<2014・9・5 掲載>
(つづき)
さすが?「GAORA」(がおら)。
しっかり、「中京」対「三浦学苑」の「決勝戦」だけではなく、「4日目にわたる継続試合 準決勝戦」の「中京」対「崇徳」戦も、延長46回から、ダイジェストではなく、フルに放送してくれた。
見た読者も、いらっしゃるかと思う。
おそらく、少なくとも、あと10年は見られない熱闘。観て、何かを感じ取ったのでは、ないでしょうか・・・・。
さて、全国的に国民の注目を浴び続けた今大会。記録的延長回数のこの試合の前振りで、必ず報じられていたのが、軟式の試合は、なかなか点が入りづらいから、と。
だから、延長試合になりやすい、と。
それは、ほぼ間違い。軟式の草野球や、少年軟式野球。点入ってませんか? 大差ついてませんか?
今回で59回を数えるまでになったこの大会だが、実は、かつて2回、完全試合が成されている。
その点差。7-0に、4-0。キチッと、点差ついてんさ。二けたは、殆んど無いけれど・・・・。
その4-0の時の勝利校は、中京。中京は、これまで6回の全国優勝を成し遂げている、実は軟式の名門強豪校。
一方の「崇徳」。今まで、優勝からは、見放されていた。
さて、この準決勝。1回表から、双方の投手。「崇徳」石岡樹輝弥(じゅきや)も、「中京」松井大河(たいが)も、もう目いっぱいの力投を見せている。
1回の裏には、投球練習を終えた松井大河(三年生)に、すかさず、1年生の時からバッテリーを組んでいた西山裕基・捕手(三年生)が小走りに駆け寄り、背中を見せて、球種、配球のサイン確認。
まさかこの時、この先、4日間にもわたる、疲労困憊(こんぱい)が待つ”死闘”が待ち受けているとは、知ることもなく・・・・・。
両投手とも、イキも良く、キレも良く、インコース、アウトコース、巧みにボールの握りと、振りを変え、指先で変化球を使い分け、ボ-ル1個分の出し入れで打ち取り、力投を見せ始めている。
戻る、西山捕手(写真左の右下)。
前回の記事で、この西山の絶妙のリードと、配球が無かったら、「中京」の優勝も無かったと書いた。
今、改めて、”初日”分の、延長15回までの試合映像を再生して見ても、まあ見事に、刺す、刺す!
「三浦学苑」との決勝戦では、三塁盗塁を試みた選手を難なく刺した! それも、2度も。
もう・・・・・やっと3塁にまで進めた走者が、あっけなく、この西山のけん制球で、次々とアウトに。
むろん、松山大河も、「崇徳」石岡樹輝弥(じゅきや)も、抜群にけん制球は、上手かったが。
せめぎ合う、攻と防。
15回延長でも、0-0。翌日に、決着は、持ち越しに。
そして・・・・・・・・2日目の、30回でも、0-0行進が続く。
場内アナウンスで、「明日は、継続 延長31回から、試合開始となります」と流れた途端、どっと観客から、何とも言えぬ笑い声が巻き起こった。
34回。「崇徳」。打者を塁上に進めるも、アウト!
0・・・・・・0・・・・・・0・・・・・・・・
明石城の天守閣が、クッキリと背後に映える「明石トーカロ球場」内に、静かに伝わる、選手の父母を中心とした「崇徳」応援団の、しゃもじ2個を叩き合わせる音。のどかな空気さえ、漂う。
観客は、両チーム応援団も合わせて3400人。
44回表。「中京」が攻めるも、2死1塁まで。後続を、崇徳の石岡(写真左下)が、ぴしゃりと断つ。
こちら、長髪の、ジャニーズ系顔立ち。かたや、松井。丸坊主頭の、いかにも野球一筋の・・・・・顔立ち。
ジャニーズ石岡。準決勝・延長50回で惜敗した後、「全国から注目されてますね?」との、記者の問いに、顔を崩して、こう答えちゃってる。
「最高っすねっ! もてたら、やばいっすね(笑)」
「サイコーっすよ! モチベーションになってましたから」
で、こう言った。
「肩と腰が、パンパンに張ってます」
45回裏。「崇徳」、2死2塁まで進めるが、土壇場の「中京」松井が、なんとも底力発揮! そこから三振に斬って取る!
