急に暑い夏の皮切りを迎え、炎天下を見上げ、あの「軟式高校野球大会」の、永久不滅の両投手の投げ合いの・・・・その後を書いた記事が、多くの人に読まれていた。
そう。あの時点での2人の明と、暗は、そうだった。確かに。
しかし、その後にまた、人生の明暗を迎えていたんです。
まあ、読んでいない方は、どうぞ一読を!
<2017・12・13 掲載記事>
数日前。
灼熱の太陽がグラウンドに照り映える夏でもないのに、んん? 一体、何がキッカケだったんだろう?
あの空前絶後。奇跡、といっても良い。
おそらく、今後、2度と、あらゆる野球の試合でも、再び、記録も、記憶もされないであろう、軟式高校野球全国大会で、投げ合った2人の、その後の、互いの大学生活の日々を追った記事が、急に多くの検索を得た。
一瞬、えっ!
2人に、何か、アクシデントがあったのであろうか?
そんなことを危惧しつつ、さらに、その後の軌跡を、調べ始めた。
記事を、期待している人。さらに、その後を知りたい人。実は知っていて、書いて欲しい人。さまざまな人に向けて、ともかく調べてみよう。そう、思った。
まず、3年前の、あの「第59回大会」優勝投手の、松井大河(たいが)。
岐阜県の中京高校。校名を変更し、現在は「中京学院大中京高校」。
そこを卒業し、愛知県にある、中京大学に入学。
準硬式野球部へと入部。ところが、秘かに持っていた自信は見事に、喪失。ココ、東海地区におさまらず、全国でも有数の、強豪校。
投げる球、すべてが、いともカンタンに、部内の練習試合の段階で、次々と打ち込まれ、
1軍から4軍まである層の分厚さのなかで、先発、中継ぎ、抑えと、さまざまなシーンで起用されたものの・・・・・・。
投げられる試合は、Cチーム(3軍)や、Dチーム(4軍)。
退部こそ,していないものの、事実上の自己休部状態となっていた。
かいつまんで言うと、そのような内容の記事。
あの、全国隅々にまで知られた、連日、ニュースで報じられた、いわば輝ける栄光は、見事に色あせていて・・・・・・。
「どう、今の状態から這い上がって来るかは、こればっかりは、本人の気持ち次第。私としては、ソレを待っている状態で・・・・」、というようなハナシを、多忙ななか、してくれた監督。
ああ、この先、どうするのかなあ・・・・と、気になっていた。
大河の流れは、この先、どこに注がれていくのだろうか・・・・・・・・。
本人いわく、「卒業して、社会人になった時、どこかの軟式野球チームにでも入らせてもらって、野球をゆっくりと楽しみたい。そう、思っています」
はやくも、大学1年生後期の時の、人づてに耳にした、彼の言葉だ。
そのまんまなんだろうか? まさか、なあ。
誰の人生でもない。彼の人生なのだから、どう生きていこうと、誰が何を言う権利も無いのでは、あるけれど・・・・・・・・。
夏休みには、大学の強化夏合宿などには参加せず、帰郷。校名が変わったとはいえ、母校のグラウンドなどには、フラリと、懐かしそうに顔を出して、旧友と遊んでいたという。
それが!
今年の夏。校名変更した母校が、「第62回 全国高等学校軟式野球選手権大会」に出場。
あの、その名も彼にとっても懐かしい、「明石トーカロ球場」で、8月29日。
母校の後輩たちは、決勝戦にまで勝ち進み、茨城(いばらき)県の名門強豪校、茗溪(めいけい)学園と対戦。
かつての野球部員とともに、懐かしさも手伝い、気楽な気持ちで、スタンドで観戦していた、松井大河。
マウンドに立つ佐伯投手もまた、4試合連投。
あの夏の自分に、想いが重なったのであろうか・・・・・・。
苦しい戦いの末、1-0のスコアで、見事に優勝を飾った!
