石井光太『物乞う仏陀』を読むのは少々しんどくなる作業です。
パキスタンを訪れて障害者の乞食が多いことに驚いた石井光太氏は、なぜ彼らは手足を失い、物を乞うようになったのか、同時に、障害者は各国でどのような状況に置かれているのだろうかと考え、東南アジア・南アジアの乞食や障害者を訪ね歩く。
貧しい地方(農村)では、家族に障害者がいると誰かが世話をしないといけないので、働き手が一人減ることになる。
そこで、家のお荷物になる障害者はほっておかれる。
自立しようとして都会に出る障害者には、物売りか乞食しか仕事はない。
プノンペンの乞食(地雷による障害者)は活き活きとしており、彼らの多くは一日の収入をその日のうちに酒か女かに使ってしまう。
生まれつきの障害者の話を聞きたいと思った著者は、日本語学校の校長に通訳を頼む。
すると校長は、ユートピア建設に邪魔な障害者を抹殺しようとしたポルポト政権下でどうして生き延びたのか、誰を売ったのか、とその障害者を問いつめる。
インドの乞食には身体障害者が多い。
それも先天的な障害ではなく、手足を切断された者が極端に多い。
その謎を探る著者。
すべてはビジネスだったのである。
赤ん坊を誘拐し、5歳までは乞食に貸して金を取る。
そして5歳になると、手足を切って乞食にして、儲けを取り上げる。
こんな話、ウソだと思いたい。
しかし、石井光太氏のHPにはちゃんと写真があるから…。
ミャンマーの障害者と孤児を世話している教会の院長は、石井光太氏の質問にあっさりとこう答える。
キリスト教はね、人に愛を与える宗教なの。特に困っている人には手を差し伸べてあげなければならないの。困った人がいたら助けたいという気持ちは誰にでもあるでしょ。その気持ちを実行に移すことをイエス様に教わったの。
大したもんです。
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