【 2017・8・27 掲載 】
ボクシングファンならば、なんだあ? こんな古いタイトル! と、お思いだろう。
そう、今から3年4か月も前の、掲載記事です。
何で今さら、この記事を再掲載するの? と。
実は今日、2017・8・27。
ニュースのラインナップのなかに、この「辰吉丈一郎」の名前があった。
すでに47歳にもなっている、彼。事実上、元・プロボクサー。もしくは、元・チャンピオンと、言い切って良い存在。
日本ボクシングコミッションが出しているライセンスは、とうに無効・失効。
プロボクサーの定年である37歳の誕生日をとうに過ぎさり、チャンピオンの特権である自分で引退をその後も、負けるまで決められるという慣例も、すでに消滅。
この記事で書いた、38歳後半の時。
8年5か月前、タイ遠征までしてのデビュー戦の若い10代の選手に、メッタ打ちされたうえ、大差判定負けを喫して以来、事実上、試合をしていない。
それでも・・・・・今もって、意識は「現役プロボクサー」のままでいることが、本日掲載されていた朝日新聞のネット版のインタビューで、再確認された。
んん・・・・・・・・・。
今もやっていることは、5キロメートルのロードワーク。
だが、スパーリングも、ミット打ちもしていない。
と言うより、怖くて出来ないのが実情。
専業の仕事は、していない。それでも食べていけるのは、
右から2人。るみ夫人と、その母が、長年にわたって経営している喫茶店が、古くからのおなじみさんもいて、経営順調だからに他ならない。
昨年、公開された映画、サブタイトルに付いた「辰吉丈一郎との20年」は、大うそ。
正しくは「辰吉丈一郎と、知り合って20年」。インタビューが、中心の安易な構成。
先に書いた、タイでの遠征試合、そのマッチメイク費用を負担し、素人ながら、トレーナーをかって出て、練習用のジムの手配までしてくれた友人。
その惨敗の模様を撮った友人。
2時間ほどのテレビ放映された長編であったが、変な手を加えず、素晴らしい、胸に迫る「墜ちてゆく元チャンピオン」の姿と心を、余すところなく、とらえ、伝えていた。
それが、民放のテレビで、深夜枠でたったの1回、放送されただけ。見たひとは、ボクシング業界でも少ない。
そして今。
辰吉のことを、さらに知りたい方は、長谷川穂積を経て、この記事の中盤から書いているので、お読み戴けたら・・・・・と思い、再掲載に至りました。
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《 2014・4・25 初掲載記事 》
ああ~っ・・・・・・
試合開始のゴングが鳴らされて2分。
もう間違っても、長谷川穂積の勝ち、ベルト奪取は無い。
そう、思った。
かつて見せた、試合運びの上手さの片鱗も見えない。
足の運び。相手のパンチを紙一重で避ける、巧みなウイービング。パンチの出し方、そのスピード、コンビネーション、そして、ココ一番に必要な破壊力、詰めのパンチのまとめ。
すべてが・・・・・・・・・・・消え失せていた。
まだやれる、が、もう、すでに無理!
そう、変遷を遂げていた。まぎれもなく、墜ちていた。
リングで闘い始めたのは、同姓同名の別人ではないのか?
