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[赤とんぼ先生 残虐、3度首絞め殺害事件]の、福井地裁の判決が出た! あまりの驚きの内容に、しばし息も苦しくて出来ず・・・・・

2016-09-29 22:17:19 | 事件

 すでに、判決が言い渡されて、6時間が過ぎようとしている。

 判決こそ、実刑ではあったが、法廷を去ったのち、福井拘置所の独房に帰ってきた、「とんぼ先生」こと、前園泰徳(やすのり)被告は、ひとり内心バンザイ!を挙げたい気分だったであろう。

 やったぞお! 俺様のでっち上げた詭弁が、法廷で通ったぞお! 認められたぞお!! ダマせたぞお!と。

 あと、たった2年で、大手を振ってシャバに出られるぞおおおおお!と。

 そう・・・・・速報などを見掛けた人は、すでに知っているだろう。

 なんと! 入子光臣・裁判長は、被告と、彼の弁護側のあみ出した「嘱託殺人」の主張を認め、検察側の求刑・懲役13年に対し、

 わずか! わ、わ、わずか懲役3年6月(げつ)の判決を言い渡したのだ。

 驚いた! 信じられなかった!

 こんな詭弁が、まかり通って良いのであろうか・・・・・。

 先程、「たった2年」と打ち込んだが、すでに逮捕・拘留されて丸1年半が過ぎており、その期間は刑期に組み込まれるという規定があるからだ。

 下手すると、1年半程度で、仮釈放になる可能性もある。

 主文のあと、入子光臣は、判決理由を、こう述べた。

 怒りと、やりきれなさで震える手で、やっと書いた。

 「被害者は、日頃から、自殺の意思を持っていた」

 そして・・・・

 「被害者は当日、睡眠薬を飲んでいたとはいえ、正常な判断能力が無かったとは言えず、本心にもとづく殺害依頼が無かった、とは言い切れない」

 だから、被告の主張する「嘱託殺人」を認める・・・・というのだ。

ば、ば、ば、馬鹿野郎!!!

 怒りが次々と湧き上がってきて、今夜は、さらに詳しい詭弁判決理由を打ってゆく気持ちになれない。

 これで・・・前園から、上級審への控訴は無い、であろう・・・・。

 主文を聞いた直後、検察官2人の後ろに座っていた、3度もの惨殺絞殺された菅原みわの遺族4人は、信じられない!という表情を浮かべ

 前園被告は、平然と顔色ひとつ変えることなく、入子光臣の出す声を、じっと前を向いて聞きいっていた・・・・・

 あの、確実に腕を使ってまで絞め殺した直後の、冷ややかな、冷徹な表情がよみがえったかのように・・・・・・・

 

 


9月29日(木)、午後4時。福井地裁。「赤とんぼ先生」こと、前園泰徳・被告による、菅原みわへの「3度もの絞め殺し」行為に対する判決が下される。求刑は懲役13年。そして、裁判員は・・・

2016-09-28 22:40:32 | 事件

 雪のまだ残る、勝山市郊外の「一本橋」の北のたもと(写真左下)に停車しての、車中犯行から、約1年半。

 

 集中的に実施された、今月の裁判員裁判。

 その具体的詳報は、すべて記事化した。長文にもかかわらず、丹念に読んで戴いた、熱心な読者が多くいたように想う。感謝したい。

  それにしても・・・・・前園泰徳(写真左の左側)、の鬼畜的な犯罪行為

 なのに、「殺して下さい」と、何度も、右の被害者・菅原みわ、に懇願され、仕方なく、首を絞め殺したと言う、「嘱託殺人」をあくまで強弁。

 ならば、数々の証拠隠滅行為は、何だったのか・・・・。

 交通事故に見せかけようとまでした行為は、一体なんだったのか・・・。

 被告人に惚れぬいて、大学院を休学し、千葉県から遠く福井県にまで、住まいを移し、無給の身で、心身ともに捧げ抜いた、純過ぎた菅原みわ。

 被告人の、法廷での供述。

 

 「2度、首を絞めたあと、失神していたのか、車のエンジンを掛けたら、その震動で、ふ~っと、息を吹き返してきました」

 「それで、確実に絞め殺そうと、今度は両手ではなく、腕を使って首に巻きつけるようにして、チカラを込めて、強く絞めました。それで、ようやく(彼女は)死にました」

 被害者を、まるで重度の精神病患者の如く言い連ねた、前園泰徳と言う男と、弁護側。

 検察側による、実刑の求刑でも、比較的重い方の懲役13年

 無期懲役でも、ましてや遺族4人が望んだ死刑でもない。

 ソレを受け、休み1日を挟んで、男女6人の裁判員たちは、入子光臣・裁判長(写真下)ら、男性職業裁判官3人と、数日間にわたり、あらゆる点について協議、検討を仔細に話し合って重ねてきた。

 

 計9人の出した結論は・・・・・・。

  おそらく、被告と弁護側が主張し、希望した「執行猶予」は、まずあり得ない。

 深い被告人からの反省、後悔、謝罪が述べられて初めて、通常だと、俗に8掛けの「懲役10年」。

 だが・・・・・一般常識と、感情を持っている裁判員6人の、被告人を見る、時に鋭いまなざしを考慮すると・・・・・満額に近い「懲役12年」も想定出来る。

 おそらく、被告人はより短期の、早期社会復帰を目指し、控訴しそうに思う。

 とにもかくにも、真摯に判決を聞きたい。


元フォーリーブスのおりも政夫、急性虫垂炎で、緊急入院。その後の、報じられていない真実

2016-09-28 01:35:20 | 芸能ネタ

   

 このところ、元フォーリーブス青山孝史と同じ病気の肝臓ガンで、この世を去った北公次の葬儀・告別式・初七日に関しての記事に、長らく多くの検索が切れることなく、続いていた。

 そんな時に、降って湧いたかのような、まさに、折りも折りおりも政夫、緊急入院の報道。

 それは、この9月24日。

 10月1日から、明治座で開幕する「歌手生活30周年 坂本冬美 特別公演」

 第二部の、歌謡ショ~の前にある、その第一部。「新版 女の花道」の、踊りの部分の、まさに写真下の稽古中。

  折りも折り。左のおりも政夫の腹部に激痛が走り始めたようだ。だが、共演者で、座長でもある坂本冬美の手前、時折り襲う痛みをガマンしていた。

 上記カットは、2年前の大阪での初公演の際のもの。

 踊りが得意な、おりも政夫とはいえ、けっこう激しい、キレのある動きと振り付け。

 記憶していたそのまんま、2年振りの再演と思ったら、違った。

 当の坂本冬美がブログで打ち込んでいたが、振り付けも、流れもガラリと変えたものになっていて、稽古は初日から大変だったらしい。

 ちなみに、坂本冬美。

 かつて、所属事務所と、もめた挙句、東京を完全に引き払い、故郷の和歌山にいる実母の元に帰って、普通の生活を丸1年間送った過去ある歌手。

 なので、実質は29年空白の1年も入れ込みゃ、通算30周年の計算にはなるけどね。

 もっとも、芸能界というところ。

 全然、長年にわたって仕事が無くても、トシ喰えば、平気で20周年とか、40周年とか、前面に押し出して、コンサートやイベント開くからなあ

 今公演のポスターにも、おりも政夫は、むろん、載っている。

 

  その夜の稽古終えて、車で帰宅してから激痛!

 救急車で、緊急搬送。

 稽古中と言う報道もあるが、どうも帰宅後が正しい。

 以前、北公次の葬儀の記事で書き入れたが、おりも政夫の自宅は、江戸川区か、江東区。

 そこから、1分でも早く手術可能な総合病院で、救急患者搬送受け入れも可能となると、錦糸町の繁華街から見渡せる大きな高層階の病院か、小岩、新小岩や、その近辺。

 そこに運ばれ、医師の見立ては、「急性虫垂炎」。つまり、「盲腸」。

 すぐ、開腹手術。

 早期発見で、さらに症状が軽ければ、開腹後の回復も早い。

 手術後、うまくすれば2~3日で退院。慎重を期して、しばし安静にしてからの退院でも、一週間。

 ということは・・・・・公演初日に、ギリギリ計算上は間に合う。

 が・・・・・どうも、そんなカンタンな盲腸ではないようだ

 明治座では、いつ彼が公演に復帰できるか、具体的な見通しを示していない。

 そのうえ、おりも政夫こと、63歳にもなった彼をいまだに「マー坊」と呼ぶ、熱烈女性ファンが

 「マー坊が初日から出ないんじゃ、チケット買った意味ないから、払い戻ししたいんですが」

 そう言ってきたら、どうするんですか?と聞いたところ、その対応策はまったく出来ていない有り様。

 今夜は、まだ入院中のようだ。

  娘の、織茂璃穂(おりも りお。写真右側)との嬉しそうなこの写真を、自身のブログに掲載。

 この娘。どっちから読んでも、「おりも りお」。

 娘は、今年のミス日本のグランプリは、獲れず。その他5人が、それぞれもらえる賞のうち、「ミス着物」に決まった。

 このミス日本。

 晴れの「第1回」の際には、山本富士子が、グランプリの受賞条件のなかに、大映からの主演映画デビューが入っていたが、第二回以後はな~んにも無し。

 自力と運で女優、それも、誰もが知る「女優」の切符を努力で掴み獲らねばならない。

 「マー坊」の娘といえども、同様だ。

 その娘も、ブログで、関係者に詫び、父の早期復帰を望んではいるものの、ゆっくりと完全に治療して、復帰して欲しいという想いが、文面から溢れていた。

 おりも政夫の事務所のスタッフも、単なる盲腸だけの治療では収まらないコトを、匂わす。

 が、重病ではない。

 この坂本冬美の公演では、すでに緊急事態として、おりも政夫の代役が決定。すでに、稽古に参加している。

 よくある演劇と違い、艶歌歌手のお芝居の稽古は、わずか数日で終える。終わらせる。

 歌手の稽古スケジュールが、充分に取れないからだ。取れて、せいぜい1週間。

 初めて参加した演劇人は誰もが、「えっ!」と、驚く。が、観るファンは、カンペキな演劇の出来を求めているわけではない。

 細川たかしや、吉幾三や、前川清のお芝居のように、ファンは、「アドリブ」を期待し、笑い、楽しむ客もいるのだから。

 この坂本の公演は、10月26日まであるが、おりもがその期間内に復帰するかどうか?については、あいまいながら、積極的に一日でも早く・・・・・というカンジではなかった。

 静養の方を優先、という印象が強い。

 この際、他の精密検査をしてもらおうよ、という印象。

 というのも、やはり、すでに他界したこの2人の苦い過去があるからだ

  ター坊と、今も熱烈ファンが呼ぶ、青山孝史が、まだ57歳の若さで、肝臓ガンで死去。

 そして・・・・・

  北公次も63歳で、肝臓ガンでこの世を去った。

 折りも折り、おりも政夫は、今63歳

 故人の2人と違い、顔も健康そうに見えるが、内臓などの中味は分からないぞう。

 特に、おりもは、間近に北公次の病の推移を見ていただけに、健康には人一倍、気にしていると聞く。

 この際、一気に全部くまなく診察してもらおうか?と、家族と入院中に考えても不思議はない。

 いつやるの?

 今、でしょ!

 10月31日からは、全国各地、津々浦々に向けて、12月末まで、かつての人気歌手やグループが集う「夢のスター歌謡祭」と題したコンサートの司会をするスケジュールが入っている。

 コレは、事務所も「大丈夫です。予定通り、こなせます」と明言。

 この手の、懐かしコンサート。

 チケット発売当初こそ定価8000円で売り出すが、売れ行きが悪いと見れば、ガクンと安くし、割引額を公示し、かつてのファン年代層が日々、客として来る食品スーパーマーケットで、最後は1000で入れる割引券を置かしてもらい、叩き売ってでも客席を埋める。

 控え室や楽屋は、黒沢年男いわく「ひどいところばっかりだ!」と怒りまくる芸能人もいる。

 階段しかない会場ばっかりで、「俺みたいなトシになると、昇り下りだけで、歌う前に、くたびれちゃうよ!」「エレベーター、付けろよ!」とまで、不平不満爆発!

 で、お呼びが・・・・・かからなくなる。

 その間の12月2日には、「フォーリーブス 50周年記念コンサート」が、自宅にほど近い「江戸川区総合文化センター」で行われる。

 50周年!?

 フォーのうち、ツーがいないのに?

