るのは、まれ。CDの売り上げは、店のものになることが大半。

 さらに、詰め掛けて来てくれるファンは、すでにCDを買っているひとたち。

 で、昔のキャンペーンなら、次から次へ、居酒屋やカラオケ店を訪ね歩き、そこで歌って、気にいってくれた酔客に、1枚、また1枚と買って戴き、また次の店へ・・・・という、流れだった。

 CDとポスターなどが詰まった、重いバッグを抱え、さすらい歩く。

 まさに、涙、涙の、辛い演歌人生世界。かつていた、「流し」に近い。

 しかし、近年は、まったく形態が違う。

 売り込みも含め、カラオケが置いてある、客がにぎわっている有名店に電話を掛ける。

 交渉し、期日と、行く時刻を決める。もちろん、歌手としての知名度やヒット曲が無ければ、ハナシにならないのだが。

 大体、店にいる時間は、1時間から、長くても1時間半。

 店にポスターにサイン入りなどのモノを事前に送り、出入り口に訪れる期日を書き込んでもらって貼る。

 馴染みの演歌ファンに、店は声を掛けて、誘う。

  最低30人。大きい人気店であれば、50人を見込む。

 酒が出る店では、1時間、飲み放題3500円前後の料金設定で、CDのお土産付き。カラオケで、リクエストも打ち込んでもらい、ランキング上昇にも寄与してもらう。一石二鳥というわけだ。

 店としては、突き出しに、つまみ類なども取ってもらい、人数分と、人気度にあわせて、歌手とマネージャーに、店を出る、その場でギャラを支払う。

 全収入のうち、何割もらえるかは、交渉と付き合い次第。

 でも、万額には即座になる。

 そして、時間の余裕をもって、同じような次の店へと車で向かう。

 同じシステムで、またギャラをもらう。

 遠ければ、現地でレンタカーを借り、巡る。運転は、兄が担う。

 自家用車で行って帰るのを、基本にして、遠距離でも、栗東に帰るのが常。

 娘2人は大学生や会社員となり、家を離れたものの、下の息子はまだ、母のこずえの家事、洗濯、掃除をあてにしているから。

 四国に行くなどの時は、無理のないスケジュールを組み、ビジネスホテルに泊り、次の地域に向かう。

 さらに「営業」で大きいのは、カラオケの愛好者たちや、自称・歌手たちの集う、一世一代の華のお披露目発表会。

 この時に、「特別ゲスト」として登場し、拍手喝采を浴びて、数曲歌い挙げる。

  また、各地元企業の「新年会」「忘年会」「起業何周年記念パーティー」「歌手たち揃えての、県内歌謡イベント」など。

 ギャラが現ナマで2ケタもらえるうえ、ご祝儀も戴ける可能性もある。

 これらをパズルゲームのように組み合わせてスケジュールを作成、そのようにして、積み上げてきたこの1年半余り。

 芸能プロダクションに所属して、レコード会社と、事務所に、右に左に動かされて、何もわからぬまま給料をもらっていた当時より、はるかに収入は激増。

 その代わり、津軽三味線を手にして、地域演歌を歌ったりしたものの、じっくりキャンペーンが出来ないまま。

 そのようにして、ますます、ヒットの可能性は消え去って行った。

 一通り、「営業」をしまくり、カネは入ったが、人気と知名度は、日ごとに消え去っていっている。

 演歌歌手としては、絶壁に立たされる時期に迫ってきた。

 この4月2日、6枚目となる、久々のシングル曲が出た。

  この「十六夜月(いざよいづき)の女恋歌」だ。

 この記事を書くに当たって、聴き込んだが・・・・・・。

 何のインパクトも無い。デビュー時の、3割ほどのヒット可能性。

 厳しいが、これで再浮上を狙おうというのであろうか・・・・・。

 ありきたりの詞に、ありきたりのメロディーライン。

 う~ん・・・・・・・。

 4月11日(水)の夜、NHKラジオの、基本ナマ放送の、スタジオ歌謡番組に出る彼女。

 この曲に賭ける想いは大きいはずだ。

 コレが、ヒットしなければ、艶歌&演歌ファンにも、またたく間に忘れ去られていくであろう。

 とはいえ、10年、15年、まったく売れずに埋もれたかと想われた歌手が、1曲で多くの人に知られるようになるのも、歌謡界。

 頑張っては欲しいが・・・・・

 


不可解&不思議な、難病患者 「山田まりや」。な~んだか、異質な、くさい匂い漂う糞。カネ稼ぎの営業に転嫁。あきれ果てる怪しい言動

2022-09-24 18:34:45 | 芸能ネタ

 < 2014・5・29 掲載記事 >

 5月23日(金)の午後のこと。

 作業をしながら、AMラジオを聴いていた。

 AMだけど、午後(PM)も聴ける。

 先に聴いたのが、NHK。山田まりや、メイン司会の平日月~金の帯でやっている、約4時間の長時間生放送番組。

 

 年6場所、大相撲中継が入っているときは、放送時間が短縮される。

 もう、ゲストには、へどが出るほどヨイショ! 

 そのまま、お座敷に幇間として代わりに出ても、通用するんじゃないか?と、思えるほど、歯の浮く神輿担ぎ。

 おまけに、不必要に笑い、相手の答える声にかぶさって、いつも、うるさい、耳ざわり。

 さほど能力が無い山田まりやという女性が、芸能界で生き残っていくための処世術なのか。少し、人間としても、憐れに感じていた。

 そんな時に、山田がひょんなことで、ニュースでクローズ・アップされた。

 それは、5月19日に開かれた、腸の難病のシンポジウム。

 なんと、内臓の腸による不具合により、いつも血便、下痢、腹痛に悩まされ、トイレに駆け込む毎日がず~っと続くという病気だそうだ。

 そのことにより、平均、通常人の5倍、トイレットペーパーが調査によると使用されているとのこと。

  

 で、その難病に悩まされている女性のバッグには、テイッシュペーパーが、山のように詰め込まれていた。

 ????? ところが、山田!

 生放送中、ニュースや天気予報や交通情報以外は、出ずっぱり。トイレへ駈け込んで、便を出し尽くし、血も拭き取って、手を洗って、スタジオへ戻ってくる時間の余裕など、時折り聴いてる限り、見当たらない、聴きあたらない。

 おまけに、基本的しゃべりが出来てないうえに、下卑て、装う、笑い声が、うるさいこと、このうえない。

 書き上げてから、「山田まりや」を検索してみると、彼女の批判と、番組を降ろせ!というメッセージと意見が非常に多いのに気付いた。

 さてさて、自称・難病患者の山田、スタジオの中に、尻もろ出しして、簡易便器を持ち運びしているのだろうか?

 

 写真を撮ったら、傑作、否、けつ作だろう。

 ところが、この山田の言う「難病」は、まったく別物。

 本人いわく、「原因不明」。だから難病??

 大きく括れば、難病の、クローンなんたららしいと思ったら、ソレでも無い。

 約10年前だったり、11年前だったり、本人の記憶もあやふやなのだが、「おう吐、発熱、貧血になった」と、山田。

 医者の診察受けても、原因不明。

 で、なんと「5年前に、その症状が自然に消えた」

 はあ? なんじゃそら!

 この催しの、クローン病なるものでもない。

 しかし、しゃしゃり出て、初告白めいて、しゃべりまくる。

 病気も、売り物。

 おいおいおいおい、「営業」かよ!

 というのも、この難病イベント。

 山田ら、出席者の後には、「厚生省」や「東京都」の名前が添えられているものの、看板変わると、ある外資系のバイオ製薬会社がスポンサーであることが、クッキリ、ハッキリ。

 おまけに、この会社のCEOが、こうぶち上げている。

 「2020年までに、10億ドルの売り上げ獲得を目指す!」

 この会社のホームページ上には、この「難病」に効く新薬を開発中とも、発売間近とも、出ていない。

 このイベントの、進行役は、町亜聖。元、日本テレビアナウンサーの後、記者やってた女性。アナウンサー時代に、調べたこともあるし、記者時代に同席。話したこともあるオンナ。

 て、ことは、もちろん、両者、ギャラ派生。山田、自分の、一時期の、医者も首傾げた体調不良をしゃべって御稼ぎかよ!?

 そのバイオ製薬会社に、さっそく問い合わせ。

 すると、広報が出ない、つながない、ただただ待たせるだけ・・・。ひどい、おかしなところ。

 んでも、宣伝効果は、バッチリ!

 腐っても山田まりや。人寄せパンダ。

 ネット上にも、記事が氾濫してるほど。

 この難病というのが、私の取材経験でいうと、ちょいと、くせもの。

 このイベントに、NPO法人の理事長や副理事長という面々も出ているのだが、その所在地は、北海道の札幌市にある、アパートの一室。

 理事長当人の正業は、その近くで営業している、準宅建業者の代表。

 おまけに、その難病の広報紙に載せる「広告代」、一口1万円で募集中。その口座の振込番号も公開。

 だが、問い合わせ先は、メールのみの、いわば一方通行。

 んんんんん???????????

 なんだかなあ・・・・・

 そんなイベントに、いけしゃあしゃあと顔を出して、一時の不思議な体調不良をPRしまくる、山田まりやって・・・・・

 まさか、私、難病なんです。哀れに思ったら「営業」のお仕事下さい! という、手段に使っているのではないだろうね。

 にしても、やはり、疑わしい

 不可解&不思議難病患者という表題の意味が、お分かりになるであろう。

 まるで、かの佐村河内守のように、都合良く治ったわ、良くなったわ、とでも言い訳するのであろうか?

 そんな簡易な難病、この世に存在するのだろうか??

 まさか、その営業に出てしゃべった、34歳のしたたか御稼ぎ女、山田まりやこと、本名・草野まりやの「クローン」だったりして!?

 NHK,こんな怪しいオンナ、レギュラーで起用し続けて、果たして良いのだろうか?

 我々、聴取者がスポンサーなのに。

  そんな女の番組コーナーに、近田春夫が出た。

 近田と言っても、一般人や世間は、そのヒト、誰? って言うくらい、無名の、なんだか音楽業界の隅っこに巣食っている、もう63歳にもなった男。

 身長低く、チビ。おまけに、髪とても薄く、風采のあがらない容貌。

 この日は、ザ・ベンチャーズ特集。

 そんな若じいさんに、女太鼓持ちが、「こんなリクエスト曲(聴取者から)きてますけど」と言ったとたん、

 なまいきガキ口調で、一言バッサリ!

 「今日は、かけねえよ!!」

 なんなんだ、このチビの、物言いは!と、思った。

 番組情報を改めて見ると、リクエスト曲を、かけるかけないは、近田が決める・・・ようだが、それにしても、聴取者の感情無視にも、ほどがある。

 中居正広という、身長158センチしか、実際は無いチビも、時折りその手の横柄極まりない口調をする。

 だが、それは、所属事務所の威光と影響力を背景にしての発言。それは、理屈としても、歪んだ現実としても、納得はしないまでも、理解は出来る。

 だが、こちらの近田”チビ”春夫に、そうそう、固定の収入は、無い。プロデュースといっても、CD売れず。やっと暮らせているのが実情。

 今まで、高額者納税名簿に掲載されたことも無い。

 なのに、身のほどもわきまえない、生意気ぶり。聴取者の感情を逆なでする、傲慢ぶり。ましてや、視聴者、及び聴取者が、スポンサーであるNHK。

 ゴーマン、不遜は、新会長だけかと、思っていたら・・・・。

 それが俺様だい! 文句言わせないぞ! と思っているうちに、居場所が無い、芸能界ホームレスになりそうだ。

 数少ない、コアなファンがいることは、知っている。しかし、最低生活するカネに結びつかないことは、骨身にしみて知っているはずなのに・・・・・・・。

 耳ざわり悪いまま、ニッポン放送に切り替える。

 本当の主婦タレント、山瀬まみ。すっかり容貌が変わってしまった同局男性アナウンサーと、軽快なアドリブトークが、冴えわたっている番組だ。

 同棲していることを公言していた頃の山瀬と、渋谷の劇場前でばったり逢って、いろいろと日々の生活のことを聞いたことがある。

 その内容は、いつか書く機会があるだろう。一言でいうなら、フツーの感覚を持っている常識人だ。

 流されて、いない。こと芸能界においては、稀有な女性だった。

 で、番組。何やら、レギュラーゲストなのか、なごやかに「日本語の乱れ」について、井戸端会議。

 ん? 「金田一先生」なんて、呼びかけているぞ。してみると、金田一秀穂(ひでほ)か?

