三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

ニューエイジと島薗進

2005年01月08日 | 問題のある考え

ニューエイジとは何か、精神世界とどう違うのか。
ニューエイジや精神世界ということは、非常に幅広い概念であり、人によって定義が異なるそうで、私も大体こういうものだというイメージしか持っていない。
精神世界のブックカタログには以下のものがある。 これで何となくイメージがつかめると思う。

エコロジー、菜食主義、イルカ、超能力、占星術、UFO、水晶、超古代文明、神秘主義、心霊主義、神智学、死後の世界、シャーマニズム、道教、ヨーガ、マンダラ、禅、瞑想、気功、東洋医学、臨死体験、チャネリング、トランスパーソナル心理学、自己実現、無意識、ユング、セラピー、ヒーリング

なんでもごっちゃにあるわけだが、この中に「親鸞」「浄土真宗」がないことに要注意。

島薗進氏は、霊性(spirituality)追求の運動をアメリカではニューエイジ、日本では精神世界だとし、それらを含みつつ、より広い範囲の個人的霊性追求運動をとして新霊性運動という語を使う。
そして、今では「宗教」が「スピリチュアリティ」にとって代わられようとしていると言う。

新霊性運動は「自己変容」を追求すると述べたが、多くの場合、それは「意識変容」と結びつけられている。個々人が瞑想やその他の修行、技術を用いて日常の醒めた意識とは異なるレベルの意識や心のレベルに気づき、そこに接近していくことに高い価値を置くのである。異なるレベルの意識や心とは、本来的な自己であり、魂とよばれるものに通じている。それは自分が生まれる前の世界や死んだ後の世界とつながっている可能性がある。また、個人の心や身体を超えて、宇宙や自然の力とつながっているにちがいない。意識や心の変化を進めることは、環境との調和的関係を促進することである。それによって自己の運命が変わるだけでなく、さらには世界や宇宙の変容にも寄与していくことになる。このように個人の醒めた合理的意識を超えて新しい考え方、感じ方を広めていくことによって、近代文明のゆきづまりを超えていくことができ、人類の進化の新しい段階を切り開くことになる。」(島薗進「新霊性運動・ニューエイジ・精神世界」『新宗教時代』5)

さらに島薗進氏はニューエイジャーの主張をABCの三つに分けている。
一番トンデモなCブロックをご紹介しましょう。

12,輪廻転生とカルマの法則
13,地球外知的生命との接触
14,過去の文明の周期と埋もれた文明の実在
15,人体におけるチャクラや霊的諸次元の存在
16,水晶・音・香・場所などが持つ神秘力
17,指導霊の実在
18,体外離脱や誕生前記憶の体験による霊魂の存在の確認
19,チャネラーやシャーマンの真正性(島薗進『精神世界のゆくえ』)

東大教授である島薗進氏は大川隆法氏をヨイショする文章を毎日新聞に書いている。

大川主宰に会ったことがあり、内外の新しい宗教動向にくわしい東大宗教学研究室、島薗進助教授。霊的な神秘体験もさることながら、この宗教の教えが①現代的な霊界観にもとづく体系的宇宙観を持ち②新宗教の重要な要素だった『心なおし』の面もまた体系的に整理されている―の二点に着目し、こう言う。
『幸福の科学が相当大きな宇宙観、普遍倫理的な生き方を説いているのが魅力になっているように思える』」(米本和広『大川隆法の霊言』)

ということで、島薗進氏はCブロックの事柄を信じているんでしょうね。

 そしてですね、島薗進氏は、梅原猛氏と湯浅泰雄氏の仕事を紹介し、

日本の知的エスタブリッシュメントの相当部分が、新霊性運動に共鳴する方向に進んできているといってよい。

と書き、そのことを示す例として、気の研究をめぐる動きをあげている。

日本人体科学会が結成された。この会は気や東洋医学の研究を中心に、心身能力開発法、深層心理学や心身医学や超心理学など、心身相関に関わる諸問題を討究しようという学会である。

多くの新聞が好意的な記事で紹介し、数多くの著名な学者や知識人らが発起人に名前を連ねているそうだが、もしもそれが本当なら、日本の将来はどうなるんだろうかと心配になる。

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17 コメント

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ゲリラ宗教学 (万次)
2006-11-23 19:27:43
 私が、80年代に読んだ宗教学者のうち、やっぱり
ユニークだなと思ったのは島田裕己さんと中澤新一さんでした。くしくも二人ともオウムに非常に関係が深かったのですが、また二人とも柳川啓一さんのお弟子さんでした。

