「これから、また練習に出かけるところなんです」
病院での勤務を終えて、わずかな慌ただしい時間を縫って連絡をくれた、世界チャンピオンの富樫直美。午前中に連絡を入れたときは、食事中。もぐもぐしながら、「これから仕事へ行きます」とのこと。
「では、時間の空いた時にでも、今度の防衛戦のことを1つ2つ、お聞きしたいんですが」
「夕方に時間が少しあくので、その時にでも」
試合まで、あとたった数日。「昨日もジムに行きましたが、試合に向けての調整です」と語る。
そうしながら、仕事もキチンと、いつもの様にこなす。取材も、プライベートに深く立ち入らない限り、律儀にキチンと対応してくれる。
それは、自分が有名になるからじゃない。女子プロ・ボクシングが、広く、少しでも知られるようになれるなら、という想いからだ。
今回は、挑戦者のいる敵地のメキシコへ行くために、試合5日前に出発。試合を終えて、帰国した翌翌日から,またフツ―に働き出す予定だ。
ともかく、取材するたびに痛感するのは、彼女のスーパーウーマンぶり。勤務先は、総合病院の産婦人科。元は看護婦(今は看護師に変名)。さらに資格を取って助産師になった。
1年間にとりあげる赤ん坊、なんと700人。時には800人に及んだ年もあった。出産は助産師の勤務スケジュールに合わせてくれるわけではない。朝から深夜、未明まで勤務体系は日ごとに違う。
かつては、病院に隣接する寮に住み、交替勤務をこなし、その上でロード・ワーク(ランニング)もして、そして欠かさずジムへ通う毎日。宿直勤務もある。
男子ボクサーのほとんどは18時前後にジムで練習開始し、21時頃には終える規則正しいスケジュール。時には練習を休み、友人ボクサーの応援に試合会場に足をのばす。
富樫には、そんな時間的余裕はない。練習は朝だったり、午後だったり、夜10時過ぎに始めたり。
助産師、世界チャンピオン、そして今年正月からは「妻」がそれに加わった。今年の元旦に入籍。幸せな日々を送るかたわら、この23日、挑戦者が待ち構える敵地、メキシコで8度目の防衛戦に挑む。
「防衛戦の話しは、2~3か月前からあったんです。本格的に今度の相手との交渉が始まったのは、1か月くらい前かな。で、正式に契約書を取り交したのが1週間くらい前ですね」
相手は、同じWBC世界ライト・フライ級2位(1位と報じてるところもある)の、エスメラルド・モレノ。24歳。戦績、23勝6敗。昨年2月に格下のシルバー王者にもなって、防衛も果たしている。
戦績だけみると、なかなかのもの。しかし、メキシカンのボクサーの戦績のラフさ、デタラメさはすでに知っており、加えて、以前あの亀田興毅からも直接聞かされている。
ボクサーの真の強さ弱さを計るには、試合の映像を見るのが一番。.エスメラルド・モレノの試合をいくつか見た。そのことは、最後に打つ。
かくいう富樫自身、「ファイターということしか、知らない」という。しかし、そのことで、不安を漏らすタイプではない。
精神的強さや、芯の強さは、並みいる日本にいる女性世界チャンピオンの中で、ダントツだ。
彼女を初めて取材したのは、4年前。韓国へ赴き、このベルトを韓国人王者からもぎとってきた。会って話しを聞く前に、その試合映像をフルラウンド、じっくりと、メモしつつ、3度見た。
うわあ~! 「激闘」と呼ぶに、ふさわしい、すざましい試合展開に、思わず声が出た。真っ向勝負の打ち合い、足を使ってのテクニックも駆使し、敵地で有無を言わせず、帰りの機内にベルトを持ち帰ってきた。