 そのセンセが、しきりに「・・かも、知んない」という言い回しをしているではないか!

 「かも知れない」が、一般常識的な言い方、話し方だろうに・・・。

 これでも、祖父に金田一京助。父に、金田一春彦をもつ日本語学者かよ~。

 ちなみに、この秀穂。ほんまもんの、ボンボン。その人生を追うと、よく分かる。苦労知らず。老けて見えるが、まだ61歳だ。

 また、祖父の京助は、石川啄木の旧友であり、おカネをずいぶん貸した。借りた啄木、妻子への送金に充てたほか、遊興費にも使ったりして、返さず。

 京助もまた、そういう石川一(本名)の自堕落な性格をよく知っており、貸したというより、あげたという感覚でいた。

 借用書こそ書いてもらったものの、生涯、しつこく返却を求めたりしていない。

 孫の秀穂。「知んない」は、東京地方の方言ではあるが、方言を全国エリアの番組で、平気でクチにするのは、放言とまでは言わないけれど、ちょいとねえ・・・・。

 ましてや、お題が「日本語の乱れ」なんすから(笑)

 あっ、断って置きますが、金田一と言っても、破れ袴の、探偵ではありませんよ。

 「よし!分かった!」と、手を叩いて、言ってくれれば、この一文の締めにふさわしいのですが・・・・。

 ::::::::::::::::::::::::::::

 【2022・9・24 追記 】

 いやああ

 8年ぶりに、目にした山田まりやという名前・

 それも、天下の文春誌上で・・・

 うーん

 

 

 


< リアル 芸能 ルポ > [最新版]日本人演歌天王 細川貴志  極楽台北一夜妻買春 珍棒膣摩擦運動

2022-07-24 14:15:13 | 芸能ネタ

 アジア大会、男子バスケットボール、日本代表選手4人による、インドネシアのジャカルタの夜。

 8月16日の、買春。

 見事に、網に引っ掛かり、膣の中に、シュート!

 まさか、ばれるとも想わずに・・・・・。

 こちら、台湾での、性風俗事情を、詳しく書いてございますので、ご興味のある方は、一読あれ。

 ただし、貴志。

 はめた?・・・つもりが、はめられたようなんで・・・・

 《 2017・6・10 再掲載記事 》

 なんだか、細川たかしの、カツラ疑惑が、再燃して、話題に取り上げられていたので、では!と、約3年前の記事を引き出してみました。

 おそらく、楽しく、読んで戴けるのではないかと。

 途中、マジな、アジア問題も挿入しておりますが、その夜の快感に較べたら、挿入度は、いかがでしょうか・・・・・・

 

 < 2014・8・13 掲載記事 >

 「日本人演歌天王 細川貴志極楽台北」

 もう、このタイトルが、サイコ~!

 天皇としないで、天王とした辺りも、”性治”的配慮・考慮が、なされている。

 なんてったって、その名も、貴(とうと)い志(こころざし)を持ってるはずの御人が、極楽行為しちゃった??んだもん!

 これ、台湾の新聞(写真下)で、すでに、総天然色2ページにもわたって詳しく、もう、のけぞってしまうほど微に入り細に入り、先月報じられている。

 なら、なんでいまさら? と、クビを傾げられる読者がおられることだろう。

Dscf7101 おまけに、日本の夕刊紙「日刊ゲンダイ」が、後追い記事。

 なんとそれだけで、この珍騒動。終わりになりそう。細川たかしの背後にそびえ立つものに、恐れをなして? というわけでもないだろうと、思われる。

 圧力が、かかった? とも、漏れ聞いてもいない。

 元が、外電。それも、買春。買春という行為を軽視、もしくは、甘く見ているわけでは、ないだろう。

 芸能界的べったり関係、持ちつ持たれつ関係から生じる「自主規制」が、はからずも露呈した一例だ。

 だが、この記事。別にそれに憤慨してということでは、まったく無い。

 むしろ、結果、買春に至ったのかどうか?「お持ち帰り」という言葉が、当てはまる行為であったのか、どうか?

 これまで報じられていないことの「検証」も含め、本当のことを書こうと思う。

 じつは、台湾在住と言っていいほどの友人がおり、かねがね台湾全土の風土、常識、慣習、日本とのあらゆる違い、歴史的背景、そして極め付きの「極楽風俗事情」を、しばしば聞かされていた。

 並みの台湾記者よりは、詳しい。

 なので、この細川演歌天王の記事にも、深い関心を抱いた、というわけだ。

 今まで、殆んど知られていない隠された話も含め、この際、一挙公開してみる。

 さて、細川といえば、北海道真狩村(まっかりむら)出身。

 歌手になりたくて、札幌の人気クラブ歌手に。

 この時、東京のバーニングプロダクションを率い、当時、飛ぶ鳥も落とす勢いのあった総帥・周防(すほう)郁雄に見いだされ、上京。

 当時、すでに妻子がいた。

 ところが、細川。「心のこり」で、プロデビューして以降、全く家族を非公開。理由は、示されていない。

 かつて、細川の自宅が築地近くと「書かれてあった」時代。調べてみたのだが、ようとして、その存在は確認出来なかった。

 Dscf7120 なので、今回の「極楽台北」の現地ニュース映像の中で、「」として映った女性には(写真左の左側)真偽は、まったく分からないが、驚いた。

 その後、細川は、契約満了と同時に、事務所から独立を図ったが、見事に「営業」と俗に呼ばれる地方公演を数年、軒並み断られる。

 まったく、演歌歌手にとっては、手足をもがれたも同然になる。

 その後、新栄プロダクションに身を預けるカタチに。

 その新栄は、かつて周防がいて、マネージメントを身をもって覚え込んだ古巣。

 水面下で、何らかの話し合いが持たれた結果、といわれている。

 ところが、細川は、2007年。L&Gによる「円天事件」に関わることになる。5万人から、100億円ものカネを集めて、カネの行方が分からなくなった例の「電子マネー」搾取事件だ。

 その集客のための、赤坂プリンスホテル(当時)の宴会場で、他の人気演歌歌手に声を掛け、イベントで盛大に歌声を披露。

 私も、こんなところで何で?と、不審に思い、当時、出入り口で客や,L&Gのイベントスタッフに聴きまくった。

 細川は、各人の、そのギャラの4割を抜いて渡したといわれた。

 細川は、主たる広告塔と見られ、他の2人と共に、「被害者たち」に、損害賠償で、訴えられる。

 2010年、11月25日。東京地裁で、その判決が言い渡された

 「イベント出演や、その場での発言は、積極的にL&G商法を勧めたものとは言えず、細川さんはもっぱら受動的な立場で関わったに過ぎない」

 「出演に当たって、注意を欠く面があったとしても、L&Gの事業内容や信用性を、あらかじめ充分に調査・確認しなければ出資してはならないという法的義務も無い」

 よって、請求棄却の判決が下され、細川は芸能活動について、首の皮1枚、つながった。

 暴力団幹部とのゴルフなど発覚し、紅白辞退の動きもあった。

 それらにより、新栄と別離。

 今は、(株)細川たかし音楽事務所の歌手として、エフエンタープライズの系列下にいる。その事務所は、一般的にみるなら、かつて独立を図ったはずの、バーニングプロダクションのグループに加わっているようにも見える。

 事務所も、先の「エフ」の同一フロアの中にあり、事務所の代表は、「エフ」の代表と同一人物。

 細川は、社長では無い。

 1+1=2、と単純明快にはいかない魑魅魍魎の芸能界の一端を表わしている。

 そんな細川に降って湧いたのが、今回のチン事だった。

 なんでも、写し、集い、聞きまくる台湾芸能メディアらしい。かつて、一大ムーブメントとして、日本にあった芸能レポーター的なモノが、まだまだ群雄割拠台湾芸能には、生き生きとして、息づいている。

 その象徴が、この新聞だろう。

 この新聞(上記掲載)、台湾、とりわけ台北(たいぺい)では、大人気。地元読みでは、「ピングォリーパオ」。

 駅売りの新聞なのだが、午後には売り切れているという人気ぶり。台湾に在住している、日本人駐在員や、家族にも、特に人気がある。

 というのも、詳しいイラストや写真が、ふんだんに多用されており、読めなくとも、見ただけで、ほぼ書かれている内容が分かるという優れもの。

 わが友人も、普段から定期購読している。むろん、完璧にしゃべれるし、読める身であるが。

 この「極楽台北」騒動。

 7月27日の台湾公演は、9年振り。たった1夜のコンサートのためのプロモーションで、細川は、6月16日から18日まで、3日間滞在。チカラの入れ具合が、違った。

 すでに、宣伝に伴う「接待」も、あったのかもしれない。

 当夜のコンサートの模様は、当地のテレビニュース(写真左下)で流れたほど。

 Dscf7106 ヒット曲20曲ほどを、熱唱。日本語での歌唱。コンサートは、盛り上がった。

 その終了後、細川は、現地プロモーターとおぼしき男性たちと、日本人向けスナック「ACE」と、入る。その際、この新聞記者たちも、ビデオカメラを手に、同行。

 この「日本人向けスナック」。そのすべてではないが、半数以上が、交渉次第で、宿泊しているホテルへの「お持ち帰り OK」含み。

 むろん、お店での飲食費用と、その後の”淫食”は別料金だ。

 このスナックも、その手のお店。ちなみにその費用、日本円に直して、3~4万円とのこと。

 この店で、大いに盛り上がった模様の一部始終は、しっかりビデオ映像に収まっている。

 Dscf7109 左が、言わずと知れた貴い志を持った御方。右が、楽しく盛り上がった末に、宿泊していた高級ホテルに行った女性だ。

 公開前に、しっかり、モザイクが入れてある。

 ココでの支払い、日本円に直して、9万円強。接待したプロモーター払い。いわゆる、日本で言う、「打ち上げ」と、とらえていいだろう。

 すっかり出来上がった細川は、多少千鳥足で、車でホテルへ到着。そのまま部屋へと入って行った。

 で、細川が店を出た後、同行した人物が、お店のママと「交渉」。ご指名は、先のモザイク女性。

 で、オハナシ、まとまる。

 女性にそのうち、何割が渡されるのかまでは、判明していないが、日本だと、女性に通常5割から6割が、コトが終わった後、渡されることが多い。店そのものが、ソレやっている場合だが。

 細川が宿泊した高級ホテルは、「大倉久和大飯店」。読み方は、「ジオークラ プレステージ タイペイホテル」。

 ツインで、通常、一泊、日本円で25787円。細川の部屋は、3万円くらいと思われる。

 そこへ、男に先導されるようなカタチで、先のホステスがご到着。Dscf7113 拡大してみると

 Dscf7122 というわけです。

 このホステスが、このホテルからお出ましになったのは翌朝。その姿も、しっかり収録されていた。

 室内での行為が、性交、否、成功したのかどうかについては、分からない。なにしろ、酒が入っている。なにしろ、元気旺盛とはいえ、オントシ64歳。

 翌日、帰国の途に就こうとした彼の元へ、その新聞・ビデオクルーが、ことのいきさつを直撃っ!

