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<リアル ボクシング ルポ>2度、確かに亀田興毅、凡庸な挑戦者をダウンをさせたが、あきれた、凡戦。

2013-07-24 02:09:22 | スポーツ

 あくびが、出るほどの、凡戦だった。

亀田興毅の、防衛戦、これで、7回目の防衛回数だそ~だが、内山高志との内容と、展開の違いについては、ボクシング・フアンなら、誰もが分かるはずだ。

 確かに、10ラウンドと、最終の12ラウンド。本気で、ベルトを奪いに来たんだろうか? と、クビを傾げてしまう挑戦者を倒しは、した。

 

 だが、3人のジャッジが付けたほどの大差があったとは、どうひっくり返しても、思えない。

 ちなみに、スコア。 117-109。 118-108。 そして、驚くべきは、119-107。

 おいおい、おい! 何か、戴いたの?.接待、受けたの? と、聞き質してみたい”笑動”に、思わず駆られる点差。

 

 前戦も同様だったが、亀田興毅ほど、10マスト・ポイントシステムを最大限利用したスコアに、なってしまっているプロボクサーを、私は知らない。

 強制的ではないと、断ったうえでとはいうものの、どうしても、10-9という点差を、各ラウンドごとに、つけていってしまうと、終わってみりゃ、御本人もたじろぐ、こんな開きに!

 という典型だ。

 

興毅は、確実に、かつて持っていた・・・・ように見えた強さを失いつつある。

パンチの、スピード。重さ。キレ。

 

 なにより、勝ちたいという覇気が、まるで無い。気迫が、希薄。

 家族が出来たせいもあり、すべてが、「守り」に、入っている。

 弱くなったなあ~。そう捉えるほか、無い。

 

 

 


リアル 女子フィギュア・スケート ルポ < 出産にまつわる、ひと騒動は、過ぎ去ったけれども、安藤美姫

2013-07-23 23:30:11 | スポーツ

 もう、カンペキに、安藤美姫の、2014年 ソチ冬季オリンピックへの出場は、ない! 

 改めて、そう言い切れる状況に、なってきた。

 ただし、テレビ番組の、ゲスト解説者として、ソチへ、行くことは、可能性が充分あるが・・・・・・。

 いや、近年、テレビ局の番組制作費の削減が、叫ばれており、それは、オリンピックといえども、同様。

 東京のスタジオでの、ゲスト解説で終わるかもしれない。

 加えて、かつては、互いにトップを競いあった浅田真央は、ともかくとしても、進境著しい、後輩たちの活躍を、会場で見るのは、気の強い安藤にとっては、ココロ忍びないかも知れないから。

 さて、やはり、彼女に「特別待遇」は、無かった。

 ここまで、迷惑かけて、好き放題やってきた選手には、一から、他の平凡な成績の選手と、同じように、予選から出て、勝ち上がってもらうしかない。

 公益財団法人・日本スケート連盟は、そう決断した。

 むろん、過去の安藤の栄光は、評価している。しかし、連盟が欲しいのは、メダルを、今、ソチで獲れる選手。

 さらに、踏み込んで言うなら、連盟の言うことを、例え、無理難題でも、はいはいと、聞いてくれる、素直で、都合の良い選手が好ましい。

 いまだ、コーチが正式に、決まっていない安藤。しかし、今は、リンクで滑る前に、ジャンプを、難なくこなす筋力トレーニングが必要な段階だ。

 フィギュアスケートのジャンプをやった人なら、お分かりだろうが、飛んだあとの着地時に、ヒザと足首にかかる衝撃と、その負担は、相当なものだ。むろん、競技の時、両足首に、ぶ厚くテーピングするのは、当然のこと。

 国際的競技大会からは、約2年間も、遠ざかっていた安藤。25歳とはいえ、筋力も、かつてに比べ、相当落ちている。

 7月のアイスショーの最終日近く、辛くも3回転が出来たとは、とても言えない。回転時のバランスは崩れ、ショーの「ゲスト」だから、客の目も、温情混じりで、甘かった。

 この先、単独での練習だけで、大会に臨むことは、ありえない。

 コーチ代は、むろん安藤が払う。

 ちなみに、かつての安藤のコーチでもあり、同棲相手の男性でもあった、ニコライ・モロゾフの、コーチ代は、非常に高かった。

 なんと、日本円にして、3000万円近いといわれた。

 高ギャラを戴き、且つ、体も戴きの、モロゾフ。オンナ癖の悪さでも知られており、彼に溺れていく、安藤に周囲は、心配し、乳をもまれてると聞けば、気をもみ、危惧していた。

 今、新コーチとして、日本人の佐藤女性コーチの名前が、マスコミに登場している。

 当初、安藤は、日本での喧騒を逃れ、アメリカでの単独練習も、考えていたようだが、赤ん坊の世話に、授乳は常に欠かせない。

 4月3日に産んだ、女児。3か月後の、定期検診を終えた段階で、テレビで、出産を告白したわけだ。

 睡眠の時も、添い寝し、本来ならば、片時も、離れることは出来ないはず。睡眠時間も、削られる。当たり前の、フツーの「ママ」ならば。

 

 しかし、断言こそ、していないものの、ソチを目指すと言う安藤にとって、最初の関門は、あとたった2か月半後に迫った「2013 関東フィギュアスケート選手権大会」だ。

 会期は、10月11日~14日の、4日間。会場は、東京ではない。

 埼玉県の川越市にある、「川越スケートセンター」。ここで、7位以内に入らねば、次の関門に、進めない。

 次は、わずか半月後の、11月1日~4日に控える、「東日本フィギュアスケート選手権大会」。

 会場は、さらに遠い、群馬県前橋にある、「群馬県総合スポーツセンター アイスアリーナ」。ここで、再び、4日間の戦いに挑む。

 ここで、5位以内に入らなければ、ジ・エンド!

