紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

むかしの久我山駅

2005-02-08 12:48:52 | 9・昔の風景
昔住んでいた杉並区は、東京の23区内ではあるが、武蔵野市、三鷹市に接しているはずれの地域である。最寄りの駅は井の頭線の久我山。

私が子どもだった頃は、すごい田舎だった。
写真を写すのが好きだった父が残してくれたフィルムを整理していると、ああ、なつかしいなあと思う写真に、たびたび出会う。

それを見ると、50年前はあそこらが、どんなだったかわかるので、とても貴重なフィルムだと思う。

久我山駅は、今でも小さな駅であるが、その昔は、駅には砂利が敷き詰められていた。この写真の女の子は、私ではなくて、姉である。

それから大体、10年後の久我山駅。(右上の写真)姉は写っていないが、この写真を撮っているのかもしれない。質屋さんの看板が出ているけど、質屋さんて、おおかた町から消えてしまった。

6 コメント

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白黒写真 (anikobe)
2005-02-08 18:24:25
いいですね。

今にと違った味わいがあります。

いっそうその時代への、郷愁が湧いてくるのですね。

久我山の駅のお姉さん、すっごく可愛い!

呼びかけたくなるような表情ですね。
anikobeさんへ (紅蓮)
2005-02-08 22:00:51
昔の久我山駅の写真をうつした頃は、何もかも、今とはちがっていて、タイムスリップしそうです。



もう一生出会えることのない、私のふるさとの原風景ですね。
久我山駅の姉です! (トントン     )
2005-10-14 20:10:59
この久我山駅の後ろにお住まいだった おばあちゃま、ある日我が家の裏の庭の山吹の花を見て「株分けしていただけませんか?」と「かわりに、この花の株さしあげます」

その花が、いっぱい、いっぱい実をつけたキイチゴだったです。道端にあったオレンジ色の実を、学校帰りの子供たちが 垣根越しに取って食べていたよねッ。

今でも きいちごの白い花と、みずみずしいオレンジ色の実が 大好きです。

深大寺の植木屋さんで苗を見つけて我が家にも植えました。

駅も、駅からの景色もすっかり変わりましたね。 
トントンへ (紅蓮)
2005-10-15 08:52:28
山吹の木を、あげた時のことはよく覚えている。

木イチゴは、最初から門の所に植わっていたのかと思っていたけど、その方から頂いた物なのね。

学校帰りに、友だちはみんな家に寄って、木イチゴを食べていたよねえ。小学生の頃。あの家がなくなって以来、木イチゴを口に入れたことがないなあ。なつかしい味だよねえ。
今、三鷹台に住んでいます (駅前社長)
2018-06-03 11:12:41
三鷹台に住んでおります。
フェイスブックでこのサイトをご紹介されている方がいて、拝見しました。
三鷹台から久我山へ人見街道を通って井の頭線で通勤しております。人見街道には小さなお社やお地蔵様があって、すごくいい感じなのですが、再開発が進んでそういったものが失われていくのがつらいところです。少々前のことですが御嶽神社がなくなってしまいました。御嶽神社は移動したのかなくなってしまったのかもわからず、ご存知の方がいれば教えていただきたいです。今頃になっての投稿で申し訳ありません。とても懐かしく拝見しました。
駅前社長さま (紅蓮)
2018-06-03 14:12:12
コメントありがとうございます。
人見街道は、街道という名前にも古き良き時代を感じますね。ところで、御嶽神社がどこのことなのか、ちょっとわからないので、調べてみます。あのあたりに住んでいる知り合いは何人かいるので、わかったらお知らせしますね。

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