 「知らない」「分からない」を連発しまくる、貴い志を持った演歌天王

 Dscf7117 女性記者が手にした、ピンクのスマホに映った我が姿を見せられても、「知らない」「分からない」を連発し、機上の人となった。

 いやはや、まさか一部始終を撮影されてるとは、思いもしなかっただろうなあ。

 決して、自分の意思で「買春」をしたわけでも、「お持ち帰り」をしたわけでもない。

 据え膳くわぬは、なんとやら・・・・・となったのかどうか・・・・

 幸か不幸か、自慢の頭髪を、あのホステスに「お持ち帰り」されなかっただけでも、ホッとしたかも。

 まあ、特別「接待」とでも言いましょうか・・・・ 

 ただ、回春の一夜だったのかどうか、内心、悔悛してるのかどうか・・・・

 これは、残念ながら、分からない。

 ちなみに、台湾。

 ホテルによっては、男1人で宿泊に行くと、フロントで、「どうします?お呼びしましょうか?」と、さりげなく斡旋してくれるホテルが多いという。

 日本人男性を、そう見ている、ということだ。良くも悪くも。

 だが、先の日本人相手のスナックホステスと、ホテルで極楽台北行為をすると、日本円で3~4万円かかるが、ごくフツーに台北及び、その近郊都市にある「ソープランド」へ客として行けば、日本より、はるかに安く済む。

 おおよそ、40~50歳代の超古膣と致す場合は、3000円。30歳台と、6000円。

 で、若いぴちぴちお肌の20歳台としたい場合は、9000円。それでも、1万円でお釣りがくる。

 テクニックではなく、年齢でおおよそ区切る。

 断って置くが、中国や韓国、そして台湾にも、日本軍兵士相手のみの「従軍慰安婦」は、ただの1人としていない。

 もともと、この手の肉体売春風俗は、アジア各国に、日本で言う明治時代から存在。法の網をくぐって営業していた。

 今もってゼニになるかもしれない? と、そそのかされてか、「私は日本軍の従軍慰安婦だった」と、声高に叫んでいる老女たちが書いた、とされる本をじっくりと読むといい。

 翻訳しているのは、クチから先に産まれたかのような、日本人の支援団体の中年女性。

 「自称 日本軍従軍慰安婦」は、そのなかで皆が皆、語っている。

 「私は、叔父や、家族によって、売られました」と。そこに、日本軍どころか、日本人もまったく介在していない。

 連れられて行って、いずれも当時の少女たちは驚く。逃げても、家族によって通報され、捕まり、連れ戻されている。 

 その売春宿の近くに、確かに1930年代後半以降、日本軍が進駐し、基地は出来た。

 しかし、従軍、という実態は、まったく無い

 日本軍兵士の為に、逃げないように囲ったという「事実」は、一つも無い。

 慰安婦は、昔からいた。そいう地域が、昔からあった。今も、そのままそっくり、小さくなってるが、有る。従軍は、いない。

 ましてや、強制連行は、無い連行したのは、叔父など、母国の女衒の奴らだ。

 間違ったことは、主張しないで戴きたい!

 怒りを込めて、言っておく。書いて、おく!

 そういうことだ。揺るぎない事実だ。

 兵士のなかで、おカネがある者だけが、客として行っただけ。客の大半は、自国民男性たち。

 兵士に、余分なカネは有るわけも無い。

 ちなみに、日本から、要請も少なからずあり、戦地へ赴いて稼いだ売春婦は、かなりいた。

 かつて、川崎、飛田など、いくつかの売春宿のやり手婆あや、オカミに取材したことがある。

 そんな婆さんが言った。

 「あんた、話しじゃ、おカネにならへんわ。私と、せえへん? 安くしとくわ。1本で、ええで」

 1本とは、1万円を指す。腕を掴まれたが、何度も、ほうほうのていで逃げたことは、言うまでもない。

 先の本の中で、韓国人老女が20歳にして、当時の一軒家を即金で2軒買えるほど、貯金できましたと、嬉しげに語っている。

 親に、親類の女衒に、その身を生活苦のために売られたのに、休みの日には、その家族に高額のお土産を一杯持って行って、とても喜ばれたとも、多くの老女が話している。

 かつての日本にもあった逸話だが、その複雑な心境には、語るべき言葉も無い。

 恨むなら、父母、女衒の叔父を恨め。

 日本を恨んで、カネを取ろうとするのは、明らかな筋違いだ

 この本人たちが言う「事実」を、どう理解すれば良いのであろうか・・・・。それも、皮肉にも、「支援翻訳者が書かざるを得ない事実の数々」を。

 すこし、堅いハナシになった。

 時代を、2014年に戻す。

 また、ビジネスホテルの宿泊料金は、有って無いようなモノだという。

 なんとなれば、書かれた料金の3分の一まで、安く出来る。

 交渉次第。日本人の、会話の見せどころ。腕の、見せどころ。

 コレ、本当の台湾のホテル事情です。

 演歌天王は、そんなことしない。したもんなら、今度は、ナニ書かれるか、分かったもんじゃない。

 それにしても・・・・・・・・

 コレ、ひょっとしたら、演歌天王、はめたつもりが、ちょいと、はめられたんじゃないのかなあ・・・・・。

 あまりにも、一部始終どころか、全部始終。撮られ過ぎ。

 前もって「用意」された中に、飛んで火にいる、まさに夏の虫・・・・。

 これでまた、「日本人天王、スケベあるよ。日本人、戦時中から、買ってたあるよ」という気運を創るためでは、なかろうか??とさえ、考え、邪推さえしてしまう。

 天王、被害者とまでは、言わないけど・・・・

 その演歌天王。目下「ふたりのビッグショー」という通しタイトルで、馴染みの女性演歌歌手と、全国をまわっている。

 このオハナシ、ステージで披露して、笑いをとってる・・・というハナシまでは、伝わってきていない。

なにしろ、客の大半は、熟ジュク女たち。

 貴い志は、今日も全国各地に、行くイクゥ~・・・・・

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< 8月15日に向けて。 8月10日。13;43 掲載記事 再録 >

 

 

 


<芸能 衝撃 深層 ルポ> 実は、ジャニーズ事務所のバンドにも、かつて、いた、日本版、「モンキーズ」。実際の演奏は、舞台袖に控える、ダミーバンドが演奏していたなど、暴露話し、一挙掲載!

2022-07-24 14:07:49 | 芸能ネタ

 < 2014・6・5 掲載記事 >

 ≪ 2017・1・2 再掲載記事 ≫

 ああ、たかが、こんなことで、大きな波紋を呼ぶ「告白」になるんだ。

 そう痛感した、木根尚登(きね・なおと)の告白。

 この5月28日に放送された、関西ローカルの番組「解禁 今だから言えるナイショ話」で、暴露した過去の話し。

 それは、「TM NETWORK」が、大人気だった頃。

 代表曲「GET WILD」を歌う際、エレキギターこそ持っているものの、実は演奏してるのは、木根ではなく、当時サポートメンバーでしかなかった松本孝弘だったとのこと。

 そう、のちの「BZ」の松本。彼が木根の代わりに弾いていたという。

 それを画策したのは、当時の小室哲哉

 小室が、木根に尋ねた。

 「ギター弾けないの? 弾いたことあるのは、アコースティック・ギターだけ? だったら、音出さなきゃ、大丈夫だよ」 

 したたかな商売人と、いうべきか。

 木根がエレキギターを弾いたふりをしていたとのこと。

 なるほど、ね。

 妙に、納得した。

 というのも、そんなもんで済まない。ステージに出てきた全員が、実はまともに弾けない、叩けない。

 そんなバンドが、いた。

 演奏音を拾うマイクや、スピーカーは、すべて電源カット。

 本当に演奏しているのは、ステージの、ぶ厚いどん帳に隠れた左側に立って演奏していたバンドだったからだ

 時は、1970年代後半から、80年代前半にかけて、ジャニーズ事務所から、いくつかのアイドル・ロック系バンドがデビュー。

 そのうちの、あるバンドが、ソレだった。

 私がもろに、ステージ袖から、そのありさまを見てしまった。

 観客は、全員が、ギャル。

 幕が開いて、彼らの姿が見えた瞬間から、もう、わ~、ぎゃ~。きゃあああああああああああああああああ~~~~~~~~!!

 演奏音なんか、聞いてやしない。それに、耳を傾ける女の子なんて、1人もいやしない。

 だから、「成功」していた。

 だから、解散するまで、バレなかった。

 今の、クチパク全盛の、女子アイドルグループの、ボーカルの手口と、元をたどれば一緒。

 時折り、踊りながら、ナマの声を出して歌うと、とんでもない音痴の子がいて、歌が調子っぱずれになってしまう。

 偶然か、今日、加護亜依が再デビューとの記事を目にした。辻希美(のぞみ)の名前も。

 2人が、人気全盛時。太り始め、遊び始め、基礎体力無し。

 その影響で、踊って歌うと、歌声よりも、「ハ~ハ~、ゼ~ゼ~」の荒い息をマイクで拾うことになってしまった。

 おまけに、2人は「モーニング娘。」の中で、元々音痴。

 音痴&ゼ~ゼ~ハ~ハ~。

 途中から、2人でのステージの大半を、テープで流して、クチパクで突っ切った。

 さすがに、このことは、モー娘。オタクの中でも、有名なエピソードとして、知られている。

 だから、加護。まさか!、同じ手は・・・・・・いくらなんでも・・・・・・ねえ・・・・・

 で、吹き替えバンド。

 演奏の音出すキッカケから始まり、常にアイドルちゃんたちの動きを横目にしながら、キチンとリズムとテンポよく、演奏し続けていた。

 よおっ! 日本版、モンキーズ

 彼らの覆面バンドが、やったことと、もろにそっくり!

 多少、タイミングのズレがあっても、聴衆は気づきもしない。

 当時の、吹き替えバンドは、プロデビュー目指していたが、喰ってはいけない。で、人づてに、この、何とも言えないアルバイトを始めた。

 もちろん、アイドル兄ちゃんたちが、弾けて、叩ければ、それにこしたことはない。

 しかし、しょせん「演奏」ではなく、「顔」で見せるバンド。

 もちろん、声は、アイドルちゃんたちの声。

 ふ~ん、とステージ袖で、ひっそりと、その全容を見ていたら、ジャニーズ事務所の、顔見知りのスタッフが、あわてふためいて私を見ていた。

  実は、演奏バンドのメンバーの何人かを、私、知っていた。

 でも、こんな「アルバイト」をして、生活費を稼いでいることは、知らなかった。

 彼らは、そののち、見事にプロデビューを果たした。

 しかし、このコトは、私も、今の今まで、書かずにいた。封印などという、大げさなものではない。

 プロになった彼らの、プロフイールに、このアルバイトの事実は、公けに、もちろん、なっていない。

 私も、意図したわけでは無いが、クチを閉ざしてきた。

 別に、ジャニーズ事務所から「書くな」という圧力は無かった。そのアイドルバンドも、爆発的人気を得ることなく、ほどなくして解散したし・・・・。

 だから、まさに「今だから言える、ナイショ話」、ホントの話し。

 

 


<リアル 芸能 ルポ> 25年持ちこたえ、この年末「正式」解散するSMAP。じっくり、彼らの歌を通して聴いて驚いた。音痴は、身長〇〇の中居正広だけじゃない! あの全裸開チンの・・

2022-07-23 15:32:25 | 芸能ネタ

 【 2016・12・24 掲載】

 いかに木村拓哉が、他の4人から嫌われ続けていたか!が、よく分かった、この1年弱通しての「SMAP 解散騒動」。

 あの森且行(かつゆき)も入れりゃ、25年も付かず、離れず、よく持ったものだと、感心する。

 結果、孤立するカタチになったが、木村拓哉とその父母が個人事務所を設立したうえで、「JTB」との、ジャニーズ事務所に無断で、コマーシャル契約騒動。

 だが、もし、木村が、その突破口を開かなかったら、他4人の年収も安く抑えられたまであっただろう。

 吉本興業と同じで、言わなけりゃ、強く要求しなけりゃ、ギャラが上がらないままの傾向が強い、ジャニーズ事務所の体質。

 だが、メンバーにとって、木村による功罪の「功」といえるものは、それだけだった。

 コンサート会場入りする際、ファンに「キムタク!」と呼び掛けられ、おこった、木村拓哉。

 「おい、ちゃんと、ひとの名前を呼ぶ時には、木村拓哉さん、と、さん付けで呼べよ! 失礼だろ!」

 そう、オレ様、木村様がおっしゃり、広く内外にひんしゅくを買い、波紋を呼んだことは、解散騒動に尾を引いている。

 それ以外の、他の言動も、終始、裏切りと、受け止められ、積み重なり、釈明もせぬまま、曲解され続けた。自分だけ、「良い子」で、いようと受け取られた。その溝は、想像を超える深さだ。

 単なる若者タレントならいざしらず、若いように見えて、実は、40歳代の分別あってしかるべき、老い始めようとするオッサン連中。

 会社でいうなら、中年社員の、古株だ。

 その間に、ホモなのか、男と長年にわたる熱愛同棲が発覚したり、公園で酔っていたとはいえ、全裸開チンチンして逮されたり、事実上の同居妻だけでなく、隠し子までいたり、次々とセックス相手の女を変えてイクイクなかで、妊娠してしまった相手に中絶を強したり、交通事故や、スピード違反連発したり・・・・。

 まあ、5人が5人とも、数々のスキャンダルが報じられてきた。

 だが、驚くほど、人気が揺るがなかった。

 むろん、事務所がさまざまな手段で、傷口が拡がらないようにし、親しいマスコミを使って押さえてきた、という背景もある。

 加えて、芸能レポーターの職を忘れ、単なるお馬鹿で軽薄な中年女ファンでしかなかった、長谷川まさ子や、駒井千佳子みたいなのもいたことが、幸いした。

 だが、一番驚いたのが、彼らのファンの体質。

 幾多のスキャンダルを知っても、殆んど、気にもしていなかった。そんなことで、去らなかった

 むしろ、そのことの感想を聞くことに、嫌な顔をみせた。とりわけ、東京ドーム公演に詰めかけた、熱烈なファン。

 SMAPのひとりが、やってしまったことだから、気にしていない。SMAPだけは、特別、別物の意識。

 しかし、おんなじことを他のタレントや歌手がやったら、どう思います? ご自分の亭主や身近なひとが起こしていたら、どう、受け止めます?