 且つ、国際スケート連盟が基準として提示している、5種類の3回転ジャンプをクリアしなければならない。

 そして、さらにそれをクリアすると同時に、12月18日で、26歳を迎える安藤は、すぐさま12月21日~24日まで、さいたまスーパーアリーナで開催される、「全日本フィギュアスケート選手権大会」で、最低3位までに入らねば、その後の「強化指定選手」には、なれない。

 そこで、日本代表候補としての最終強化合宿で、振り落とされ、ソチで、メダルを獲れる可能性のある選手のみが、正式決定される。

 そこまで、いける可能性と、実力が、今の安藤にあるだろうか・・・・・・

 

 赤ん坊の世話は、事実上、母の明美まかせに、なるだろう。明美は、夫が31歳の時、交通事故死。そこからは、文字通り女手一つで、美姫を育ててきた。

 年間、数100万円かかる、美姫の練習費用や、遠征費用まで、捻出してきた、筋金入りの、女性だ。

 実質的マネージャーでもある。

 今、安藤は、所属こそ、「新横浜プリンスクラブ」となっているが、そこのホテルから、給与や契約金は、一切出ていない。

 大会に出るための、便宜上の「所属」であり、横浜にある自宅から出て、練習をするための、スケートリンクを貸してもらえる好環境というだけだ。

 昨年の今頃は、稼ぎ時とばかりに、大学のトークショーに、営業として出たり、全国の主要都市で開かれる「アイスショー」に、出演していた安藤。

 一方で、国際大会に出るのを、拒否。いわば、お気楽なショーで、お茶を濁していた。それでいて、精神的には、グラングラン揺れていた。

 時には「死にたい」なんて、言っていた。ブログの中身は、支離滅裂。

 それでも、生活は、ラクに出来た。「トヨタ」所属として、出社しなくても、年間税込み6000万円ほどを、手にしていたから。

 かつて、YAWARAちゃん、こと、田村亮子(当時)もまた、「トヨタ」所属として、形式上、本社総務部付の肩書きで、税込み年収6000万円を手にしていた。

 アマチュアでありながら、事実上プロ。

 それでいて、オリンピックに出ていた。出られた。

 さらに、目黒区にあったマンションの最上階、ワンフロアが、すべて彼女と母親の住まいだった。で、それは、「トヨタ」の、「社宅」扱い。

 車は、トヨタの、窓はスモーク入りの最高級車が、貸し与えられ、乗り放題。母も運転するが、運転手まで、手配されていた。

 この厚遇は、横浜にすでに自宅があった安藤も、同様・・・・・だった。契約上は、昨年の大晦日まで。遠征費まで、出してくれた。

 それが、今年の元旦付けで、契約は、切られ、今は無一文に近い

 仕事は、なにひとつ、まとまったものは、無い。

 アイスショーの出演料が、数百万円などと書いたメディアもあったが、ウソ。

 第一弾でも書いたが、安藤クラスでも、安い。今、彼女は、「客引きパンダ」にも、ならない。

 新たに依頼するコーチ代は、むろんのこと、川越や、前橋に行く交通費も、宿泊費も、食事代も、すべて自分で支払わねばならない。

トヨタからの、高級車の貸し出しは、もう無い。

 自由にやりたい放題やってきた、ここ数年。

 そのツケは、とてつもなく大きい。

 強化指定選手の枠に入らなければ、ソチへの道は、断たれる。

 トリノ 冬季オリンピックで、荒川静香は、実質も実力も、3位の銅メダルだったのに、金さん銀さんが、すってんころりん。

 ラッキーにも、金が転がり込んだ。幸運という他ない。

 しかし、奇跡も幸運も、安藤には起こり得無さそう。

 怪しげな、カツラスポンサーが、現れたところで、かつての実力は、引き戻せないだろう。

 転がり込む幸せは見えず、人生というリンクを、すってんころりんと、滑った

 どの時点で、現役引退を、あの大きなクチから発表するか!?

 今は、それを待つ他、ない。

 厳しいが、それが”厳実”だ。


<リアル ボクシング ルポ>飛天かずひこ、34歳。いまだ「華」有り!7月12日、9歳年下の西田光と闘う

2013-07-20 19:02:23 | スポーツ

あれっ!? こんなとこに、飛天かずひこ(旧リングネーム・日高和彦 *本名)が!

Dscf6178 こんにちは! どうしたんですか? ココ(角海老宝石ジム)に、いらっしゃるなんて。

 そう、声をかけた。それが、6月下旬のこと。

  気付いた、飛天かずひこ。キチンと、90度近い、最敬礼。いつも、こちらが、恐縮してしまう。

 「お久し振りで、ございます!」

 もう、かなわない。超の付く、礼儀正しさ。

 「こちらで、ちょっと練習させて戴いております。お元気でしたか? いつも、さわやかな、印象を残してらして」

 目いっぱい、誉め言葉。もう、ますます、かなわない。

 プロデビューして、丸17年間。強さはもちろんだが、この人ほど、「華」がある、プロボクサーを、わたくしは、知らない。

 どこが、どうというのでは、ない。持って生まれたモノという他ない。

 リングに上がると、それは、一層、輝きを増す。

 記者が言うべきではない単語だが、カッコいいのだ!

 負けても、勝っても。ココロに、何か残してくれる。

 それが、ウソでは無いことは、これから詳細を記してゆく、7月12日の、試合後、ある光景によって、改めて痛感させられることになろうとは、その時は、予想もしなかった・・・・・・

