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三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

井上理津子『さいごの色街 飛田』2

2012年01月26日 | 

飛田では女の子を集めるのが大変なんだそうだ。
井上理津子『さいごの色街 飛田』を読んでておもしろかったのが、ある料亭のママとのやりとり。

親しくなった小料理の主人が突然いなくなり、井上理津子氏は行方を捜すためにある料亭を訪ねる。
料亭のママから「連絡先を書いた紙が見つかったら電話する」と言われ、やっと電話がかかってきた。
その時の会話。
「あなた、いくつ?」
「え? なんでまた。54ですけど何か?」
「フリーターと書いてあるけど、仕事探してる?」
名刺に「フリーライター」とあったのを「フリーター」と読み違えたらしい。
すると「なんや。あなたでもいいと思ったのに」とママは言う。
ママは54歳の井上理津子氏に働いてもらおうと思たわけである。
どうやら妖怪通りか年金通りに店があるらしい。

井上理津子氏は女の子を紹介してほしいと頼まれる。
「年は40くらいまで。けど、お金貯めようと、真面目で向上心のある子やったら、ちょっとくらい上でもいいよ」
料亭の中を見るチャンスと思った井上理津子氏は友人たちに声をかけ、やっと承諾してくれた49歳のタカヤマと面接に行く。
「ちょっとくらい上」どころではないけれど、ママは「49歳にしちゃ若く見える。大丈夫大丈夫」と言い、タカヤマに「次の日曜日でも試しに一度座ってみたらええ」と誘う。
やんわりと断るタカヤマとママの会話は漫才を聞いているよう。
二階には3室ある。
和式トイレの蛇口からホースが延びていて、終わったらそれで洗うらしい。
ちなみにこの店ではコンドームは使わない。

飛田で店をしていた時のことをブログに書いていた別のママにも話を聞く。
こちらはすごくシビア。
飛田はきれいごとでは通用しない世界だと知らされる。

ママの話によると、借金を抱えた女の子が多いが、多い時はひと月に5~700万円の売り上げる子もいた、借金はすぐに返せる。
しかし「すぐに借金を返させて、辞められてしもたら何してるか分からへんから。服買え、宝石買え、寿司食べろ、焼き肉食べろと、ある程度自由にお金を使わせてやる。贅沢を覚えるし、親にもせびられ、また借金をつくる」
ホストクラブも覚えさせる。
「そうやって、長く(女の子を)使うことを考えるんです」
借金で縛るのは遊郭がそうだが、今も同じことをやっているわけです。

それで思ったのが、先進国による開発途上国の支配、搾取も同じ仕組みだということ。
「経済援助と称して無償の金を与える。この金で商品を買わせ、欲望を刺激する。次いで、欲望を満足させる借金することを教える」(槌田敦『エントロピーとエコロジー』)

それはともかく、ママはこんなことも言ってる。
「あのね。お金って、ものすごい力を持ってます。女の子、ちょっとだけこの仕事をやってやめたら、心に深い傷が残ります。けど、一千万円手に持って辞めたら、傷にならないの。
お金があったら、たいがいの問題は解決します。夫婦喧嘩しませんわ。やさしい気持ちになれる。お金ない時、人に親切にしなさい言うてもできへん。生理ナプキン買えないでいて、人のことを思う余裕ないでしょう?」
けだし名言である。
そうやってママは女の子を搾取することを自己正当化しているんだと思う。
しかし、水上勉氏は「不思議なことに、人は貧しいときのほうが他人にものをくれてやりたくなるんですよ」と言っているそうだ。
人間はそんなものだと思う。

井上理津子氏は「今思うのは、飛田とその周辺に巣食う、貧困の連鎖であり、自己防衛のための差別がまかり通っていることである。

多くの「女の子」「おばちゃん」は、他の職業を選択することができないために、飛田で働いている。他の職業を選べないのは、連鎖する貧困に抗えないからだ。抗うためのベースとなる家庭教育、学校教育、社会教育が欠落した中に、育たざるを得なかった」と最後に書く。
貧困の連鎖が虐待、犯罪、依存症などの連鎖をも作り出していることを、最近実感しております。

そして「自己防衛のための差別」。

「ある女の子と、ミナミの居酒屋で会った時、彼女は生ビールのジョッキが汚れていたとアルバイトの若い女性を頭ごなしに怒り、料理の運び方がなっていない、客をバカにしているのかと声を荒げた。自分が〝上〟の位置にいるとの誇示と、普段抑圧下にいるストレスの発露だと思う。そうした幼稚な言動は、時として、差別言語となって露呈する。「あいつは朝鮮や」「あいつらや」「(生活)保護をもらう奴はクズや」といった耳を疑う言葉を、飛田とその周辺で、幾度となく耳にした。個別の問題ではなく、社会の責任だと思う」
そうそう、こういう差別発言は時々耳にします。
この女の子は差別することで自分を保っているんだと思う。

そうしないと自分を支えるものがなくなるから。
私はハゲ+老け顔で散々からかわれたが、差別心は根深くあるのも同じなのだろうか。

朝治武「差別されたものが差別をしないというのは全く嘘で、差別をされればされるほど、より他のなにかに転化し、はけ口を求めたいと思うのが逆の真実です」(「身同」30号)

差別は社会の責任か、個人の問題か。
土井隆義『人間失格?』は少年非行が個人の資質か、社会の問題かを問うているが、次回に。

井上理津子氏は葬送をテーマにした取材をしているそうで、本ができたらぜひ読みたい。

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1 コメント

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読みました (宮崎)
2015-03-06 21:48:03
おはなししたいです

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