 そう、驚かれる読者も多いはず。

 そう、先に書いたようにに、デビュー以来、ず~~~~~っと活動していたなら、50周年くらいかな?ってこと。

 2人だけで、どうやるの

 おりも政夫と、江木俊夫の立つ背景に、亡くなった2人が歌っていた映像・動画と声を流し、それに合わせて、生き残っている元気な2人が歌い、踊るという構成もしている。

 昨年までは、全国数か所で2人がこなした。

 やはり、売れ行きが悪い会場では、7000円を5000円で販売。2000円のチカラは大きく、客がかなり詰め掛ける。

 おりも政夫が、大阪のライブハウスで、まったく無名の歌手もどき数人を出させて行なった公演は、5000円を3000円に安くしても、入りは芳しくなかった。

 ファンといえども、拒絶反応は、きっちり秘める。

 江木俊夫の曲間のしゃべりは、かなり毒舌に近い

 先の懐かしの歌手のなかに、現役の歌って踊れるガタイと顔の良いメンバーを揃えたムード歌謡グループが出てきた時には、場をなごます司会役にも関わらず、超先輩風を吹かせまくり

 「お前がさあ、リードボーカルをやるっていうのが、俺には気にいらないんだよねえ

 後輩のイケメン。戸惑いを押さえて

 「どうしてですか?」と聞くしかない始末。

 まだ北公次が生きていた時には、北にこう呼びかけた。

 「コーちゃんはさあ、(仕事がしたくても、無くって)ヒマしてたから、テレビずいぶん見てたでしょう? コレ、知ってるかな?」

 ファンは、北の心を傷付けたはずの、そのどぎつい言葉を、今でも覚えていた。

 スタッフは言う。

 「今までと同じ構成だけではなく、いろんなことをして魅せますよ」と。

 今年は、全国各地でやらず、この会場だけ。

  午後1時と、午後5時の2回公演ながら、1階2階合わせて、1497席。

 「マー坊、お帰りぃ!」とかなんとか叫び、おそらく、おりも政夫の元気な復帰姿見たさに、満席近く埋まるのではないだろうか?

 規則正しく、歌に合わされたペンライトの動きを、60歳代の、その昔の乙女たちは、想い出に浸りながら揃って行ない、きらめいていたであろう青春のひとときを、甦らせるんでありましょう!

 

 

 

 

 


アノ内田裕也を「裕也クン」と今も呼ぶ、パワフルシンガー 中山ラビ 、健在なり! 10月9日、新宿で。次いで11月5日(土)「ラビ組」6人率いて、吉祥寺ですごい歌声、たっぷり響かせます!

2016-09-23 21:29:23 | 音楽

 シンガー、中山ラビ(写真左下)。

 普段は、キチンとキッチンに立つ、喫茶店&バーの経営者

 あの、有名な孤高の漫画家、故・つげ義春の作品からとった「ほんやら洞」国分寺店にいて、コーヒーなどの他に、うまい!と評判の髙い、「スパイシー・チキンカレー」(850円)などを作り、客に出している。

 最近は、バーに変わる夜に出勤することが多いという。

  この記事を読み進めているひとは、すでに、何らかの形で、彼女の存在を知っているような気がする。

 年齢、本名は、公式的に非公表ながら、1950年前後に、広すぎる米軍基地が、今もってある東京都立川市に生まれている。

 ボブ・ディランの歌と生き方に感銘を受けると同時に、10代当時、メッセージ色の強い関西フォークに影響を受け、単身移住。

 大阪YMCA予備校でアルバイトしながら、歌をさまざまな場で歌い始め、付いた異名とキャッチフレーズが、「女ボブ・ディラン」。

 が、ディランのように、気まま、わがままじゃ無かったし、ステージで勝手なことをして、バックバンドをあわてさせたりは、しない。

 「プロ歌手」となったものの、まだまだ歌だけでは食べていけないのに、続けていたバイトをクビになった。

 「通学している青少年に、良くない影響を与えるので」と、きつく言われたと言う。

  なにしろ当時。今は考えられないが、高校生男子が長髪にしていたら「不良」とみなされ、「不純異性交遊」につながると決めつけられ、そのうえギターをかき鳴らしていたもんなら、「退学処分」にされた時代。

 やがて東京に戻り、音楽活動継続。さまざまな、数多くのコンサートに出まくった。

 後年結婚し、男児を産み落とし、わがまませず、ママになった。

 その息子も、すでに28歳前後に成り、「ほんやら洞」を手伝ったりしている

 出産前後は、しばらく音楽活動の方は、休止。

 世間の誰もが知る、大ヒット曲こそないが、ロック&フォーク業界では、その明るく、気さくな性格もあって、とても良く知られたシンガー。

  なにしろ、あ~た、グループ・サウンズ全盛の頃、力也(現・故人)がボーカルを担当していた「シャープ・ホークス」の追っかけをやっており、その流れで、あの内田裕也と知り合う。

 以来、今も「裕也クン」と呼ぶ。平然と、親しみも込めて、呼ぶ。

 実は、内田裕也が76歳と、10歳近い年上なのだが、そ~ゆ~上下関係が、いつの間にか築きあげられている。

 内田裕也の、戸籍上の妻である、樹木希林でさえ、「あのヒトはねえ・・」とか、「ロックのヒト」とか、「裕也さん」と言うのに!

 業界広し、狭し、と言えども、「内田裕也クン」と呼べるのは、中山ラビだけだろう。

 いやいや、いやいやあ・・・・・・・

 何でもかんでもロック魂にこだわる、内田裕也。中央官公庁の、「公聴会」に行き、帰りしなマスコミにつかまり、怒りの表情で言い放った。

 「あんなのは、ロックじゃねえ! フォークだ」

 と言い放っておきながら、ポツリと、杖ついてこう続けた。

 「俺も、ロックと言ってるだけで、何もしてねえけどな」

 その昔、「ほんやら洞」の経営を親しいヒトからゆずり受けたものの、11年間は赤字続きだったそうな。

 だが今や、常連客が引きも切らない。

 検索して、店内の写真を見て戴ければわかるが、すごく何とも言えぬ雰囲気のある、落ち着いた作り。

 

 店は正午開店、深夜までやっている。LIVEのある日は早く店仕舞いし、家族やアルバイトの女性が会場の手伝いをし、年末年始は、休業。

 その生活基盤を背景に、シンガーとしてのライブ活動だけに収まらず、ここ数年は「呼ばれて」、その昔の「アングラ芝居」に、シンガー兼女優として、出演もしている。

 原作・脚本は、唐十郎や寺山修司。で、ラビ自身も「荒唐無稽」と言ってのけるほど、ストーリーとセリフの意味が、よく分かんない。んだけど、「アングラ」の雰囲気が、いまも、こよなく好き。

 今年も、新宿・花園神社の大型テントの下で、「新宿梁山泊(りょうざんぱく)」の芝居に女優として、出た。

 が、活動の軸は、シンガー。

 この10月9日(日)、「新宿ブルースナイト」と銘打って、女性歌手&女優たちが勢ぞろいして、新宿駅の地下通路から続く「安田生命ホール」で、コンサートがあり、ソレに出る。

 午後4時開演、料金、7500円なり。

  中山ラビの他に出るのは、カルメン・マキ、リリィ、根岸季衣(としえ)など。

 かつて人気があった若い頃のカルメン・マキは、リハーサルでは歌ったが、「気分が乗らない!」とかなんとかなんとか理由つけて、コンサートを直前、自分勝手にキャンセル・・・・てなこと、やってた、気まま女王様天狗。

 長年、不摂生な生活していたため、声の伸びが無く、高低音域が、聴いてて苦しいまま。

 リリィも若い頃、インタビューのときは良いのだが、外での撮影で、風が強かったり、雨が降っていたりすると、ダダこねて出ない、わがままさ。近年。歌に、味はあるけれど・・・・・・。声帯と音域が、日ごとに狭まってきている。

 「私は泣いています」は、実はホント、記者とカメラマンの心境だった。

 もう、カルメン・マキは、65歳。リリィも、64歳

 分別ある晩年迎え、んなことは、もうないでしょうね。

 根岸季衣とは、一緒に映画観に行ったりしたが、良いヒトでした。

 彼女も、すでに62歳。演技力はかうが、自称ブルース歌手としては、まったく評価できません。

 雪だるま体形のうえ、今年4月、「自分では、まったくそういう性格では無いと思っているんですが、なんでか周りはみんな言うのよ」と言っていた、「わがまま」という題名の「ミュージカル」に出た、渡辺えり

 やたら、すぐ人を叩く渡辺えり。音痴で、ひどい歌唱力のデブ彼女ほどではないが、根岸に歌は・・・・すすめません。

 ギター弾きの、亡き夫が生きていたら、必ず止めさせたでしょう。素人が、カネ取ってはいけません。

 おばさん群団のなか、ホンモノの歌唱力をひときわ聴かせるであろう、中山ラビの姿が目に浮かぶ。

 11月5日(土)、「ラビ組 LIVE 2016」として、今年何度目かのライブを、吉祥寺にある「スター・パインズ・カフェ」で行なう。

  左のLIVE告知の、文字。

 これ、実は、中山ラビの自筆です。

 毎回、はがきにきれいに、読みやすく、列記してくる。 

  今回のライブ写真は、これ。

 ウイッグ、というのか、アタマにかぶせて、歌う。

 網タイツ姿で歌う時もあったが、元「SHOWーYA」の寺田恵子、52歳のように、いやらしく腰をくねらせたり、乳房を寄せて、わざと溢れ出るように見せて、強調したりは、決してしない。

 色気はまったく出さない、出ない。健康的な、両足。

 歌唱力で、勝負する。ロックでもない、フォークでもない、かと言ってロックンロールでも、ブルースとも言い切れない。

 あらゆる区分けを飛び越えた、中山ラビの歌う独特の世界。

 開場、午後6時半。開演、午後7時半。料金4300円に、ドリンク代。

 予約などは書いてあるように、「ほんやら洞」にしてください。 

 バックで演奏する、梅津和時のサックスは上手いし、小川ヒロ、加藤ヒロユキ、高橋誠一、森ヒデハル、山口トモらも、力量は確かだし、あうんの呼吸で音を出せるはず。

 前回の7月31日(日)は、梅津、高橋、RYOTAROの、「アコースティックなユニット」3人だけだっただけに、「ラビ組」として、倍の6人にもなった厚みのあるサウンドにも、目ならぬ、耳を傾けて欲しい。

 興味のある方は、ユーチューブを見てください。

  とても、年齢を感じさせない歌唱力。そして、せつせつと歌い、説く。音程、まったくはずれておりません。

 お店をしながら、歌い続けて、ン十年。

 すごい!の一言です。

 興味、関心を抱いた方。足を運んでみてください。

 杖つき白髪老人の「内田裕也クン」は、おそらく、来ないと想いますが・・・・・。

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 ≪ 2018・12・2 追記 ≫

 この記事に、急に検索が、注がれた。

 ん?

 中山ラビに、何か、あったのかな?

 調べてみても・・・・格別、何もなかった。

 健康状態も、良い・・・・・はずだし。

 で、表題の、、あの内田裕也を、「裕也クン」と呼ぶこと。

 あるとき、直接、聞いた。

 ---あの、内田裕也を、ホントに「裕也クン」って、呼んでいるの?

 返ってきた答えは、意表を突くものであった。

 「ん? ああ、あれ? ウソよお!」

 「だって、わたし、内田裕也さんと、直接、逢ったことだって、一度も無いもん」

 一発、そんなウソまで、ペロッと言って、かましたのは、

 実は、その発言をした時の、ナマ放送の長時間番組の司会をしていたのが、なぎら健壱だったという、コトが、起因していた。

 元々、相性が悪い・・・・と、ラビは、思い込んでいる。嫌われている。そう、思っている。なぎらは、否定しながらも、にやつく。

 どこか、昔から、わたしを馬鹿にしているというか、甘くみている口調で、話しかけてくる・・・らしい。 

 いわゆる、上から目線、というやつ。

 おまけに、入りの指定された時刻に,キチンとNHKのスタジオに入ったというのに、・・・・待たされ、待たされ。帰ろうかと想ったという、2時間後。

 ようやく出番に。

 おまけに、トークの時間、短縮されて。相手は、「天敵」とも言うべき、なぎら健壱。

 だったらと、あいつが驚くネタで、1発、かましてやろうと想って、とっさに、クチを突いて出たのが、「裕也クン」だったという訳。

 予想通り、狙った通り、なぎら健壱は驚き、見る目、クチのきき方が変わった。

 というのが、真実。

 それ、聴いて、書き直そうかとも思ったが、ライブの告知も兼ねての記事。

 そのままでも、面白いかなあ・・・・と、放って置いたというわけです。

 ネタにされた、かの内田裕也クンにしても、今も公開されているのだろうか・・・・

 長編ドキュメンタリー映画。私は、その原形のドキュメンタリー番組、前後篇、2本とも、見ている。

 そのなかでの、10代の内田裕也クン。

 俺は、すごいスペシャル・天才シンガーなんだぜえ!という態度で、当時、有名なライブハウスの面接で、かましまくったオヒト。

 その後の、今に至るも、かましまくり人生は、御存じの通り。 

 なので、本人に「裕也クン」が、伝わったところで、苦笑するだけだろう。

 以上。追記です。

 ラビの歌声、この10月も、11月も、まったく、落ちておりませんでした。

 童謡まで、彼女の味で、歌い聞かせてくれましたし・・・

 良いですよお。今も、お薦めの、シンガー&ソングライターです


実刑・懲役13年を、被告に求刑! 9月21日、福井県勝山市「赤とんぼ先生」こと、前園泰徳・被告「絞殺事件」第6回公判。だが、一転、弁護側と「魔王様」は、とんでもないコトを!