 この日は、自分が出稽古で練習に来ているジムで、自分も練習をしながら、同時に、十二村喜久(とにむら・よしひさ)に、聞かれるたびに何かと教えていた。

 十二村は、それまで長年に渡って指導してくれた、日本のトップの実力を持つチーフ・トレーナーが、理不尽な理由でクビを言い渡され、ジムを突然、去ってしまっていた。

 そのため、十二村は、この頃、自分なりの、新たな練習方法を模索していた時期でもあった。

 飛天の指導法を、黙って、見つめていると、わかりやすく、教え方はうまいことが、分かった。且つ、極めて、実戦的。

 なにしろ、「実績」がある。「人柄」が、それに増して良い。

 十二村は、現在日本スーパー ウエルター級3位。東洋・太平洋の同級で5位に、ランクインされている。

 今年の2月20日。明らかに、湯葉忠志に打ち勝っていたのに、奇っ怪な判定結果に、控え室で涙を滲ませた。

 それ、私が書かねば! 湯葉は、とても良い人だが、試合は、試合。 そう思い、キチンと、足跡を打ち込むように、記事化した。興味のある方は、検索してみてください。

 で、実は飛天。ふるさとは、九州。宮崎県の、都城市(みやこのじょうし)。そこの「都城レオスポーツジム」から、17年前にプロデビュー。

 その後、上京し、移籍や、ジム復帰などを繰り返し、現在、野口勝(まさる)会長の、誠意あふれる移籍交渉の尽力により、昨年4月から野口ジムに所属することが出来た。

 それまでの道は、茨の道、そのものだった。

 前のジムとのこじれた事情で、丸3年間もの間、試合が出来なかった。自由に移籍も、させてもらえなかった。一昨年には、「引退」も、真剣に考えたが、やっぱり、ボクシングの魅力にサヨナラは、出来ずにいた。.

 話しは、時折り、聴かせてもらっていた。書けない話も、たっぷりと。

 気持ちは、いらだち、時に落ち込んではいたが、練習は少しずつ、地道に、欠かすことなく続けていた。

 先の、都城のジムには、かつて、なんと、先述した湯葉忠志がいた。その上、同じ年に、競うようにプロデビュー。

 九州の小さな、名も無いボクシングジムから、ボクシングフアンなら、その名前を知らぬ者がいない、日本を代表する、2人の重量級チャンピオンが輩出したというのは、驚くべきことだ。

 湯葉によれば、昔はよくスパーリングをしたと言う。もう、試合も含め、拳は合わせたくないなあ、と、苦笑いした。

 

 その湯葉は、飛天と違い、そのジムに籍だけは置いたまま、練習は東京で続けている。ジムの、実態はすでにない。

 会長は、所定のファイトマネーや、諸経費だけ持って、上京。支払い、試合を見届けると、すぐさま、都城へ帰る。

 2人の生き方こそ違うものの、どちらも人間的にも、魅力ある人だ。

 さて、この日。飛天は、試合があるとは、言わなかった。わたくしも、調整程度かな?と、思っていた。だから、聞かなかった。

 ただ、野口ジムから、丁度丸1年前の、7月11日、「復帰」戦を行なって、ローテーションから言って、そろそろかな?とは、思っていた。

 そこのところは、飛天。控えめ、奥ゆかしい。

・・・・・・ある日。ひょいと、後楽園ホールの通路で、見かけたポスターに、「飛天かずひこ」の、名前が。

 それも、メイン。ファイナル・マッチ! おおっ!

 テレビは、録画中継も含めて、放送なし。こりゃ、行かねば! しっかり、見なければ! しっかり、書かねば! 遅筆だけれど・・・・・

 時は、7月12日(金)。午後8時48分。

 元東洋・太平洋ウエルター級チャンピオン。ならびに、元東洋・太平洋スーパー・ウエルター級チャンピオンの、その名も、飛天かずひこ。後楽園ホールに、登場!

 それも、観客や、ファンの意表を突く、出方をした!

 なんと、いったん客席の電気がバッ! と消え、そして、再び灯ると同時に、スポッットライトが、通路に当たるや、そこから、きらびやかに登場!

 よっ! ボクシング・スター! 飛天かずひこ~!

 

 

 Dscf6953 いつも以上に、黄色い前掛けが、輝く!

 

 おうおう、楽しい”演出”だぜい! と、思ったのも束の間、なんと、第2弾が!

 Dscf6958 「実の父親です」と書かれた、大きい紙を従え、息子の「和彦」と共に、現れたのは、文字通り、実の父親「義和」氏。

いやはや、いやはや、どっと受けた。やんやの、大喝采。

 

 和彦によれば、オントシ59歳とのこと。写真を拡大すると、よく分かるが、かつて「おんなの道」という、ド演歌で、超ヒットを飛ばした、ぴんからトリオの「宮史郎」に、そっくり!

 いやあ、*私が、捧~げ~た、なんて歌い出したら、もっと盛り上がった? かもしれない。

 ちなみに、ホンモノの宮史郎は、昨年11月19日。69歳で、この世を去っていたことが分かり、あの人が? と、いささか驚いた。とすると、寸前までテレビの歌謡番組に出ていたことになる。

 さて、いよいよ、試合開始だ。

 目下の飛天の、戦績。通算37戦して、31勝6敗。で、31のうち、22ものノックアウトや、レフェリー・ストップ勝ちを収めている。

 対するのは、西田光(ひかる・川崎新田ジム)。初めてそのリングネームを耳にした観客は、かつては、どっと、きた!

 当時、大人気だった、タレントの西田ひかるの本名と、まったく同じだったからだ。今は、もう、彼女は40歳のおばさんになったから、試合会場での反応は少ないけれど。

 その西田は、まだ25歳。デビューして、5年。戦績だけ見ると、7勝6敗1引き分け。ノックアウトと、レフェリーストップ勝ちは、わずか2つ。

 だからといって、あなどれないのが、この西田。しぶとく、戦績以上に強いのを、私は、しばしば目にしている。

 午後9時6分。< 1ラウンド >開始のゴングが、鳴った。

 

 

  Dscf6967 西田(写真右側)が、ジャブ。次いで、左ボディへ、ダブルのパンチで、先制。

 おっ、西田ペースで進むかと思われた、その時! 飛天(写真左上。左側)が、西田へ、左フックをぶち込む! さらに、追撃の、強烈な左を、ズバ~ン!

 

 ガクッ !と、腰をかがめて、西田、ダウン!(写真左下)Dscf6969 ワ~ッと、大歓声に湧く観客。早くも、飛天ペース!?

