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< リアル 芸能 ルポ >歌い終え、「バカヤロー!」と、名絶叫をした往年の歌手、美樹克彦は今!

2014-07-15 23:30:45 | 艶歌ファンですら知らない、歌手の裏側と、知られたくない「厳実」

 【 2014・7・15 掲載 】

 美樹克彦(みき・かつひこ)という歌手の名前を聞いて、ああ!と、想い出すヒトは、結構な人生を重ねた年代です。

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 Dscf6786 かつて、♬「花はおそかった」という、究極の悲恋の歌詞を歌い上げ、大ヒットを飛ばした。

 ♪「かおるちゃん、遅くなってごめんね」から始まり、歌い終えた一瞬の間を開けたのち、

 「バカヤロ ~!!」

 と大絶叫。今も、その年代の鮮烈な記憶に残り続けている名曲と言っていいでしょう。

 デビュー曲の「俺の涙は、俺がふく」もまた、強烈な印象を叩きつけてくれた、ヒット曲でした。

 実はこの名曲

 悲恋、若者の恋のことを、モチーフにしてありますが、本当は、戦後、静岡県焼津市のマグロ船、「第5福竜丸」の乗船員が、沖合で、アメリカ軍による死の灰をかぶって、相次いで亡くなっていった、漁船員の息子の、やりきれない怒りと想いを「バカヤロー!」という叫びに乗せて、歌い上げたものなのです

 

 でも、美樹克彦は、ステージに登場するなり、両手の指をカッコよく、鳴らし、歌い出すスタイル。

 当時彼は、まだ17歳の高校生。

 「いかしてるぜ!」という、流行り言葉の波にも乗りまくりました。

 それから、幾年月・・・・・

 現在、65歳。

 容貌は、写真の通り。渋いぜ!と、いう声も、聞こえてきそうです。

 で、近年、声量衰えぬ彼の顔を見ていて、誰だったっけなあ・・・あの渋い役者に、よく似てんだよなあ・・・・と

 先日、また特番で見かけまして、また、同じ想いが、甦った。

  しかし、名前(芸名)が、想い出せず。

 仕方ない。翌日、「美樹克彦 音楽教室」というところにピッポッパッ。

 電話口に出てきた受付事務の子。

 「さあ・・・知りません。それよりも、ココ、先月、6月22日にオープンしたばっかりなんですよお。

 それで、今月の7月26日(土)、午後1時半から、美樹克彦のミニ・コンサートが、ここで開かれるんです。

 出来たら、ソレ、告知して戴けませんか!」

 あれれ、変な流れになっちまったわい。

 この「美樹克彦 音楽教室」

 所在地が、なんと千葉県の君津市東坂田1丁目にある。電話番号は、0439-54-1788

 にしても、なんで、彼が君津に?

 「なにか、詳しくは知らないんですけど、君津に美樹さんの、古くからのお知り合いがいて、こっちで住んでみないか?と誘われて・・・。それで、昨年引っ越されてきて。今年、じゃあというわけで、音楽教室を開いたということみたいです」

 まだ、生徒募集は、いまいち、芳しくない雰囲気。

 ハイ、告知、しましたよ。

 でも、疑問は消えず。

 では!と、写真付きの「タレント名簿録」の、「あ」からすべての男優を流し見て行った。

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 いたあ!

 田山涼成(たやま・りょうせい)。このヒト。

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 Dscf6809 ねっ、名前は記憶無くとも、顔は知っているでしょう。

このひと、ただ今、62歳。

 お互いの共通点は、子役をやっていたこと。

 田山の所属事務所は、演劇事務所でもある。

 「さあ、似ている人?聞いたことありません」と、こちらは、けんもほろろ。

 んんん・・・動かぬ写真にすると、似ていなくなりそう・・・

 どうですかねえ・・・

 どこかで、並べて、共演させませんか?

