いつか、キチンと行かねば! 改めて、「取材」というカタチで、あの最強打者チャンピオンが会長とトレーナーを勤めるボクシングジムに足を運ばねば!
長らく、アタマの片隅で、そう想い続けていた。
吉野弘幸(よしの ひろゆき)。今もって、日本人最強打者チャンピオンと、私は想っている。
なにしろ、その一撃のパンチたるや!
ご覧の通り。対戦相手がリングの床に転がりながら、あっけにとられた表情を見せるほどの試合結果の連続だった。
勝って、ガッツポーズ!しかし、それは一瞬。ことさらに、相手を挑発しないし、勝っても誇らない。
通算戦績。51試合戦って、36勝14敗1引き分け。その36勝のうち、上の写真の様な、目にも鮮やかなKO勝ちが26!
全盛期には、12連続KO勝ち。日本スーパー・ウエルター級と、東洋・太平洋ウエルター級の、2階級チャンピオンにも輝いた。
日本で行われた、マイク・タイソンの試合のアンダー・カードでも戦い、4ラウンドKO勝ちして、日本のタイトルを獲得。ベルトを巻いた。
一時期、ボクシングから転向し、1997年。人気沸騰中のK-1にも参戦。
なんと、拳だけで闘い、1ラウンド、2分15秒、左アッパー、一閃! 相手をマットに這わせた。
人気は根強く、後楽園ホールでの彼のメインの試合日は、いつも満員。
ある日などは、座席が無く、仕方なく、最後列で立ち見。
そんな、リングから遠い距離にも関わらず、相手のボデイにめり込む、吉野の拳が繰り出す一打一打、激しい連打の音が、ズン! ズバン!と、ハッキリと聴こえ続けたのには、おったまげた!
あとにも先にも、そんな強打ボクサーは、吉野弘幸、ただ1人。
その日も、ノックアウト勝ちだった。
喜びに沸く観客。上の写真のように、観客の振り上げた腕が、どう立ち位置のアングルを変えても、入り込んで来るのには、困ったが。
性格は、とても気さく。
今回の記事を書くに当たって、彼を検索してみると、やはり性格の明るさや、気さくと言う単語が目に飛び込んで来た。まさに、その通りです。
連勝街道を突っ走っていた頃、自分からこうポロッ!と、打ち明けてきた。
「俺、強そうに見えますか? でもねえ、デビュー戦、負けてんですよ。それも、見るも無残なKO敗け!」
そう言って、吉野は笑った。正直な男だなあ、と。好ましく想った。
控え室近くの廊下には、陰ひなた関わらず、吉野を支え続けた女性の姿が、ひっそりといつもあった。
のちの、知子(ともこ)夫人だ。控え目ながら、しっかり者。感じが、当時から、とても良かった。
吉野チャンピオンは、いつ会っても全然飾らない性格。リング上では、ハラリと前髪が額に垂れると、グローブでサッとかき上げる、得意のクセも見せる。
だが、ある人間たちに対してだけは、毅然としていた。
プロボクサーが勝ち続けると、正体がよく見えない、得体の知れない人間たちが群れるかのように、わんさか寄ってくる。
愛想よく近づき、毎度、景気よく豪勢におごってくれる。チケットも枚数多く、気前よく買ってくれる。時には、高価なプレゼントもくれる。いつしか、意識せずとも、「男芸者」に成り下がってしまう。
そして・・・・・・・ある日。タニマチの態度が豹変することに出くわす。
「おい! 今までの分、そろそろ返してもらおうか! あん!? なんの見返りも無く、今まで俺がしていたと想っていたんじゃねえだろうなあ」
気付いた時には、もう遅い。タダより高いものは無いことを、思い知る。
かつても今も、その「企業舎弟」の仕組まれた罠にズブズブはまり込むプロボクサーは、多い。
だが、吉野は違った。
引退後、今から11年前。東京都葛飾区に、エクササイズ中心の、その名も「エイチズ・スタイル・ボクシングジム」を、乗り換えにも都合の良い、京成線及び都営地下鉄、京急直結の青砥駅近くのビル2階にオープン。
その1階にあるレストランで開かれたお祝いの会で祝辞を述べた、吉野のかつてトレーナーをしていた人の言葉を、私は今も覚えている。
「吉野は、まったくの自前、自力で、このジムを起ち上げたと聞きました。わたしの知る限り、吉野だけでした。あぶない誘い、おいしいハナシをさりげなく全部断り続けていたのは! それだけでも、素晴らしい、見上げたもんでした」
「今回のオープンでも、言い寄ってきて、いずれジムがダメになった時は、吉野を食いものにしようとかかる者は、この業界にいます。それを予感し、毅然として断っていたはずです」
「ここに集った方は、そんな吉野のまっすぐな生き方を知ってらっしゃる方たちと思います。どうか、今後とも、そんな吉野を温かく見守り続けてください。よろしく、お願いします!」
そう言い終えて、頭を下げていた。
あの時から、11年近くが過ぎ去った。もう、いくらなんでも不義理を重ねてはいけない! 行かねば!