2016-09-22 00:21:26 | 事件

 タイトルに打ち込んだが、この事件に関心がある方は、すでに21日の「論告求刑公判」で、「赤とんぼ先生」が、重い実刑懲役13年を言い渡されたことを、御存じであろう。

 

 検察官(写真上、左下側)は、「殺して!」と前園泰徳・被告が菅原みわに、事件当日も、懇願され、やむなく、首を3度も絞めてやっと殺したという「嘱託(しょくたく)殺人」論法を、ありえない、と、ことごとく否定、論破していった。

 

 まず、<2人の関係を「不倫関係」にあった>と、初公判の際の「冒頭陳述」の際に断定したことを、再確認するように言った。

 そして、<被害者をもてあそんだ末に、男女関係のもつれから、被害者の存在と感情の対処に困って殺害したもので、それらはただただ、自らの保身を図るための犯行であった>と言及した。

 また、最大の論点の<嘱託について>は、

 <被害者が、事件直前に自殺をほのめかす行動をとったのは、被告人の関心を惹こうとしたもの>とした。

 コレ、前園が非常勤講師として教え、まだ菅原みわが通学していた東邦大学在勤当時、菅原みわが自殺未遂を起こしたことにより、前園が心配し、再び親身になってくれた体験が、まだもう1回あるはず、と曲解したものと言えるし、女心の道理に合っている。

 だが、3年半後には、純な恋愛感情は完全に消え失せた「魔王様」に変わっていた。さんざん、心身も大陰唇も、もてあそんだくせに、彼女をうとましい存在とみていた。

 その変貌ぶりに、25歳にして、いまだ純な菅原みわは、だまされ続けたことに、やっと、やっぱり!と、気付く。

 <無料アプリのLINEなどで、被害者からの、「(わたしと)一緒になる気が無かったくせに!」とか、「(わたしと、奥さんの美樹さんとの)2人とも、選べない!?」、「ふざけるな!」などは、被害者の精神の病いとか、精神の不安定な感情ゆえの文面ではなく、被告や、被告の家族への嫉妬や恨みから生じたモノと解すべきである>

 <それらは、自殺を図る、もしくは自殺を試みる精神状態のものでは、断じてない.>

 つのる想いからの、激しい感情から出た言葉、文面、単語などについて

 <被害者の真意に基づくものではないし、ましてや、被害者が殺害への嘱託をしたとは、どう仔細に検討してみても認められない>

 被告人の殺害動機についても、詳細に検討し、踏み込む。

 <被害者が、感情が高ぶり、「妻子を殺す」とか、「二人の関係を、洗いざらいマスコミに流す」など、これまでの被害者には無かった発言をされ、家族に危害が加えられるのではないか?と、危機感を感じたと被告人は言う>

 <だが、実は、妻や第三者に不倫関係が公けになってしまうことを怖れ、ソレを何としても回避したいがために、被害者を絞殺し、3度もの末に、窒息死させた、身勝手極まりない犯行というほかない>と、締めた。

  これらの精神解明を、被告人に似た、左写真の真ん中分けヘアの入子光臣(いりこ みつおみ)裁判長以下、左右陪席の熊本大輔、河本薫、両裁判官は、どう受け止めたであろうか?

  そして、左右3人づつ、まるで飛行機の両翼のように座った裁判員の心の中は?

 そう想っていたところ!

 弁護側(写真下)の最終弁論で、とんでもない説得奇弁・詭弁がクチを突いて出てきたのには、驚くばかりであった。

  まず、またも、被害者の精神状態をベースに弁論を展開。

 <被害者は、感情の起伏が激しく、常に不安を抱えている精神状態であった>

 体よく捨てられる、タダ働きの末に、もはや使い捨てになりそうな危機感に迫られた被害者。日を重ねるごとにそうなってしまっていったのは、自己否定させていった魔王様のせいなのだが・・・・・。

 その性格は、見た目と違い、激しい。

 自分は絶対に、すべて正しいと思い込んでいる。

 んもんで、第2回公判で、被害者の菅原みわだけでなく、すでにズブズブの不倫関係に陥っていた被告人にも問診した、東邦大学の女性カウンセラーが指摘したように、その性格を言うと、「怒って、いきりたち、喰ってかかってきた」ほどだ。 

 それだけではない。幼い子供相手でも、そうだった。

 すでに、事件発生後の1年半前にこの一連の記事で書いたが、

 福井県内で開いた、小学生相手の「とんぼ教室」でも、男の子が言うことを聞かないと、マジになってキレ、怒りまくっていた。

 魔王様の、素顔の一面である。

 

 弁護団は、被害者の精神状態を、さらに大胆に、且つ、強引に推理し進める、強引愚マイ・ウェイ推論を展開してゆく。

<2014年に、セクハラ被害が有り、すでに心に深い傷を被害者は負っており、さらに孤立を深めていった>

 ?? セクハラ被害は、被告人が勝手に言い出した、実証しがたい、幻の被害なんだけどなあ・・・・また、孤立って?

<そのことにより、とんぼの研究者として成功する道が、閉ざされたと被害者は想像し>

 <自分は、生きる価値が無いと考えたのではないか?と、想像出来る>

 ”想像”の世界は、さらに果てしなく、広がってゆく。

 <被害者は、自ら死ぬにはためらいが生じた。しかし、嘱託殺人を頼める人は尊敬出来る研究者でもある前園被告しかいなかった>

 はあ・・・・・・・・

 本気で、被告に殺して欲しいと想い込んでいたことを、推論していく。

 犯行当日、車中で望まれた絞殺をためらい、生きるための説得を何度も続けたと、あくまで主張する前園被告。彼が言い出した、いかにもリアル・・・・そうな、彼女が言ったとする言葉。

 「泰徳さんまで、裏切るんですね」

 その言葉により、心理的狭窄(きょうさく)に陥り、その願いに応じて、首を絞めてしまった、とのこと。

 んんんん・・・・・・・?????????。

 ちなみに「狭窄」とは、すぼまって狭い事と言う意味。ま、そんな心理的イメージ造語。

 ちなみに、事件当時。精神的にも眠れない日々が被害者に続いており、この日も、事前に睡眠薬を常用していた。意識は、少なからず低下はしていたであろう。

 菅原みわ自らの気持ちが、薬でも飲まないと、やっていけないと思い込むほどに、追い込まれていたことは確かではある。

 車中で、首を3度も絞めたのに、死体に抵抗の跡が見られなかった。その痕跡が無かったではないか。

 よって、嘱託殺人が成り立つ、と強弁。

 「被告の問われるべき罪は、嘱託殺人罪であり、なお且つ、執行猶予付き判決が、妥当である」

 そう、弁護人は強調して終えた。

いやはや、なんともはや・・・・・・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 この事件は、これですべての審理は終了した。

 この後、23日からは、裁判員6人全員が、朝から夕刻まで数日間、裁判所の一室に、缶詰状態になる

 入子裁判長の指導のもと、両裁判官2人とともに、あらゆる点から、極めて細かいことまで、ひとつひとつ詰めて、詰めて、審議を積み重ねてゆく。

 精神的にも、慣れぬこととはいえ、非常に根を詰め、疲れるもの・・・らしい。

 はたして、嘱託殺人という詭弁が、全9人に認められるのか、どうか?

 安易に、大胆に、挙手によっての多数決で決めてゆく・・・・な~んてことは、まったく無い!らしい。

 職業裁判官だけの世界では、通例、求刑の8掛け。

 つまり、かつては懲役10年か、その前後が多く、目に付いたもの。

 だが、一般人である裁判員の多くの目は、違う。死刑判決が、地裁判決段階では、職業裁判官のみの時代より、はるかに多くなっている。

 もしかして逆に、奇跡的に、執行猶予付きも、無い!とは断定出来ない。

 とはいえ、上限は13年。

 遺族が望むであろう、死刑はあり得ない流れ・・・・・・。

 満額13年として、控訴するしないに関わらず、そこからすでに拘留されている1年半が、判決期間から引かれる。

 模範囚と認定されたもんなら、10年未満でシャバに出られる。

 そのとき、被告は、すでに50歳は優に超えている。

 赤とんぼならぬ、極楽とんぼのような日々は送れないが、被告が最期まで主張した、「嘱託」。

 ソレは、出所後、ありついた仕事先で、初めて叶う・・・・かも知れない

 

 

 判決は、9月29日、木曜日、午後4時。

 同じ福井地裁、1号法廷で言い渡される

 


福井県勝山市「赤とんぼ先生」こと、前園泰徳・被告「絞殺事件」第5回公判。謝罪、反省、後悔の一言も、被告皆無。さらに、矛盾発言続いたため、遺族4人は、やりきれない感情を、「魔王様」にぶつけた

2016-09-21 17:50:51 | 事件

 9月20日、第5回公判。

 福井地裁の外は、土砂降りの雨。

 3度も、魔王様の両手と腕によって絞め殺された菅原みわが流す、滂沱(ぼうだ)の涙にも思えた。

 この日、検察側の被告人質問から、法廷は始まった。

 逮捕後の心境を問われ

 「死ぬことだけを考えていました

 ふ~ん・・・・・私がくまなく取材した限り、留置所でも、拘置所でも、被告人による自殺の兆しも、係員を困らすそんな具体的な騒動も、まったく無かったけれどね。

 それよりも、調書の前で無言を通していて、捜査員を困らせていたとは伝え聞いたけれども。まあ、気持ちの中は、いくらでも後から言えるからね。

 「その後、事件の真相を話すことが、自分に課せられた責任ではないか?と、考えるようになりました」

 殺した後、考えついた「嘱託殺人」が、「真相」なんですかあ?

 事件の前、彼女から、「家族を殺す」という無料アプリLINEがあったが?と問われ

 「自分が、彼女から家族を守ったという気持ちには、なりました」という。

 だが、その文面は、激情のあまり、そのまさに瞬間だけ、彼女が思わずスマホに打ち込んだ言葉。

 実際に危ないナイフや包丁など危険物は、彼女の小型車のなかにも無かったことは、すでに書いた。

  その家族は、全員、勝山市を事件後離れ、正式離婚後も、2度とよりを戻すことは、無い。

 2児は、今はまだ幼いが、やがて成人になっても、父を慕う感情が戻ることは無いであろう。

 お姉ちゃんと呼んで、なついていた、父に惨殺された若く明るく素直な女性を良く知っているだけに・・・・・。

 検察官による尋問に、格別、特記すべきものは意外や無かった。

 これまでの、被告人の事実関係とはとてもかけ離れた供述や、誰しもが分かる矛盾発言や、言い訳などの数々。

 この場に及んでも、自分の話すことが「事件の真相」だと言い張る「魔王様」。

 反省の「は」も、後悔の「こ」の字も出ぬまま、被告人質問は、たんたんと終幕した。

 まだ若い男女2人の検察官は、裁判員裁判官の6人に対して、もはや、さらに重ねて理解してもらい、強調し、納得してもらうことは、もう無いと協議の上、判断したように思われた。

 次に証言台に立ったのは、「被害者参加制度」に基づいて、「意見陳述」をする菅原みわの両親。そして、傍聴席では常にそのそばにいた若い女性2人。

 やっぱりか、みわの妹たちであった。

 母は、言う。

 「娘を返してください!」 「生きて返して、欲しい!」

 殺害されたあと、所定の医学的検査・所見・解剖が済んだのち、彼女の遺体は、千葉県に住む家族に引き渡されている。

 「その姿を見はしましたが、アレから1年半ですか、経った今も、私の心のなかでは、娘の死を受け入れられないままでおります」

 「娘の遺体を返されまして、自宅まで車で運び入れて、フトンをかぶせて静かに寝かせてやりました」

 「最初は苦しそうな表情だったのが・・・・・・なにか、時間がたって、安心しきったような表情に変わりました・・・・・」

 「やはり、生きて、返して欲しかった・・・・・」

 父は、今も悔やんでいると言う。

 「大学を休学してまで、福井県の勝山に行って、とんぼの研究をして、先生に付いて学んで暮らしたいと、娘のみわが言ってきた時、許さなければよかった。反対すれば、こんなことにはならずに済んだかもしれないと思うと・・・・・。今も、そのことを、悔やんでおります」

 「あの時、反対し、引き留めておけば・・・」

 「娘を、被告人に引き渡してしまった私が、張本人です」

 気持ちを、極力抑え、言葉を選び、選び、後悔し、語る両親。

 それだけではない。1年半たった今でも、自分を責め続けている父。

 すぐ近くにいる被告の表情は、さほど変わりはしないままだ。うつむきも、しない。

 娘をすべて、心身ともに支配下に置いた「魔王様」は、罪を受けても、彼の母が思わずクチにした、生きて「社会復帰」出来るのかも知れない。

 つい最近、1人を殺害した被告に、裁判員裁判で死刑判決が下されたが、この絞殺事件は、どんな結末を迎えるのであろうか・・・。

 娘にしたように、この被告人も、他人の手によって絞首刑になる可能性は無いのであろうか?