 嬉しいというより、ホント? という、驚き。

 というのも、実は、飛天と同じ野口ジムの、中村量が勝ち、話しを聞くべく、控え室へ行ったところ、その部屋で、女性整体師だろうか、きつそうなストレッチを、飛天がじっくりと受けていたのだから。

 

 ボクサー生活、17年。3年間、試合が出来なかったのを、差し引いても14年間。体のアチコチが、悲鳴を上げている。

 それは、飛天に限ったことでは、無い。その多くの、キャリアあるボクサーは。リングに上がる直前まで、体のケアが、必要不可欠な状態になっている。

 体のあちこちが、きしみをあげているなか、だましだまし、どこかで折り合いをつけながら、年ごとに厳しさを感じる練習に取り組み、試合に臨んでいる。

 リング上で見せる、とてつもない強打の裏側での苦闘。

 キャリア14年以上を重ねている、それも、KO率の高いプロボクサーは、常に、それと闘っていることは、取材を重ね、プロボクサーの”厳実”を、知れば知るほど、痛感せざるを得ない。

 佐藤通也(みちや)など、必要以上に自分の年齢を気にする者もいるが、拳を人間やサンドバッグや、ミットに叩きつけてきた年数が問題なのだ。

 一般の人間なら必要のない、拳、腕、肩、腰の酷使。元来、人間の体は、それに耐えうる作りになっていない。

 鍛えて、鍛えて、限界を超え続けてゆく。拳を形成する、筋肉や骨や神経などを「破壊」させながら、プロボクサーはリングに上がる。歓声と応援に、心を奮いあがらせながら・・・・・・・。

 KO率の高い、ある世界チャンピオンなどは、試合翌日、食事の時、痛みで箸が持てないと言う。

 また、フツーのボクサーでも、試合後、ボールペンを手にしても、いつものように文字が書けない。手が、小刻みにしびれているのだ。

 いわば、「光」と「影」とでも言おうか。単なる、勝った、負けた、ではない。そんな、知られていない現実も、読者に伝えてゆきたいと思う。

 さあ、リングに文章を戻す。

 このまま、1ラウンド。鮮やかなKO劇で終わるかと、思われた。

 だが、すぐに、西田は立ち上がり、なんとか、持ちこたえたまま、このラウンドは、終了した。

 ああ・・・・・・と、思う。全盛期の、「日高和彦」の時代ならば、立ち上がった西田に、すぐさま、容赦なくラッシュをかけ、的確で、無駄の無いパンチを、西田の体の上下に叩き込み、連打、連打、連打! 同じコーナーポスト近くに、西田を沈みこませていたはずだ、と。

 ブランクだけでは、片づけられない、年月の日々。

 とはいえ、野口ジム所属となってからの、飛天の戦績

昨年7月11日。長島謙吾相手に、判定勝ち。次いで、4か月後の11月16日。インドネシアのスーパー・ウエルター級2位にして、同国の元チャンピオンに、4ラウンド終了間際にぶった押し、見事なKO勝ち。

 続く今年

 (つづく)

 


 <リアル ボクシング ルポ>7月19日 58キロ契約 伊藤雅雪 対 源大輝 戦 展望あれこれ。

2013-07-19 15:55:00 | スポーツ

 とある日の、後楽園ホールの通路。メインの試合が終わり、さてどうしょうか? と、歩き始めた、その時。

 あれ? どこかで、見た顔が。帽子を逆にかぶってる。

 昔の表現で書くなら”苦み走った、良い男”(写真・下)。ブログには、女の子が、チラリホラり。心身ともに、淋しい想いはしていない、ようだ。

 確か、プロボクサー・・・ですよね?

 「はい、伊藤雅雪(まさゆき)といいます」

 

 

 Dscf6750 雅雪? 「本名の方は、雪は、之という字を書くんですけどね」 そう言って、少し苦笑。

 

 生まれが、1月19日。東京の生まれ育ち.。

 

 「去年、全日本フェザー級の新人王になりました」

 

 少し、照れくさそうに話す。

 ああ、それで勝ち上がっていくときに、試合を見てたんだ。

 

 で、帰りかけようとしていたので、定番ともいうべき質問

 

 -----次の試合は?

 

 「7月19日。相手は、源大輝という人です」

 

 源!? あの、源かあ・・・・・・

 

 戦法や、その経緯辺りは、試合映像などと共に、伊藤のアタマに、すでに畳み込まれているようで、少し話しただけで、うなずく。

 

 どこか、余裕が、滲む。といって、自信満々では、無い。初めて会った時の、源大輝(みなもと・だいき)のように・・・・・。

 一応、資料用にと、かつて源にカメラを向けた時のこと。一緒に並んだプロデビュー前の子が、「彼、すごい強いんですよ」な~んて、持ち上げちゃつた。

 そんなこともあってか、源のまなざし。俺って強いんだぜえ~! ギラギラ、みなぎらせての、ファイテイング・ポーズ。

 やれ、やれ。

 連戦連勝の、KOプロボクサーが、陥りがちなのが、コレ。強いから、ファンが付き、増える、人気も出るはずだ。

 本人、そう、思い込みがち。

 試合後、スポーツ新聞の記者も、控え室に集う。「数」を、タイトルにもってきて、連続KOの記事、一丁上がり。

 しかし、友人、恋人、セフレならいざ知らず、それで客が歓声を挙げ、試合に感動し、次、また試合見に来るか!? というと、違う。

 例えば、酒井智彦。例えば、関西では、山﨑晃

 ボクシング・ファンなら、その名を聞いて、ああ! と、思い出す人もいるはず。どちらも、渾身のチカラを込めて、1歩も退かず、全身全霊で、戦い続けた。

 なにより、拳に、魂が、見えた。

 酒井は、先に書いた「強打者」まんまの林和希勝ち、視力が衰え、引退するまで、続けて3試合、興行のスポンサーから、金一封が渡された。感動したから、という理由で。

 目の肥えたスポンサーが、そこまで、突き動かされたのは、後にも先にも、酒井、ただ1人。

 一方の山﨑(やまさき)は、それまでジムのある大阪を主戦場にして、試合を重ねていたが、当時、東洋・太平洋スーパー・フェザー級チャンピオンとして、初防衛戦を迎えた内山高志を相手にすべく、上京。

 打たれても、打たれても、前へ進み、あわや、逆転勝ち! というシーンまでいった。観客は、内山のファンまで巻き込み、大熱狂! 床、踏み叩いて、大声援!