 (柳川さんはちなみに真宗の檀家総代さんだそうですが)彼が提唱したのがゲリラ宗教学。宗教学がこれから扱うのは、伝統的な宗教ばかりでなくもっと広い社会現象だ、と。

 島田さんが書いてたのが、アムウェイとかニュースキンなどのネズミ講まがいビジネスや、ヤマギシ会や
大大和紫陽花村などのコミューンなども宗教学の対象だということでした。

 で、樫尾さんもスピリチュアリティという概念の中に、宗教という概念が含まれる。。。という解説をされていました。私も、宗教団体に属していなくても、
なんとなく宗教っぽいという感じがするものを指す言葉としては、かつて「精神世界」というものがありましたが、評価は別にして、「宗教」をひろい意味で捉えるということについては異論はないですね。

 さて、女性と仏教というテーマでは、広く女性と
宗教ということを考えなければいけないと思っています。そこで参考にしたいのが、沖縄や韓国だと思っています。
 http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/TG/mikoclub/yuta01.html

 http://www.piec.co.kr/socc-kok3.htm
 http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/repo2001/fang/youshi0301.html
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土台は何か ()
2006-11-23 21:54:06
中沢新一ですか…
島田裕己はいいと思いますけど。

>樫尾さんもスピリチュアリティという概念の中に、宗教という概念が含まれる
>なんとなく宗教っぽいという感じがするものを指す言葉としては、かつて「精神世界」というものがありました

これは定義の問題になりますが、スピリチュアリティや精神世界の中に宗教が含まれるということには賛成できません。
島薗進が定義するように、重なっている部分がある、と言うべきでしょう。

阿満利麿氏は宗教的なもの(習俗など)の上に宗教がある、といったようなことを言ってました。
それには納得できます。
しかし、精神世界という土台の上にある宗教はインチキくさいように感じます。

>そこで参考にしたいのが、沖縄や韓国だと思っています。

某氏に教えられた阿満利麿「法然の衝撃」を読んでいます。
阿満氏は沖縄の宗教に関心を持っていて、「法然の衝撃」にも書かれています。
宮古島でも葬式や法事など、少しずつ伝統が変わっているそうです。
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宗教と贈与 (万次)
2007-05-10 23:40:44
 本屋さんに久しぶりに行ったら、島田さんの新著が目につきました。中沢新一さんへの批判本です。
 「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて」というものです。

 島田さんは、以前にも「オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか」という本を書かれていて、左翼やイスラームのテロリズムについて考えてる私とちょっと関心が似ています。

 http://mumiyou.jugem.cc/?eid=367

 パラパラと立ち読みしたので、中沢さんの宗教論なのか、島田さんの宗教論だったか覚えてないのですが。贈与論と宗教の関りを書かれていました。人間の関係の中には、「お礼」や「お返し」という関係があります。

 そういう、交換関係が宗教なのだろうか。。。という問題設定。何かを与えることによって、何かがもたらされる。。。というのはわかりやすい。いけにえを捧げて、神さまからご利益を授かろうとする行為。
あるいは、修行やお布施や徳を積んで、救いというものを得ようとする。そういうのは、「回向(えこう)」の宗教というのかな。


 また中沢さんの理解するチベット密教が「悪」について極めて、寛容(?)であることから、親鸞さんの「悪人」とどう違うのか。。。そこら辺りと、自分の問題関心が近いですね。
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交換 ()
2007-05-11 17:33:01
島田裕己は指摘が的確だと思います。
中沢批判本は読んでみたいけど、中沢ごときに貴重な読書時間をつぶすのももったいないし。

>中沢さんの宗教論なのか、島田さんの宗教論だったか覚えてないのですが。贈与論と宗教の関りを書かれていました。

こういうブログがありましたので、中沢贈与宗教論でしょう。。
http://www.momoti.com/blog/2006/11/post_274.html
http://www.momoti.com/blog/2006/11/google_1.html

交換とか贈与とかの経済学的定義がどういうことなのか、そこらをまずしっかり押さえて、そして宗教との関係はどうなのか、となるんでしょう。
中沢新一説は似ているものをひっつけてもっともらしい説をこじつけているだけなのか、論理的に証明しようとしたものなのか、どっちでしょう。
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マジメとフマジメ (万次)
2007-05-11 19:52:08
 確かに中沢さんは、自分の興味の赴くままにあっちとこっちを繋げるというのが芸風です。ある種、梅原猛さんのように、厳密な学問には欠けるけども、突拍子もない発想をするというのが、持ち味なのではないかしらん。