 さぞかし、失神後も、苦しかったはずだ。

 一方、菅原みわの妹である若い2人は、姉を汚すかのような、相次ぐ「精神障害」の言葉について、悔しさと怒りをぶつけた!

 「姉について、この法廷で”障害”という言葉が多く出ました。ソレを聞いた、何も知らない第三者が、姉は(精神が)おかしい人間だったというふうに誤解しやしないかと、とても心配しております」

 被告人に対し、余りに一途に溺れ、愛し、没頭し、文字通り心身を終生、息こと切れるまで捧げた姉。

 ゆがんだエリート意識を持った「魔王様」。天下の東大率にもかかわらず、菅原みわと急接近したときには、経済的に明日をも知れぬ、「非常勤講師」の低い身分。

 いつだってすべて正しい「オレ様」が、その、くすぶる不満を、慕ってくる菅原みわを「完全支配下」にして押さえつけることによって辛くも、維持していた。

 明るかった彼女が自分を「自己否定」してしまうほどに、変えさせてしまった。愚かで、危険極まりない所業。

 ただの17歳差の「不倫関係」なら、こういう悲劇的惨劇には、そうは至らない。

 変なハナシだが、彼女が、男ズレしていれば・・・・・それまでに、恋愛を多く重ねていれば・・・・。

 妹は、言う。

 「姉は、被告を知ってから、雰囲気がすっかり変わりました」

 とどめの悪行の、姉の携帯電話を粉々にして、雪の積もる川に放り投げ、発見されないようにするなど、数々の証拠隠滅にも、妹たちは意見を述べた。

 「もう、姉が生きていた時の、本当の”真実”を知ることが出来ません」

 「被告人のやったことに対して、今は不信感しか残っていません」

 父が、またも感情を押さえつつも、言った。

 「自分のやった事件なのに、この法廷での被告の言動は、信じられないほど、どこか他人事みたいな態度でいる」

 「心からの反省や、後悔がまったく見られない!」

 聞きつつ、その通りだと思った。

 この日に、続けて行なわれる予定だった検察官による、「論告求刑」は、不安定な台風16号の風雨の余波を考慮し、翌日の21日に順延となった。

 21日は、あらかじめ、こういうこともあるため、「予備日」として組み入れられてあったため、検察、弁護、そして裁判員にも支障は無し。

 外は、菅原みわの気持ちを表すかのように、強い涙雨がとめどもなく、降りしきり、舗道を濡らしていた・・・・・・。


福井県勝山市「赤とんぼ先生」こと、前園泰徳・被告人質問で激白!「2回目までは失神していて、生き返ったので、3回目には両腕で絞め殺しました」 (後篇)

2016-09-21 13:01:55 | 事件

 少しでも、自らの罪を軽くしたい。出来るなら、人を殺しても、無罪になりたい。例え、自分の話していることが、矛盾だらけでも、バレバレでも罪を逃れたい・・・・・。

 なんとも、怒りを通り越して、やりきれない気持ちになった「被告人質問」の第1回だった。

 人間の根っこには、確かに、ソレが有りはするんだろうけれど・・・・・。

 人間という動物は、かくもあさましい生き物か、と。まだ、秋空を飛び交う「赤とんぼ」の方が、純で、すがすがしい。

 9月16日、第4回公判。福井地裁、1階、1号法廷。午前9時半、開廷。

 この日は、弁護人側からの、被告人質問

 検察側、及び、絞殺された被害者の両親や姉妹。彼らの依頼によって組まれた弁護団からの質問。並びに、裁判官3人、裁判員6人から出るかも知れない質問は、次回第5回に回されている。

 以下、前園泰徳・被告(写真下・左側)のウソ、矛盾、虚偽が散りばめられた答えを、並べていきます。

 

 被害者である菅原みわ(写真上。右側)と、肉体関係を結ぶようになったのは、「2011年9月ごろから」と話す。

 年齢差、実に18。

 ということは、東邦大学の理学部、非常勤講師になって間もなくだ

 この頃、とんぼ研究、捕獲のための「野外実習」が、前園の指導で実施されるようになっており、被害者も参加している。

 すぐさま、愛人・不倫関係に陥ってしまった。当時、菅原みわは、21歳。

 その後、約1年間、その関係は続いていたと、被告人。

 以降、トータル3年半にわたる愛憎が、続くことになった。

 傍聴席で、彼女の両親や、2人の妹と思われる若い女性は、身じろぎもせず、聴き入っている。その心中は、推しはかるほか無い。

 やがて、被告人が言うには、彼女に「セクハラ騒動」が起こり、自殺未遂を起こしたりしたため、関係は少し遠のき、途絶えたと、言う。

 だが、「セクハラ騒動」などは、実は無い

 すでに同大勤務の女性カウンセラーが証言したように、自殺未遂は行なった。しかし、最も知るべきカウンセラーですら知らない、幻の「セクハラ騒動」。

 そのセクハラによって、「自殺をほのめかすようになりました」

 何に付け、架空話しをでっち上げ、他人のせいにしようとする前園泰徳の性格が、さっそく露呈した

 自殺をほのめかし、未遂まで起こした原因は、前園との関係なのに・・・・。

 そこで、すぐさま再び、肉体関係が戻った。憐れみの感情が、切れかけた糸を結んだ。

 前園によれば、「それは2013年9月ごろから」とのこと。

 このテの期間さえ、短く言おうという、前園・被告の心理。

 福井県勝山市でも、むろん関係は続いた。ちなみに、大学のある福井市と、2人の住まいがあった勝山市は、隣接こそしていないが、「えちぜん鉄道」の電車1本で行き来出来る、近い距離にある。

 「去年の2月に、殺して、と言われました。その時は、いざとなったら殺してやるから、その時までちゃんと生きろと、言い返してやりました」

 弁護人による質問は、やさしい。矛盾が透けて見えても、厳しく問いたださない。菅原みわから「妊娠したみたいです」と告白されたことなど、問いもしない。

 2015年の3月。事件当夜

 菅原みわが、自宅に向かって来るという連絡があった。

 家に来て、奥さんの美樹さんと子供さんに、この関係をばらす。大学にも、全部ばらすからという文面。 あわてた被告人。

 3月とはいえ、雪がまだ多く残って積もっている家(写真左下)から、スリッパのような簡易サンダルがけで、外へと飛び出した。

 

 彼女の小型車が走ってくるはずの方の大通りまで走って行き、寒さもいとわず、彼女の部屋に車を走らせた。

 その姿は、実は近所の人に見られている。

 被告は、言う。

 「彼女は精神的に、おかしい状態になっていた」

 「あわてていたので、サンダルをはいて外へ出てしまいました」

 「すぐ(出てきた彼女の)車に乗り込み、落ち着かせようとしながら、遠くへと車を走らせました

 この際の、ドライブレコーダーの記録は、絞殺後、被告が破壊し、捨て去っているのだが、走らせた方向は、彼女の下宿方向でもなく、市街地でもなく、ひたすら郊外、山の方へと車を走らせていた

 その道は、被告にとってはとんぼを採る際の、かって知ったる道だった。事件当日のような、厳冬ともなれば、人どころか、車さえめったに走らない道(写真下)であることを。

 そのことを、知られたくなかった。だから、破壊した。

 この時点で、被告は、どのような方法で有れ、彼女をもはや殺すしかないと徐々に思い始めていたように想う。

  

 ソレしか、自分が助かる道は、無い!と。

 被告は、さらに言う。

 「車を走らせながら、説得を試みました」

 「しかし、彼女はあなたが殺してくれないのなら、私が殺しますと言うのです」

 被告人のいう、殺す相手とは、魔王様ではなく、家族、妻子だと言う。

 はあ?????

 「もう、無理です。そう、彼女は何度も繰り返して、言うのです

 「首を絞めてくれるように、何度も頼まれました」

 そして・・・・・一本橋のたもとの、北方向の、走行中の車にさえ見えにくい陰の位置に車を停車させており、彼女の首を手で絞めた! 

 一度、絞めてから、暖をとろうとエンジンを掛けたところ、そのわずかな振動で、彼女は苦しそうにしながらも、息を吹き返したという。

 もはや、鬼畜。

 2度目の首絞め!

 だが・・・・・絞め方が浅かったのか、被告の手の、のどへの食い込みが弱かったのか、そのあとも、息を吹き返した。

 「2度目までは、失神していたように思いました」

 「車を動かすと、その震動で、目が覚めたようです」

 「彼女が死ぬのを止めさせるために、首を絞めて、苦しませるつもりだった

 はあ??????????????????????

 「殺してくれるように言ったのに、泰徳さんまで裏切るんですか!?と言われて・・・」

 「さらに強く締め殺して欲しいと言われたので、両腕でより強く彼女の首を絞めました」

 3度目の正直か。今度は息を吹き返すことは、永遠に無かった・・・。

 「最後は、彼女をラクにしたいと思って、絞めてしまいました」

  まさに、「魔王様」そのもの。

 「もう、諦めの気持ちでした」

 気を落ち着かせたその後、魔王様は、ひたすら冷静沈着に、証拠隠滅に走る

 本当に「嘱託殺人」なら、そのようなことは、普通、しない。認められれば、ヘタすると、執行猶予さえ付く。

 だが・・・・・ドライブレコーダーや、携帯電話を次々と粉々に破壊し、捨て去った。事実関係を、隠したいために。

 ところが、魔王様。

 彼女の携帯電話は、その後、自宅に帰ったあと、自宅のトイレで流したと、あくまで主張。

 菅原みわの携帯は、断っておくが、スマホである。流れる・・・・ものであろうか?

 その作業が終わったあと、魔王様は、当時の妻に電話を入れる。

 菅原さんが、事故を起こしてしまった。救急車を呼んで欲しい、と。

 「・・・・事故死に見せかけたかったんです」

 この被告人の矛盾だらけの言い訳を、裁判員6人などを始め、彼女の両親や、傍聴席に座って、耐えるかのように聞いていた2人の妹らしき女性たちは、どのように受け止めたのであろうか・・・・・。

 次回は、台風16号の余波で、朝から強い雨が舗道を叩き付けていた9月20日に、開かれた。

 

<後篇 終了 >

 

 


福井県勝山市「赤とんぼ先生」こと、前園泰徳・被告による絞殺事件。第2~3回公判での「証人尋問」。続く、第4回の「被告人質問」で明らかにされたコト (中篇)

2016-09-20 20:51:07 | 事件

 テレビのワイドショーに出て、井戸端会議のおばちゃんの如く、見知った切り張りの情報だけで、想像加えてモノ言っている、テキトーなコメンテーターたち。

 そんな”低度”の者が、裁判員裁判の証人席に立ち、したり顔で、被告人の弁護側の要請に応じて「仮説」をとうとうと話しまくった。

 傍聴席で聞く者が、いささかあきれ果てるのも、かまわずに。

 そんな印象だけが残った、第3回公判であった。

 この日の傍聴希望者、ソレを事前に感づいた訳でもないだろうが、また減って68名。76席のイスに全員無抽選で、すんなり座れた。

 この日、9月15日は、午後1時20分開廷と遅め。

 ちなみに、裁判員には交通費の実費以外に、1日あたり、約1万円が、後日振り込みで、日数分が支払われる。

 証人にも、約1万円が当日終了後、交通費と共に支払われるが、この費用は裁判員のように、国が負担しない。負担させられるのは、被告人だ。

 この日は、検察側、弁護側、双方からそれぞれ要請があった精神科医師が計2名出廷。夕方一杯まで、証言が続いた。

 そもそも、この「精神科医師」なるもの。

 マスコミに登場する者に限って言うだけでも、自分が診察受けて、ず~~っと入院したら? その方が良いよ、と言いたくなるオヒトばかり。

 まず、目がたえずキョロキョロとして、視点が定まらない。相手を、しっかりと正面から見ようとしない。

 なぜか、女も含め、ほぼ全員が、ド近眼。ぶ厚いレンズ付きのメガネを掛けている。

 しゃべりが、早口で、言葉と言葉の切れ目がハッキリしないばかりか、大体、言っている内容が、シロートが考え付く程度のことしか話せていない。

 犯罪心理学を標榜する精神科医師ともなると、さらにひどい。

 そこいら辺のおじちゃん、おばさんでも想像付くような犯罪者の心理しか言えない。

 まるで、河童のお皿のような、見え見えのカツラをかぶった男性精神科医。彼だけでなく、他全員がそうなのだが、想像を働かせて犯罪動機や、被疑者の心理状態の変遷を、したり顔で「怪説」。

 ところが、公判廷が始まり、事実が詰められてゆくと、すべて的外れの連発! 