そう想った。
事前に、ジムのマネージャーである知子夫人や吉野自身に打診していた。
ーーー誰か、吉野さんから見ていて、コレは将来性ある!と想われる練習生いますか?
「いるんですよ、1人。まだ中学2年生なんですけどね。いいもの、持っているんですよ。3月には、アマチュアの全国大会に出場します」
---有望そうですね。お名前は?
「宇塚大輔(うづか だいすけ)と言うんです」
---わかりました。楽しみに、うかがいます」
某月某日。
青砥駅に降り立つ。
久しぶりに、記憶を頼りに歩く。
すぐ分かった。ビルの2階のジムのすべてのガラス戸が、来ている練習生のほとばしる熱気で曇って、路上からは見えなくなっていた。
ドアを開けて入り、吉野知子マネージャーと、西トレーナーに一礼して挨拶。
かの宇塚クンを紹介してもらう。
挨拶、ペコリ。マジメそう。
縄跳びを、もくもくと続けている。シャドーボクシングへと、移る。常に爪先立ち。ベタ足は、皆無。
基本に忠実。素人目にも、明らかに筋が良いと感じる。黙って、じっくり見させてもらう。
サンドバッグを叩く! 叩き込むパンチで、重いサンドバッグが、写真のように、グラングラン、揺れる。まだ、中学2年生でだ。
この時も、常に爪先立ち。足の裏を浮かせ、フットワーク良く、前後左右に、考えながら、見えぬ相手を想定して、リズム良く、打ち込む!
右ストレートから、左アッパー!! かと想えば、左フックから、すぐさま左アッパー! 素早い連動。且つ、早い!
う~ん・・・・・・・
実は私、かつてスポーツクラブや、取材に訪れたジムで、時折りサンドバッグを叩いていた。が、揺れない!思いっきり叩き込んでも、へこむだけ。??? 逆に、気持ちがへこんだ・・・・。カラダをぶち当てて、やっと大きく揺れた。
グローブを脱ぐと、赤くはれていた。
聞けば彼。入門して2年あまり。アマチュアのジュニア大会に出場し、好成績を挙げている。
かつて記事化した、「U-15」(15歳以下)の全国ボクシング大会には、出られないんですと、ジムの説明。
というのは、あの大会に出られるのは、プロボクシングジム所属でなければならない、という縛りがある。
なので、このジムは参加出来ず。日本、及び東洋・太平洋のチャンピオンであったにも関わらず、優遇一切無し。プロのジム加盟には、400万円もの現金が必要となる。いやはや、なんちゅうか、かんちゅうかねえ・・・・・・。
だが、互いにヘッドギアを付けての、交流スパーリング大会では、ジムの壁は無く、戦っている。
この記事を書いている2月21日(日)も、神奈川県の平塚まで遠出し、「湘南・平塚スパーリング大会」に 7名が参戦し試合を重ねている。
同じジムのなかでも、この宇塚クン。2月2日には、大学生と3ラウンドのスパーリング。終始優勢で、リングを降りたという評価を得ている。
そうだろうなあ・・・・と思うのは、その後の練習を観ていて徐々に実感してきた。
その勢いのまま、来たる3月25日(金)から、同27日(日)までの3日間、福島県会津市の「会津河東体育館」で行われる「第5回 全日本JUボクシング大会」に54キログラムの「関東代表選手」として出場する。
春休みを利用して、全国各地区から、強豪が集う。
「もちろん、優勝を狙っています」
「将来の夢?ですか。やっぱり最大の目標は、2020年の東京オリンピックに出て、メダルが欲しいと思っています!」
その時は、18歳。可能性は、大きい。
「それから、プロデビューしたいなと、考えています」
サンドバッグ打ちを終えるなり、一汗ぬぐって、着替えてリングへ。やっている練習内容は、プロボクサーとまったく同じだ。
今度は自分より小さく、背も低い男子を相手に、受け中心のスパーリングの相手を務める。
なるべく自分からは手を出さず、防御と、パンチを見切る練習か。
ところが!
相手の子は、行く行く!前へ、前へ! まったく遠慮なし!ビビらない。
それどころか、宇塚クンが、その子の出すパンチを見切って、さっ!さっ!とかわしている間隙をぬって、大きく足を踏み込んで、写真のように、ボディに打ち込む!
そのタイミングの良さといったら、もう!