 そう聞いたら、大半が、眉をひそめて黙ってしまった。かと思えば、「それは・・・・・ちょっと・・・馬鹿なタレントや、夫。そう想ってしまう。でも、SMAPは、別。許せてしまう」

 与えていた「イメージ」が良かった、としか言いようがない。

 選挙の様に、公演終了後の出口調査を、長年、かなりし続けてきた。

 そこで痛感する、ファンの年代層の幅広さ。中年のおばさん、主婦を軸に、その母親たるお婆さん。さらに、おばさんの娘。

 つまり親子3代。

 このパターンに、熟年OL,子育ての手を離れた母のグループなど、ファンの100%は、女性だ。

 スキャンダル勃発でも、揺るがない動員力。

 大概の人気歌手は、ある特定の年代層が大きなファン層をカタチ作っており、何かあると、そこがじわじわと崩れ、またたく間に崩壊してゆくのが多い。

 だが、このSMAPのフアン層の分厚さと強固さは、すごい。

 おそらく、そう遠くない日に、1人欠けた4人で、ドームコンサートや、ビッグ・イベントをやっても、観客動員数は減ることは無い、と思える。

 脅威。そう言い換えても良い。

 脅威は一方で、その「音痴」ぶりにもある。それも、ファンは許容していた

 自虐ネタのように、自らの音程の外れっぷりで笑いを誘う、中居正広。本当の身長、160センチに満たない、とても小柄な44歳の茶髪で、大酒のみのオッサン。

 「レコーディングのとき、自分は呼ばれないことが多い」と、ステージで話すことは、ファンの間では、よく知られたことだ。

 ところが、ほかにもいたのだ。

 本日、彼らの曲を、じっくり何曲も通して聴いた。

 むろん大ヒットしたホモの作った曲も含めて。

 余談だが、そのホモのマキハラノリユキが「愛人」と住む、渋谷区にある低層マンションには、かつて何度も通った。

  インターフォンを押しても、居留守を使われて、「いる、す」とも答えてくれない。

 ベランダ越しに、フトンが干してあるのが見えた。

 ははあ・・・・あれにくるまって、特異な歓びの行為を、繰りかえしているのか・・・・。

 仕方ないので、メモを郵便受けに放り込んで置いた。

 しばらくして・・・・・

 編集部あてに、「同居愛人」から電話があったそうだ。

 「本人が、お話しを受けたくないと伝えてくださいと、言ってきましたので。2度と、来ないで戴けますか」

 今は、もう少し、大きな良いマンションに移り住んでいるようだが。

 さて、話しをもどす。

 もう一人の音痴。

 港区の児童公園で、酔った勢いで、全裸に成り、開チンチンした草なぎ剛が、そのひと。

 なぜか、ソロのパートを担当することが多いようで、まあ・・・・はずれっ放しが、よく分かる。

 録音修正可能なCDで、このひどさってことは、コンサートでは、もっとはずれている可能性が大きい。

 とはいっても、正確にすべて音階正しく歌えているのは、1人もいない。だが、ミンナで歌えば、不思議なことに、ミスは目立たない。

 それもひっくるめてのSMAPの魅力だった、ということなのであろう。

 そう解釈するほかない。

 ファンなる、得体の知れぬ、掴みきれないもの。

 減って、去ってゆくファンの事を考えると、不安になる。そう、シャレじゃなく、本音をクチにする芸能人はいる。

 だが、この2分裂した中年男たち。

 まだまだ、稼いでいけそうだ。

 

 


<リアル 衝撃訃報 芸能 ルポ> 8日間過ぎて「映画俳優」高倉健 死去。すぐ知らせぬ秘められた裏側

2022-07-23 14:01:42 | 芸能ネタ

 【 2014・11・21 掲載 】

 やっぱり・・・・・死んだのかあ・・・・・・。この世に、別れを告げたのか・・・・

 なんとも言えない気持ちのまま、コレを打ち始めている。

 といって、死因となった「悪性リンパ腫」に至る病状を詳しく知っていたわけでは無い。

 ただ、遺作となった、映画「あなたへ」(スチール写真下)。

 その撮影時、すでに前作の公開から6年近く経っていたとはいえ、余りの老い、見た目の老け振り!

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 それには、驚くほか無かった。

 白髪混じりの髪。下の歯がかなり抜け落ちたのか、差し歯か、その影響で頬が少しこけ、今までなかったクチの曲がり具合を、否応なく気付かされた。

 「文化勲章」を受けた際の顔は、さらに老いをクッキリと際立させていた(写真上)。

 この受章によって、日本人・小田剛一(本名)は、年間350万円を亡くなるまで国からもらえることとなった。

 彼からすれば少額かも知れなかったが、我々の周りにいる老齢の庶民からすれば、生活安定額といえた。

 この折りも、高倉健は、髪を染めたりはせず。ありのままを見せていた。

  80歳を越えた老人としては、当たり前とも言うべき容姿ではあったが、なにしろ、そこは、スター、健さん。

 行きつけの、それも、奥の彼専用の個室のある理髪店で何とか工夫し、そんな姿は、見せないであろうと想像していただけに、衝撃を受けた!

 老いても、変に装わない。ありのままに、ありたい。ありのままを、見せたい。ソコが、小田剛一としての矜持(きょうじ)であったのだろう。

 中年時になっても、体を鍛えていたことは、有名だった。

 仕事が無く、人柄も悪く、コンサートの集客力もどん底だった武田鉄矢に舞い込んだ、映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」。

 そのロケ先の宿舎。健さんの部屋を武田が訪ねた際、腕立て伏せをしていたと言う。

 「武田君、役者は身体が資本だよ」

 そう言って、毎回、100回を、その身に課していた。

 すでに、スポーツジム通いは、知られていた。そんな屈強な肉体でさえ、老いと病が、否応なく忍び寄る。そして、死を迎えざるを得ない。

 分かっていることではあるが、改めて、痛感させられた・・・・・。

 死因となった悪性リンパ腫は、突然襲う病気では無い。数年前より、人知れず闘病、通院を続けていたと思われる。

 加えて、5年前には、前立腺ガンを発症。通院、手術の末、癌巣そのものは除去出来たものの、それが、悪性リンパ腫へとつながった。

 公式死去発表では、「都内の病院」でとだけ。

 まだ、直接当たってはいないが、死去した時に入院していた病院は、「慶應大学付属病院」であろう。

 というのも、爆笑問題の田中のポロリと洩らした発言を待つまでも無く、あの病院は、秘密裏に入退院の措置を、つつがなくやってくれるところ。

 加えて、医師と看護師のクチは堅い。

 そういう「教育」をされていた。

 しかし、病室に出入りする人が、実はいる。その人達に秘かに、さりげなく聞いて、入院中の状態や、日々の様子を聞いて、確証。

 かつて、[ZARD]の坂井泉水、そして、重病だった安倍晋三が、この病院に秘かに偽名を使って入院。

 しかし、人のクチに戸は立てられない。

 聞き込みをして、記事化した。

  有名な、コーヒー好き。

 だが、この病気の影響か、「あなたへ」の撮影時、ロケ地にあった行きつけのレストランで、彼は「コーヒーは、もうちょっと飲めないんだ」と、言っていた。

 コーヒーすらも、病状に影響を与えるまでに弱り始めていたのだ。

 「あなたへ」の、製作発表会見の前後。

 「もう、そろそろ仕事をしないと、カネも無くなってきたもんですから」と、苦笑しながら、6年ぶりの出演理由を、冗談半分に語っていたが、事務所維持も、社長としての責務。

 体調が良くないなか、ギリギリの、決断であったと思われる。

 だから、冒頭、やっぱりかあ・・・・と、書いた。

 そして、以下に綴っていくが、あの性格。間違いなく、亡くなって全てを終えてから、公式にそのことを発表するはず。

 実は、近所に古くからの健さんファンがおり、老いた映像を見て、「もし、亡くなった時は、どうするでしょうねえ?」と聞かれたので、長年の取材経験で、そう答えていた。

 そう想っていたし、はからずも、その通りになってしまった

 最近になって、連作4本の「原節子」に関する記事が、多くの人に読まれていることを知ったが、彼女の死も、あの家人たちによって、早くて1週間、ひょっとすると1か月ほどたってから、その死が公表されることと思う。

 さて、所属というより、個人事務所の「高倉プロモーション」。

 ダメで元々の気持ちで、時折り電話で、健さんの公私にわたって問うことがあったが、いつもいつも、キチンと答えず。

 調べた事実について、ひとつ確認したいのですが?

 そう切り出しても、一切答えず。

 「お答えできません」

 すでに公表されていることの、事実確認を求めても、

 「ソレは東宝にお聞きください」

 「失礼します!」と、一言。ガチャリ!と、切る。

 もう、そんな冷ややかで、極めて事務的な対応にも慣れた。

 だから、今回の、さながら「美文」とも言える、死に関わる表現には、驚いた。最初にして、最期のマスコミとその背後にいるファンへのサービスであったように想う。

 事務所が入っている港区赤坂のビル前に、多くの取材陣がいたが、これ以上の「サービス」は、しないであろう。

 電話は、いつも同じ女性

 それで、充分に間に合う仕事量ともいえる。映画は、数年に一本。掛け持ちは、無い。

 さまざまな企画が送られてきて、その整理が主な仕事。

 その数は、多く、内容は玉石混交。

 この女性と、会ったことは無い。まさか、かつて健さんが、どのような経緯があったのか、お世話をしていた、元スチュワーデス(現・キャビン・アテンダント)がいたが、その女性である可能性は、捨てきれない。

 我が国で、一番、ギャラ・出演料が高い高倉健という「映画俳優」。

 映画一本出て、近年は5000万円。それにプラス、ビデオ・DVD化による権利分。さらに、テレビの放映権料(基本ベース2回分)など、日本の俳優 にしては珍しく、キッチリ契約書を交わす。

 込みで、6~7000万円。

 過去には、何本か、自ら主演した映画に、「高倉プロモ-ション」として、出資していた。

 その率に応じて、興行収入から、差し引かれた儲けを受け取れる。演技にも、チカラがこもる。

 だから、代表取締役の年収も加わった個人収入が、1億円を優に超えた年もあった。

 だが、近年の作品には、まったく出資していない。先見の明があったのかどうか? 宣伝文句ほど大ヒットはしていない。

 客が、映画館に詰めかけていない。長年のファンが、来ていない。

 「あなたへ」は、まだしも、その前作「単騎、千里を走る」の興行成績は、最終的に赤字ギリギリに。

 チャン・イーモウの作品に惹かれていた高倉が、出演を快諾したコレ。

 そのチャンは、名誉欲に非常にたけた人物。

 東京映画祭で、当時最高責任者のチェアマンであった角川歴彦(つぐひこ)が、洩らしたことがある。

 「面識も無く、親しくもなかったのに、いきなり僕のところに来て、自分を東京映画祭の審査委員長にしてくれ! その任に、俺が一番ふさわしいはずだ! と言うんだよ。驚いたねえ、その押しの強さに。もちろん、やんわりと、お断りしましたがね」

 中国で、30数年前に公開されたにも関わらず、いまだ「君よ、憤怒(ふんぬ)の河を渉(わた)れ」の人気がある高倉を起用し、チャンは、自分のステータスを上げようとしたとしか、思えない。

 

 その映画。

 東北の漁港に独りで住み、自宅の固定電話に入っていた息子の入院と急変を知らせる嫁からの留守番電話を、再生して聴く操作すら、まったく出来ない武骨な健さん扮する漁師。

 それは、今まで通りのイメージであった。

 それなのに、あれっ? 息子とまったく疎遠だったはずの老漁師が、コロッと変心。

 すぐさま、東京の病院に駆けつけるわ、息子が撮影途中だった中国ロケまで、単身引き継ぐ。おまけに、時も置かずして、携帯電話を器用にあやつるし、撮影VTRカメラも、難なくあやつりまくる。

 はあ????