 長い取材経験で、いかにこの種族がデタラメか、当てにならないか。嫌と言うほど知っている。

 なので、この日も、眉につば付けて、聞き入った。その表情や、視点の定まらなさまでは、背中越しには見えなかったが。

 まず、登場したのが、実際に生前の被害者・菅原みわを診察・問診した精神科医師。

 診たのは、被告人を追い掛けて福井県にまで来て住み着いた菅原みわが、生活に慣れ始めた2014年12月から、翌年の1月まで。

 わずか50日足らずで、5回もの診察を重ねていた!

 先の、東邦大学時代にカウンセラーの問診を受け、今度は福井に着いて間もなく、精神科医の問診を受けている。

 いかに、彼女自身が、情緒不安定と自分も感じていたかが、その軌跡を見るだけでも分かる。

 そして、その起因は、前園に恋をし、ズブズブ、ドロドロの不倫関係の深みにはまったことと、無縁ではない。

 だからと言って、精神病とは言い切れない

 人は誰しもが、ストレスや、悩みと言われるモノを抱えていることが多く、何一つ精神的な問題を感じていない!と断言出来うる人間は、いないと言っていい。

 なにしろあ~た! 8月の23日の夜、長期ロケのため、群馬県前橋市のビジネスホテルSに宿泊していた高畑裕太が、写真のような作りの部屋のベッドで、母親の高畑淳子と近い年齢の美熟女を襲い、「強姦致傷」の罪に問われ、不可思議な結末で不起訴にはなったものの、性欲過剰ではなく、「発達障害」だの、なんらかの精神病的病名を付けられて、その診察も兼ねてと、即刻逃げ込むように入院してしまう始末。

  

 ことほど左様に、精神病なるもの、かなりテキトー、かなり広範囲。何でもかんでも総ざらい精神病でございますぞ!という気がしてしまう。

 ちなみに、高畑裕太がゆうた通りに、途中から「合意上のセックス」が、このベッドで行われた、まさにその同じ夜。

 中村恥じの助べえと異名をとる、中村橋之助もまた股、京都の馴染みの腐れ縁芸妓・市さよと、こちらは東京のホテル・オークラで、密会浮気をしていた。 

 (週刊文春 より)         

  

 性器が太く、じゃない、「太く、不徳の致すところ」8連発囲み会見(写真左)では、ひたすら、あいまいにしてごまかそうとしたが、この一連の性行為もまた、ひょっとすると51歳になっても治らない、中村幸二(本名)の根っからの悪性「性唇病」かも知れないとさえ思うご時世だ。

 歌舞伎の名門といわれる家に生まれれば、よほどのバカでない限り、無試験、無審査で跡取りになれちゃう、甘い河原乞食の業界。

 襲名だって、辞退もせず、領収書無しの不明朗な現ナマ欲しさに、乞食根性丸出しで、恥ずかしげも無く、強行しちゃう。

 馬鹿でも、息子3人もなれちゃう安易な世界。くっだらない、馬鹿バカしくも、愚かな無競争の世界。いつだって、テスト無い、白紙答案。

 もともと、京都の先斗町(ぽんとちょう)とは、腐れチンコマンコの世界。

 筆おろしから始まって、お遊び。そこから発展しての、不倫関係、愛人、メカケ。もう、長年の悪習。

 その流れで、愛人芸妓に男児が産まれそうなら、妻に男児がいなけりゃ、平気で養子縁組して、跡目を継がせる。

 暴力団も腰抜かす「悪癖跡目システム」が、出来上がってしまっている。

 同じ芸能界でも、2世タレントは、ひと段落過ぎれば、競争世界にもまれる。例えば、先の同類”性唇病患者”の高畑裕太などを、メインで起用するテレビ局は永遠に現われないであろう。

  さて、精神科医師の、証言に戻ろう。

 この医師は、県内で在勤している。

 患者としての菅原みわに接して感じるのは、「自己否定」。

 先の女性カウンセラーに続いて、この言葉が、またも法廷で飛びだした。

 「この患者は、なにかと自己否定するなど、当初から、根底に強い不安感が感じられました」

 そうなってしまったのは、魔王様と愛人奴隷という、上下関係になってしまったからだ。

 自分は絶対に正しい。間違いやミスは無い、あり得ないと、かたくなに思い込んでいる魔王様は、ことあるごとに、愛人奴隷を叱りつけていた。小さなミスさえ、なじっていた。

 だけではおさまらず、ささいな彼女の欠点を、ほじくり回し、あげつらった。

 見事なまでに、心身ともに、自らの「支配下」に置いていった。

 結果、私は何をしてもダメな女。生きている価値が無いのではないだろうか・・・・・。でも、死にたくは無い。センセイにすがって、これからも生きていくしかない・・・のだろうか?

 結婚は出来ないの? 奥さんと別れても良い、と言ったはずなのに・・・。ただ、部屋で魔王様の来るのを、フトンを敷いて待つ女になってしまっていた。

 魔王様の、命令されるままのタダ働きの毎日

 仕送りしてもらっている、お父さんお母さんには、申し訳なさで一杯になっていった。

 出来ることなら、奥さんから奪い盗りたい!

 それが叶わなければ、いっそすべてを奥さんに、大学に、マスコミにばらして、魔王様の築き上げた人生を、メチャクチャにしたい。

 つのる激情の一方で、知り合うまで持っていた自分なりの自信が、魔王様の言動によって、ガタガタと崩れていっていた。福井県の勝山まで、熱い想いを抱いて、追い掛けて来たと言うのに・・・・。

もし、もし、この「赤とんぼ先生」と、こういう関係に陥らなければ、自己否定するまでになることは、まず無かったはず。

 かといって、この関係を断ち切って、「体調が、改善しました」との理由で、まず大学院に復学して、新生活をスタートさせるという決断までは出来ずにいた。

 不満と怒りを胸に抱えながら、ずるずる、ずるずる・・・・・。

 本来は、とても明るく、素直なごく普通の性格でしかなかったのに。

 取材によって、彼女の軌跡を丹念に追っていったことによる心理が、法廷でわたしの胸にくっきりと立ちあがってきた。

 菅原みわは、精神的にも、経済的にも、追い込まれていっていた。もうすでに、絞め殺される3ヶ月以上前に・・・・・。

 

 その、とても重い想いの積み重ねの挙句、彼女は、この医師にこのように診断されている。

 「精神的な障害にみられる、一般的な特徴は見られたものの、その病名を確定するまでには至らない程度と思われました」

 「ましてや、自殺願望などは、まったく感じられなかったし、無かった!と断定してもよろしいかと思います」

 「その程度の段階ですから、緊急的に入院などする必要性も、まったくありませんでした」

 検察官に、再度問われ、この医師は言った。

 「自ら死を考えているとは、まったく考えられません!」

 であろうな。

 そう改めて、想った。

 ところが!

 弁護側の要請によって証言台に立った、別の精神科の医師は、とんでもないことを、口走り始めた。

 この医師。肝心の菅原みわ自身には、ただの1度も会ったことはない。むろん、診察も。

 アタマにあるのは、先日の女性カウンセラーの簡易メモと、被告人の取り調べ段階の供述調書。

 そう、やむ終えなく、懇願されて、絞め殺したという、事実と証拠に照らし合わせると、矛盾だらけの嘱託殺人調書だ。

 それを、この他県からやってきたこの医師は、自分勝手にこねくり回して、以下のような仮説をとうとうと述べ始めた。

 「菅原さんが、精神障害を抱えていたことは、まぎれもない事実だ」

 はあ?

 「菅原さんが、大学院への復学をあきらめていた」

 えっ!? ンなことは無い。決められないまま、迷ってはいたが。魔王様が、自分の手足と、性欲の処理の場として、都合よくタダ働きさせるために、そう取り調べで供述したのだろう。

 自分のもとでしか、お前のような女は、生きていられないんだからな、と、常日頃、彼女に言いくるめていたことは、事実だが。

 自己否定と、「生きているのが、辛い」というのは、そこから発した言葉だ。

 「復学をあきらめたことで、就職が出来なくなった」

 はあ? んなことは、まったく無い。とんぼの研究では、結構、事実上、魔王様に先んじていたし、先の記事で書いたように一般企業にはいつだって就職可能だった。

 それが、魔王様には、気にいらなかった。

 「そのため、被告人と一緒に生きていけなくなるのではないか、と絶望感に襲われた」

 はあ? 魔王様の、支配下の愛人奴隷としてか。そう思い込ませようとしてはいたが・・・・。

 「次第に、被告人に殺してもらおうと考えるに至った」

 はあ? おいおいおい、三段跳び論法かよ?

 「被告自身も被害とつきあい、被告自身も精神的に追い込まれていった」

 追い込まれていったのは、上記のこと。自分の身だけを、ぬくぬくと守り続けたいから、なんだけどなあ・・・・・・。

 「そして、被害者の(殺して欲しいと言う)望みを、受け入れることになった」

 ええっ! 

 「推論として、殺害の嘱託はあったと考えられる

 いやあ・・・・・・

 いくら、弁護側の要請を受けたとはいえ・・・・・・

 入子光臣・裁判長ら、ありとあらゆる証言を法廷で聞いてきた「職業裁判官」はともかく、一般人としての「裁判員」は、この証言をどう聞いたであろうか。

 次回は、魔王様こと、被告人質問が、2回、2日間に分けて行われる

 衝撃の内容も含め、それは後篇で明らかにする。

 < 中篇 終了 >

 

  

 

 

 


福井県勝山市「赤とんぼ先生」こと、前園泰徳・被告による絞殺事件。第2~3回公判での「証人尋問」。続く、第4回の「被告人質問」で明らかにされたコト (前篇)

2016-09-18 19:25:28 | 事件

 9月12日の初公判の模様は、すでにお伝えした通りだ。

  左側の、前回掲載した写真。左の女性が、殺された、菅原みわ。当時、25歳。千葉県にある「東邦大学 理学部大学院生」だった。

 彼女を絞殺したのが、右側の前園泰徳(まえぞの やすのり)。

 彼が、1回講義していくらだけの収入不安定な非常勤講師を、先の東邦大学でしていた時、彼女と親しくなり、師弟関係から、愛人関係に陥った。

  もう一歩踏み込んで言うなら、不倫関係でもあった。前園には、妻がすでにおり、男女2人の子供までいた(写真左)。

 事件発生後、逮捕拘留され、夫が起訴された昨年の4月3日以降、妻から「離婚」の申し出があり、拘留中から、人を介しても含め、数回のやりとりの末、泰徳は納得。

 すでに戸籍上は完全な他人になっている。子供2人の親権もまた、前妻に移った。

 その「前妻」は、証人として呼ばれたが、出廷を断り、法廷に姿を現すことは、無かった。

 殺害者の元夫と、殺された彼女のことは、数年前から、うすうす感づいていたようだ。なにしろ、家族して、彼女と親しくしており、一緒に車で行楽に出かけてもおり、子供2人も菅原みわに、なついていたのだから・・・・・。

 すでに前園泰徳は、先の非常勤講師時代に、菅原みわの住む、1人暮らしの部屋に行き、彼女の作った料理を、彼は上のクチでゆっくりと心ゆくまで味わい、その後、彼女の下のクチに自らの性器を挿入。 

 御礼代わりに、今度は入れ替わりの体勢で、彼女を心ゆくまで味わい、彼女を心ゆくまでイカセタ。

 そのことすら、妻の勘でかぎ分け、気付き始めていた可能性すらある。

 法廷で、姿をさらしたくないばかりか、そんな経緯も含め、長年に渡る愛憎入り混じった本音が混じり合った証言をしたくなかったというのは、理解出来なくも無い。

 さて、法廷に呼ばれて、証言をした方たちの内容を、かいつまんで列記してゆく。

 第2回公判。

 なんと、傍聴希望者は、92名。76席の一般席。だから抽選が行われたものの、約1・2倍。

 196名もいた初公判の、半分にも満たない激減ぶり。希望者の気持ちと流れって、やはりそんな程度なのであろう。「並び屋」は、いなかったように見えたが、意外や、いたのかも?知れない。その人達は、決して第2回には並ばないから。雇うマスコミも、激減するし。