継続試合、3日目、終了。スコア、0-0。
この場を借りて、立ち合い続けた審判員の皆さんに、「本当に、お疲れ様でした。ご苦労様でした」と、言いたい。
知っている限り、審判員は、無報酬のボランティアのはず。立ち続け、動き続け、炎天下、本当にお疲れ様でした。
うわああ~・・・・・。0の文字が、大きかったり、小さかったり、じゃがいもの様にひしゃげてたり・・・。手書きの文字のこのスコアボードを、球場に詰めかけた観客が最終日、写真撮りまくって、列をなしていたという。
で、この時、こんな会話が。
笑顔を浮かべて握手を求めに歩み寄った、「崇徳」石岡(写真右)が、左側のエースナンバーを背に縫い付けた「中京」松井に向かって、言った。
「またじゃけど、よろしくな」
「こちらも、よろしく」と、松井が握手しながら、言葉を返した。
この時点で、「中京」松井。45回投げきって、24安打、無失点。延べ打者161人に、635球。
対する、「崇徳」石岡。同じく45回投げて、19安打、無失点。延べ打者164人に、617球。
2人だけが、今もクローズ・アップされているが、実はいかに両チーム選手の守備が堅く、且つ、ミス無く、巧みかが分かる。
優勝した、松井だが、1047球も投げて、実に最終防御率、0・12!
バントや、ピッチャーゴロの捕球後は、あえてボールをバウンドさせて、ファーストに安全確実に獲らせる。
打つ時も、相手の捕球ミスやエラーを誘おうと、地面に叩きつけるバッティングを、終始、心掛けていた。
いかに、チームの守備が鍛えられていて、ミスが無いうえでの、制球力があるかが、この驚異的な防御率の数字を見ても分かる。
両投手ともに、球威で相手打者を、ねじ伏せるタイプでは無い。
石岡は、元は遊撃手。この春から、投手兼任になった。従って、背番号6.
とはいえ、最速130キロしか出ない。「巧投手」というほかない。
試合後、石岡が言った。
「(広島市の安佐南区・安佐北区への集中豪雨による土石流災害の)被災した方を、元気づけるつもりで投げました」
「崇徳高校」は、被災した区の隣、広島市西区にある。
石岡は幼い頃、安佐南区に住んでいただけに、被災者に寄せる想いは、人一倍強い。宿舎に帰れば、否が応でも、当時、死者・行方不明者増大のニュースが目に飛び込んできていた。
ましてや、一泊、高野連からは、1人3000円ポッキリの補助しか出ない。その枠も18人まで。あとは、全員自腹。
延長になればなるほど、親に感謝、地域・地元に感謝である。むろん、それは、岐阜県端南市(みずなみし)にある「中京高校」とて、同様。
「中京」は、断っておくが、愛知県名古屋市にある「中京大学付属中京高校」とは、校名似て非なる高校。まったく、違います。関連も、無し。
松井が通う「中京」高校は、美しい景色に囲まれた、美濃焼や、化石が発掘された、のどかな町に建つ。
岐阜県の南東部に位置する、この8月1日で、人口3万9006人が住むという「瑞浪市」。
軟式野球部は、一昨年も連覇優勝しており、優勝旗奪還を目指して、兵庫県明石市に乗り込んできていた。
この試合に勝って、決勝戦に臨める両チーム。すでに、対戦相手は、神奈川県の三浦半島に建つ「三浦学苑」に決まっている。
この「三浦学苑」。初出場で、勢いに乗って、ここまで勝ち進んできていた。
神奈川県大会では、昨年の全国大会初優勝校、「横浜修悠館」を、3-1で破った実績があり、ここ明石に来てからも、2日連続2試合連続の、延長サヨナラで勝ち上がってきた。
3試合中、2試合が延長戦。どのチームも、チカラはこの「三浦学苑」の監督である岡村悟司が言うように、「拮抗していますね」。「(両校の延長継続試合の影響で)2日間休んで、体力は充分に回復している。バットを、しっかりと振る時間が出来たことは、まあ、良かったのかなあ。それにしても、両校とも、投手が良いし、守りも堅いですねえ」
おまけに、どこも、ねばり強い。だから、大量点が入らないのであって、軟式だから、ではない。ボールが硬式に較べて飛ばないことは事実だが、一方で、全国に知られた、強打者もまた、いない。
ちなみに、硬式も含め、延長再試合での決着は、25回が最高。
この軟式の夏の高校野球全国大会は、毎年全国を16ブロックに分けて戦わせ、代表校16校が決まる。
この「三浦学苑」で言うなら、まず神奈川県大会で優勝。そして、南関東大会でも優勝して、明石に、その実力を証しに来た。