 ドン引きの、ファン。

 とどのつまり、 無理やり中国でのロケに引きずり込むストーリーに・・・・・。

 そのロケで、チャンお得意とも言うべき、演技未経験の素人たちを出演させ、エキストラにも大量起用。

 その計算の無い「素」の演技に、204本目にして、感激した高倉。

 この作品でも投資はしていなかったため、ある意味、難を逃れた。

 仕事をしていない時期、誰にもわずらわされない海外に、よく行くといわれる。

 実際、自署のエッセイ文のなかで、日本各地、世界各地を訪れた際の想いを、書いている。

 また、ボクシングも海外にまで出かけて、その目で観ている。

 ラスベガス、パリ、ヒューストン、はたまた、テキサス。

 自らも、中学生の時に、見よう見まねでボクシングを練習。試合も8戦ほどこなしており、俳優になってからも、ボクサーに扮して、主演をこなしている。

 「ボクシングや格闘技は、好きですね。好きなモノは、どこまでも追いかけてゆく」

 「ギリギリに、自分の肉体を磨き上げる」プロボクサーを、崇拝している。いずれ、別稿で、その想いを伝えたいが、こう話していることだけは、今、書いて置こう。

 「自分がやるなんて、想いは無いです。それほど、シビアでは無いです。自分の職業の、ずっと上の所にいる人っていうカンジですね」

 ハワイに別荘を持ち、イタリア郊外の地に、家を持っていた。

 40歳という若い時期に、すでに「鎌倉霊園」に自分の墓を他人に気付かれないようにと、変名で購入。

 父母兄の墓がすでにある、現・福岡県中間市の「小松山 正覚寺」に、妹の敏子など親族が近くでいつでも参られるようにと、分骨用の墓地も購入済み。

Dscf8971 亡くなったとの、貴重な1枚。その母については、自ら本で想いを明らかにしているので、ここでは詳しく書かない。

 かつて、いつか、まだ存命中(当時)の姉や妹らに会って、九州の故郷を訪ね歩き、かつての話しを聞こうと、嫁いだ先の住所などを、調べたりもした。

 活動も無く、表に出てこない時期にも、「高倉プロモーション」に問いあわせ。

 「企画などは、かなり届いてらっしゃるのでしょうか? 実現しそうなモノは、ございますか?」

 「答えられません」

 「・・・・・今は、日本のご自宅にいらっしゃるんですか? それとも、イタリアなど、海外に?」

 「お答え出来ません。よろしいですか? 失礼します」

 ならばと、私生活の高倉の近況、今を知りたく、世田谷区瀬田の自宅を何度か訪ねた。

 田園都市線の「二子玉川駅」。そこから、ゆっくりとした、なだらかな坂を上って行くカンジで、20分。

 そこの角地に、高倉健の自宅があった。

 表札には、「小田」とだけ。表札そばのインターフォンを押すが、「はい」とも、返事無し。

 何度も、何度も通ったが、ただの1度も返答は、無かった。

 周囲を見渡しても、訪問者を映す防犯カメラは、見えない。だから、本当に不在だったのか? それとも、知らない声と人には出ないのか?

 どちらかだったのだろう。

 200坪はあろうかという、広い敷地。外からは、2階建てと思われる、2階の上部しか見えない。

 夜になっても、室内の電灯が灯らない日もあったので、日本にいない日もあったのか、ふらりと地方に行っていたのか・・・・

 近所との親しいお付き合いは、まったく無い。

 というより、この地域そのものが、大きな邸宅がズラリと並ぶ高級住宅街。で、親しい近所付き合いも、町内会の実態も、事実上無い。

 だから、健さんが特異な訳では無い。

 インターフォンを押しても、殆んどの邸宅は、不在なのか、居留守を使っているのか、出ない。

 なので、「小田」邸の前で居ると、犬と散歩している女性や男性が行き交う。そこで聞くと、思わぬハナシが聞けた

 外出するときは、車。ガレージが、自動的に上がり、自ら運転して、出て行く。角地のため、左右を良く見て、最大徐行。

 そのせいもあり、散歩している人を見かけると、例えサングラスをしていても、必ずと言って良いくらい、ペコリと頭を下げて、車を発進させて行くという。

 言葉こそ交わさないが、好感を持って、見かけた人全員にとらえられていた。

 ああ、元気で家にいらっしゃるんだなあ、と。

 衣食住のうち、衣の凝り具合は有名だし、住は、ココ。

 健さんは、ある時、三度の食事のことを聞かれ、苦笑いしながら、こう答えている。

 「僕は、自慢じゃないですけど、自分で作ったことはありません」

 実は、オンナが通って、食事を作っていた

 いや、オンナは女だが、掃除、食事を見事にこなす、通いの家政婦さんが来ていた。

 近所の方たちも、まれに、その出入りを見かけることがあったという。交際している女性ではないことは、一見して、その風情で分かったとも言った。

 また、映画の撮影。とりわけ、ロケともなると、周囲にフアンが寄ってきてしまう。近寄りがたい凛(りん)とした雰囲気を漂わせていても、だ。

 その他、身の回りの世話をそれとなくこなす、「付け人」代わりの決まった男性がいた。

 その2人は、おそらく小田剛一の病や、体調の変化や、衰えを知っていたはず。

 密葬などには、行かれたはず。

 主のいなくなった「小田邸」の前の路上には、枯葉やゴミが、秋風に吹かれ、さわさわと、かすかな音を響かせていた。

 私が通い続けた時は、きれいに掃き清められていたというのに・・・。主のいなくなったこの屋敷は、誰の手に渡るのだろうか?

 おそらく、40年も前に、自分の眠る墓を買った男のこと。キチンと、死を覚悟しつつ、書面にしたためているはずだ。

 家政婦のことも、付き人のことも、事務所の女性は、一切、イエスともノーとも、答えなかった。

 さらに書くなら、江利チエミの前に、本気で惚れた女性がいた

 上京する前、地元で熱い想いを寄せていた年上の女性がいた。

 明治大学に入学するのは、口実で、実際には、その女性が遠い東京へと嫁いで行ったというのを耳にして、ホントかどうか、自分で確かめたい! ひと目、人妻になっていないのなら逢いたい!

 「そういう目的が主で、不純な想いがあって、実は上京したんです」と、自らかつてラジオ番組で話していた。

 ネット上では、時期も違うことが、事実であるかのように、載っているのには困ったものだ。

 で、これまた、追いかけて、すでに新妻となっていた彼女の姿を確認。失意のどん底に落ち込んだとも、懐かしそうに語っていた。

 そのヒトは、まだ存命であろうか・・・・・・・。

 明治大学時代、そして、若き俳優時代。

 遊郭にも、カネが無くても売春宿にも行ったことは、自身、話している。

 女好き、とまでは、いかないけれど。

 なのに、かつて、日本を長く不在にして、消息が芸能マスコミに分からなかった頃のこと。

 行方不明説。死亡説。女嫌い説。ホモ説などなど、流布された。

 さすがに、苦笑いして帰国し、元気な姿を現し、諸説を全否定。

 「ボクだって、ごくフツーの男です。そ~ゆう所にも、行きますよ」と、笑って答えていたのを、今でも記憶している。

 親交は、広いように見えて、心底打ち解ける人は、極めて少なく、限られている。

 石倉三郎や、「オンナ遊びが、ちょっと過ぎてるんじゃないのか!」と健さんが注意したことがある小林稔侍などは、彼らが敬愛。

 逆の立ち位置にいたのが、「山麟」(やまりん)こと、山本麟一

 明治大学時代からの、強烈な先輩。東映映画に引き入れたのも、山麟。ともかく、終生、怖いヒト。アタマが、上がらないヒト。

 主演、脇役なんて、些細な枠はまったく関係無い。

 山麟が若くして、俳優を辞めて、自分の産まれ故郷である、北海道の旭川市に定住。居酒屋を21歳も年下の美人妻と開業した際には、駆けつけている。

 その後、山麟が、わずか53歳で急死。

 その後も、健さんは、ふらりとそのお店を訪ねては、想い出話しに花を咲かせていた。

 「網走番外地」シリーズを始め、長期ロケーションも多く、知り合いもいる北海道に、先輩のように、将来、定住しようかな?と、相談したりもしていたが、山麟はあまり勧めなかったと、伝え聞いている。

 今回、死去に際して、「八甲田山」の雪中行軍のシーンが、多く流れた。

 その撮影を陣頭指揮したのが、かの「巨匠」木村大作

 見栄えの良いシーンをフイルムに焼き付けようと、木村は、何度も何度も、繰り返し雪深い所を、歩かせた。もう、必要以上、使う数十倍。

 キレた健さん。

 「誰だ!? このキャメラマンは!」

 生前、「大ちゃん」「健さん」と呼び合う仲になった2人の出会いは、このようにして始まった。

 そんな映画界の巨匠でさえ、健さんには一目も二目も、距離を置いている。

 「そりゃあ、健さんの電話番号は知ってはいるよ。でも、自分から電話を掛けたことは、ただの一度もない。そんな、恐れ多いこと、出来る訳ないよ」

 「健さんから掛かってきたら、そりゃあ出ますよ」

 「オーラというのかなあ、そうなあ・・・・、たたずまいと言うのかなあ。俳優としても、1人の人間としても、すごい、そう、スゴイ人ですよ」

 自身、監督として「剱岳(つるぎだけ) 点の記」を製作した。

 その時、健さんに出演してくれないかなあ?とは、思わなかったんですか?

 「出てくれる訳ないよ。そんな失礼なコト、頼めやしなかったよ」

 本来ならば、この秋にも撮影開始だった、健さんの最新作。

 題名は、「風に吹かれて」と、報じられている。

 父子の物語だとも、九州は阿蘇地方でも異常繁殖している野生の鹿を駆除するための老いたハンターの物語とも、伝えられている。

 体力を要する撮影だ。

 ロケハンは、とっくに完了。

 入院中だった健さんのため、来年の春に撮影開始が延期されていた

 おそらく、撮影は木村大作。

 そして、監督は、気心も知り抜いた降旗康男

 その降旗でさえ、距離を置き、深入りする事無く、礼を尽くして親交していた。

 「健さんと個人的に逢うことは、ありますよ。でも、なるべく意識して仕事のハナシは、しません」

 「映画の企画は、キチンと文書にまとめて、健さんの事務所にお送りします。それで、都合の良い時に読んで戴いて。こちらは、返事待ちです」

 ーーー電話などで、どうでしょうか?などと、感触や意向を聞くことが出来るんじゃないですか?