 わざわざ並んで落選した、たった16名の本気の希望者の想いは、よく分かる。私自身、かつて何度か経験したことがあるので・・・・・。

 さらに書くなら、翌日9月15日の第3回公判傍聴希望の列に並んだのは、わずかに68名。

 抽選は行われず、すんなり全員が傍聴出来た。今後の公判も、判決日を除いて、そのような流れが続くのではなかろうか。

 真っ先に証言台に立ったのは、被害者の菅原みわが在籍していた東邦大学の、女性の精神カウンセラー。

 菅原を担当したのは、2人がすでに1年半近く不倫関係にあった、2014年の4月から。

 当時は2人とも、まだ東邦大学にいた。

 菅原に接した印象を問われると、彼にそろそろ見捨てられるのではないか?という不安感がみられたと言う。

 彼に対して、とても依存的。全面的に、頼り切っていた。それだけに、見捨てられたらどうしよう?という、常に心が不安定に大きく揺れていたように想う、とも。

 さらに彼が、福井大学に移ることが決まった、その年の9月。

 危ぶむことが起きてしまった。

 菅原みわが、自殺未遂騒動を起こしてしまったのだ。

 未遂で終わったものの、そのことを知った前園泰徳は驚き、しばらくは一転、親身になって、菅原みわに接してくれたという。

 死ぬというような似た打算的行為を示せば、この男は親身になってくれる、かもしれない?という計算的な想いが、そのときに芽生えた可能性はあるし、それは感じられた。

 だが、それは、実際に本心から死にたいという想いとは、まったく別のもの。彼女自身、死ぬ気は、その希望も望みも、まったく無い、と。

  だが、その直後、家族と共に、前園は勝山へと旅立ってしまう。そんな前園を追うように、菅原みわは、「体調不良」を理由に書き、休学届けを東邦大学大学院に提出し、見た目も元気に勝山市に引っ越していった。

 このカウンセラーは、もう一方の前園にも事情を聞いている

 だが、その言動たるや、尊大そのもの。

 自分が正しいと思い込んだことだけが、常に正しい。それ以外は、正しくない。そう、かたくななばかりに、思い込んでいた性格。

 それを、さりげなく指摘したりすると、激高し、カウンセラーに喰って掛かったりすることもあったという。

 菅原みわに対する、心配りや、やさしさなどのカケラも、感じられなかった印象を持っている。

 カウンセラーに対して、菅原みわは、「死にたいくらいに辛い」とクチにしたことはあったが、本気で死にたいと想っているようには思えなかった

 今回の絞殺事件の際、被告人となった前園泰徳が、車中で何度も菅原みわ自身が「死にたい」と言ったと言っているが?という質問に対して 

 「本気で死にたいとは思っていない!と思います。もし、仮に言ったとしても間違いなく、それは本心から出た言葉ではありません」と、キッパリ自信を持って言い切った。

 また、菅原みわが、次第に先の前園泰徳への全面依存から、自立し、むしろ心理的にも対等の立場に立とうと努力し、そうなろうと努めていたという、月日の変貌ぶりも指摘した。

 さらに、取材結果から言えば、

 現場検証などから、さかんに菅原みわが、「死にたい」と繰り返していたと、前園泰徳が供述していたが、死ぬためのヒモ、ロープ、薬物、ナイフ、包丁などはまったく発見されていない。

 また、菅原みわが、独占欲にも似た恋愛感情がつのり、犯行直前とその前、前園泰徳に当てたメール等で、前園の「家に火を点けてやる」と書き、自分の小型車を発進させた・・・・・と前園は供述しているのだが

 その車のなかには、灯油も、ガソリンも、火種にする大量の紙類どころか、ライターもマッチも無かったし、発見されてもいない。

 このあとの証言台には、初公判の際には傍聴席に座って、検察側の冒頭陳述や、前園泰徳・被告や、彼の弁護側の反論を揃って聞いていた菅原みわの両親が証言台に立ち、証人として聞かれ、話した。

 献身的に前園の無給の助手となり、手足の一部となって立ち働いていたため、仕送りを今まで以上にしていた、千葉県に住む両親。

 遠い福井市に交通費までかけて赴き、連日宿泊までし、さらに被害者参加制度を利用して数人の弁護士まで雇い入れ、被告人への反対尋問もしてもらう予定でいる、この両親の経済的負担。加えて精神的負担は大変なものであろう。

 娘が生きていれば、26歳。

 被告人では無く、普通の神経を持った男性と普通に結婚して・・・・いたかも知れない。

 一方、就職して専門家への道も、あるにはあるが、実は良いところは無い。

 小型ロケット発進・製造を始め、人工精密ロボットの製造・開発を推し進める先鋭的な、近くの千葉工大と違い、東邦大学には、大学院生や研究室員はいるが、官(国や県)からも、民(間企業)からも、どこからも何の援助も無いし、引きも無い。

 菅原みわがいた理学部の卒業生は、例え、大学院に進んでも、大企業の研究所にもぐり込めれば良い方。

 大概は、専門知識が活かせそうも無い、ただの一般企業のサラリーマンや、OLに納まるのが殆んどだと聞いた。

 だからこそ、大学院に進み、「うなぎ」ほどでは無いが、「とんぼ」という、あまり解明され尽くしていない生き物への生態に関心が向けられた可能性は大きい。

 そこで、唯一の女性研究家として名を成せば、准教授、教授、もしくは専門研究職への道へもひらける道も残されていたかも知れない。

 だが、独裁者の「魔王様」は違っていた。

 そして、そんな道も、いつしか、ついえた。

 菅原みわの母は、語った。

 「娘から、死にたいとか、わたし、死んでしまいたいとか言う言葉も、一度も聞いたことは無いし、自殺をほのめかすような言葉を聞いたことも、まったくありません」

 父もまた、同様のことを言葉で追って重ねた。

 被告である前園の教鞭をとる姿を知っており、学生や娘には、絶対的信頼を持たれているように感じたとも言った。

 一方、続いて証言台に立った、前園被告の、見るからに老いた母親は、身を小さくして証言台に座った。

 本来であれば、息子の泰徳は、天下の東京大学に合格したうえ、その大学院まで進んだばかりか、その後も、九州大学や京都大学の、旧帝国大学院でも学び、結婚もし、母からすれば孫の2人も出来、「赤とんぼ先生」として地域の一部で誉めそやされており、周囲に胸張り続けて誇れる息子であった・・・・・はず。

 それが、道を踏み外し、法廷内の近くにいるこの時は、手錠も腰縄もはずされてはいるものの、「それでは、本日はこれにて閉廷します」の、入子光臣・裁判長の声が発せられるや、傍聴人が去ると同時に、再び手錠を両手首にしっかり掛けられ、腰縄(ロープ)を掛けられ、福井刑務所構内にある「福井拘置所」に引き立てられ、連行され帰還。

 冷暖房も扇風機も、まったく無い、拘置所。過ぎ去った冬には、多くの雪が降り、凍える寒さも独り、嫌と言うほど体験した。

 離婚していなければ妻が差し入れていたであろう、夏には汗まみれになったことによる着替えや、新しいシャツ、下着類などは、遠く離れて暮らしていたこの母が行なっている。

 この日は、その元が付いた妻が、証言台に立つことを拒否。

 いわば、代わりに、被告人の援護の意向で立たされたのが、この実母であった。

 弁護人から、事前の打ち合わせで、おそらく言いきかされたのであろう。

 昔と違い、今は1人殺した程度では、死刑にも無期懲役にも、おそらく通常はなりません。いつか息子の泰徳さんは、例え最高裁まで審理がいったとしても、生きてお母さんの元に還ってきますから。ご安心してください、と、

 んなもので、ひたすら平身低頭で次のような言葉を繰り返した。

 いつになるか分かりませんが、息子の泰徳が、刑期を終えて、社会復帰を果たしたあとは、自分たちの目の届く範囲に置いて、しっかりと監督したいです。それをこの場で、お誓い申し上げます。

 だまって、目を伏せがちにして聞き入る被告人・前園泰徳。

 だが、2度と生きて帰ることのない娘を絞め殺された両親

 それも被告人のその、法廷から見える両手で、「生き返って来たので、3度も絞め殺してしまいましました」と数日後の被告人質問で飛びだしたその生々しい有り様も加え、彼女の両親は、内心、法廷でどんな気持ちで、「社会復帰」という漢字4文字を耳にしたであろう・・・・・と思うと、たまらない気になる。

 また、ソレを聞いた、裁判員の6人はどう感じたであろうか。

 福井地裁を後にする、足取りは、重い・・・・・・・。

 <前篇 終了 >

 


< リアル ボクシング ルポ> 長谷川穂積、本当に勝ったの!? 相手が、試合放棄?う~~~ん・・・・

2016-09-16 22:59:38 | ボクシング

 正直、「結果」に、ただただ、驚いている。

 おそらく、内心、一番驚いているのは、長谷川穂積自身であろう。

 ボクシング業界の人間で、この結果を、予期出来た人間は、果たしているであろうか?

 決して、負け、惜しみではなく、だ。

 まだ、試合の動画映像を、見ていない。

 落ち着いたら、記事化します


< リアル ボクシング ルポ> 長谷川穂積、「まだ」と「もう」。2年5か月も迷い、揺れた末の、最後の「けじめ」をつけるための試合の結末は・・・

2016-09-16 01:31:01 | 元プロボクサー

 かつては、こんなシーンもあった、長谷川穂積(ほずみ)。事実上の、「元プロボクサー」と言って良い。すでに、35歳と9ヶ月を数えるまでになった。

  9月16日、彼は大阪のリングで、最後の試合を行なう。

 「負けたら、引退します」

 そう、早くから公言している。

 絶対に勝つという言葉は、ただの一度もクチにせず。ましてや、ベルトを奪い取りますという言葉も、無いままに

 減量苦に、人並み以上にあえぎ、引退するのか、しないのか、定かにキッパリと明言することを避けて、今日まで、ファンの心を、ずるずる、ずるずると賢く、あいまいにしたまま、引きずってきた。

 2階級のチャンピオンベルトを、かつて、確かに腰に巻いた。

 リング上のトランクスを見ても分かるように、スポンサーは数多く、現役のときは、試合のファイトマネー以外に、年収3000万円前後を手にしていた。

 だが、リングとジムから遠のいたあとは、持っていた時価300万円の腕時計などを切り売りして、生活費を捻出してきた。

 練習を継続せずして、「まだ、やれるか?」、いや、「もう、ダメだろう・・」の、心の中での葛藤の、繰り返し。

 この2年以上、しばしば上京しては、後楽園ホールに姿を現す、ジムの山下正人・会長に、長谷川穂積の今、を質問すると、ギラッと、いかにも元・暴力団担当の凄腕刑事らしく、すごみの効いた目で、こちらをイチベツするだけ。

 一言も、答えない。

 かつて強打を誇っても、プロボクサーが1年近く、試合のリングに上がらないと、すごい恐怖感を感じると言う。

 さらに、怖いのは、勝負勘や、当て勘が失せてしまうこと。

 ましてや、2年と5か月。

 それで、カンタンに世界のベルトを獲れるような、甘い世界ではない!ことは、長谷川穂積自身が、一番よく知っているはずだ。

 この試合に向けて、先日、ボクシング・マスコミ向けに「公開練習」を行なった。

 だが、仕上がりと、調整ぶりを推し測ることが出来る、スパーリングはせず。

 ミット打ちと、サンドバッグ打ちで、お茶を濁し、ごまかした。

 減量に、相も変わらず、ものすごく苦しんでいるのは、その体付きを見れば、一目瞭然であった。

 「まだ、もう」「まだ、もう」。

 迷い、行きつ戻りつ、揺れ続けた末の、「けじめ」をつけるための最期の試合が、今日、ある。

 やらないまま引退するよりは、やってみて・・・・・ああ・・・・やっぱり、だったか。。。

 自分のカラダで、現役時との差を、これでもか!と、いやというほど、身に染みて知るはず。

 そう想うはずの、いわば確認のための試合。

 おカネも、しこたま入るはず。

 奇跡、は起こらないだろう。

 先に、書いておこう。

 お疲れさまでした、と。

 

 