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 2023/1/24 緊急追記

 ネットの記事を流して見ていたら、上記、美樹克彦が、何と、4度目の結婚をしたとのこと

 現在は、君津市から、木更津市に転居しており、

 弟子であった、37歳下の、元歌手・美紀という女性と暮しているとか

 。。。。。。

 めでたいことであるけれど、生活、大丈夫かなあ・・・

 持つかなあ・・・・・

 まさかレンジでポンすることが、料理することだなんて、勘違いしている女性ではないことを祈ります


前園真聖、正式にテレビ東京から、「ネオ スポーツ」では、もういりません!と、クビを正式に宣告された!

2014-07-10 05:41:15 | テレビ番組

 やっぱり! ついに、正式に「ネオ スポーツ」をクビになったか!

 スポーツ業界紙などが、ぬるぬる温情でタイトルに打ってた、「卒業」などでは、無い。

 事実上の「クビ」だ。

 もはや、他のテレビ局で、レギュラーで、拾ってくれるところは皆無。

 ネット上での記事らしきものを見て、改めて、そう思った。

 元々、昨年の、自身の泥酔から発した、「タクシー運転手、無賃乗車の末の悪らつ逃走、暴行傷害事件」が、例え、無かったとしても、「ネオ」では、出番が少なかった。

 折りに触れての、単発顔出しだけ

 レギュラーどころか、セミ・レギュラーとも、言えなかった。こと、サッカーについては、他の者が、キチンとしゃべっていた。

 前園真聖(まさきよ)のしゃべりは、元々ど下手。解説にも評論の域にもたどり着いていない、「怪説」。

 昔の名前で、したり顔でしゃべっていただけ。

 「仕事」というものを、なめきっていた

 以前の私の前園に関する記事は、すべて事実に基づいている。

 なにしろ、「取材」してない。日本代表が、合宿練習している「現場」にも、来ない。

 たまに顔出ししても、ぼ~っと、遠くから見てるだけ。メモもしない。囲み取材にも加わらない。

 「なでしこ」の時も、来ないで酒びたり。

 乳母日傘のまま、デカい態度。ではと、スター選手単独取材の交渉能力も無い。

 親しい選手も、いない。監督にも、ロクに面識ない。携帯で、後ほど個別に話し聴くこともできない。

 なにしろ、番号そのものを知らない。

 ないない尽くしで、ぼ~っ・・・・・・。ぽか~ん・・・・・・。

 男女の日本代表だけでは、無い。現役選手の「今」を、知らない。

 グラウンドに、来ない。選手・監督に、話し聴かない。しようとする、努力すらしない。頑張らない。なのに、いまだ、天狗

 以前書いたが、「事件」を起こしたのちも、「温情」で、マネージメントをしてもらっていた次原悦子社長の孤軍奮闘、東奔西走の努力の果ての謝罪。

 それすら、自分から何一つ積極的にアクション、起こさず。子供のように、言われたから、した。

 神経は、ガキ以下。子供、以下。

 だから次原は、見放すニュアンスで、こうツィートした。

 「前園には、今後も長く、冬の時代が続くだろう」

 40ずら下げて、自分では何一つ決断出来ず。何も、自分でしようとしてこないまま、時だけが過ぎた・・・。

 他人に対する、クチのききかた知らない。世間的には、オトナと言って良い40歳になっても・・・・・。

 すでに、看板だけだった「ZONOサッカースクール」事務所も閉鎖。

 スクールの個人コーチが、携帯電話のメールでのみ、数少なくなった事実上、フットサルの小学生選手に教えている。

 元・事務職員によれば、少しだけ、「出署」後、他人に対してマトモに接するように変わった、と言っていた。

 しかし、それもまた、元に戻ってしまった・・・・・。

 局のクビ宣告は、自明の理であった。

 元々、「ネオ」は、視聴率が低いため、どれほどの人が、あの短い番組を見ていたか? というと、はなはだ疑問。

 前園真聖(まえぞの・まさきよ)の「ブログ」を観ていても、出番内容を知らせるくだりは、無いに等しかった。

 「内容」が、無いよう。

 目に飛び込んでくるのは、降り注ぐ夏の日差しも無いのに、サングラス写真、ブタのセブンとの日々。そして、食い物、飲み物、甘さ一杯の大好きな簡易軽食、そして、気の置けぬ飲み友達との写真。