 試合後、勝った内山にではなく、負けた山﨑に、あらん限りの熱い拍手を、贈った。内山の、今も活動資金を支える、スポンサーの女性社長でさえも、だ・・・・・・。

 山﨑は、事実上の引退をするまで、ただの1度もダウンしなかった。足元が、ふらついても、ヒザを曲げることは、あっても、決して倒れなかった。

 そこに、人は我が身の人生すらも、時に重ね、感動し、歓声をココロで挙げる。

 理屈では、ない。強さでも、無い。

 連戦連勝KOボクサーは、確かに「記録」に残る。

 

 しかし、世間では、名も無き彼らだが、ボクシングを、こよなく愛する者達の、「記憶」に、永遠に残ってゆく。

 その違いは、大きい。ソレが、人を、殴りあいの会場へと、足を運ばせる。

 さて、源。先に会ったあとの、次戦。

 やってしまった! KO率、7割の「自信過剰」が、そうさせた。

 相手を見下し、舐めきり、両腕をダラリと下げてのノーガード。そのうえ、来いよ、来いよ、とばかりに、グローブ招き猫。

 打ち込まれ、あわてふためき・・・・・・結果、辛勝。

 「あしたのジョー」の矢吹丈戦法は、劇画の中だけのもの。それを、痛さと、腫れを土産に、源は知った。

 あのノーガード戦法って・・・と、控え室にいた、源の所属するワタナベジム会長に、尋ねた。

 「そうなんですよね。当人にも、止めたほうがいいと、セコンドで言ったんですけどねえ・・・・。まあ、これで、当人も、分かったでしょう。なあ!」

 そう会長は、源に、声を掛けた。当人、敗者のように、クビ、うなだれたまま、無言。

 

 その後、ある時、会った源に、聞いた。

 あのノーガード戦法、もうやらない・・・・よね?

 

 苦笑いしながら、源、コクリ。

 そうして迎えた、今年の2月27日。場所は、川崎とどろきアリーナ。

 相手は、地元川崎新田ジム片桐秋彦。それまでの戦績は、18戦して、11勝6敗1引き分け。それも、KO並びにレフェリーストップ勝ちは、3つだけ。

 1発で倒すパンチは、失礼だが、持ち合わせていない。極めて、試合運びも、奇をてらわず、オーソドックス。

 でも、源。言われた通りに、がっちり両腕で顔面ガード。陥りがちだった、大振りフック、空振りパンチも、控えめに・・・・・。

 

 

 Dscf3373 しかし、結果は、5ラウンド、レフェリーストップ負け(写真・上)。

 

 ガッツポーズをする片桐(写真上。後ろ姿)。

 

 源、ガッツリ、負けた。

 

 控え室では、もう、自信喪失。何を聞いても、「・・・・・・・・・・・」。

 

 イケイケのタイプに、よくある流れ。感情が、ジェット・コースター。

 

 激しい、上がり、下がり。これまで、何人もみてきた。

 

 この日、スカイ・Aの録画収録あり。全試合、基本的に、小出しに放映される。それも、何度も。

 前日計量を終えたばかりの選手への、インタビューも収録され、それが試合放映前に、流れる。

 

 「今回は、山川豊さんにも、練習や、仕上がりまで見て戴き、万全の態勢で試合に臨んでます!」

 

 源の言葉は、自信にあふれていた。

 それだけに、本人もショックだったはず。

 

 後日、偶然、彼に会った時、こう申し向けた。

 

 「スカイA、収録したの、DVDにダビングして、差し上げましょうか?」

 

 「いや、いりません」

 

 迷わず、そう答えた。

 

 あの日、顔をボコボコに腫らしながらも、判定勝ちした成塚亮は、同じ申し向けに、速攻で、笑顔を浮かべて、こう答えた。

 

 「本当ですか? ありがとうございます! ボクよりも、埼玉県にいる親が、喜ぶと思うんで。両親も、応援には、来てくれてたけど、見たがると、思うんで。お願いします」

 そんな嬉しい発言も受けて、成塚の記事も書いた。

 勝ちと負け。リングに上がってこそいないものの、気持ちは分かる・・・・・つもりだ。

 おまけに、所属ジムは、スカイAとは、受信契約していない。むろん、ジムがビデオカメラを回して、試合を収録してるはずだが、それはジムでしか、見られない。借りだすことは、出来るが、なかなか戻ってこないらしい。

 そんな事情を知っているからこそ、源に言ったのだが・・・・・。

 どこが、まずくて負けたのか?

 それは、戦った当人が、一番、良く知っている。だが、後日、冷静に、それを反省材料として見る・・・・・・気すら、源には、無いらしい。

 テレビ録画収録に、自分の試合がいつ遭遇するか? 誰にも、分からない。 

 日本チャンピオンになろうが、世界チャンピオンになろうが、放送、1回もないまま、引退してゆく者が、どれほどいるか・・・・・。

 「源クン、いりませんて・・・」

 ある時、ワタナベジム会長に、それを話したら、少し驚いて「いらない! って、言ったの?」

 「いえ、いりませんて、普通に・・・・」

 会長、何とも、言えぬ表情を浮かべて、押し黙った。

 あれから、4か月が過ぎた。

 源が、どんな練習を重ね、誰とスパーリングを重ねているのかは、知らない。

 チラリと、ジムで見かけるときはあったが、スパーリングも見かけず。

 スパーリング予定表に、彼の名前は刻まれていなかった。彼の試合日程も、気に掛けずにいた。

 だから、冒頭の伊藤雅雪に、聞かされ、驚いたほどだった。

 伊藤は、これまで、10勝、1引き分け。無敗だ。KO勝利は、10勝のうち、3勝。

 派手さは、無いが、控えめに、しかし、階段を着実に、1歩1歩、上がってきている。当分、降りそうも無い。

 全日本フェザー級新人王になった、昨年末に、同級日本12位に、ほぼ自動的にランク・イン。

 今年4月8日。増田靖之との8回戦。80-72、79-73、80-73の、完勝判定勝ちで、あっさり退けている。

 なんと、先日書いた、佐藤通也とも、スパーリング。圧勝してしまったらしい。

 そして、明日7月19日。源と、拳を交える。

 この試合に向けて、所属している伴流(ばんりゅう)ジムの、元チャンピオン芹江匡晋と、スパーリングをした。

 さらに、尾川堅一大村光矢瀬頭幹人らとも、激しいラウンドを重ねてきた。

かなり、文字通り「手ごたえ」は、あった様子が、うかがえる。仕上がり、万全か。

 源のトレーナー、石原雄太のブログからは、相当厳しい戦いになるであろうことが、行間に滲み出ている。

 とはいえ、ボクシングは、やってみないと分からないのも、また、大きな事実。

 さあ、ゴングは、間近だ。

 カ~ン!  両者、出たっ!

