あれっ!? こんなとこに、飛天かずひこ(旧リングネーム・日高和彦 *本名)が!
こんにちは! どうしたんですか? ココ(角海老宝石ジム)に、いらっしゃるなんて。
そう、声をかけた。それが、6月下旬のこと。
気付いた、飛天かずひこ。キチンと、90度近い、最敬礼。いつも、こちらが、恐縮してしまう。
「お久し振りで、ございます!」
もう、かなわない。超の付く、礼儀正しさ。
「こちらで、ちょっと練習させて戴いております。お元気でしたか? いつも、さわやかな、印象を残してらして」
目いっぱい、誉め言葉。もう、ますます、かなわない。
プロデビューして、丸17年間。強さはもちろんだが、この人ほど、「華」がある、プロボクサーを、わたくしは、知らない。
どこが、どうというのでは、ない。持って生まれたモノという他ない。
リングに上がると、それは、一層、輝きを増す。
記者が言うべきではない単語だが、カッコいいのだ!
負けても、勝っても。ココロに、何か残してくれる。
それが、ウソでは無いことは、これから詳細を記してゆく、7月12日の、試合後、ある光景によって、改めて痛感させられることになろうとは、その時は、予想もしなかった・・・・・・
この日は、自分が出稽古で練習に来ているジムで、自分も練習をしながら、同時に、十二村喜久(とにむら・よしひさ)に、聞かれるたびに何かと教えていた。
十二村は、それまで長年に渡って指導してくれた、日本のトップの実力を持つチーフ・トレーナーが、理不尽な理由でクビを言い渡され、ジムを突然、去ってしまっていた。
そのため、十二村は、この頃、自分なりの、新たな練習方法を模索していた時期でもあった。
飛天の指導法を、黙って、見つめていると、わかりやすく、教え方はうまいことが、分かった。且つ、極めて、実戦的。
なにしろ、「実績」がある。「人柄」が、それに増して良い。
十二村は、現在日本スーパー ウエルター級3位。東洋・太平洋の同級で5位に、ランクインされている。
今年の2月20日。明らかに、湯葉忠志に打ち勝っていたのに、奇っ怪な判定結果に、控え室で涙を滲ませた。
それ、私が書かねば! 湯葉は、とても良い人だが、試合は、試合。 そう思い、キチンと、足跡を打ち込むように、記事化した。興味のある方は、検索してみてください。
で、実は飛天。ふるさとは、九州。宮崎県の、都城市(みやこのじょうし)。そこの「都城レオスポーツジム」から、17年前にプロデビュー。
その後、上京し、移籍や、ジム復帰などを繰り返し、現在、野口勝(まさる)会長の、誠意あふれる移籍交渉の尽力により、昨年4月から野口ジムに所属することが出来た。
それまでの道は、茨の道、そのものだった。
前のジムとのこじれた事情で、丸3年間もの間、試合が出来なかった。自由に移籍も、させてもらえなかった。一昨年には、「引退」も、真剣に考えたが、やっぱり、ボクシングの魅力にサヨナラは、出来ずにいた。.
話しは、時折り、聴かせてもらっていた。書けない話も、たっぷりと。
気持ちは、いらだち、時に落ち込んではいたが、練習は少しずつ、地道に、欠かすことなく続けていた。
先の、都城のジムには、かつて、なんと、先述した湯葉忠志がいた。その上、同じ年に、競うようにプロデビュー。
九州の小さな、名も無いボクシングジムから、ボクシングフアンなら、その名前を知らぬ者がいない、日本を代表する、2人の重量級チャンピオンが輩出したというのは、驚くべきことだ。
湯葉によれば、昔はよくスパーリングをしたと言う。もう、試合も含め、拳は合わせたくないなあ、と、苦笑いした。
その湯葉は、飛天と違い、そのジムに籍だけは置いたまま、練習は東京で続けている。ジムの、実態はすでにない。
会長は、所定のファイトマネーや、諸経費だけ持って、上京。支払い、試合を見届けると、すぐさま、都城へ帰る。
2人の生き方こそ違うものの、どちらも人間的にも、魅力ある人だ。
さて、この日。飛天は、試合があるとは、言わなかった。わたくしも、調整程度かな?と、思っていた。だから、聞かなかった。
ただ、野口ジムから、丁度丸1年前の、7月11日、「復帰」戦を行なって、ローテーションから言って、そろそろかな?とは、思っていた。
そこのところは、飛天。控えめ、奥ゆかしい。
・・・・・・ある日。ひょいと、後楽園ホールの通路で、見かけたポスターに、「飛天かずひこ」の、名前が。
それも、メイン。ファイナル・マッチ! おおっ!
テレビは、録画中継も含めて、放送なし。こりゃ、行かねば! しっかり、見なければ! しっかり、書かねば! 遅筆だけれど・・・・・
時は、7月12日(金)。午後8時48分。
元東洋・太平洋ウエルター級チャンピオン。ならびに、元東洋・太平洋スーパー・ウエルター級チャンピオンの、その名も、飛天かずひこ。後楽園ホールに、登場!
それも、観客や、ファンの意表を突く、出方をした!
なんと、いったん客席の電気がバッ! と消え、そして、再び灯ると同時に、スポッットライトが、通路に当たるや、そこから、きらびやかに登場!