 「そんなことは、しません。仕事は、仕事。個人的付き合いとは、別のモノですから」

 「向こうから、やっても良いという返事を戴いてから、初めて仕事として、動き出す訳ですから。公私のけじめは、付けなければいけませんよ」

 酒に酔うと、面白くなる人ですと、生前、健さんは降旗監督を評していた。

 「いやあ、そうですか(笑)。いやいや、いやいやあ、酒には弱くなりましたねえ」

 遺作となった「あなたへ」。

 その降旗監督も、一回りやせて、病が?と、気になったものだ。

 「何人からか、そう言われたんですが、いたって元気ですよ。そりゃあ、年齢はもはや若いとは、とても言えないトシになりましたが。心配をかけられないようにしなければ、いけませんなあ」

 そう言って、笑った。

 今回の、健さんの死去。

 「無念です」「残念です」との、監督の公式コメントが、胸に迫ってきて切ない。

 最期の瞬間も、密葬にも立ち会った可能性が極めて高い。

 まだ元気でいらっしゃる、実の妹にも、自らの病のことについては、ただの一言も話さないまま、この世に別れを告げた。

 先月。亡くなる1か月前に、甥と、剛一の妹が、携帯に電話をかけたが、元気な声で、受け答えしていたと言う。

 2014年11月10日。午前3時49分。

 極秘で入院した病室に掲げられた患者名は、変名のままであった。

 ヒトは、多く、潮の満ち引きに率いられるかのように、まだ陽が昇らぬ未明に、何故か、天に召されていく。

 科学で解明できない、神秘でもある。

 小田剛一は、苦しみ、悩み、病を抱える我が身の辛さを、誰にも打ち明けぬまま、ひっそりと、凛(りん)とした、たたすまいのまま、去った。

 我が身の死すら、かん口令をさりげなく敷いて・・・・・。

 かつて、たった1度。インタビューというより、まさに直撃と言い換えていい時があった。

 旧TBS局舎で、ある取材を終えて、通りかかったスタジオ横の控え室に、憧れの高倉健が、チラリと見えた。

 「あにき

 その連続ドラマの収録の合間、だった。

 インタビューを、事前に申し込んではいなかった。記者のインタビューを容易に受けない俳優だと言うことも、身にしみて知っていた。

 しかし、まさに一期一会

 今、聞けなかったら、いつ、聞けるというんだ!?という強い想いが、控え室へと歩ませた。

 非礼を詫びつつ、想いを端的に伝えた。

 困った様な、困惑に満ちた顔。不審そうな、表情。

 しかし、ココですっぱりと断るのも出来たはずなのに、椅子に座らせてくれた。

 何を聞いたか、テープレコーダーこそ回したが、良く覚えていない。

 「・・・・・ええ」

 「・・・・・そうですね」

 「・・・・・・かも知れませんね」

 「・・・・・・でしょうか・・・・」

 言葉を慎重に選びながらも、そんな、あいまいな答えぶりだったように想う。

 詳しく、答えてくれた記憶は無い。

 初めて、上がった。舞い上がった。

 初めて、役者にオーラ、輝きを感じられた人だった。

 それ以降、そんなヒトに出会ったことは、無い。

 「そろそろ、いいでしょうか?」

 そう高倉健は切り出し、夢のようなひとときは終わりを告げた。

 記者会見で顔を見て、撮影現場でも顔を見た。

 安易に休まない。座らない俳優ということも、この目で観てきた。

 孤高の俳優で、あったように想う。

 他人が、ファンが想う、「俳優・高倉健」のイメージを、守り続けた人でもあった。

 加えて、手紙の大切さ、礼と、感謝と、プレゼントと、人知れずの墓参りの数多くの実話。

 もう、無理しない、本心から滲み出る、さりげないカッコ良さ。

 だから、誰も知らない私生活の一面も、書いた

 冷静に見ると、決して演技の上手い俳優では、無かった。むしろ、ヘタな部類に入る俳優かも知れぬ。

 しかし、その存在。画面に居て、たたずむだけで、それだけでいい俳優という、唯一無二の男だった。

 18日から、打ち始めている間に、当初書こうと思い描いていたことを、河北新報社の記事で、翌19日、書かれてしまった。

 Dscf8970一枚の写真

 高倉健の手による「日本経済新聞」デジタル版。映画「あなたへ」の宣伝も兼ねてのものではあったが、東北・三陸沖大津波による大震災の、1年後に綴られた、上記題名のもとの、この1枚の写真。

 これに胸を打たれた健さんは、この写真を、台本の裏表紙に張り付け、自分の気持ちを奮い立たせ、自らを励ましていたという。

 被災者たちの辛い日々と、想いに胸を馳せ、時として、自分の病の行く末に待ち構える恐怖と闘っていたのであろう。

 撮影当時、小学4年生であった彼は、現在、岩手県気仙沼市の中学2年生になっている。

 名前を書くのは、本意ではない。彼にマスコミの取材が行き、注目を浴びることで降りかかる迷惑を、健さんが恐れていたからだ。

 時の人とばかりに、20日には早速テレビが、少年の今を映し出していた。

 誰か、良かれと思い、調べて、健さんに教えたのだろう。

 書いた1年後の昨年、健さんは彼に手紙をしたためている。

 被災のこれ以上無い辛すぎる経験を乗り越えて、彼に羽ばたいて欲しいと切に願って、この長文を終える。

 惜しい・・・・惜しい人が、この世を去ってしまった・・・やりきれない・・・

 

 

 

 

 


カンヌ国際映画祭 目下、脚光を浴びる日本人2人 是枝裕和と、河瀬直美の 「誰も知らない」 秘め事

2022-01-13 21:34:54 | 芸能ネタ

 2022・1・13 発売の、「週刊文春」での、河瀬直美の記事、一読。

 ああ、上昇志向の、河瀬なら、やりかねないなあ・・

 6月公開予定の、「巨額の賄賂で買った,2021頭狂誤倫」の、映画、

 酷評され、オオコケ、今までの彼女の劇場公開された映画同様、赤字になるだろうなあ…と、今から、予想付きます。

 狂った、彼女の名前を冒頭に持ってきた誤報の番組、2本も観ましたし・・・

 なお、「垂乳女」

 劇場公開、もちろん、日本では、されませんでした(笑)

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《 2018・5・20 掲載 》

 以下に再掲載した記事の書き出しではないが、このたびの、カンヌ国際映画祭で、是枝裕和・監督の「万引き家族」が、パルムドール賞を受賞したことを、NHKがラジオで、またぞろ、トップニュースで、取り上げていたのには、先程、歯を磨きながら、びっくらこいた。

 5年前に記事化したものの、再燃か。

 また、彼の「そして父になる」。

 この作品のパクリ疑惑についても、2014年2月5日。日本テレビのデタラメドラマの記事中に触れた。

 2本、本日、再掲載したので、是枝の報道に関心を持った方は、一読願えれば、と。

 なお、これまで、「カンヌ国際映画祭」に、日本円に直して、600万円ほどの総額出品料を出したり、受賞した映画で、日本で上映、ならびに再上映されたもので、爆発的にヒットし、黒字興業になったものは、過去に1本もありません。

 通称、「今平」と呼ばれた、今村昌平の「うなぎ」も、そうだった。

 2割ほど、客足が伸びたが・・・・それだけ。

 また、カンヌの外国作品受賞作も、同様だ。

 マスコミが、神輿担いで騒いでも、日本国民、一般大衆は、踊らないし、踊りに参加したことは、過去、一度もありません。

 おそらく、「万引き家族」も、同じ運命をたどることになるでしょう。

 ましてや、映画だけが娯楽の帝王であった時代は、とうのムカシに過ぎ去ってしまったのですから・・・・・。

 ただし、劇場、映画館にまで足を運ばない映画ファンも、DVD化され、レンタル開始となると、一転、急激に数か月ではありますが、借りる人数が伸びます。

 ま、是枝裕和という人間の一端を知れるとは思いますので、お読みください。

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 《 2013・5・25 掲載記事 》

 NHKが、やたらひとり勝手に盛り上がって。是枝裕和の神輿を担いで、番組に出している、ようだ。

 わたしは彼の出品した映画に、もう興味ないし、それについて何か、ここに書くわけじゃない。

 書くのは、是枝を一躍有名にした、映画「誰も知らない」についてだ。公開されたのは、2004年8月。今から、約9年前だ。その「誰も知らない 秘め事」に、ついてだ

 さも嬉しそうにカメラの放列の中を歩き、また子供を使い、これ以上ない笑みを浮かべる是枝に、違和感を感じた。

 もし、彼の映画ファンがいたとしたら、以下の事実を知ったら、どう思うであろうか・・・・・

 「映画」そのものは、見て、面白いと思った。それは、ある「事件」がベースだったからだ。実際にあった事件。ネット上の命名によれば、「西巣鴨、ないし、巣鴨子供置き去り事件」

当時は、パソコンなんぞ、興味もなかったし、やってもいなかった。

 映画と、事実は、どこがどう違うのか、自分で調べたい。そう思った。足を使い、動き回り、古い新聞記事を探した。

 プロフィールによれば、是枝は「テレビマン・ユニオン」にかつて在籍し、ドキュメンタリー番組を手掛けていた、とある。

 であるならば、当然、この事件を自らの手で洗い直し、彼なりの新事実なり、視点で取材や、ロケハンを重ねる中で、掴み、それをシナリオの叩き台にして、再構成していったのではなかろうか?

 そう思いつつ、彼の足跡をたどるような気で、この事件を改めて追った。幸いというべきか、当時でも、すでに16年前の出来事だったが、事件の起きた地は、新興住宅地ではなく、近所は昔から住みついている方が多く、子供達の住んでいたマンションも、古びてはいたが、そのままあった。

 今、ネット上では、巣鴨、ないし、西巣鴨とあるが、実際には大塚駅から歩いて20分ほどのところ。近くには、都電が走っていた。

 1階には、コンビニが変わらずあったし、近所の人達も、映画化されたことにより、記憶が甦り、それぞれが知る当時の実話や、目撃談も聞けた。

 何度も通い、取材を重ねる中で、事実誤認というか、飛ばし記事の連発を知った。。いかに新聞記事がデタラメを書いていたかが、分かった。

 そして、その後の、子供達の軌跡も追った

 福祉事務所、役所、養護施設・・・・・・・

 当時、子供達と関わった人たちは、すでに職を退いていた人が多く、その上、個人情報保護法がウダウダ言われ始めた時期でもあり、その人達の足跡を追うことも骨がおれた。

 そして、分かった!

 是枝は、何も自分で”この場”に足を運んで、調べたりしていない、という、そのコトも。その、スタッフすらも、来て調べていなかった。

 さまざまな人が、私に言った。

 「ここ数年も含めて、改めて聴きに来たり、調べたりしてるのは、あんただけだよ」

 これが、ドキュメンタリーを手掛けていたというフレコミの人間の、真の顔か・・・・・・。いやあ、カンヌ映画祭受賞も、ちょろいもん。

 意外や、そんな手法の是枝を擁護したのは、マンションの大家をやっていた親の跡を継いで、家賃を集めて暮らしている、息子だった。

 「いいじゃないですか。調べないで、自分の勝手に作ったイメージだけで、まとめたって。あなたのように、何から何まで全部調べまくるって手法のほうが、個人的に好ましくないなあ」

 最上階に籠って、「児童小説を書いている」という太った息子は、そう言った。

 確かに、「誰も知らない」は、ドキュメンタリーと銘打ってはいないし、是枝が、枯れ枝でしかなかったのに、買い被ったのは自分だが・・・・

 だけどさあ~・・・・・

 ちなみに、真実の「誰も知らない」は、記事化した。キチンとファイルしていないので、記憶によれば、という「但し書き」になるが、

 母親は、執行猶予の判決を受け、その猶予条件に内包されていたためか、新たなオトコと暮らしてはいたが、手元に女児を引き取った。

 しかし、案の定、うまくいかず。女児2人は再び施設へ入所。彼女たちは、高校を卒業し、規定に即して、出所。その後の行方は、つかめないと、・・・・・あの子たちに関わった人達が教えてくれた。

 亡くなった、とか、海外へ、とか、そういう事は記録上、無いと思うとのこと。

 また、長男は、やはり養護施設で高校卒業までおり、遅れた学習能力を取り戻すかのように、猛勉強。

 「勉強は、やれば出来たねえ。途中編入のハンデがあったはずなのに、追いついたうえ、成績良かったよお」と、担当者は感心していた。

 なんと、奨学金を得て、大学にも現役合格。両親が事実上いないにも関わらず、誰もが当時その名を知る大企業に就職。結婚もし、子供も、映画公開時には、いた。

 今も年賀状程度のやりとりをしていると言う人は、言った。

 「迷った末、あの映画は1人で見たと言っていた。感想を聞いたが、何も答えませんでした」

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 一方の、河瀬直美。彼女こそ、施設に入ってもおかしくないような、不遇な生い立ちを経て、世に出た。