 たまにもらえた、地方に行っての、その他大勢との”営業イベント”出演。

 後にも先にも、それだけ。

 サッカー試合観戦には、誘われての仕事絡み以外、まず行かない。

 テレビで、欧州の試合は好きで、録画して見るくらいだ。

 ちなみに、マネージメント事務所からは、月決めの契約料は、元々1円も出ない。

 仕事量に応じて、そこからマネージメント料を引かれた金額が、前園の口座に振り込まれる。

 それが、0円になる日は間近。

 あとは、スポーツ用品メーカーと、彼の地元・鹿児島の焼酎の広告代を使いきったら、たちまち、ブタのエサ代にも事欠く貧困生活が待つのみ。

 ブログには、先の刑事事件で逮捕・拘留され、”出署”した後も、数か月間、載っていたのは、ブタの誕生日の写真のみ。

 前園自身が「ブタ小屋」に入っていた間、ブタの世話はともかく、排出する糞尿の処理は、どうしていたのだろう?

 まさか、次原悦子・事務所社長自ら、クソ小便まみれを覚悟して、前園の部屋に赴いたとも、思えない。

 前園に、世話焼きオンナ?

 あの嫌われ者に考えにくいことだが、奇特な女性が、世の中、いないとも限らない。40歳になっても、嫁の来てが、無いが。

 ブタとの同居に、二の足を踏むのは、フツーの感覚だ。

 かつて、書いたが、日本での現役最期の「東京ヴェルディ1969」時代。ホンの1人だが、長年に渡る女性ファンはいた。

 練習後のグラウンドと、クラブハウスの駐車場の片隅で、前園の帰りを待っていた。手には、紙袋。何が入っているかは知らないが、前園に渡したいのだと、ポツリと言う。

 前園、その娘にいちべつ。それだけ。

 その女性。前園の胸に押し付けるかのように、ソレを渡し、無言で車が去りゆくまで、じっと見送る。

 「ひどいね」

 思わず、私が、その娘に言った。

 「いえ・・・いつも、昔から、ああゆう態度なんで。一度だって、期待したことなんてありません。ただ、見てるだけですね」

 それじゃあ、ファンは、日ごとにいなくなるよなあ・・・・。

 「出来れば、付き合いたいとか? あの袋のなかに、君の電話番号とか、連絡先が、メモしてあるとか?」

 彼女、あきれたように苦笑。

 「そんなことしたって、連絡くれるようなヒトでないことは、とっくに知っていますから。無駄なことは、もうしません」

 当時、前園を書くために、彼を取材していた私。

 チームの番記者たち全員の声に、まず、驚かされた。

 「誰、取材しに来たの? ええっ!? ZONO(ぞの)? 悪いこと言わないから、やめといた方がいいよ」

 何でですか?

 「嫌になるからさ。きっと、あきれるよ」

 ・・・・・・ホントだった。インタビューの口約束なんて、平気で反故にする。時間に、ルーズ。それも、守れない。謝らない。すぐに、シカトする。無視する。ワガママ。

 いやはや・・・・・・

 書きはしたけどね、ありのままを。

 その時も、個人練習は、して構わないけれど、と、条件付きの、実質クビ状態。戦力外扱い。

 誰にも、挨拶しない。だから、誰にも、挨拶されない。

 自業自得。

 当時、チームの働きかけもあり、韓国のチームに入れるらしいという噂が、あった。

 実際、その通りに行った。が、すぐ、クビになった。

 平気で、ウソも付く。

 トレードマークにさえなっていた「赤色の、スポ―ツカー」。

 「コレ? 自分の車です」

 そう??