よっ! ボクシング・スター! 飛天かずひこ~!
いつも以上に、黄色い前掛けが、輝く!
おうおう、楽しい”演出”だぜい! と、思ったのも束の間、なんと、第2弾が!
「実の父親です」と書かれた、大きい紙を従え、息子の「和彦」と共に、現れたのは、文字通り、実の父親「義和」氏。
いやはや、いやはや、どっと受けた。やんやの、大喝采。
和彦によれば、オントシ59歳とのこと。写真を拡大すると、よく分かるが、かつて「おんなの道」という、ド演歌で、超ヒットを飛ばした、ぴんからトリオの「宮史郎」に、そっくり!
いやあ、*私が、捧~げ~た、なんて歌い出したら、もっと盛り上がった? かもしれない。
ちなみに、ホンモノの宮史郎は、昨年11月19日。69歳で、この世を去っていたことが分かり、あの人が? と、いささか驚いた。とすると、寸前までテレビの歌謡番組に出ていたことになる。
さて、いよいよ、試合開始だ。
目下の飛天の、戦績。通算37戦して、31勝6敗。で、31のうち、22ものノックアウトや、レフェリー・ストップ勝ちを収めている。
対するのは、西田光(ひかる・川崎新田ジム)。初めてそのリングネームを耳にした観客は、かつては、どっと、きた!
当時、大人気だった、タレントの西田ひかるの本名と、まったく同じだったからだ。今は、もう、彼女は40歳のおばさんになったから、試合会場での反応は少ないけれど。
その西田は、まだ25歳。デビューして、5年。戦績だけ見ると、7勝6敗1引き分け。ノックアウトと、レフェリーストップ勝ちは、わずか2つ。
だからといって、あなどれないのが、この西田。しぶとく、戦績以上に強いのを、私は、しばしば目にしている。
午後9時6分。< 1ラウンド >開始のゴングが、鳴った。
西田(写真右側)が、ジャブ。次いで、左ボディへ、ダブルのパンチで、先制。
おっ、西田ペースで進むかと思われた、その時! 飛天(写真左上。左側)が、西田へ、左フックをぶち込む! さらに、追撃の、強烈な左を、ズバ~ン!
ガクッ !と、腰をかがめて、西田、ダウン!(写真左下) ワ~ッと、大歓声に湧く観客。早くも、飛天ペース!?
嬉しいというより、ホント? という、驚き。
というのも、実は、飛天と同じ野口ジムの、中村量が勝ち、話しを聞くべく、控え室へ行ったところ、その部屋で、女性整体師だろうか、きつそうなストレッチを、飛天がじっくりと受けていたのだから。
ボクサー生活、17年。3年間、試合が出来なかったのを、差し引いても14年間。体のアチコチが、悲鳴を上げている。
それは、飛天に限ったことでは、無い。その多くの、キャリアあるボクサーは。リングに上がる直前まで、体のケアが、必要不可欠な状態になっている。
体のあちこちが、きしみをあげているなか、だましだまし、どこかで折り合いをつけながら、年ごとに厳しさを感じる練習に取り組み、試合に臨んでいる。
リング上で見せる、とてつもない強打の裏側での苦闘。
キャリア14年以上を重ねている、それも、KO率の高いプロボクサーは、常に、それと闘っていることは、取材を重ね、プロボクサーの”厳実”を、知れば知るほど、痛感せざるを得ない。
佐藤通也(みちや)など、必要以上に自分の年齢を気にする者もいるが、拳を人間やサンドバッグや、ミットに叩きつけてきた年数が問題なのだ。
一般の人間なら必要のない、拳、腕、肩、腰の酷使。元来、人間の体は、それに耐えうる作りになっていない。
鍛えて、鍛えて、限界を超え続けてゆく。拳を形成する、筋肉や骨や神経などを「破壊」させながら、プロボクサーはリングに上がる。歓声と応援に、心を奮いあがらせながら・・・・・・・。
KO率の高い、ある世界チャンピオンなどは、試合翌日、食事の時、痛みで箸が持てないと言う。
また、フツーのボクサーでも、試合後、ボールペンを手にしても、いつものように文字が書けない。手が、小刻みにしびれているのだ。
いわば、「光」と「影」とでも言おうか。単なる、勝った、負けた、ではない。そんな、知られていない現実も、読者に伝えてゆきたいと思う。
さあ、リングに文章を戻す。
このまま、1ラウンド。鮮やかなKO劇で終わるかと、思われた。
だが、すぐに、西田は立ち上がり、なんとか、持ちこたえたまま、このラウンドは、終了した。
ああ・・・・・・と、思う。全盛期の、「日高和彦」の時代ならば、立ち上がった西田に、すぐさま、容赦なくラッシュをかけ、的確で、無駄の無いパンチを、西田の体の上下に叩き込み、連打、連打、連打! 同じコーナーポスト近くに、西田を沈みこませていたはずだ、と。
ブランクだけでは、片づけられない、年月の日々。
とはいえ、野口ジム所属となってからの、飛天の戦績
昨年7月11日。長島謙吾相手に、判定勝ち。次いで、4か月後の11月16日。インドネシアのスーパー・ウエルター級2位にして、同国の元チャンピオンに、4ラウンド終了間際にぶった押し、見事なKO勝ち。
続く今年
(つづく)