三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

インド仏教と日本仏教(1)

2014年12月22日 | 仏教

正木晃『お坊さんのための「仏教入門」』は、東日本大震災によって与えられた影響を4つあげている。
①仏教の役割は第一に死者供養だった
②日本人にとって「ほとけ」とは何か
③成仏・先祖供養・墓を再考する必要がある
④なぜ火葬にこだわったのか

まず葬式と墓について。
葬式仏教と揶揄されるが、正木晃氏はそれは間違いだと言う。

葬式こそ仏教にとってもっとも重要な要素だと事実を再確認する必要があります。


正木晃氏は鈴木隆泰氏の説を紹介しているので、『葬式仏教正当論』と『本当の仏教』第1巻を読む。

釈尊は僧侶が葬式を執行するのを禁じたというのは、原典の誤読・誤解によるものだと鈴木隆泰氏は言う。

1,釈尊は出家者が葬儀を執行することを禁止しなかった。
2,しかしインドではカーストの制約があるため、行為主義に立つ仏教は在家者の葬儀に関わることができなかった。

行為主義とは、生まれでなく、その人の行為によって決まるということで、「生まれによってバラモンとなるのではない。行為によってバラモンともなる」というあれですね。

鈴木隆泰氏によると、「シャリーラプージャー」とは葬儀(遺体供養)ではなく、(1)遺体の装飾と納棺、(2)火葬、(3)遺骨塔(卒塔婆)の建立、という三要素からなる一連の遺体処置手続きのこと。

釈尊が阿難に対して、お前は葬儀に関わるなと命じたのは、阿難は修行が足りず、未熟だったからで、十分に修行を積んだ仏弟子は葬儀に関わってもいい。
葬儀専門の人が火をつけようとしたが、いくら努力してもつかないのに、摩訶迦葉が点火したら燃え上がった。

ただし、出家者は出家者の葬儀に関わることはできたが、在家の葬儀に関わることは禁じられていた。
なぜかというと、カースト制と関係がある。
出家した仏教徒はカースト制の外側にいる。
インドにおける出家とは、社会的な権利も義務も全て放棄し、一切の生産活動にも社会活動にも携わらないことを意味する。

カーストのあるインド社会においては、宗教家が在家者の葬式を含む通過儀礼に携わると、その宗教集団は凝集力のある一つのカーストと見なされます。

在家はなんらかのカーストに属しているから、出家者が在家仏教徒のために仏教式で通過儀礼を行うと、葬儀に関わる特定のカーストに属していると見なされてしまう。
釈尊の教団は生産活動、農業をしたり、ものを作ったりすることは禁止されていたのも理由は同じで、生産活動をすれば何らかのカーストに組み込まれてしまう。
それを仏教は断固、拒否した。
インドで仏教が亡んだ大きな要因がカースト制を拒否したことだと、鈴木隆泰氏は説いているが、それはまた今度。

墓についても、正木晃によると、日本の墓は中国の先祖崇拝の影響もあるが、原点が釈尊にあるそうだ。
立川武蔵氏によると、釈尊の遺体は荼毘にふされ、完全に燃え尽きる前に、水をかけて骨が残るようにした。
火葬にしたのは、遺骨を残すためだった。

仏教徒が釈尊の遺骨を祀るストゥーパを崇拝することに対して、ヒンズー教からは死者を崇める不気味な宗教だと批判されている。
ヒンズー教は遺骨に関心が薄い。
遺骨は霊魂の再生とは関係ないから、ヒンズー教徒にとって重要な意味を持たなかった。

テーラワーダ仏教にしても、僧侶は積極的に俗人の葬儀に関わっている。
とはいえ、釈尊は先祖供養や追善供養に否定的だった。
釈尊の入滅後、そう遠くない段階で仏教は先祖供養に舵を切った。
釈尊が産まれて間もなく死んだ生母のために、釈尊が説法したという説話がある。
紀元前3世紀のアショカ王の時代には、死んだ父母に対する報恩行が推奨されていた。
ということで、インド仏教は葬儀、法事、墓と無関係というわけではないそうです。

日本で仏教は鎮護国家、国の安泰を祈禱するものとして受け入れられたから、僧侶は国家公務員として疫病、災害、侵略などから国を守るのが仕事であり、修行して悟りを開くということはほとんど関心が払われなかった、と正木晃氏は言う。

こういう傾向は神道も同じで、伊勢神宮の神職や神官たちにとって、伊勢神宮における神事は公的な仕事だった。
神職や神官たちは国家を安全に導くための祈禱を日常的にしていたが、個人的には仏教を信仰し、現世においては密教、来世のことは浄土教を信仰していた。

鈴木隆泰氏によると、一般庶民とは無関係だった仏教が、平安後期から鎌倉期以降には民衆へと解放され、根付いていったが、その背景には、仏教葬祭の民衆への浸透がある。
というのが、天災、戦争、疫病で死んだ人の遺体の前で僧侶(遁世僧)たちが読経し、供養するようになった。
このことによって、仏教が民衆へ浸透した。

日本人が仏教に最も強く望んだのは、その呪術的力をもって除災招福をもたらすとともに、死者の魂を浄化し、祖先神を強化することでした。そして、そのような日本人の願いに応えることができたので、仏教は日本に根付き、今日まで生き残ってきたのです。
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