 宗教というのは、そもそも危険な部分を孕んでいるんだ。と彼がいうのは、しかしその通りだと思います。

 で、島田さんの批判ですが。オウムの人々が持っていた破壊への欲望。それは、全共闘にもみられた。島田さんは、破壊した後の創造の部分がそれらの人々には欠けていると批判されています。

 グノーシス主義という、初期キリスト教から異端扱いされて歴史からほとんど省みられないセクトがありますよね。

 http://kstn.fc2web.com/gnosis_.html

 この誤った世界を作り出した神は、本当の神ではない。。。中沢さんは、これが好きなようですね。この世は不完全で、邪悪なものだから、これを滅ぼしてもよい。。。こういう考え方と親和性があるのでしょう。


 さて。NEWS23がまたまたブーイングされてるので、その話題の改憲ラッパーのページを見つけました。

 http://www.areiraise.com/index2.html

 結構ユーモアがありますね。
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思い出した! (万次)
2007-05-11 22:50:58
 で、島田さんの中沢さん批判の眼目は、「彼はコミュニスト一家に育ってはいるが、しかし唯心論派だ」というものでした。

 親父さんをはじめ、一人を除くその兄弟が共産党員歴があるそうです。しかし、中沢さん自身には党員歴も活動歴もない。思想家として、レーニンなどを語ることはあっても、彼の志向はもっぱら宗教。で、持ち前の才からあれこれと、気の利いた言葉や、思想を紡ぐ事はあっても、最後の最後は「生きた人間(他者)の具体的な悲しみや苦しみには無頓着なのではないか」というもの。

 それが、チベット密教の「とどのつまり、この世はまぼろしなんだよ」という教えに支えられてる、と。まあざっと、私の20分ほどの立ち読み程度のまとめですから間違ってるかもしれません。

 さて話し変わって、5月7日。NHKのクローズアップ現代で憲法に関してやってました。作家・雨宮処凛さんがインタヴューした若者は改憲派。

 自分の暮し向きが良くない。改憲して、戦争にでもなれば、今の膠着状態がなんとかなるんではないか。。。こう語る若者に対して、雨宮さんは「潜在的自殺願望が、戦争願望、改憲支持になっている」と。
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夢まぼろしのごとくなり ()
2007-05-12 19:51:15
>梅原猛さんのように、厳密な学問には欠けるけども、突拍子もない発想をするというのが、持ち味なのではないかしらん。

私の一時、梅原ファンでしたから、そのへんわかります。
でも学者と物語作家とは違いますからね。

>島田さんは、破壊した後の創造の部分がそれらの人々には欠けていると批判されています。

新左翼の人とちょっとだけ話すことがありました。
現状認識はもっともだし、変えていかないといけないというのわかるんですが、じゃあどういう手段で革命を起こすのか、どのような社会を築いていくのか、具体的なところがはっきりしない、というか夢物語。

>グノーシス主義という、初期キリスト教から異端扱いされて歴史からほとんど省みられないセクトがありますよね。

グノーシス的なものはキリスト教世界ではずっと伏流水のように生き延びてきてますよね。
現在はニューエイジ、そしてスピリチュアルがそうで、『ダ・ヴィンチ・コード』がまさにグノーシス主義的立場から書かれたカトリック批判でした。
http://www.inforoot.jp/testimony/?ID=32
もっとも↑のご意見がグノーシス主義よりましだと言うつもりはありませんけどね。

>結構ユーモアがありますね。

危険もありますから、諸刃の刃ですよ。

>チベット密教の「とどのつまり、この世はまぼろしなんだよ」という教えに支えられてる、と。

中沢新一のチベット仏教理解はどれほどのものなのでしょうか。
チベット仏教僧院で修行したといっても、門前の小僧以前かもしれないし。
唯識の三性説のように、まぼろし(蛇ではなく縄だった)ではあっても、まぼろしの中で生きているのは事実でしょ。

>自分の暮し向きが良くない。改憲して、戦争にでもなれば、今の膠着状態がなんとかなるんではないか。。。

つまらない日常のくり返しの中で、何かどでかいことがないかと期待することはあります。
門徒さんとそういうことを話していたら、阪神大震災があり、地下鉄サリン事件があり、びっくりしました。
こういう大事件があっても、私の生活自体は変わりませんし、変えたくもない。
変化を期待する若者が戦場に行って生の輝きを見出すのか、それともテレビを見ながら興奮するだけなのか、ということで、実際のところはどうなんだろうかなと思います。
それはネット右翼と言われる人たちにも感じることで、雰囲気に酔っているのか、行動に酔うのか。
どっちにしてもドライ・ドランクみたいなものではないでしょうか。