 それが、そののちの、彼女の映画と、人生と、したたかさに、色濃く反映している。

 実質上の社会へのデビュー作「萌の朱雀」は、彼女の人生と重ね合わせて、見た。

 その後に次々と製作した、「万華鏡」 「沙羅双樹」「火垂」「朱雀の月」「塵」は、まだしも、国語学者じゃないと読めない。ふりがなを、題名の横に添えないと、解読不明のものばかり。

 思った。こりゃ、あえてその手を使った、海外向け戦略だな! と。

 思った通りだった。

 次々と、またも河瀬は、海外の映画祭へ、連発出品。賞を狙い続けた。カネは招待作品以外は、かかる。が、河瀬には、カンヌ受賞歴の”看板”が、あった。

 有名無名問わず、そこで、賞取って、賞もらって、世界各国へ配給出来るバイヤーとも、交渉。納得出来る条件なら、売る。

 見事な海外戦略。

 箔付けて、冠付けて、日本へ逆輸入

 その報道で、観客動員に結びつけようと計り続けた。したたかで、ある種賢い。

 それについて、のちに質問を、河瀬にぶつけた。意図して、海外向けに狙った「題名」については、認めた。やはり、な。

 他の監督の映画よりは、河瀬のものは製作費がかかっていない、かけていない。とはいえ、映画は、ある種のバクチ。

 使ったカネを回収してこそ、ナンボのもの。それで初めて、次の映画作りが、出来る。出来ない監督・スタッフ・会社は、腐るほどある。

 河瀬の映画は、現実として、大きな映画館では上映されない。質としても。全国、シネマ・コンプレックスばやりだが、その100~150席が、連日満員になったとしても、資金回収は、無理。

 一方で、映画館主側が、収入の半分を取るという、不文律というか、慣習がある。

 その壁を越えるため、逆輸入で観客を掴まえ、DVD化の交渉で強気に出て、無いに等しいテレビ放映の際は、箔と、冠をはためかす。

 しかし、冠で観客がワッと長く詰め掛けるほど、映画ファンは、節穴でも、シロートでもない。カンヌ獲ってもだ。他の映画祭も、同様だ。

 とはいえ、いまのところ、河瀬の戦略は、不成功とは言えない。むしろ、成功。カンヌ国際映画祭の審査員に収まったのだから。今回だけのものではあるが。

 内心、ほくそ笑んでいたに違いない。これでまたひとつ、大きな箔が付いたと。

 で、私生活。最初の結婚。相手の名前を知った時、これは持たないな。長く続かないな、そう実感。

 男の、人を人とも思わぬ言動と、性格、そして、河瀬も。

 やはり、短期間で離婚した。河瀬の、今の夫は、スタッフの1人。前の轍を踏みたくないからか、ひたすら隠し、非公表。

 が、「公表」したモノを見たときには、あまりの衝撃に、のけぞった。

 確か、映画の題名は、「垂乳女」

 大画面中央に、デーンと彼女の性器が正面に大写しになる。

 じっと回される、カメラ。撮影者は、事実上の夫。

 やがて、ソコから頭がにゅるにゅる~と出てくる。出産の、まさにその瞬間!

 収縮する、性器。

 これは、出産映画ではない。これもまた、海外の映画祭に出し,受賞。その、彼女の神経に、唖然とした。

 むろんと、言うべきか。これは、DVD化はされていない。

 そして、次に彼女らしさが出たのは、「七夜侍」という映画。当時、演技力より、人気が先行していた、ハセキョーこと、長谷川京子を起用・主演。

 彼女をタイに連れて行き、見ようによっては、ここまでやるか!? と、驚くほど、いたぶった。2008年公開。

 ウソだと思う方には、見ることをお薦めする。

 代官山で行われた、撮影前の記者会見。これは、河瀬に聞き、その答えと、ハセキョーを見てほくそ笑む彼女を見て、ナニかやるな、腹に持ってるなと思ったのが、当たったが、コレほどまでは! と、嫌な気がココロに残った。

 ちなみに、長谷川は、この年に結婚。事実上、芸能界を引退した。その想いは、聞いていない。聞きたい。そう思っている。

 今回の、カンヌ。まるで主演女優なみに、シースルーのドレスを身にまとって、カメラの無数のフラッシュを浴びながら、悠然と微笑みを浮かべる河瀬。

 それを見て背筋が凍った・・・・・・

 

 

 


<リアル 芸能 ルポ> 「ZARD」坂井泉水こと、蒲池幸子の「死」からもう5年か。コレが、自殺の深層だ

2021-09-15 11:48:12 | 芸能ネタ

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 < 2012・6・7 掲載記事 >

  <2015・5・27 再掲載記事 >

 ≪ 2017・5・29 追記掲載 ≫

 のっけから、少々キツイ題名になったが、上に掲載した写真の場所に赴くたびに、その想いがこみ上げてくる。だから、あえて打ちだした。

 この写真を見て、この場所がドコか? そしてどのような意味を問う写真かが、分かる人は、この場所に一度は行ったことがある人だ。

 ここは、都内にある大きな病院のバイクの駐輪場だ。見た通り、何のへんてつも無い、病院職員でバイク通勤する人の為の小さなスペースだ。以前は、車の駐車場の一部だった。

 停めてある、2台のうち、右のバイク。その真上にある、曲線状の白く丸い手すり。そこに早朝座った40歳の入院患者が落ちて・・・・・・死んだ。そういうことに、統一された。

 即死ではないが、時置かずして、この世を去った。

 信じられるだろうか?

 手すりから下のコンクリート面まで、2メートル70センチ。当時の「公式報道」によれば、後頭部を打ち付け、死因は「脳挫傷」と。

 だとしても・・・・・と、想いを巡らす。先ほど、初めて検索してみたら、他殺ではないか?などという疑問を呈した人がいて、いささか驚いた。

 それは、100%無い! と断言できる。

 しかし、この地で、病んでいたとはいえ、蒲池幸子という美しい女性が、2007年5月27日。この世に別れを告げた事実だけは、動かない。

 あれから、もう、5年も時が流れたのか・・・・・・。その、あまりの速さに驚く。

 実は、5年前の今頃、この地を何度も訪れ、「事実」さらに突っ込んで「真実」を自分で掴みたく、通った。その結果は特集記事にして載せた。とある写真も載せたこともあり、反響はその後もあった。

 そして、それ以降も年に何度かこの地を訪れている。

 断っておくが、私は彼女の熱烈なファンでは全く無い。聴きやすい声だなあ。BGMにいいな。思うのは、それだけだ。

 ただ、彼女の生前。ZARD!? 日本人? 誰、それ?

 そんな疑問? から始まった、徹底取材。友人、知人、近所、学校、会社はもちろん、彼女が「創られていく」過程も、時代背景も、写真も、洗いざらい調べ尽くして、書いた。

 今でも時折り思い出すのは、最寄りの駅近くから見た富士山。そして、彼女の実父へのロング・インタビューで浮かび上がった、やりきれない一家離散のココロの真実。

 ただの新宿のOLが、騙され、危うい道に踏み込み、今度は一転して、仕掛けに乗っかって創られ、巨万の富を得たがゆえに、親、兄弟妹は・・・・・

 カネはヒトを、変える

 今、それを打つつもりはない。

 打ちたいのは、彼女がこの世を去ってからのことだ。遺された形骸化された家族の、複雑な想いとは全く無縁なところでの、”巨大イベント”

 いまも、定期的に死人で儲けようというのが、やりきれない。あざとくて、許しがたい。

 それは、尾崎豊にしても同じだ。何度も取材し、素顔も知ってた。死因も。

 だから、もうあざとい金儲けは、止めませんか・・・・・

 ひばり御殿の、荒れ果てようと、その実態も、やりきれない・・・・・

 写真の地。今は訪れる人とていない。当初だけ、「手を合わせたり、花束を置いていく人がいたけどさ」と、警備、管理係。

 あのコンクリートの部分だけ、なんとかしたいと申し出てきた会社や関係者は?

 「全く聞いたこともないね」と、冷めた口調で突き放された。

 病院の担当者に聞いたが、同様だった。むろん、というべきか。彼女の家族、当時の愛人からの申し出すらなかった、という。

 今日まで、彼女が絶命した箇所は、幾千、幾万本のタイヤに踏みつけられ、轢かれた。数えきれないほどの、靴にも踏みつけられた。

 昨年の3・11にも、地面は割れることもなく、車輪が乗りあげ続けている。

・・・・・・私が、近親者だったら、耐えられない。ZARDで儲け、これからも儲けつづけようとする根性に、怒りすら感じる。ココには、1円もかけない。

 たまたま、駐車場だったから言うのではない。口先と違い、彼女自身への哀悼の気持ちが、カケラほどもない。あるのは、ゼニ儲けだけ。

 巨大に膨れあがった、にわかファン。一体、アレはなんだったのだろう?

 

 今日もタイヤに踏みにじられる。蒲池幸子の心までも、踏みつけていく・・・・・

 生き続けていれば、45歳。普通の人生を歩んでいれば、死なずに済んだのに・・・・・・

 


《 リアル 芸能 ルポ 》 もう、右手は、御手付き台無しには、立って歌えない、北島三郎。ん? その背後に立って、思わせぶりに、大げさに歌い上げるアフロヘアの男は? あれれ(笑)

2020-12-27 15:09:16 | 芸能ネタ

 

 ≪ 2019・11・24 掲載記事 ≫

 先月であったろうか?

 ネットニュースに、北島三郎の、テレビ番組に、〇〇〇・・・・・が、ハプニング出演という、記事を、チラッと見た記憶だけはあった。

  丁度、1年前くらいから、北島三郎の、唯一の冠歌謡番組、「サブちゃんと歌仲間」を、毎週、タイマー録画しておいて、見続けていた。

 留守録しておかねば、とても見られない、土曜日の、午前5時半から6時と言う、早朝時間帯。局は、BSテレビ東京。

 それも、全国47都道府県のうち、18局という、半分にも満たないエリア。

 CDが、全く売れないうえ、誰もが知るヒット曲が無い、「演歌業界、厳冬の時代」が、その背景に、そびえ立つ。

 コレが、厳しくも、今の歌手、北島三郎の置かれている、「現状」だ。

 各局、放送時間帯は、バラバラ、それも、誰もが、観られる時間帯には、なかなか放送されていない。

 なので、この記事と写真は、出す意味があるのではないか?と、判断した次第。

 タイマー録画し続けているのは、元々、根っ子の部分で、御大、北島三郎の歌が好きだから。

 かつて、恒例で公演。、歌舞伎町のど真ん中に建っていた、「新宿コマ劇場」にも、何度も、足を運び、芝居に出ていた、白木みのるなど、役者・芸人総出演の、観るも華やかな、最期の「まつり」も楽しんだひとり。

 それが・・・・・

東京都郊外の、八王子市の高台に建つ豪邸の風呂場で、転倒し、緊急搬送されたのち、入院、手術、リハビリ。

 その影響で、老いも後押しし、足や頸椎を軸に、カラダのさまざまな部分が、痛み、神経が切れ。。。。。。。

 車イス生活こそ、昨年後期からはしていないものの、すでに、記事化はしたが、昨年12月8日の、「日本作詞大賞」の、壇上では、作詞家「原 譲二」として、表彰を受けた際は、歩行こそ出来はしたが

   ゆっくり、ゆっくりと、1歩1歩、足を踏みしめるようにして、歩みを進め、さらに、このように、娘むこでもある、歌手・北山たけしと、司会者に支えられるようにして、歩み、立った。