そう一瞬、アタマをよぎったほど。
7ラウンド、みじめなKO負けで、3階級制覇の夢は崩れ去った。
思い込み、ではない。
実は、この数日前。CSで、彼の世界戦の闘いを軸とした試合集を数日、数時間にもわたって、ぶち抜き放送。
それを録画して、しっかり見ていた。
だから、書ける。だから、言える。
あの素晴らしい強打者、試合巧者が、こんなに墜ちていくものなのだろうか・・・・・
もはや、1ラウンド終了時で、長谷川のタイトル奪取は、あり得ない。それどころか、無惨なダウンで倒れるか、元・名うての暴力団担当刑事だった山下会長の手からタオルが放たれるか。
そのどちらかしか、無いだろうと。
決して、相手のIBFスーパー・バンタム級チャンピオン、キコ・マルティネスが強かったわけでは無い。
全盛期の長谷川なら、苦も無く判定勝ち出来た力量の相手だ。
明らかに、長谷川が、弱くなっていた。チカラが、明らかに墜ちていた。
これが、まぎれも無い”厳実”であることを、否応なく見せつけられた試合だった。
打たれ、打ち込まれた末の、みじめな惨敗。
残された選択肢は、「現役引退」しか、無い。
再起は、万に一つもあり得ない。
加えて、右目眼か底骨折と、鼻骨骨折。
7針縫った左目上の傷は、どおってことは無い。
プロボクサーならば、この2つの骨折は、常に付きまとうケガ。それ自体は、おおごとでは、無い。
失明に至る危険性が伴う網膜剥離までは、至っていない。
気になるのは、「パンチ・ドランカー」症状が、見え始めていること。
父の、元プロボクサー、長谷川大二郎(58歳)が証言する。
「試合近くになって、電話で話ししていても、ロレツが回らないし、しゃべり方が、おかしくなっていた」
妻の泰子も、それとなく気付いていた。
完全なるパンチ・ドランカーの症状だ。このまま放置していったら、廃人への道をひた走ることに、成りかねない。
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この試合を、その症状が顕著な、”浪速のジョー”として、一世を風靡した辰吉丈一郎が知人と見に来ていた。
しゃべり、ロレツ。加えて、目がもう、数年前から、ダメになりつつある。
試合で、相手の姿がボンヤリとしか映らず、時にダブって二重に見えることを、本人が吐露している。
視界も、そう。見える幅も狭くなり、「見えんところから、パンチが飛んでくる」とも、言う。
目は、すでに網膜剥離になって数十年。
本来なら、引退せざるを得なかったはず。
だが、そこに妙な”政治力”が働いたし、何より辰吉の不動の人気と知名度が、引退勧告を思いとどまらせた。
だが、同時期に試合中に受けたパンチにより、網膜剥離になった福田健吾は、勧告され、引退せざるを得なくなった。
福田は、その顔の良さに注目され、本人の意思とは無関係に、アイドル・ボクサーのコロモを身に着けさせられ、素人のまま映画「ウェルター」に主演。
映画は、大ヒット。知名度は、一気に上がった。
本人によれば「もらえたカネは、ほんの少し」
同じ、網膜剥離
、俺も引退勧告されないのではないか?
そう思っても、不思議はなかったし、今も理解できる。
その後、定職についていなかった福田に池袋で会った際、福田は何度も悔しそうにクチにした。
「なんで俺はダメで、辰吉は良いの!? ねえ、そう思わない? 今でも俺は、疑問に思ってますよ!」
その想いは、痛いほど胸に突き刺さった。
その後、彼は古巣の三迫ジムのトレーナーに転身。何人ものチャンピオン候補生とランキング・ボクサーを、見事に育て上げていった。
だが、6年前。とある事情で、ジムどころか、ボクシング界も去らざるを得なくなってしまった。
彼の親身になって教える指導力は抜群なものがあるだけに、今も残念でならない。
そして、辰吉丈一郎。
ボクサー定年をすでに超え、日本では試合が出来ない、出場出来ない。
そのため、アジア諸国へ行き、諸費用すべて自分と友人持ち。ファイトマネー0円で、数試合に出た。
すべて、・・・・・負けた。新人同様の選手に、負けた。
チカラがすでに、かつての辰吉ではなくなっているのは、誰の目にも明らかだった。
そのことに気付いていないのは、辰吉当人だけ。
無惨だったのは、10代の、それも、デビュー戦の子との試合。
めった打ちに、された。終始、翻弄された。
試合直後、荒い息を吐きつつ、辰吉は苦しそうにあえぎながら言った。
「見えへんねん、相手のパンチが! ぼやけてみえたり、ダブって見えてくるねん。気付いた時には、もう遅い。(パンチを)もらってしまってるねん」
辰吉自身の動きは悪く、スタミナ、パンチ力も無い。
そう言って、ガックリと、ロープにつかまっていた両手を離し、膝を折って座り込んだ。
この10年近く、見た目には、孤独な練習。スパーリング相手は、いない。ミット打ちの相手さえも。
だから、近年受けたパンチで、ドランカーになったわけではない。網膜剥離の、さらなる悪化も、それに重なった。
そして、かつて受け続けたパンチの積み重ねにより、じわじわと押し寄せる「パンチ・ドランカー」の症状と、恐怖。
さらに、何らかの病状が加わっていると思われる。
ボクシングは、その意味で怖い。
だから、私が詳しくルポを書いている「西遠ボクシングアワー」でも、レフェリーが、少し早めに勝敗が明らかに大差が付いていると思われる試合については、試合ストップを、心掛けていた。
辰吉は、診断、通院を拒否。専門医に、診てもらってもいない。
言葉を極めて言うならば、廃人への道をひた走っている。
もう、43歳。いや、まだ43歳。まだまだやれると、思い込んでいる。まだまだ、やれば勝てる、と。
いや、思い込みたいのだ。そうでなければ、自分の存在価値は無い。そう、思い込んでいる。かたくななまでに。
かつて、とある世界戦に、日本テレビがゲスト解説的な扱いで、リングサイド席に招待。
後半のラウンドに入ったインターバルの間に、女子アナが、辰吉にマイクを向けた。
---いかがでしょうか? 勝敗の行方は?