>潜在的自殺願望が、戦争願望、改憲支持になっている

今の流れが右に向いているだけで、流れが変われば自殺願望がどういう行動ももたらすか。
自殺願望がいかに昇華されるかですね。
グノーシス主義とか織田信長の下天の夢ももっともではありますが、生きているのは私の事実。
まぼろしだから、ではね。
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現世への呪詛 (万次)
2007-05-12 23:02:33
 >中沢新一のチベット仏教理解はどれほどのものなのでしょうか。

 山口益さんが、中沢さんについて批判されていたのを読んだことがありますが、学問的には何がどうなのかよくわかりませんでした(汗



 オウム事件については、中沢新一さんの『虹の階梯』の影響が大きいのではないかといわれました。
またチベット仏教では、仏法僧に帰依すると同時にラマ帰依の比重が大きいし、グル麻原への帰依が、事件につながったという指摘がありますよね。

 http://www.mmba.jp/profile/whatislama_sn.html

 まあ、個人崇拝というのは、政治にも宗教にもみられるわけです。

 で、中沢さんの発言で特に問題だというのが↓次の発言です。

http://d.hatena.ne.jp/dzogchen/20070407

 これを読むと、何だか辺見さんや水田さんを想起します。中沢さんは、たとえばインドで仏教再興しておられる佐々井秀嶺さんについて言及したりして、社会正義を標榜する人だったりするのですが。

 http://homepage2.nifty.com/munesuke/india-sasai-2006-photo-reportage.htm

 >自殺願望がいかに昇華されるかですね。

 池袋通り魔事件などでは、不遇感が、社会(他者)への憎悪となり、無差別殺人につながったわけですね。

 自分自身の不遇感とどう向き合うか。
あるいは、(正義感から来る)社会への怒り。この社会への怒りが、ある方向へ行くと、ちょっと疑問あるものになったりするのですね。
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アイデンティティ‐暗い死す (万次)
2007-05-13 20:07:11
 で、まあ延々と書いているのが、生きる(死ぬ)意味。あるいは、生きる目的。

 私とは誰か、何者か。何をしに、この世に生まれ出たのか。私はどこから来て、どこへ行こうとしているのか。その、答えが欲しい。正解が欲しい。

 こんな本↓を見っけました。

http://homepage3.nifty.com/ima-ikiteiruhushigi/sub578.html

 なかなか、身につまされるものがありますなあ。。

 誰かに、その答えを教えて欲しい。自分を導いて欲しい。あるいは、自分がある程度、当たりをつけたものについて誉めて欲しい、認めて欲しい。。。
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がっかり ()
2007-05-13 20:10:32
>チベット仏教では、仏法僧に帰依すると同時にラマ帰依の比重が大きいし、グル麻原への帰依が、事件につながったという指摘がありますよね。

生き仏信仰はいろんな宗教にあるし、本願寺だって法主は生き仏様ですから。

>中沢さんの発言で特に問題だというのが↓次の発言です。

伝聞情報がほんとかどうかはわかりませんが、麻原を賛美した戦犯宗教学者は中沢だけではなく、山折哲雄たちも同類です。
彼らがうまいこと生き延びて、島田裕巳だけが叩かれたのはなぜなんでしょうか。

チベット仏教とポアについては私も少しだけ書いています。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/s/%BC%F6%BB%A6
未読ですが、正木晃『性と呪殺の密教』という本があります。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/04/post_5368.html
↑を読みますと、中沢新一のチベット仏教理解を批判しているのは山口瑞鳳先生のようですね。
そして、ダライラマですら原爆投下を肯定していると受け取れる発言を紹介されています。
チベット仏教は輪廻を肯定するから、死というものを単なるできごとの一つとして見ていないのではないか、ということだ思われます。
これはオウムの信者が森達也『A』で、我々は100年ではなく千年、一万年という長いスパンで見ているんだ、と言ってたこととつながります。
こういう発言をする人がノーベル平和賞をもらい、そして原爆が投下された広島市の青年会議所が招請し、そして昼食会に私も出席しました。
ダライラマファンの私としてはいささかショックでした。

>自分自身の不遇感とどう向き合うか。
(正義感から来る)社会への怒り。この社会への怒りが、ある方向へ行くと、ちょっと疑問あるものになったりするのですね。

何か事件があると、加害者宅に非難、中傷の電話や手紙が殺到するだけではなく、被害者宅にも誹謗中傷の電話、手紙が山ほど来るそうです。
あれは何なんだろう、どういう人がそんなことをするんだろうか、ということを昨日もある人と話していて、満たされていない人じゃないか、正義感からやっているんじゃないかとか話したわけです。
正義感から毒をふりまく、これは他人事ではないです。
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