顔はその映像と、渡された資料でわかっていたものの、実際、目の前に現れた彼女を見て、再び驚いた。
にこやかな笑顔。周りにいる人を、やさしく包み込むような雰囲気を漂わせていた。
「私の仕事ですか? 助産師です。そおそお、産婦人科の」と言って、ニッコリ。
ああ、そうだよなあ、この人が出産の場に立ち会ってくれたなら、妊婦は安心して、不安な気持ちが薄れ、身をまかせられるだろうなあ、と話しを聞きつつ思った。
その印象は、いまもって変わらない。事実、都内でも産婦人科そのものが減ってきている今、一極集中までいかないが、彼女の勤務する総合病院には、ひきも切らず妊婦が詰め掛けている。この少子化傾向のなか、年間700人はうなずける。
そんな彼女が試合のときは、一変。まるで、別人に思えるほどだ。顔は、戦闘士。一分の隙も無い。
それは、手紙を戴いた時の文と文との間にキリッと漂う、芯の強さ、揺るぎない強さに、共通するものだった。
東京での試合の時は、毎回100人余りの同僚が応援に、駆けつける。
「富樫~っ!!」「富樫~!」と、大声援。まるで、そこだけ切り取ると、体育会系女子そのもの。「直美ちゃ~ん!」などとは、誰1人叫ばない。
試合後、彼女たちに聞くと、本当に富樫直美は慕われていることを痛感する。
勝っても、顔は打たれる。眼の周囲も、腫れる。
ある防衛戦の翌日、出勤した。喜びの笑顔と拍手で迎えられた後、眼帯をしたまま婦長に挨拶に行った。
「おめでとう」 その言葉のあと、婦長は?という顔。
「あなた、それで妊婦さんに接するつもり?」
・・・・・・「はい」
「頼むから、今日は休んで。その腫れが引いてから出てちょうだい」
これ。本人から聞いたハナシ。4年前、暫定ながらチャンピオンになった後も、母親には黙っていた。ボクシングを続けてることさえも。
やがて、「母が本屋さんに行って、専門誌を見て、バレちゃつた(笑い)」
こういう、笑える、楽しいエピソードは、枚挙にいとまがない。すごく、明るい、良い性格の人だと、思う。
そんな彼女の人生観を大きく変えたのは、昨年3月11日に起こった「三陸沖大地震大津波」だったという。
ボランティアの一員として、被災地にも行き、その惨状を見てきた。
一瞬にして2万人もの命が失われた、まぎれもない事実。以降、自分のこれからの人生について考える日々が続いたという。明日の命は、わからない。
「そんな時に出会ったんですよね、今回、入籍したヒトと」
といっても、ドラマチックな運命的出会いがあったわけではない
「実は、幼な馴染みではないけれど、昔から知っている人だったんです。3・11のあと、偶然に会って、そのうちに、ああこの人となら、共に生きていけるかなって・・・・・」
年齢は、あと1か月と少しで37歳になるが、「別にあせってもいなかったし、婚活もまったくしていませんでした」と、いう。
タイミングと、相性と、大震災・・・・・・
夫となったひとは、ネットなどで出ている、AKBの前田敦子似では全くない。俗にいう、優男(やさおとこ)ではあるけれど。結婚しても、姓のイニシャルは変わらない。
今は1人、3役。ある結婚後のインタビューで、「子供は欲しいですね」と、正直に答えている。いわば、出産のプロ。40歳代でも可能ではあるが、
この試合を終えたら、引退? いくらスーパー・ウーマンでも、1人4役はこなすのは、大変だろう。
勝っても、負けても、ラスト・ファイトに、この試合がなるかも?