 

 

 

 

 

 

 


<リアル 女子フイギュア・スケート ルポ>渦中の安藤美姫。もう日本代表選手として選ばれることは、無い

2013-07-15 23:56:51 | スポーツ

 安藤美姫(みき)の、去就が、マスコミで騒がれている。

 というより、騒いでいる。

 彼女にまつわる、ここ5年あまりの報道は、女子フィギュア・スケート選手としての記録や、美技ではない。もっぱら、オトコとのこと。それだけ。

 それを、断じるつもりは、無い。

 その手合いの、女子スポーツ選手は、いるし、いた。

 努力して、頑張って、戦績が上がっているうちは良いが、いったん落ち始めると、他人が思う以上に、落ち込み、精神状態が絶えず揺れる。

 目標と希望と、夢があるから、選手は、生きられる。

 その「たが」が、はずれたら・・・・・。

 安藤の、精神不安定ぶりは、私が書くまでも無く、良く知られている。

 とりわけ、フィギュア・スケートは、コーチと心身ともに、一心同体の傾向が強い。

 そして、安藤は、オトコに頼り、身をまかせ、文字通り「一心同体」になっちまった。

 な~にが、ミキティだ。

 付けも付けたり、美しいお姫さま。

 しかし、浅田真央も含め、彼女たちの人気や、そのキャッチなども、テレビ局が、すべて仕掛けたもの。

 良いイメージ作りまでも、やってくれた。実力と、差があったが。

 その手合いは、ゴルフの石川”不登校児”遼、サッカーをするべき体力・技術の衰え切った”筋愚カズ”など、枚挙にいとまがない。

 男から、オトコへ。蝶が、腰振って、舞うように。

 世間一般の感覚でいうと、安藤は、ふしだら。男にだらしがない。下半身がゆるい女。

 そういうことだ。

 おまけに、一般人と違い、いろんな関係者に、大きな迷惑や、気苦労や、心配をかけつづけてきた。

 一般感覚で言うと、「鼻つまみ者」だ。一般人なら、周囲に白眼視され、同じ業界には、とてもいられない。

 安藤だけが、特別扱いされるのは、おかしいこと。

 まだ、「カネになる」

 そう誤解されているから、人がガードする。それに甘えきってる、安藤。

 まだ、安藤美姫で、スキャンダルも含め、「カネになる」から、数字(視聴率)がなにがしか、獲れると思いこんでいるから、今はヒトが寄っている。

 それでも、安藤に、実力が、今もあれば良い。

 だが、無い。まったく、地に落ちている。見るも、無惨だ。

 現在の、女子フィギュアの、世界ランキング。

 浅田真央、2位

 佐々木明子、3位

 村上佳菜子、7位

 ど~んと、落ちて、今井遙、21位。

 そこに、安藤美姫の名前は、無い。

 来年2月。ロシア連邦のソチで、冬季オリンピックが開催される。

 そこに、出場するには、今年の12月21日~24日、さいたまスーパー・アリーナで、テレビ局先導で開かれる、日本選手権で、女子の上位3人枠に、最低、入らねばならない。

 あと、たった5か月。

 だが、先月の、アイスショー。安藤は、観衆の前で、1度もジャンプすることなく、ただ滑っただけ。

 そして、つい先日のアイスショー。安藤は、ジャンプに挑戦するも、すってんころりん。醜態をさらした。明らかな、練習不足と、基礎体力不足。

 

 かつての全盛期。日本人女子初の、4回転ジャンプを成功させたときの、面影は、かけらも無い。

 スケートリンクではなく、人生を滑った。そして、転んだ!

 奇跡は、無い。わずか5か月で、奇跡は起こらない。そ~ゆ~、人生の軌跡を、歩んでしまったのだから・・・・・・。

 現役引退後、アイスショー出演で、潤沢に喰えていけるほど、日本は甘くない。

 オリンピック直後こそ、観客は入るが、すぐにガラガラ。

 熱しやすく、醒めやすいのが、我が日本人の特性。

 実際、私、見ている。

 現在は、西東京市に入ってしまった、西武線の東伏見駅降りてすぐのところにある、西武所有のアイス・アリーナ。

 一応、3500席しつらえてあるらしいのだが、いつもガラガラ。

 今の時期、西武系列の企業の従業員家族に、子供の夏休みを利用して、見ていただこうと、連日、大量の招待券をばらまく。それでも、空席が目立つ。

 会場内だけでなく、「外」まで寒い。企業命名権を売却して、なんとか、維持し、しのいでいるのが、”厳状”だ。

 それは、新横浜アイスアリーナでも、同様。2500席が、埋まらない。

 フィギュアスケート人気は、そんなもん。ミキティ?、真央ちゃん?、屁でもない。

 今、同棲していると「される」スケーターの、1日の出演料、3万円。それが、1か月に、数回しかない。

 これだけでは食えない。だから、アルバイトしている。

 例え、「昔の名前で、出ています」であっても通用しない。

 で、引退後、よくあるパターンが、解説者と、キャスター。

 解説者は、その「名前」で、とりあえず引きがあるだろう。あの、歯ぐき丸出しの、出っ歯気味の大きな口を開けて、滑舌の特訓をさせられて。

 だが、安藤に直接インタビューはしたことないが、業界の評判や、大会でのコメントのしゃべり、そして数少ないインタビューを見た印象からすると、作り笑顔は出来ても、しゃべりは、ヘタ! おまけに、わがまま。