全国に軟式の加盟校は、460校に、プラス5校ほど。
しかし、少子化で、部員数が硬式ほど集まらない年もあり、さまざまな事情で大会参加辞退する高校もあり、今大会は、参加460校。
3県から1校出という、超狭き門になっている。
夏の甲子園の硬式のように、47都道府県すべての地区代表が出揃い戦えるようなシステムになっていない。
硬式たるや、おそらくこの記事を読んでくださっている方の母校にも、硬式野球部は、例え「出る負け」であっても、あったはず。
過去には加盟大会参加校、優に4000校を越えてたのに、少子化や、公立の統廃合、私立の経営悪化による閉校などがあり、今大会の参加校数は3907。
じわじわ、じわじわと、減少傾向にある。
軟式の8倍もあるが、各県や、北海道でいうなら南北で2校、東京都でいうなら東西で2校が出られる。
軟式も数こそ少ないが、狭き門であることには、変わりがない。硬式のように、「特別枠」もなければ、「超特待生」も目に付かない。
その点、身ぎれい。純粋。カネ、欲、絡まない。
中学校時代に硬式をやっていた選手も多い。
ただ、硬式に較べ、まったく注目されて・・・・・こなかった。球史に残る今大会を除いては。
さて、「三浦学苑」の主将は、山浦誠史(三年生)。延長サヨナラ打を2試合続けて打って、チームを劇的逆転勝利に導いたラッキーボーイでもある。
「打順には、運もあるし・・・・たまたまですよ」と、笑顔で謙遜する。
そんな山浦も、中学生の時には、硬式をやっていたが、高校に入って、軟式野球部に。
主将に成った当時は、大変苦労した。
「みんな、(部員が)わがままで。チームメイトが1人1人、だらけまくっていたんです」
そこから、まさに底からの、スタート。
エースの櫨(はし)宏司(三年生・写真左下)にしてからが、2年生の夏までは、だらしのない部員だった。練習態度は、ハッキリ言って不真面目。
朝練には、寝坊して、遅刻はするわ、学校近くの坂道をダッシュする練習の際には、監督の岡村の目を盗んでは、手を抜きぬきの、ダラダラ投手。打たれると、へこむ。精神面も、弱かった。
せっかくの181センチの体躯を、持て余していた。
変わったのは、今年の春。エースを託され、山浦が主将になってから。信頼感を、監督からも寄せられた。
そんなチームが、熱闘の末の勝者を、今か今かと待ち構えていた。
とはいえ、実は櫨(はし)。絶好調とは、とても言い難かった。ツーシーム、スライダーなど、変化球を駆使するタイプ。
エースとなり、神奈川県大会、続く、南関東大会も1人で投げ抜いてきた。
この全国大会に入っても、3試合で、延長2試合も含め、計395球も投げ抜いてきた。
なもんで、右腕、右肩あたりが筋肉痛になっていた。
「でも、調子は悪くないです。日が開いて、調整は難しくなってきているけど、張りを直すには、2日間開いてて良かったくらいです」
強気と、プライドがのぞく。2年生の時とは、雲泥の差。
さて、いよいよ、「継続延長試合」が、プレーボールされた。
46回表からは、双方、疲れも見せず、テンポ良く進んだ。
「1回から投げてるし、負けたくないっ!ていう。もう、意地で投げてましたね」と、「崇徳」石岡(写真下)。
延長50回表。ついに、均衡が破れた!
「中京」の攻撃。エラーと、4球で、1アウト、2・3塁。「崇徳」は、あえて、満塁策を取り、塁を埋める。石岡に、疲れが襲った。
そこでバッターボックスに立ったのが、「中京」主将の後藤敦也。
一打必勝! ”執念”が、バットの先に乗り移った。見事な2塁打!
一挙に待望の3点が、スコアボードに書き込まれた。
その50回裏。
「崇徳」三振で、1アウト。すでに、700球目の松井大河。2人目の打者も、三振に斬って取る。
「崇徳」打者からヒットが出たものの、4人目の打者を、1ボール、2ストライクから、直球で三振~ん!!(写真左下)。
時に、8月31日、午前10時3分。死闘は、ついに・・・・・幕を降ろした。
右腕を振り上げ、ガッツポーズ!の松井大河。駆け寄る、捕手・西山裕基と選手たち。
悔しがって、バットをグラウンドに叩きつける「崇徳」最終打者、高瀬誠也(三年生)。
実は、高瀬。前日3日目の継続試合の34回裏。先述の回に打順が回ってきた。1死3塁。もう、高瀬の一打で先取点が取れるチャンス!