「うるさいなあ! 今、見とるとこやないけ!」
驚いた女子アナ。尻込みして、何も聞くことなく、辰吉の元を、おそるおそる去った。
そんな過去もあったからだろう。23日は、カメラは、辰吉の観戦している姿をとらえるだけで、コメントは求めなかった。
それで良かった。もし、2、3質問して、その答え振りを聞いたファンは、がく然とするはずだから。
今後、来月にも「正式引退決意発表記者会見」を、大阪で開く長谷川穂積。
どうやら、引退後は後輩のボクシング指導をする「トレーナー」になるつもりはなく、「何か、妻(泰子)と、商売を始めたいと、思っています」と言う。
現実には、トレーナーだけでは、食べていけないのが通例。たいがいは、アルバイトと同様の、1000円前後の、時間給だけ。
長男の大翔(11歳)は、ボクシングをやっていないし、穂積は、やらせるつもりもない。大翔は、他のスポーツで、すでに頭角を現している。
手伝ってのミット打ちだけでも、頭に衝撃は伝わる。
ボクシングとは無縁の仕事の方が、今後のためには良いだろう。
しゃべらざるを得ない、ゲスト解説も、しばらくは、いかがなものか?
ましてや、タレント活動は、性格的に不向き。
短時間で仕事を終えることが出来るコマーシャルならば、大金も手にすることが出来る。
依頼があるならば、今後の開設資金の一助になる。
実は長谷川穂積は、「仕事」をしてこなかった。
かつて、チャンピオンとして、強さ全盛期の頃、直接聞いたことがある。
---社員としての仕事や、アルバイトをしていないと言うのなら、失礼ですが、何で食べているのですか? ファイトマネーだけでは、家族を潤沢に養ってはいけないと、思われますが
「スポンサーが、いてくれているんです。何社とか、個人名までは言えませんが」
---総額、年間、どれ・・・・くらい・・・・
「額?ですか?・・・・・3000万円くらいです」
---それなら、心配ないですね
「まあ・・・・そうですね」
今回の試合でもそうだったが、長らく所属する真正ジムが主催する試合興業のスポンサーになってくれていた、アンテナから家電メーカーへと急成長を遂げた企業などが、思い起こされた。
その3000万円があったればこそ、ガンをいくつも併発し、特別個室で闘病生活を続けていた母・裕美子が4年前に、55歳で他界したが、その巨額の診療・入院費用もまかなえた。
幸いというべきか、妻も含め、ブランド物に凝ったり、散財もしていない。
穂積自身、酒・おんな・バクチに身を溺れさせていない。
ボクシング一筋で来た、33年の人生。朴訥で、誠実な人柄だったからこそ、多くの人達が援助や、支援をしてくれた。
貯金を元手に、さらなる資金援助を願い出れば、どのような仕事を始めようと、誰かが手を差し伸べるだろうし、そう大きな失敗は、しないであろう。
しばらくは、CTスキャンを撮り、通院治療と、早期のリハビリが必要だろう。
脳梗塞も、防げるであろう。
第二の辰吉には、くれぐれも成って欲しくない。
第二の人生での、拳闘ならぬ、健闘を願うばかりだ。
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《 2022・7・31 追記 》
久しぶりに、辰吉丈一郎という名前を眼にした
23分間に凝縮された、深紅のソファに腰をおろしての、動画インタビュー もう、52歳になっていたかあ・・・・
老いたなあと、思う間もなく、その答えの面白さ
ぐいぐい、引き込まれていった
ーーー引退は
「まだ、考えていない」
。。。。。。。。。
「カネが、人間をあやつる」
んんん・・・・・・
秀逸な、一言
「3度目の正直」
これまで、2度、底辺から復帰したと
3度目を・・・・夢想している
実は,大阪帝拳ジムの、当時の会長が、もがいている辰吉に、引退の覚悟を迫り、 「全部、カネ出すから、辰吉、お前、ジムを開設してみんか?」
当時の辰吉がもし、ジムを開いていたら、練習生、間違いなく,おしよせて、借りたカネも完済し、ジムの経営、うまくいったであろう
だが・・・・ 辰吉
きっぱり、断って、今の孤独の道へ・・・
彼らしい、というほかない
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