この男子、まだ小学校5年生と聞く。
踏み込むタイミングは、教えられてのものでは無いらしい。天性の、度胸の良さ。むろん、宇塚クンも、時に遠慮せず、軽く打ち込み、小5打たれる!
でも、一歩も引くことなく、足も使わず、回らず。そのボディ打ちのタイミングを虎視眈々(こしたんたん)と狙っている。
打って、引く。また、狙う。
おもしれえ! この子の根性。このまま、大ケガせず成長していったもんなら。2人して、切磋琢磨(せっさたくま)し、競い合っていったなら、大きく夢は膨らみそうだ。
小5の、ミット打ち。基本をみっちり叩きながら、叩き込まれる。恐さ知らずが、今のトコロ良い。天性のモノが、どこまで伸びていくのか、楽しみだ。
ミットを構えてくれるのは、この2月9日で32歳を迎えたばかりの西トレーナーだ。
アマチュアボクサー経験を経て、吉野に誘われ、トレーナーに。もうひとりのトレーナーが体調不良で辞めたため、彼が、吉野会長と交代するカタチで、昼夜兼任で勤めている。
練習生ひとりひとりのチカラを見定め、その人に合った教え方をしていた。練習生から放たれる疑問や、質問や相談には、ていねいに納得いくまで答え、説明している姿には好感が持たれた。
ミット打ちの次の相手は、宇塚クン。う~ん、やっぱり、伸び盛りの3歳の差は、大きい。
響かせる音が違う。スピードが違う。繰り出すパンチの、多彩さが違う。4年後の2020年が楽しみだ。
そうそう、小5クンは、と。
シャドーボクシングをしていた。すぐそばの壁には、フォアマンのポスターが貼ってある。コンビネーションを自分で考えつつ、拳を突き出していた。
---少し、聞いていいですか?
「はい」
---小学校5年生ということですが、名前とか教えてください
「渡部誠之佑(わたなべ せいのすけ)といいます」
ジム入りのキッカケは、ユーチューブなどで試合を観ていて、自分でもやってみたいな、と想ってとのこと。
さらに、将来はプロボクサーになってみたいと言う。仕上げは、腹筋運動。それも、大きく上体を起こし、左右の拳を振り上げることを繰り返してゆく。
宇塚クンの方は、はるか年上のおじさん練習生のスパーリングの相手も勤めていた。
シャツは、汗まみれ。練習終了まで、3~4枚、着替えている。
スッ、また、スッ!見切る、見切りまくり。おじさん、パンチ当たらず、3分終わると、ゼーゼー、ハーハー。家庭へ帰れば父だが、今はハーハー、母、ハーハー。
汗をぬぐいながら、答えてくださる。
「今の年齢ですか? 66歳です。健康のためにと、通ってます。やっぱり、これでも筋力付きますよ。体重も減るし、もう、ヘルシー!バテますけどねえ」
そう言って、笑う。
「これで、シャワー浴びて、自宅に帰って、一息ついて呑むビールがうまくってねえ! リバウンドの毎日ですけどねえ、ははは」
51歳のサラリーマンも言う。
「仕事帰りに、ちょいと深酒してしまうよりずっと良いですよ」
みんな、中2に軽くさばかれても、ひたむき。一生懸命だ。
ジムによれば、総勢100名近くが、熱心に通って来ているという。
女性も、多い。知子夫人や、会長自ら、ていねいに各人に合った指導をしている。この日、初めての女性もグローブ付けて、会長のかざすミットの中心の白丸めがけて腕をおそるおそる伸ばしていた。少しづつスピードあげてゆく!
全身運動、しっかり着込んでぜい肉そぎ落とされて、スリムになり、且つ、痴漢退治にもなる。
なかには、プロボクサーかよ!と見間違うほどに、パンチングボールをリズム良く、叩きまくっている女性もいた(写真上)。
ん?宇塚クン。練習終わりですか?
いえ、これから、ロードワークするんですよと、西トレーナー。
ーーーどのくらい走るの?
「7キロメートルくらいです」
「学校行く前にも、そのくらい毎日走ってます」
うわああああ! 実はわたくしめ、スポーツジム備え付けのランニングマシンで、30分、走り切らない軟弱者! もう、尊敬しちゃう!
「練習、週6日、ココに来てます。じゃあ、ちょっと行ってきます」
さっそうと、風切って駆け出して行った!
吉野会長と、ひとしきり、回顧談も含め、話しをじっくり聞いていたら、宇塚クン、かろやかに戻ってきた。
さあ、わたくしめも、頑張らなきゃあ! 中2に、負けてはおれんぞお! にしても、末怖ろしい逸材。オリンピックが、楽しみになってきた。
全国大会、おそらく優勝にからむんだろうなあ。期待、大いにしてます!