 その後の、コンサートや公演、興業では、単独コンサートは、無し。

 ゲストという名の、自分の事務所所属の歌手たち、3~4人に、ふんだんに歌わせ、やっと、御大が舞台に出てきて歌うのは、10曲足らずと、ヒット・メドレー。

 北島の、かつてのヒット曲を、ゲストが、大いに歌うということも有り、客席数と、会場は小さくなっても、観客動員数は、徐々に減っていっている。

 かつては、全国、どこでも、完売や、悪くても8割は客が入っていたのに、最期は、興行主が自ら、割引料金で、売り払う惨状。

 舞台では、右手を置いて、カラダ全体を、万が一、倒れないようにと、安全の為に支える「御手付き台」が、随行。

  色あでやかな、造花の花で隠したトコロに、このように右手を置き、歌う。

 この「サブちゃんの歌仲間」の、収録時でも、舞台でも、コンサートでも、この御手付き台は、絶対に、文字通り、「手離せない」物になっている。

 今年に入って番組で、独りで歌う、「故郷への道」や、「前に・・・・」を、歌い挙げるサビの部分。

 変わらぬ、伸びのある歌声も、ひょっとして、他のゲスト歌手のように、CDを流して?と、一度、この番組製作会社のプロデューサーに、問い質したところ、怒られた。

 「失礼な! 北島さんに限って、そう言うことは、致しません。自分の声で、そのたびに、歌っております」

 収録は、1か月、4~5回放送分を、負担も考え、休憩をはさみ、はさみ、1日で終えさせる。

 うち、1回は、北山たけしと、いまだ、力士体形のままの、大江裕(ゆたか)の「北島兄弟」2人にまかせて、歌う部分だけ、衣服を着替えて、毎回、収録している。

 ともかく、周囲は、これ以上ないほど、サブちゃんの、カラダを気遣っている。

 先月、10月4日で、83歳にもなった。

 惜しまれつつ、引退・・・の道を選ばず、意外や、有終の美を飾る道を、ぶった切り、死ぬまで歌い続ける道を選んだ。

 昨年、お願いされて「紅白歌合戦」に出たことへの、「お土産」は、とても、大きい物となった。

 自分が出ていないにもかかわらず、細川たかしや、大黒摩季など、北海道出身の、ジャンルを超えた歌手たちが、札幌でイベント的コンサートを開催。道内では、そのまま放送されたのだが、 

 全国放送されるにあたって、コロッと、番組大胆編集。

 東京のホテルで、北島三郎が、4流タレントの大泉洋にインタビューを座ったまま受け、それに加えて、かつて、故郷でもある函館で歌った過去の映像をはさんで、追加挿入。

 出てた歌手の大半の歌唱部分は、大胆カットされて、斬り捨てられて・・・・・放送された。

 その後から、所属、艶&演歌歌手たちは、さまざまなNHKの歌番組に、優先的に出られて歌うし、北島自身も、出演はして、特番や、スペシャルコーナーも造られて、座ったまま、ヨイショされた。

 途中、収録時間が長く、カラダに負担が掛かったのか、退席。

 主人公不在で、番組は進み、ついには、本人、ナマで歌わず。

 過去の、元気なころの、御手付き台無しの時の、VTRが、堂々と、流れたのには、ファンと言えども、絶句。そんなに、しんどいのかあ・・・・・と、不安も、募った。

 そんな、御大、北島三郎の、上記、「サブちゃんと歌仲間」に、とある絵画多彩タレントが、11月9日、放送分に出たとの、冒頭報道。

曲は、みんなで手拍子、歌いましょうよ、という、その名も「令和音頭」。

   世間と、時流は、この歌を望まず。 発売半年たっても、まったく、売れていない。

 タイマー録画はしていたものの、また「令和音頭」かよ・・・・・と、すぐ、切った。

  ところが・・・・・改めて再生してみると、映っていたのだ。歌手「K」が。

 そして 昨日、11月23日、放送分を再生。

 総勢15人もの歌手たちの真ん中に御手付き台付きで、立つ、上記、北島三郎。

 ん? 誰だあ? この、珍妙な、アフロヘアの、男性「歌手」は?

    背後で、声を出して、音程✕✕で歌い上げている、オトコ、

 それも、クサい演歌歌手の如き、身振り手振り、大げさに・・・・。

  思わず、気になって、振り返る北島三郎。

 木、木、木、木梨憲武(きなし のりたけ)と、気付き、本当に、驚いているサマ。

  もう、笑えるううううううううううううううううううううううううううううううううううううう

   あとはもう、2人、熱唱、熱笑!

 こんな令和、例は、もう、観られないでしょう。 笑えたあああああああああああああああああああああ

  とはいえ、北島の、もう、単独コンサートは、無い・・・・・としか思えません。

 この11月に都内の大ホールで行われた、イベント的コンサートに出たものの、なんと、総勢、有名無名、ごった煮、36人もの歌手&グループの出演。

 1曲歌って、締めは、全員ズラリと並んで、御手付き台と北島「御大」を、真ん中に、ソレ、♪「令和音頭」で、ちょちょいのちょい。

 なお、その模様は、12月7日、BS-TBSで、夜、放送されるとか。

 さらに、来たる来年の1月25日、26日、2月25日など、全国7都市、28公演の規模で、「令和にっぽん夢まつり」と、銘打った、コンサートに、北島が中心になって出る。

 とはいえ、またも、前川清や、長山洋子や、

 14年間以上歌ってきたのに、まだヒット曲出ないため、夫と離婚してまで、歌の険しい道を選択した、丘みどりも含め、7人が、歌い、競う。

 もちろん、北島の負担は少なく、御立ち台込みの高額ギャラが、♪ 令和音頭と共に、転がり込む予定。

 ファンにとっては、何とも、淋しい限りというほかない。

 むろん・・・・・舞台に、木梨は、来無し・・・・です

 

  

 

 

 


《 リアル 芸能 ルポ 》 サブちゃん、こと、北島三郎。ナマ中継された、「日本作詞大賞」の場に、「作詞家」として、登壇。果たして、御手付き台無しに、立てたか? 立ち続けられたか? そして、歩けたか?

2020-12-27 14:16:53 | 芸能ネタ

 ≪ 2018・12・9 掲載記事 ≫

 過日の「サブちゃん」の記事で、告知しておいたが、12月8日、「2018 第51回 日本作詞大賞」 ノミネート曲、17曲披露、審査後の受賞結果発表中継のスタジオに、北島三郎が、「作詞家」として、着席していた。

 歌うのは、無し。

 北島音楽事務所・所属歌手であり、娘むこでもある、北山たけしが、義父が作詞&作曲した、「津軽おとこ節」を、熱唱。

 やはり、詩そのものは、失礼だが、平板。しかし、メロディは良い。とりわけ、サビの後半に至る、聴かせどころが、良い。

 座って、聴いていただけでなく、中継テレビ局が、テレビ東京と言うこともあり、彼の唯一のレギュラー番組、、「サブちゃんと、歌仲間」が、長年にわたって、放送され、

 その中で、これから活躍が期待される、ほぼ無名の歌手たちをゲストに呼び、歌わせるという機会を均等に与え続けているという、功労をたたえ、局から「特別賞」を、贈呈された。 

 こうなると、座っては、いられない。

 席から立ち上がり、歩いて、壇上に行かねばならない。

  介助無しに、おおっ!

    歩けては、いる。ただし、ゆっくりと、ゆっくりと、歩きは出来るのだが、カラダが、前傾し、前後左右に、大きく揺れながら・・・・。

 心配そうに、見詰める、娘むこ。 

  受賞の言葉を聴いているときも、じっと立ちっ放しは出来ず、こまかく、フラフラと上体が常に、揺れ続ける。

  病気の影響、病気が治り切っていない、証拠だ。

 この11月6日。

 京都で、原田悠里や、大江裕に歌いまくってもらい、自分もステージに出て、御手付き台無しに歌った時、ッステージで転倒!

 再び、腰をしたたかに打ち付け、また、支え無しに歌うことに、不安を感じるようになってしまった。

 喜びの言葉を話す。 

 4Kという、画像の、ち密さもあり、

   82歳にもなった、老いの顔のシミ、しわ、までも、クッキリと、容赦なく、陰影をつけて、浮かび上がる。

 曲は、大賞こそ、逃したものの、準大賞とも言うべき、「優秀作品賞」を、手にした。

 受賞の言葉を話すときは、

   このように、キチンと立って、

  さほど、揺れが目立たず、ハナシも出来ていた。

 このままでいけば、「紅白馬鹿騒ぎ応援合戦」でも、観た人は、異変は感じるだろうが、まあ、危惧するほどのひどさは無い。

 御手付き台が、そばに無くとも、なんとか、リハビリを繰り返して、恥をかかずに、歌い終えそうだ。

 ちなみに、大賞受賞曲は・・・・ひどく、ありきたりの詩。 歌手は、自分が良いヒトであることを、これみよがしに、常にアピールする、あざとい性格に・・・・・・

 審査員も、全員、不適格な人物ばかりなのに、あ然としたし・・・・

 後味、悪い・・・・・・ 

 

 

 


《 リアル 芸能 ルポ 》 日本を代表する、作曲家であり、超ヒット・メーカー、筒美京平。表に出ないまま、ひっそりと、5日前に他界。ファンですら知らない、驚きの秘話、

2020-10-12 21:47:30 | 芸能ネタ

すでに、多くの人が、御存じであろう、日本を代表すると言っても、決して、過言ではない、筒美恭平が、亡くなられたこと。。

 年齢、80歳。と聴けば、納得を、出来なくも・・・・無いが、何しろ、オモテに、まったく、出なかった人。

  ( NHKより )

 コンビを組んだ 松本隆や、阿久悠などや、演歌の神髄、船村徹などは、メディアに折りに触れて、出ていたが、この方は出ていた記憶が、無い。

 ただただ、編み出したメロディーを聞くと、ああ、これも耳にした。コレも、ソレも、知っている。というカンジ。

 「ラジオ深夜便」の、午前3時台に、「筒美京平 特集」が、しばしば、放送さてれいる。

 この、5月26日、未明にも組まれていたし、急きょ、今夜も、組まれる可能性もある。

 予定されていた、「躁うつ病」患者であった、すでに、他界している、フォークソング作曲家よりは、ずっと知られているし、ヒット曲多いし・・・。

 しかし、このひと。

 名前は広く知られていても、この顔や声は、まったく、知られていない。

 この私でさえ、知らずにいた。

 それが、ひょんなことで、分かったことがあった。 

 かつて、ある、男性お笑いタレントの、愛人と、隠し子が、地下鉄日比谷線の、「広尾駅」から、歩いて5分ほどの、マンションに、ひっそりと、隠れるように住んでいるという、情報をキャッチ。

 子どもは、認知されて、、御手当と、生活費は、もらえているものの、男には正妻がおり、再婚は、かなわず。 

 

 その、暮らしぶりをつかまえようと、そのマンションを訪れた。

 ムカシ風の、造り。、広~い敷地に、5棟ほどの、中層マンションが林立。

 しかし、入り口に、警備室と、警備員が3名。

 「どちらに、行くんですか?」と、ギロリ。

 ---あのう、ちょっとした有名人のところに

 「ああ、筒美京平さんの、ところですか?」

 えっ!

 あの、まさに、有名人が、ココに、住んでるんだ、と、内心驚く。

 「あのひとね。本名は、渡邊さんと言って、われわれも、そう、言ってるんだけどね。渡邊榮吉さんです、正しくはね」

 「ええと、行くんなら、正面の左側の、1階。ソコに、広い、自宅と、応接間と、ピアノなど置いてある、作曲、レッスン室が、用意されているんですよ」、

 3人とも、胸を張って、誇らしげに言う。 

 ココに、あの、筒美京平がいらして、アソコで次々と、誰もが知る、俺たちも知る、ヒット曲が、産み出されていることが、そこはかとなく、、自慢の様子。

そうかあ・・・・。

 広尾駅から、5分なら、芸能界のスタッフも、訪問するには、とても、助かるし、便利だよなあ・・・。

 「実は、筒美さんにではなく、ある、女性が、子どもと暮しているトコに、行きたいんですが」

 とたんに、警戒心、むきだし。 

「 ああ、そんな名前のヒト、いるこたあ、いるけどね・・・・どの棟の、どの部屋なんて、教えられないよ。入ってもいけないよ、いいね」

 ・・・・・

 世の中、そうそう、甘くはない。

 その後、張り込みに転じたが・・・・。

 にしても、筒美京平。

個人事務所は、神奈川県の逗子市にあるとのことだが、晩年、自宅療養していた場所は、先の、広尾の、マンションと想われる。 

顔を、見ることも、残念ながら、偶然とはいえ、お会いすることも出来なかったが・・・・・・

警備員たちに、ヒット曲以上に、親しまれている、気さくな、お人柄だったように、思われた。

 少なくとも、偉そうに、先生ぶることなく・・・・