無意識に力んでバッターボックスに立った高瀬。そこに、ささやきどころか、「中京」捕手の、あの西山裕基が、松井に呼びかけるように装って、こう大きな声で、高瀬に聞こえるように叫んだ。
「三球勝負だ!」
軽視されてるな、と、ムカッときた高瀬。さらに、気負った。西山の策謀に、もろにはまって、ぷん、ぷん、怒り。バット、ブン!ブン!!・・・・・三振に。
だからこその、くやしがりよう。見事にカモにされた・・・・・
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両チーム、整列。
一礼の後、また石岡が、松井に向けてクチを開いた。
「お前、やはり、すごいな。絶対、優勝しろよ!」
「まかせろ!」
同じ3年生だが、ど~も、上から目線。軽~く、明るい性格が言わせてしまう。
あの、50回の失投、悪送球。
「疲れで・・・・・体が重かった・・・・・」
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すぐさま、整備に入るグラウンド。5000人にも膨れ上がった観客は、両校の大健闘を拍手と歓声で讃えながらも、次の決勝に気持ちを切り替えていた。
「中京」の応援団は、本来は、反対側のスタンドに全員移動せねばならなかったのだが、長時間、4日間もの疲労蓄積を考慮され、そのままの位置での継続応援の了承が取れた。
一息ついた「崇徳」のメンバーが、その応援団席の前に陣取って、今までの「宿敵」を一転、応援に。
中京の応援団と、一緒になって、ジャンプする一幕も。
さっきの敵は、今は友。クサい表現だけれど、見えない絆、縁、友情のようなものが、しっかり出来つつあった。
広島へと帰るバスの発車時刻の関係があったのであろう。なんと、彼らが席を立ったのは、「中京」の新投手・伊藤頭成(二年生)がピンチに陥る寸前の4回。
だから、石岡の目には、応援しつつも、0-0の接戦までしか、見届けていない。
ましてや、松井が投げた姿は、目の前では見ていない。
{宿敵}が、6・7回と続けて、計2点を取り、疲れも吹っ飛ぶ奇跡的優勝を遂げたことを知ったのは、帰りの車中でのラジオ放送でだった。
ーー大学に入っても野球やり続けますか?
「う~ん・・・・・・わからない。今は、何にも考えられない」
正直なところだろう。ありったけのチカラを、出し切ったばかりなのだから。
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「勝者」は、晴れのインタビューを次から次へと受けていた。代表取材、囲み取材、そして個別取材。決勝は、刻々と迫っていたのだが・・・・。
内野席は、満員に膨れ上がっていた。
多くのマイクを前に、「中京」平中亮太・監督は、時に胸に想いが迫って絶句しながら、こう答えていった。
「・・・・・言葉が、見つからない・・・・やあ~・・・勝負ごとなので、勝ち負けはあるけれど、最後は勝った以上に、8月28日ですか(準決勝が、始まったのは)・・・・・ウチは、(裏のイニングで守るため)サヨナラの状態なので、(選手をベンチから)送り出すときは、もう1回ベンチに戻ってこいと言ってました」
--松井投手の状態は、どうだったんですか?
「もう、ベンチなどでは一杯一杯だった。しかし、マウンドに立つと、見違えるほど我慢強く、投げ込んでいましたね」
--次は、決勝戦ですが
「何とか(思わず、苦笑を浮かべて)頑張りたいと、思います」
一方の、松井大河・投手。
「正直、また(投げるの)か、と思ってた。でも、自分が投げるしかないなと、思っていました」
プライドが、のぞく。
「明日も、頑張ります」
んん? そうだよなあ・・・・普通、明日だと勘違いするよなあ・・・・・。
なんだかんだで、取材1時間。試合開始まで、残りたった1時間半。その殆んどを、マッサージしてもらうことに費やした。
決勝戦で投げるのか? はたまた、疲労蓄積を考えて、中止するのかは、未定であった。
「崇徳」中河和也・監督は、このような言葉を残して、明石を去った。
「今大会で、選手が成長してくれて、ありがとう!と言いたい。1イニング、1イニング、ホントにたくましくなってくれて、ホントに頑張ってくれた。2度と出来ない経験をさせてもらいました」
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試合開始時刻、強行・決行、午後0時半。
以前、「死ね!というのか?」と書いた。確かに翌9月1日から、夏休みが明け、高校は授業開始となる。
しかし、「中京」「崇徳」、そして「三浦学苑」。三校ともに、私立。いざとなれば、選手の積み重なった疲労と、健康維持を考えて、決勝戦を翌日に行なっても良いではないか!
実際、硬式では、春のセンバツも含め、授業始まってるが、試合が敢行された記憶がある。
このまま、「中京」を試合連続出場強行させて、どうなるのか? 私立だけに、理事・校長の協議の末の判断で、一夜明けの9月1日の午後にプレイボールで、なんの問題があろうか・・・・・
「中京」には、明らかな体力的なハンディがある。もし、余裕のある「三浦学苑」が大勝・圧勝したものなら、野球ファンはどう感じるだろうか!? 世間は、どう想うだろうか!?
それよりも何よりも、「三浦学苑」の優勝が、世間からどれほどの喜びの声を持って、迎えられるであろうか・・・・・
喜び半分、複雑半分と、なるのではなかろうか・・・・・選手自身すらも。
そして、続けて想った。
いくらなんでも「中京」の優勝は・・・・無い、と。無いだろう、と。
だから、この強行は、辞めてくれ、と。
高野連の、愚行でしかない、と。
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