 すぐ、調べた。大うそだった。

 長年、前園を支援し続けている人の所有だった。

 「ああ、あの赤いやつ? うんうん、ゾノに聴いたら足が無いって言うもんでさ。まあ、足代わりに使ってもらってるわけ」と、都内のオーナー社長。

 こんな男の、この先は、かなり暗い。

 自業自得と、斬って捨てても仕方無い性格。

 もし、再起をホントに計りたいのなら、最期に少しだけアドバイスしよう。

 まず、そのブヨブヨに、精神並みにたるみきった体を締めること。

 それも兼ねて、スクールの子とともに、一緒に走り回り、体とココロをもう1度、根本から鍛え直すこと。

 甘いモノは、避けること。自己節制すること。

 他人に対する接し方を、これまた、なまいきな言動をしたとたん、殴り殺されるような厳しい人に、教えてもらうこと。

 そして、どうせ、サッカーしか知らない、典型的なサッカー馬鹿。

 他の専門的なハナシは出来っこない。

 ならば、本気で、数多くの試合や、合宿や練習を見て、メモして、初歩から勉強しなおすこと。

 せっかく、コーチの資格を取ったのだから、馬鹿はバカなりに、進歩するだろう。

 で、それを、ブタのことは書かずに、毎晩、泥酔せずに、ブログ上で、解説・評論してみること。

 文章修業にも、なる。漢字も、覚えられる。

 出来るかなあ・・・・勘違い、無能天狗が。

 そうしたら、可愛そうにと、誰かが拾ってくれるかもしれない。

 でなければ、40からの再起は、ない。

 世間知らずに、世間は甘くは、ない。

 元来、ことサッカーに関しての本人の手による記述は、無かった。

 自称にしても、腐っても「サッカー解説者」、ないしは「サッカー ジャーナリスト」。

 1歩、本気で、踏み出せるだろうか・・・・・・・・・

 この腐り切った根性が、変わると、期待はしたいが・・・・・・


よっしゃあ~! よかばい、よかばい! 東浜巨(なお)、福岡ソフトバンク投手、7月6日、地元で好投!

2014-07-09 04:03:13 | スポーツ

 みんな、 覚えて下さいよ、この投手を!

 かつての投球術の冴えを、少しずつ、少しずつ、取り戻しつつある東浜巨(なお)の、今!を。

 入場者数、公称なので、正しいかどうか、分からないものの、3万4200人も、詰め掛けたのだから。

 7月6日。地元ヤフオクドームでの、対楽天戦に先発した東浜は、6回を投げ抜き、1失点で、マウンドを2番手に引き継いだ。

 Dscf6750 もう、マウンドでの表情(写真左)を見れば、お分かりになるように、必死!

 ユニフォームに縫いつけられた、チーム・スポンサーでは無いが、「救済」してあげたくなるほどだ。

 まだまだ、ストライクが先行しない。

 なので、ど~しても、球数が多くなる。

 それでも、低め低めへの、コントロールを心掛けていた。

 制球力は、試合を重ねるごとに、亜細亜大学時代に戻りつつある。

 Dscf6752 ひざ元への、スライダー。

 渾身のこの1球などは、キレもあり、素晴らしかった

 とはいえ、まだまだ、ボール球先行。3回には、2アウト満塁の危機に陥る。

 なんとか、もがき苦しみながらも打ち取った。

 楽天には、5回に1点、入れられただけ。フィールディングも、良くなってきた。

 トータル、6回で、5三振

 良し、としておこう。今の時点では。

 テレビの録画も含めた試合中継が、無いに等しい。

 なので、哀しいくらいに、全国区的には、まだまだ知れ渡っていない。彼の2勝目も。

 これで、福岡ソフトバンクホークスは、パリーグ首位に立った。

  また、先発をまかせられるであろう。

 今度は、何回まで出来が良いか?

 おそらく、ぶっちゃけたハナシ、今は、東浜自身にも、わからないはずだ。

 Dscf6756 試合後、こう語った。

 「昨日、(チームが)嫌な負け方をしたので、初回からていねいに投げていこうと、思っておりました」

 「(自分の出来の)状態が、あまり良くないなかで、野手の皆さんが点を取ってくれました」

 「少し、球数が多くなってしまったので、6イニングしか投げられないはめになりましたが、これから、7回、8回と投げられるようにしていきたい」

 何かを問われるたびに、「そうですね」「そうですね」が、口癖。

 「そうですね。良い仕上がりで、これからも進んで行きたいと思います」

 まだまだ、巨(なお)を、見つめていこうと思っている。期待を掛けながら・・・。