 とても、使えるシロモノじゃない。

 ましてや、キャスターになれば、今までの聞かれる立場から、一転して、質問する立場。それも、誰にでも理解できるように、短い時間で、コンパクトに解説しなければならない。

 かつて有名スポーツ・ウーマンであっても、誰にでも出来るものじゃない。

 実際、伊藤みどりや、荒川静香は、たちまち、使い物にならなくて、クビになった。伊藤は、現役のときから、しゃべりに関しては、×だった。

 荒川と犬猿の仲だった、村主章枝(すぐり・ふみえ)も、使えない。暗い性格と、くぐもる声。マイクに、乗りにくい。

 出さしても、4年に1回が、せいぜいの、五輪コメンテーター。

 その点、八木沼純子は、現役の時から、臨機応変に人に接してたし、愛想も良く、しゃべりも上手かった。

 なにより、相手に好印象を与えていた。あっ、これはテレビ向きだな。使えるなと、思ったし、その通りになった。

 いつも、ヨイショばかりしていると、嫌うブログも、見られたが、それは、たまには、そうしなければ、仕方のないこと。彼女の立場からして。

 ”電波芸者”なのだから。

 なお、浅田のキャラクターは、明るくて、あっけらかんとして、悪気が無くて、使える。ギャラは、高いが。

 だから、成績の差以上に、浅田にコマーシャルの依頼があるのは、そういう部分が大きい。

 基本的に、フィギュアスケートをし続けていくためには、我々が想像する以上に、カネが必要だ。

 浅田は、スポンサーが多く付いているので、まったくその心配はないが、安藤は、もはや、無いに等しい。

 それも、”厳実”だ。

 かつて、女子の先駆者、渡部絵美が、やむなく、突然引退したのは、親が出すおカネが尽きてしまったためだ。

 家を、抵当にまで入れて、絵美を支援していた。

 私の質問に、泣き伏した絵美。

 渡部の自伝によれば、明らかに堤義明と思われる男が、プリンスホテルの1室に、渡部を呼び、「俺のオンナになれ。そうすれば、選手活動資金は、永遠に出してやる」と言いながら、暴行してきたとのくだりは、興味深い。

 さて、ママ美姫。

 シングルマザーは、生きてくの大変だ。ててなし子を、育てるのも。

 リンクではなく、人生を滑って、転んでしまった。

 それにしても、以前から想像してた。

 あの口に、何本入るんだろう・・・・・・・・

 

 


<リアル ボクシング ルポ>7月12日、第4試合。バンタム級、6回戦。中村量(野口ジム)対望月太朗

2013-07-14 22:34:10 | スポーツ

 早っ! パンチのスピードが、とんでもなく早い! おまけに、シャープ!

 ビシッ! ビュツ! バン! スッ!  左ストレートが、キレイに伸び切った(写真左下)。

 相手にパンチが、届かなければ、瞬時に素早く引き戻し、基本に忠実に、ガード。そして、また瞬時に、ビシッ!

 おまけに、拳に、キレが、ある。 それも、両者共に、だ!

Dscf6899

 「すげえ、緊張感! 見てて、すごいねえ」

 後ろの席にいる客たちの、驚きの声が、聞こえた。

 1ラウンド開始のゴングが鳴るや、両者共に、芯に当たれば、1発で相手をリング床に転がすかのようなパンチを、次々と繰り出し続ける。

 むろん、お互い、自分の距離を測りながら振っているので、全て当たっているわけではないが、意地か、1歩も、引かない。そのうえ、大振りは、無い。

 こりゃ、早々に、KOか、レフェリー・ストップで、試合終了に、なりそうだ。

 それにしても、誰だあ? この2人。登場時のコールで、名前はチラッと、耳にしていたものの、改めて、パンフレットの文字を、見つめる。必要以上に、小さい。

 2人には申し訳ないが、この試合を目当てに来たんじゃなかったので・・・・。

 だが、じっくり見てると、その間に試合が、あっけなく終わってしまいそうで、気が気じゃない。

 写真上の左が、中村量(りょう)。ん? 量? アレッ? なんか、記憶がある。どっかで、書いたような、調べたような・・・・・・・。

 今、25歳。プロ・デビューしたのが、2年8か月前。すでに、8試合を経験。

 通算戦績、6勝(うち2KOと、レフェリー・ストップ勝ち)2敗。所属は、野口ジム

 野口ジムには、かつて、日本最強のハード・パンチャーの、吉野弘幸の取材で何度か通ったことはある。でも、それは中村量デビューの、ず~っと前。

 ちなみに、書き添えるが、吉野。左フックが、まさに、ブン! と、うなりを上げて、対戦相手の体をえぐった瞬間、ズン! という、人間の肉を叩き切るにぶい音が、後楽園ホール最後部の立見席まで、いつも聞こえた!

 後にも先にも、そんな強打者を、私は知らない。

 K-1に転じた1戦も、パンチだけで、相手をぶっ倒した。

 その吉野。いまだ、「引退届け」を、提出していない。ホントに、出してない。

 夫の弘幸と共に、ジムを経営し、受付も担当している妻は、「早く、もう、スッパリと出してよね・・・・・」と、私にも聞こえるように、嘆いていた。体重はすでにヘビー級に近い吉野なのだが・・・・・・。

 もしかしての”夢”は、残して置きたい。そういうこと、なのだろう。

 さて、話しを戻す。

 上の写真、右側が、望月太朗。以前は、太郎という、リングネームにしていた時期もある。ジムは、信州の長野県松本市にある、新日本カスガジム所属。地元出身の望月が、10代で入門。今、25歳。プロデビューは、8年も前。プロ・キャリアは、中村より5年も早い。