思い切って、その質問もぶつけた。
「う~ん。・・・それはわからないです。ホント、わからない。それは、コメントしたくないな。ノーコメントに、しておいてください」
すこし、困ったような声だった。
2年ほど前だったろうか。無敵とまでは言い切れないが、試合のたびに自分の身体をいじめ抜き、勝ちが予想され続けた頃、こう感想も含め、聞いたことがある。
「富樫さん、このままいくと、ず~っと、あなたは、防衛しそうな気がするんですよ。でも、規定で、年齢の壁もある。いつか、チャンピオンのまま引退する。それって、カッコいいと思いませんか?」
ニコニコと、笑顔を浮かべたまま、彼女は、答えなかった。ただ、以前から、負けて、ボロボロになってまで、私はしたくない。そうは、言っていた。
強いチャンピオンの彼女に、1度だけ「負け」を感じた時があった。それは、結婚後、エキジビジョンとして行われた、同じライト・フライ級のWBAとWBO、2つのチャンピオン・ベルトを保持する、アルゼンチンのジェシカ・ポップとの2ラウンドのスパーリングのときだった。
1ラウンドは、女子の場合、2分。しっかり、ヘッドギアを装着。そのガードの上から、容赦ない連打を浴びた。上下の打ち分け。自由自在に足も使われ、ヒット&ウェイ。ジャッジやレフェリーに効果的に見せて、ポイントを積み重ねてゆく、したたかに計算できる上手さもジェシカには、あった。
たった4分。しかし、初めて富樫の負けを見た。VTRを何度もメモしつつ見直したが、もしヘッドギアをせず、フルラウンド戦っていたら、明らかに負けていたと思う。
世の中、上には上がいるんだと痛感した。
スパーリングを終えて、感想を問われ「(ジェシカは)上手いですね」と、富樫。「もっと、フルラウンド闘いたかった」「悔しい」
そのコメントを耳にして、少し安心した。闘志は、人妻になっても衰えていなかったんだなと。
所属ジムの会長には、ずばり聞いた。
「ジェシカに、完全に負けてましたね?」
「なに言ってるんですか、そんなこと、無かったですよ」
富樫が練習をしている、別のジムの会長兼トレーナーにも、負けを否定された。
所属ジムによれば、王座統一戦の話しは具体的には進むことはなかったという。それで、良かった・・・・・・。
今回の試合は、昨年11月の孫チョーロン戦以来。7か月振りだ。
また海外、それも、もろに敵地、アウエー。しかし、富樫は日本の男も含めて海外での防衛戦は、一番数多くこなしている。
すでに、このメキシコでも経験済みだ。
「スゴイ観客の数と、おそらく相手への大声援で、セコンドの指示が聞こえないくらいなんです」
「試合が終わっても、スコアのアナウンスも聞こえないんです。もっとも、おそらくスペイン語なんで、私、何言ってるのかわからないから、まあ、いいんですけど」
「レフェリーに腕を上げられて、初めてああ、勝ったんだと分かったくらいで」
笑いを交えて、話してくれた富樫。そのときも、大差の判定勝ちだった。
アンフェアなジャッジになりがちなのは、彼女はすでに知っている。
「しっかり、そのためにも練習してきましたから」「その準備は、しっかりしました」
キッパリと自信ありげに言う。
彼女に話しを聞いた時点では、相手のエスメラルド・モレノの以前の試合映像は見られなかったが、その後、3試合分、見た。
勝てる! よほどの不調でない限り、勝てる!! そう、実感した。
モレノのタイプは、いわば”ブンブン丸”だ。左のジャブ気味のストレートから、右の大振りフック。さらに、キチンと見定めないで、大振りのフックをブンブン振り回す。空振りが、めちゃくちゃ目立つ。
そのワンパターンだった。当たっても、1発で沈む強打は、無い。
モレノの、当てられる距離にさえならなければ、富樫なら大丈夫だ。
得意の接近戦で、弱そうなボディにパンチを叩き込み、ねじ込む。その一方で距離を取って、ステップ大きく踏み込んで、低く入って、上下打ち分けていく。
ほぼ、アウェーでも勝ちを手にするはずだ。
実は、もう試合は現地で終わっているかもしれない。まだ、速報も入っていない。現地には、彼女を指導している、小関桃のトレーナーが付いているだけ。いち早く19日に小関が、8度目の防衛に成功したが、富樫とは「価値」が違う。
ちなみに、2人は誕生日が同じ。富樫が7歳上。とても、仲がいい。
その小関の試合を終え、翌日、そのトレーナーはメキシコへ慌ただしく旅立った。所属とは、違うジムの会長でもある。
そして、富樫のジムの会長は、来月に迫った男子チャンピオンの試合の準備に忙しいとのことで、現地には行っていない。
試合開始時刻すら、知らなかった・・・・・・・
厳しく、さびしい環境のなか、孤高の闘いをしてきた富樫直美。
夫のTさんは、メキシコへ行くの?
「いいえ」
じゃ、メールか?で、おそらく勝利をいち早く知らせるんだ?
「そうですね」 少し、笑い声がはじけた。
帰国して、ひと段落したら言おうと思う。
おめでとう! そして、お疲れ様、と・・・・・