「赤とんぼ先生 絞殺事件」の裁判、やっと始まる。報道されない真相と深層の裏側。「嘱託」の主張は、裁判員の胸に届くであろうか・・・・

2016-09-14 00:14:17 | 事件

 事件が起こったのは、まだ雪深い1年半前の、昨年3月12日

   福井県勝山市郊外にある、村岡浄土寺の一本橋のたもと北側の人目に付かない場所(写真上、2点)に深夜、被害者の軽自動車を停車させ、そこで首を絞めて殺害した。

 見えるのは、雪明かりだけであった。

  殺したのは、写真右側の前園泰徳(まえぞの やすのり)、福井大学大学院特命准教授。逮捕、拘留後の3月31日付けで、その職を解任された。

 むろん、特命ゆえもあり、退職金も、慰労金も無い。現在、法廷で自らの職業を、裁判長から問われ「無職です」と答えるしかなかった、44歳。

 解任は、決して「社会的制裁」の意味合いは無い。もともと、保障無しの、1年ごとの更新でしかなかったのだから。

 逮捕、長期拘留ともなれば、教室で教えることすらかなわないのだから。当然の流れだ。

 とはいえ、弁護側は、最終弁論で、コレを「すでに、社会的制裁を受けており・・・・」との弁で、減刑を求めてくるであろうことは、今から予想出来る。

 殺されたのは、左側で笑顔を見せていた、菅原みわ。当時、25歳。千葉県にある東邦大学の大学院生。

 数年前、そこに教えに来ていた殺害者と知り合い、尊敬の念を込めた師弟関係から、愛人関係に。

 加害者専攻の「赤とんぼ」の生態研究のため、大学に籍を置いたまま、彼を追って、彼女もまた勝山市に。

 勝山の山中や丘には、さまざまな種類のとんぼが多く生態しており、絶好の研究の場であった。

 と同時に、勝山市にとって、町おこしの起爆剤にしたい願いがあり、加害者を「特命」にまで推した背景があった。

 だから、一時的な「特命」。あくまで1年ごとの、更改。定年までの身分保障といえるものは、何も無い。

 それでも、地元の人々や幼児相手の、「あかとんぼ教室」的な催しはあり、2人は喜び勇んで赴いて、話した。

  

 

 被害者は、市内の民家の2階に下宿。家主とは別の外階段で、玄関に至る。

 人の目を気にしながら、逢瀬を重ね、体を重ね、文字通り、身も心も捧げる毎日に。

   

 加害者には妻だけでは無く、男女の幼児もいた。

  ソコに被害者も顔を出し、何食わぬ顔をして、内心隠して、家族ぐるみのつきあいで、行楽にも同行していた。

 この加害者家族が住んでいた借家には、事件後、もはや妻子はいない。

 誰が名付けたか、「赤とんぼ先生」。

 25歳になっても、千葉県にいる両親からの仕送りに頼らざるを得なかった、被害者。

 愛する先生は、次第に態度尊大になり、命令口調。

 「魔王様」と、被害者は心で叫んでいた。

 なにしろ、「千葉まですぐ車で行って帰ってこい。コレ、もらってこい! いいな!」と命じ、終わっても、御礼の言葉どころか、ガソリン代すら払ってくれなかったという。

 魔王様にとって、自分の手足のように、365日、24時間、自由自在に動いてくれる、都合の良いオンナ。それも、タダで。

 そして・・・・・とどのつまりの・・・「愛奴隷」を殺害。

 すでに記事化した部分も含め、記述を重ねた。

 初公判は、やっと9月12日、私の既報通り、福井地裁(写真左下)、1階の大法廷といえる1号法廷で、午前9時半に開廷された。

  古色蒼然たる地裁の建物。

 その周囲には、196人の傍聴希望者が並んだ。年代、男女比は、とても幅広い。あらゆる世代が並んだ。並び屋のアルバイトは一見した限り、見えなかった。

 1号法廷には、全部で96席の傍聴席があるのだが、記者クラブ所属記者の分に加え、検察、弁護側の関係者、そして、絞殺された被害者の両親が来ており、その分20席を除いた76席が、一般傍聴席に割り当てられた。

 というわけで、約2・6倍弱に。

 14日からの連続集中審理では、「集まった人数が76席に満たなければ、先着。1人でも多ければ、抽選となります」と、庶務係の担当者。 

  法廷の代表撮影写真。

 裁判報道を、よく目にしている読者は、アレッ?と想ったはず。

 大抵は、傍聴席に全員が座り終わった後に、撮影。

 ところが、福井地裁は、違った。

 「午前9時から、抽選開始いたしました。開廷前の、その間に混乱を避けて撮影しましょうということになりまして。ですから、こんな写真になったわけです」

 「えっ? 他の地裁や高裁は違うんですか? 午前8時とかに抽選? 開廷は、午前10時? 撮影、9時55分? はあ、そうなんですか? まったく、他は知りませんので。今後も、抽選になった場合は、同じく午前9時から行なう予定です」と、またも庶務の声。

  法廷、最上段、中央に、入子光臣(いりこ みつおみ。写真上)裁判長。

  入子の下に女性の南・書記官が陣取る。左右に、熊本大輔と、河本薫、両裁判官。

 撮影後に、選ばれた裁判員6名が、おごそかに、且つ、緊張気味に、左右に座る流れ。

 上記法廷全景の、向かって左下に位置するのが、法廷立ち合い検察官。今法廷では、男女各1名。その後方にいる3名。

 今回は、被害者側の両親が、参加制度を使って依頼した弁護団、男2名、女1名の、計3名が、参加。

 今後、被告人質問などに加わると思われる。

 向かって右下には、加害者の私選弁護団。主任弁護士以下、計4名が座った。

  主任は、福井県下でも知られた有能な弁護人で、全国でも報じられた「大飯(おおい)原発稼動差し止め訴訟」弁護団に加わり、力量を発揮した正義感でもある。

 検察官による「冒頭陳述」で、前園泰徳と菅原みわ。つまり、加害者と被害者は、不倫関係、愛人関係にあったことを公表。

 死人にクチなしではあるが、携帯電話のメールなど、状況証拠や、先の被害者の部屋を見れば、分かることでもあった。

 だが、妊娠の事実や可否には触れないまま。

 容疑は、絞殺に至った真相だからか。

 本日、福井地検に、妊娠の把握など、いくつか問い合わせたのだが、予期してはいたものの、一切答えてくれぬまま。

 検察官からは、被害者から加害者に、「奥さんに、この関係を話す」、「マスコミに、ばらす」、「大学にも言う」などと告げられ、このままでは自分の今の境遇や将来がダメになる。もはや殺すしかないと決意するに至った。まことに身勝手極まりない犯行との論を展開。

 このあとも、検察、弁護、双方の論旨の要旨、同意の言葉を書いてゆきます。

 一方で、犯行を起こされる直前に被害者は睡眠薬を飲んでいたとも。だが、もうろうとした意識下で殺害されることを自ら望んでいたなどということは絶対にありえないと指摘。

 というのも、「公判前手続き」と言う名の、双方の主張争点の焦点を、15回も重ね、且つ、詰めてゆくなかで、弁護側の「嘱託殺人」の主張が分かっていたから。

 すでに、私の記事で書いていた通りだが、弁護側の主張はまさにソレであった。

 加害者である「魔王様」は、長期拘留で、伸ばしたままのボサボサ髪の姿で、「殺したことは認めるが、そこに至るには彼女から懇願されたから、やむ終えなく、殺さざるを得なかった」と言い、

 弁護側は、何度も何度も被害者は私を殺して下さいと、繰り返し懇願。ソレを止めさせようと必死で試みたが、無駄だった。最後は、彼女の望みをかなえさせるために、やむなく首を絞めた。

 よって、「嘱託殺人」であると、被害者の、まったく聞きなれない精神病名まであったと、持ち出してきた。

 傍聴席で、はるばる千葉県から来て、その詭弁とも言っていいような論を耳にしていた、被害者の両親の心の中は、いかばかりであったろう。

 ソレが百歩ゆずって、本当だとしょう。事実、だとしよう。

 ならば、なぜ、コトを終えたあと、自分で警察に電話せず、当時の妻に数時間後に成って連絡し、警察へ事故だと、虚偽の経緯を告げさせたのであろうか?

 なぜ、絞殺ではなく、取り調べの段階で、彼女がしていたシートベルトが首に引っ掛かってしまい、締め上げるカタチに成った挙句、死んでしまったと、虚偽の事故を装う供述をしたのであろうか?

 なぜ、この犯行日のドライブレコーダーのデータを抜き取り,壊し、捨て去ったのであろうか?

 なぜ、被害者と自分の愛憎入り混じった交信がびっしり詰まった、被害者の携帯電話内容を知られたくないようにしたのであろうか?

 このような「証拠隠滅」としか思えない、数々の行為をしたのであろうか?

 初公判のこの日。

検察側は、その携帯電話を、「トイレに流した」と言った。

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 携帯電話は、トイレの水流の勢いごときでは、流れ去らないし、事件当初は、警察と救急車が現場に来るまでの、空が白々と明ける数時間の間に、携帯電話を何度も踏み潰し、こなごなになるまで破壊し尽くし、雪が残る一本橋下の川の遠くに向かって投げ入れた、との発表であった。

 どちらが本当なのか?

 その点についても、福井地検に問い合わせて、真偽の確認を求めたのだが、答えを拒否された。

 加害者の魔王様自身の携帯電話の中の被害者とのメールデータなどは、加害者が消去しまくったうえで、破壊した。

 だが、すべて再生され、動かぬ証拠に代わっている。

 睡眠薬を、当夜、「魔王様」が服用させたのか? 被害者自身が常用するまで精神的に眠れないほど追い詰められていたのか?

 愛していたはずの男女が、泥沼の関係にズブズブとはまり込んだ時、女性から「もう、私、どうなってもいい!」、「死にたい!」、「いっそ、殺して!」と、激情ほとばしるままに、クチにすることはまれにある。

 だが、本当に死にたいのか? ホントに、殺して欲しいのか?

 そんなことは、決して無い、というのは、世の多くの女性自身が知っていること。

 この裁判。女性の裁判員の、過去の恋愛体験が大きく判決に影響を及ぼしそうな気がしてならない。

 その恋愛経験によって、被害者の心の軌跡がおのずと理解出来たり、出来にくかったりしてくるのではないか?

 例え、その夜。思わず哀しく、切ないまでの「愛奴隷」が、どうしょうもない切羽詰まった想いで、愛を紡いだ部屋で、もしくは車中で、クチ走った、かもしれない

 「わたし、死にたい!」、もしくは「いっそ、殺して!」の言葉。

 その本当の意味での裏側の彼女の心と、言葉の裏側に潜む「真意」が、深く、裁きに関わり、問われる17日間になるような気がしてならない

 入子光臣・裁判長の真下に座る女性、南・書記官に個人的想いを聞こうとしたら、速攻で逃げられた。

 判決にまったく影響はしないが、正面から見据えながら、「魔王様」をどのように見ているのか、問い正しかったのだが・・・・。

 最後に、書き添えておこう。

 いまだ、前園泰徳から、菅原みわの両親にあてた、心からの謝罪は、この1年半、ただの一度も無い!

 

 

 

 

 

 


< リアル 大相撲 ルポ> 白鵬こと、ダヴァジャルガル、11日からの「秋場所」休場。でも、あれっ!? 隠していた事実が、このことで見事にウソだった!ことがバレちゃったあ!!

2016-09-11 15:08:27 | 相撲犯罪者

  <2016・9・8 初掲載>

 本日、9月8日。横綱・白鵬こと、ダヴァジャルガル(写真・上。左側)が、3日後の11日から東京・両国国技館で始まる「秋場所」を全休することを、発表した。

 ま、ソレは良いんだけどさ。

 休場の理由は、ケガ、負傷。

 おっ! いつも本土俵では、ぶ厚いサポーターを巻いている右腕、右ひじの治療のためだよなあ。

 フツー、その箇所にサポーターを、稽古場で巻かなくても、大事な本場所の闘いの場で巻くということは、痛んでいる箇所を極力、少しでも守る、ということだよねえ。

 ところが、ダヴァ、駄馬が言うには、痛めているところは、

 「右足の親指から、ふくらはぎにケイレンが起こってしまうほど。ケガというのは、他人には分からない痛みがあるんだよ」

 さらに、右足首と、左ひざの治療にも、休場している間に、専念したいそうな。

 左ひざの痛みは、ダヴァによれば、「夏場所の間、テーピング巻いてやっていた」そ~な。

 ふ~ん・・・・・。

 じゃあ、夏場所の取り組みの写真、並べてみましょうかね

    

   

 ダヴァ(写真、いずれも左側)の左ひざのところ、よ~く、目を凝らして見てくださいな。

 拡大しても、よござんすよ!

 無いっ、無い!!

 サポーターが、見えない。

 平気で、ウソをつく、駄馬、ダヴァ。

 ところで、右ひじや、その周辺の痛みは、ダヴァ、何一つ、語ってらっしゃらない!