佐伯もまた、38回、無失点で完投完封。
後輩に向けて、「いかに、仲間を信用出来るか、どうかが、試合では大切なこと」と、試合前、助言、アドバイスしていた、松井大河。
母校の優勝は、3年振り、8回目のこと。
そう! あの熱闘、熱投を重ねた末の、あの輝ける優勝以来だったのだ。
あの優勝効果により、松井大河らが卒業したのと入れ替わりに、19人もの新入生が、一挙に入部してきた。
松井らの姿に、憧れて、だったという。
後輩たちは、この優勝ののち、10月9日には、「えひめ国体」にも出場し、快進撃。
決勝でも、なんと6-1のスコアで優勝。これまた、7年振り、6度目の優勝となった。
そして・・・・・彼の胸に、何か、期するものが、大きく、再び、甦ったようだ。
大学のマウンドに戻った、松井大河。
5月に行なわれた、6チームで争われる、「春季リーグ戦」にも優勝した中京大学であったが、まったく投げた記録が見られなかった松井大河。
それが、母校の優勝を、その目で見届けたあとの、約1か月後の9月23日。「東海地区 秋季リーグ戦」に、先発登板。
愛知大学相手に、3回に2失点するも、チームが奮起。5回に、4-4まで追いつき、その後、打線に火がつき、15-6で、8回コールド勝ち。完投した記録が、記載されている。
そして、翌10月12日。
愛知学院大学相手に、先発。継投を仰いだものの、5-2で逃げ切った。
あと、卒業、退部まで1年も無いが、甦った「輝けるエース」が、どう投げ切って、その後を歩み続けるか。また、こちらも、折りに触れて、見つめていきたい。
一方の、3年前、惜しくも敗れたとはいえ、脚光を浴びた、広島県の崇徳(そうとく)高校のエース、石岡樹輝弥(じゅきや)。
すでに、記事化したが、福岡大学入学の彼もまた、準硬式野球部に入部し、1年生の時から、コンスタントにマウンドに立ち続け、投げ続けていた。
今年も、6月20日。
「九州地区 大学体育大会」でも登板。
長崎県立大学を迎えて、先発したものの、5失点も喰らい、継投につないで降板。チームは、最終回に、10-9で、サヨナラ勝ちし、敗戦投手には、ならずに済んだ幸運ぶり。
夏休み明けの9月5日。
「清瀬杯 全日本大学選抜 準硬式野球大会」での1回戦。
大阪大学と対戦し、4-1で、完投勝利を挙げた。
2回戦にして、準決勝の専修大学戦。
2番手で登場し、2-0で勝ち上がった。
9月7日の、決勝戦。相手は、明治大学。
石岡は、今度は3番手で登板。連投に次ぐ、連投。
3-0でリードしていたのに、石岡、3-3に追いつかれ、ついに、3-4で逆転サヨナラ負けを喰って・・・・・・。
以降、不振なのか、好調時の感覚が戻らないままなのか、先月の、11月4日、5日に行なわれた「秋季大会」には、欠場している。
とはいえ、絶対的エースではないものの、先発、2番手、3番手、リリーフ、ストッパーと、場面に応じて、何でもこなせるタイプなだけに、登板機会は多い。
そんな2人は、愛知県と、福岡県という、活躍の場こそ、離れているものの、あと卒業まで1年弱のマウンド。
どこかで、あの投げ合いが再現されたら・・・・と想うと、胸がわくわくするのは、私だけではないだろう。
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《 2018・8・19 追記 》
さて、硬式野球部の方は、明日、甲子園球場で、準決勝が行われます。
9回裏や表に、これほど、多くの試合が劇的な逆転劇、サヨナラ試合が目に付く大会もありません。
で、硬式ばかり、「公式」に人気があり、注目を浴びておりますが、同じ高校生。
それも、「軟式」の球を追う、全国大会が、この8月24日から、雨天で中止にならなければ、6日間。
彼ら2人が、投げ合った、兵庫県の、「明石トーカロ球場」(旧名・明石公園 第一球場)と、同県、姫路にある「ウインク球場」(旧名・姫路球場)の、2球場で、16校がしのぎを削って、炎天下、一球を追い続けます。
球場名が、カタカナだったりしてるのは、市が、「命名権」を売却契約した結果によるもの。
今年で、63回。
硬式の100回には及びませんが、なんと! 内外野、共に、「入場無料」です!
松井大河がいた高校は、「中京学院大中京高校」と、名前は長くなりましたが、今大会に、登場。
25日、明石トーカロ球場で試合を行ないます。
石岡樹輝弥が投げた、広島県の名門「崇徳高校」は・・・・・今年は出ません。
大会、組合せ表を見て、フラリと足を運んで、観戦してみませんか?
もう一つの「甲子園」ではありませんが、スポーツニュースにも取り上げられず、ネットのスポーツ記事にも、アレ以来、取り上げられていませんが、是非!
御観戦を!
声援を!
2人が、来てる・・・・・かも知れませんよおおおおお