転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



(この日記の『バレエ』のカテゴリーを
自分の運動の関係で更新する日が来るとはね(^_^;。)

最近は、転夫ころもん氏に倣い、私もオンラインエアロビクスをしている。
マンションなので、飛んだり跳ねたりは階下への迷惑になるから、
基本的にローインパクト、あるいはウォーキングエクササイズのみである。
そのような中で先日、少し体が慣れて来たかなと思い、
出来心でクラシックバレエのチャンネルをチェックし、
超超・初心者向けのバーレッスンの模範動画を使って、
椅子の背をバーがわりに、靴下履きのまま、やってみた。

こんなワタクシでも大昔、そう、35年前から30年前までの頃、
某カルチャースクールの、「バレエ入門」という講座に、
初めの頃は広島で週1回、結婚して専業主婦になってからは
福岡でやはり別のカルチャースクールの教室に移って週2回、
更に転勤先の松江でも近所にバレエ教室をみつけて週1回、
自分なりにだが、ほぼ途切れることなく真面目に通っていたのだ。

私が好きだったのは、手順と目標がハッキリしているバーレッスンだけで、
センターレッスンになると熱意が下がり、
アンシェヌマン(一続きのステップ)を習っても、特にときめかなかった。
痩せていた20代当時でさえステージ衣裳など着たいとは全く考えず、
出演してみたい演目もひとつもなく、発表会の誘いもすべて辞退していた。
ちょうど、ピアノに関して、ハノンやツェルニーに固執する一方で、
名曲を自分の演奏で弾きたいとはほとんど思わない、のと同様であった。
私は概して、技術等を「整える」作業や過程には強い関心があるが、
それを使って何かを「表現する」意欲は乏しいのだ。

やがて妊娠出産と育児を機にド素人バレエ教室から足を洗い、幾星霜。
今や、当時より体重が15キロ前後は増加し、
関節も硬くなり左足首に古傷も残り、無理は禁物という老体になった。
このたび、久しぶりに立ってみたら、どのポジションにしても
昔から不完全だったアン・ドゥオール(外側に体を開くこと)が
もう全く不可能になっており、せいぜい90度+αで妥協するしかなかった。
頑張れば180度にできなくはなかったが、体の開いていない者が無理しても、
爪先のみが外に向いているに過ぎず、膝関節を痛めるだけだ。
(↑何ひとつ出来ないのだが理屈はわかっている(汗))

さて、レッスン動画に合わせてやってみようとすると、
アームス(腕の運び)や、顔をどちらに向けるか等は体が覚えていたが、
最初のエクササイズであるプリエ(膝を曲げる動き)からして、
今の私には大変なことだというのがすぐにわかった。
特に、グラン・プリエの一番深いポジションから、
ゆっくりと上体を上へと持ち上げるのが、無理だった(爆)。
若い頃なら、ひたすら止まらず綺麗に動くことしか考えていなかったのに、
今や、一旦下まで行ったお尻を持ち上げるのが、力の要る苦行なのであった。
中でも5番グラン・プリエからの立ち上がりがキツいのなんの、
思わずリキんで、バー(←椅子の背)にすがりつきそうだった(恥)。
血圧が無駄に上がるわ(爆)。

グラン・プリエがどれだけ大変な動きかということを、
私は遅蒔きながら、自分が老化&肥満したことにより、理解した。
レッスンの最初にあるので、若い頃は準備運動的に軽くとらえていたが、
なかなかどうして、あれほど大きく足腰の関節を曲げる動きは、
ほかにはちょっと無いのではないか。
よほど体がほぐれてあきらかに減量できたりでもしない限り、
もう、グラン・プリエはしないことにした。
ドゥミ・プリエの、うんとライトなヤツだけでも今の私には目一杯だ。

――というワケで、屈伸運動にケの生えたバレエ・エクササイズを
午後の日課にしている、今日この頃です。
ファイっっ!

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