 やっぱり、偽装のサポーターだった!ことが、はからずも立証された

 対戦相手の、あご、目、顔、頬などを、ひじでぶち抜く瞬間、自分の痛みが少しでもやわらげるようにと巻いただけの偽装サポーターだったことが、本日、ばれた。

 すでに、何度か書いているけど、ひとつ間違うと、殺人ワザでっせ! ダヴァの、この汚い手口。

 実際、夏場所でひじをアゴどころか、目にぶち当てられた嘉風(よしかぜ)は、取り組み後、目の痛みを盛んに気にし、場所後、夏巡業に行かず、検査、入院、手術。

 なんとか、この秋場所に間に合わせてきた。

 だからと言って、やられた力士たちは、ダヴァに「復讐」はしない。全員が、節操を持ち、汚い手口は使わない。

 NHKの実況アナは、ダヴァの手口を、「厳しい!」とだけで、済ましている。

 理事長の、保志信芳は、ノ~天気にも、

 「かち上げ。俺も好きだったけどねえ」なんぞ、ほざいているけど。

 ムカシの保志の取り口。捜して観ましたよ。

 アンタのは、確かに「かち上げ」。汚い手口は、感じられなかった。

 だが、ダヴァは違う。下に並べた、写真。じっくり見て、検証して欲しい。

 なにしろ、あ~た。

 場所中、取り組み後、巻いていたサポーター、すぐ控えで取り外してたもんね。

 あと3勝すれば、とか、相撲マスコミの提灯チン持ちは、ヨイショし続けているけどさ。

 こんなウソつきと偽装を、平然と繰り返しているダヴァ。

 曲がりなりにも、日の下開山、「横綱・白鵬」を、相撲ファンは、誰一人として、彼の「サポーター」になろうと言う人は、やがていなくなる・・・・ことを願っております。

 

  あるべき、正しい「横綱」が、いて欲しい。

 ウソつきは、いらない。

 ましてや、偽装サポーター巻き続ける、クズ駄馬は、いらない。

 大相撲は、勝ちゃ、どんな手口を使っても良いという格闘技では、断じて、無い!

 


< リアル ボクシング ルポ>[速報][写真追加版] 8月28日、大阪で行われた「第3回全日本UJ(アンダー・ジュニア)ボクシング王座決定戦」に出た、宇塚大輔と、渡部誠之佑の、試合結果について

2016-09-09 08:49:31 | ボクシング

 <8月28日 初掲載 に、9月9日、写真を追加掲載いたしました>

 予想以上の検索を戴いた責任上、タイトルの「全日本 王座決定戦」に出場した、両君についての試合結果を、報告いたします。

 まず、男子、小学生の部、46kg級に出た渡部誠之佑クンは、2ラウンド、レフェリー・ストップ勝ち

 

 見事、王座を獲得いたしました!

  一方、男子、中学生の部、52kg級に出場した、宇塚大輔クンは、残念ながら、0ー3の判定負け。王座を獲得することは出来ませんでした。

 

 

 勝った西日本代表の男子は、キック・ボクシングの経験も有り、関東の格闘技キッズや、トレーナーの間でも、「あの子、強いよ」と、知られた存在。

 1ラウンドから、彼が優勢に立ち・・・・・・3ラウンドが、瞬く間に終了。

 大輔クンの指導をしている西トレーナーも、いさぎよく敗けを認めざるを得ないほどの、明白な差が見てとれたということです。

 お読み戴き、ありがとうございました。

 また、折りに触れて、両君の成長の軌跡を追っていきたいと、想っております。

 男子・小学生 46kg級チャンピオンとなった渡部誠之佑クンは、もう練習を開始しており、今後のさらなる成長が見込まれます。

  

 なお、上記写真の主なものは、ジムのマネージャーを務めている、吉野知子(ともこ。吉野弘幸会長の妻でもある)さん撮影によるものです。

 さらに、この日の、8月28日は、知子さんの、20歳+?歳= の誕生日でもあり、二重の喜びに。

 一生忘れられない「記念日」になったようです。


[超最新追加版]元フォーリーブス 北公次 告別式・葬儀・初七日 どこも報じない真実のルポ 

2016-09-05 13:55:52 | 視聴者が知らない、タレントの素顔

 <2012・3・2 初掲載 記事>

 最終追加記事に、当日の模様が書かれた新聞記事、見つかりましたので、本日、2016・9・5 添付致しました。

 他界して、すでに丸4年半以上。

 それでも、この記事の読者が切れ目が無く続いている。

 そのことに驚くと同時に、本当に、北公次は、ファンに今も支えられて、心の中にしっかり生き続いているんだなあ・・・と痛感致します。

 性格、極めてドライな江木俊夫が他界した後に、こういう意味で、ファンの心の中で、生き続けるでしょうか・・・・・・・・

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 9日前に私のブログ(2016・9・27 再掲載しました)を読んだ人は、その続編としてとらえていただいていい。

 元フォーリーブスの北公次の病死は、私の想像を遥かに超える大きな扱いで、正直驚いた。

 ”あのひとは今”的な扱いで終わる、と思っていた。

 いま、まだまだ芸能界で権勢をふるっているジャニー喜多川(本名は北川廣で、日本人)の、ホモ・セクシュアルの性癖を改めて本にした北公次だけに、芸能マスコミは葬儀取材すらジャニーズ事務所に気遣って行かないと思っていたら、まあ・・・・・。

 スポーツ新聞と雑誌社のカメラマンが、下町の小さな葬儀場に大挙して押しかけた。さすがに、先ほどの理由で、テレビ局は出棺のときにも姿は無かったけれども

 さて、通夜、告別式ともに、参列者の人数、報道では600人、はたまた700人とバラつき有り。実際には500人前後。参列した親戚に話を聞いてみると「ほとんど親戚付き合いは、無かった。それなので、癌になっていたことすら知らなかったんです」という声が多かった。

 この葬儀で、通夜、告別式、納骨のあと、今風にすぐさま続けて執り行った初七日も、取り仕切ったのは、生前彼が住んでいたマンション付近の、親交があった創価学会会員たち。

 むろん、彼が深く入信していた縁だ。その影響も有り、親戚とは遠い存在になっていた。

 参列者の多くは、かつてのファン。そして今もファンの中年・熟じゅくに熟れきった御婦人たち。親族や業界関係者と呼ばれる人達は、葬儀会場の2階にしつらえられたスペースへ。

 

 式場の手前、左側には当時人気があった歌手やタレントの名が書かれた板が何段にもわたってズラリと並んでいた。しかし、会場に足を自ら運んだのは、野口五郎など数えるほど。

 親族のなかにも、あまり、とりたてての涙は見られなかった。付き合いが。深くないままだったせいもあるだろう。

 ところが、一般のファンは、いつもは駐車場にしている、その空きスペースに組み立てられたテント下の祭壇に向かって手を合わせ、御焼香(写真左下)。祭壇に飾られた3年前のステージ写真をじっと見つめ、涙を流す人も。99%は女性。

 

 

 加えて、その整理と、北の事務所名を刷り込んだ名札を胸につけてテキパキとさばいていたのは、なんと長年のファンの女性たち。聞けば、北に事務所はあるものの「個人」事務所。

 それも、実態は「現在の奥様が、電話応対も含めて1人でやっていたの」。で、「代わりに、私たちが、やっている」と言う。それでも、300万円近くの、全費用。

 そう、現在のと書いたが、かつて私が取材の際に会ったのは前妻だった。当時は、同棲中。熱烈ファンは詳しい。ひっそりと聞くと、当時の彼女の職業は、スチュワーデス。

 ああ!! それで、大田区の幹線道路沿いのアパートに住んでいたのか!・・・・。そこからタクシーを拾い、羽田空港へと向かっていたのだった。。

 当時は、写真はおろか、名前も伏せ、職業すら、一切語らなかった。ただ、美人であったし、彼女の給与で、北公次を養っていたことは事実だ。高給の身であろうことは、想像出来た。

 点と線が、少しつながった。

 その後、入籍。そして、離婚。ところが、再びその女性と結婚するも。今度は2度目の離婚。

 他の仕事になかなか就かず、芸能活動に執着する夫。そんな溝生む生活のなかでも、男の子と女の子が産まれた。離婚後、2児の親権は生活力のある妻のもとに。彼女は2児の手を固く握り、北海道札幌市へと旅立っていった。

 今の妻と知り合ったのは、ファンたちの話しを聞く限りにおいては、妻が麻布で経営していたブティックに、北がポスターを貼ってもらおうと訪ねたのがキッカケとのこと。喫茶店も経営していたとの情報もある。

 結婚して、女の子も産まれた。北自身も、一念発起。

 フォーリーブス再結成、そして解散後もこまめにソロ・ライブ活動を展開。

 地元、江戸川区のライブハウスを中心に、名古屋、そして大阪でも定期ライブ。バック・ミュージシャンは、キーボード奏者1人。必要最低限の人件費と演奏。

 すでに打ち込んだ音に乗せて、かつてのヒット曲はむろんのこと、自分が作ったオリジナル曲、そして敬愛してやまないマイケル・ジャクソンの曲を歌いまくった。

 ローテーションは、3か月に1回の2時間の1ステージ。最近は。1日2ステージに。CDも手作り、販売。商売の才覚溢れる妻の助力無しには考えられない。

 住まいは、この日の斎場からそう遠くない高級賃貸マンション。月額家賃16万円。

 中学生のいとしい長女と妻をそばに、東京スカイツリーが一望できたはず。そんな幸せな日々のなか、日ごとに自分の体をむしばんでいっている肝臓癌に気づいていたであろう。 

  青山孝史の葬儀の際の顔色は、今想えば、良いものでは無かった。

 実は、子育ての手も離れ、ライブに毎回通うファンたちは気づいていた!!北公次が肝臓癌で、余命いくばくもないことを

 「なぜ!? だって見るたびに、コーちゃんの体、どんどん痩せて行ってるし、そしておなかはポンポコリンに出て行ってる。それって、3年前に肝臓癌で亡くなったター坊(青山孝史の愛称)の時と、おんなじなんだもん。ねえ」 

 周りにいた女性たちも、大きくうなずく。

 彼女たちにとって、青春の輝けるひととき、憧れのアイドルがまた1人、この世を去った。声も徐々に出なくなり、苦しそうになりつつあるのも、つぶさに見続けてきた。

 どこかで”覚悟”も、していた。

 

 それでもいざ、「御出棺です」の声を聴くや、200人を超える長年にわたるファンが、声をあげて泣いた、泣き崩れた。自分の亭主が死んだとき、果たして、ここまで泣き崩れるであろうか・・・・

  ちなみに、「フォーリーブス」の元メンバーの、江木俊夫北の死に対して、代表するかのようにマスコミに積極的にコメントを発していたが、葬儀には通夜にチラッと顔を出したのみ。

 翌日以降は、「仕事」を理由に欠席。

 一方の、おりも政夫。

 北が家族と住んでいた高層賃貸マンションから比較的近い所に住んでいたこともあり、ちょくちょく逢っていた姿を、近所の人たちが目撃していた。

 むろん、葬儀には終始いて、代表して挨拶もしていた。

 そんな事実は、参列していた長年の女性ファンも、すでに知っていた。

 江木、おりも。生き残っている、その2人の人柄のありようを、あからさまにクチにはしない。

 だが、彼女たちは、しっかり冷静に、その目で見つめていた

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 3時間後、80人あまり。

 喪服を着たままのファンが列を大きく崩すこともせず、葬儀会場の外にいた。まだ冬。若いころ、「出待ち」に慣れていたとはいえ・・・・・んんんん・・・・・。声のなかには、関西弁や九州弁も混じる。

 「この多くのファンが、いつかいなくなるかもしれない。そう思うと不安」 そう、私にシャレで心境を漏らしたアイドルが、かつていた。

 ファンに、生活を支えられた北公次。.

 「お骨になって、思ったより早く戻ってきました。いま、中で初七日法要をやっていると思います」

 最後まで、外で見守り、見送るんですか、皆さんは? 何人もが、うなずく。彼女たちにとっても、それぞれの胸に宿る”青春”に別れを告げる、ある意味での「式」なのかもしれない。

 

 最期に、ひとつ残した質問をした。

 同棲もしていた最初の奥さん、来てました?

「今日は誰も見ていないけれど、昨日の通夜には来てたようですよ、北海道から。大人になっていた子供さん、2人と一緒に」

 北公次こと、松下公次。享年63。・・・・短くも、幸せな人生ではなかったか

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 偶然、本日、古い取材資料を束ねていたところ、この記事の「葬儀・告別式」を報じた、スポーツ新聞の記事が見つかりました。ちょっと一部破れてたり、よれてしまっておりますが・・・・・。

 ファンの方々の中には、想い出が一瞬でもさらに甦るか・・・・・も知れません。

 添付致しました。

 よろしければ、お読みください。

 

 

 

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2017・2・23

 新たな北公次の記事と、かつて彼を取材した時の想い出をたどった再掲載記事。

 2本、アップ、致しました。

 よろしければ、ご一読下さい

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 【 2022・2・22 追記 】

 そうでした

 永遠に、ファンの心の奥深くに、今も、しっかり息づいている、スター

 北公次が、この世を去って、丸10年目

 この記事、多くの人に、読まれてます

いまだかつて、こんなスター

 いたこと知りません

 10年ですよ

 すごいなあ・・・・・

 素顔

 この、憧れの大スターが、控え室で、おいしそうに、ジャムパン、食べていた姿を観て、夢がしぼんで・・・・・・いった、大竹しのぶの、淡い想い出

 それも、どこか、クスッと、いいなあと・・・・・・