 で、丸8年間で、この日の試合で9戦目。4勝して、5敗。

 ところが、この4勝。すべて、KO勝ち。レフェリーストップ勝ちも、入っているとはいえ、はまったら強い! 自分のペースで試合が運んだら強いというタイプか。

 1ラウンドの動きを見る限り、5敗してるとはいえ、中村にすれば一瞬たりとも、気が抜けない強打の持ち主だ。

 試合数の少なさは、やはり長野県という地域ハンディからきたものとしか、思えない。主戦場は、静岡市の試合会場。行って、帰るだけでも大変だ。

 もし、このスピードのあるパンチとキレを持って、東京の大手ジムにいたら、相当伸びていったはずだろう。

 

 

Dscf6902 2ラウンドに入っても、2人のパンチのキレと、スピードは、まったく落ちない。

 

 ビシ、ビシ、打ち合う。互いに、容赦なく。観てて、痛さも伝わるが、小気味いい。両者共に、打たれ強い。

 

 おっ! 接近戦に出た中村。望月の右の脇腹近くのボディへズン!と、打ち込む。それも、巧みに相手のクビに少し腕を回して、グイッと体を引き込むようにして、相手のボディ深くに、パンチをめり込ませる(写真・上)。

 当然、威力は増す。上手い。

 

 これに加えて、中間距離では、アッパーを、ヒットさせる。

 

 連打までには、まだいかないが、ボクサーのお手本のような、アッパーだ。相手の反応で、効いてると、分かったのか、接近戦でも、真下から、望月のアゴをぶち挙げた!

 

 だが、望月も、まったく、ひるまない(写真下・右側)。

すかさず、キッチリ、ガードする中村。

 

Dscf6903
 3ラウンドに、突入した。

 

 繰り出すパンチのスピードは落ちず、激しい打ち合い!

 

 ビシバシ、ビシバシ! 

 

 観客の歓声が、どんどん大きくなる。自分は何も痛くないから、「行け、行け!」などと叫んでる。

 

 中村の、アッパーが、随所で決まりはじめた。ストレートとの、コンビネーションで、上下打ち分け。それに、左ボディも、混ぜた。

 4ラウンドが、スタート。

 ゴングが鳴るや、中村にゴーサインが、セコンドから出たのか、望月を一気にロープにまで運び、背にさせ、ボディ、アッパー、それに、ストレート添え。

 上下、上下。空振り、無し。全打、的確に打ち分ける。

 一気呵成に、瞬時も休まず、畳み掛ける。

 レフェリーが割って入って、ストップをかけた。

 見事な、絵に描いたような、TKO勝ち!

 だが、中村に、大きな喜びの表情も無ければ、ガッツポーズも無い(写真・左下)。

 

 

Dscf6905


Dscf6906 勝利者コールで、右腕をレフェリーに持ち上げられて、初めて少しだけ、笑顔がのぞいた。

 

 こういう、本人にとって、おそらく快心の勝利。

 

 練習を積み重ねた通りの勝ち方の試合も、読者に紹介したい。そう思った。

 

 それに、確か、どこかで・・・・・という、引っかかりも、あったし。

 

 「勝利者インタビュー」では、開口一番、こう言った。

 

 「暑いなか、会場に来ていただいて、ありがとうございました」

 

 締めは、こう言った。

 

 「勝ちたいのは、もちろんですが、今後も、良い試合をしたい」

いいぞ、いいぞ。継続して、見たくなる。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 控え室。汗まみれになりながら、両腕のバンテージを取り去ってもらっている、中村量に、早速、話しを聞いた。

 

 接近戦に持って行っての、左ボディといい、キレイに決めるアッパーといい、見事でしたね。なにより、空振りが、無いというのに、驚きました。

 

 照れ笑いが、浮かんだ。

 

 「パンチの、”的確さ”を、会長とトレーナーに、繰り返し、繰り返し言われていて。それが、やっと実ったカンジです」

 「ボクくらいの、この身長しかないので、接近戦で勝負してゆくのが一番良いんじゃないかと.」

 「まあ、それしか無い、と」

 

 

 あっ! 不確かながら、思い出した。

 

 確か、大学時代、野球部(*中央学院大学)にいて、全国大会にも、出場しま・・・・したよね?

 

 「はいっ! 出させてもらいました」

 Dscf6911 ああ、やっぱり! この、丁度3か月前の、後楽園ホールでの試合。上村(かみむら)和宏の取材の際、対戦相手として調べたボクサーだった。

 その試合は、見た。判定ながら、スコア通り、3-0.中村の圧勝と思えた。

 上村はもちろん、どちらの控え室にも、寄らず帰った。

 「見てくれてたんですか? そうですか・・・・。自分としては勝ったと思ったんですが・・・・」

 そう、後日、上村は言った。その、あきらめない、勝ち気さは、いいのだが。

 文章が、自分の言動が、悪意に受けとられてしまっていると、不満げだったが・・・・・。

 だから、リアル。だから、ルポ。ありのまま。つまらぬ甘さは、無い。

 さて、中村。

 「接近戦に持ち込んで、ボディ打ちは、下から下からを、意識して打ち込みました」

 「相手が、打たれ強いというか、なかなか倒れないもんで、ともかく、的確に打ち込むというのも、意識して」

 今後、この理詰めの冷静さを持ち続けていくなら、相当上まで行くはずだ。

 で、この、中村量。確か「最愛のひと」が、いたはず。少なくても、今年3月13日、25歳の誕生日は、ラブラブの写真が堂々と、彼女の名前と共に、ブログに載っていた。

 あっ! いたいた。かいがいしく、しかし、さりげなく世話をしてるじゃん!かわいい容貌。性格も、よさそう。

 

 

Dscf7030 帰る時、ひょいとカメラを向けたら、2人、寄り添って、ハイッ、このポーズ!

 

 最愛のひとって、この方ですよね?

 

 中村、ニコッ!

 

 「はい、その通りです」

 

 もう、入籍もしてらっしゃる?

 

 「いえ、してません。あの~、暑いので、充分、水分補給して帰ってください」

 

 はあ?・・・・・・・・。はぐらかされたかなあ・・・・・・

 

 人生、いろいろ、男もいろいろ、女もいろいろ、てかっ。