三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

宗教と脅し

2007年12月07日 | 問題のある考え

宗教の教えと脅しとは紙一重だと思う。
柿田睦夫『霊・因縁・たたり』に引用されている真光の教えはどうだろうか。
以下引用。

「ご家庭の幸福は正しい先祖供養から
心霊科学の発達に伴い、人間の体は、肉体だけでなく、その裏に幽体、さらに霊体、そして、それらを支える魂で構成されています。人間の死とは、魂・霊体・幽体が肉体から離れたことを意味します。そして、肉体が食物をとって維持してゆくように、霊体・幽体も食物の気を吸って維持している、というところまでわかってきています。
人種、地域によって霊界の法則は多少違っていますが、アジアの場合、私たちの身近にある位牌や仏壇が特に重要視されています。霊界の法則は、この世のしきたりに比べると格段に厳しく、位牌・仏壇をとおしてでないと、子孫との交流や食事の供養を受けることができないのです。そこで、仏壇も位牌もなく日々の供養をしていない子孫ですと、そのご先祖たちは食事がいただけないために飢餓に陥り、子孫の体に憑いて〝注意信号〟を送ってきます。これを、私たちはご先祖の〝戒告〟と呼んでいます。
たとえば、頭痛などは〝目の上の方に注意しなさい〟という意味です。また、胃腸病や家庭の大黒柱の失業などは〝先祖も食事がとれていない〟ということなのです。これは、ご先祖として子孫に苦しさをわかったもらうために行うことなのですが、何も知らない子孫は、それを不幸現象と感じるわけです。もちろん、不幸現象のすべてがご先祖の〝戒告〟によるものではありませんが、霊的なものが原因になっていることも非常に多いのです。
守護霊とは、私たちを背後から守り導いてくださっている霊界の指導者のことです。自動車にはねられても、かすり傷くらいで済んだり、予約していたホテルに急な用事のため宿泊できなくなったところ、そのホテルが大火になり、焼死をまぬがれたなどは、守護霊の守護と導きのおかげなのです。
人生において、より高く強い守護霊に導かれることほど安心なことはありません。そして、守護霊はほとんどの場合、ご先祖の霊から選ばれて、私たち子孫を守ってくださっているのです。私たちが正しい先祖供養をしますと、ご先祖の一人でもある守護霊もより守護力がつき、安心して私たち子孫を導くことができるわけです。したがって、正しい先祖供養をするということは、ご先祖への感謝の面、ご先祖の〝戒告〟を受けないという現実的な面、さらに守護霊の霊力を強くしてもらう面からも、大変重要なのです」
崇教真光「陽光ライフ」より)

「なぜ自分はこんなに苦しみが多いのだろう?なぜ自分には、病・貧・争・災が絶えないのだろう?あなたはこういう疑問を持ったことはありませんか。これらの不幸現象は実は霊魂の暗躍の結果です。私達のまわりには、あの世に往っても成仏できない先祖の霊や怨み憎しみなどに執着しつづけている霊魂が群がっています。そして、その霊魂が肉体に侵入(憑依)して、私達を自由に操り、苦しみ悩ませているのです。
人間の八〇%はさまざまな理由で侵入してくる霊魂にとり憑かれており、世間にみる不幸のほとんどはその霊魂によって引き起こされております。このような目に見えない世界のことを、一般には〝因縁〟といい、この因縁を切ることは非常に難しいとされてきました。しかし諦める必要はありません。奇跡の霊術〝真光の業〟によってあらゆる悩みに〝奇跡の救い〟がもたらされます。真光の業(手かざし)は人間にとり憑いて成仏できない霊を救い、不幸現象の原因を取り除き、運命を好転させます
」(世界真光文明教団「奇跡の世界」)

明覚寺の霊視商法とならべて引用してあるのだから、柿田睦夫としては、真光は霊が災いをもたらしていると脅して、手かざしで幸せになれますよとアメを与えると考えているのだろう。

脅して不安にさせ、アメを与えるというのは、よくある手口である。
どうして脅しを真に受けるのだろうか。
弱点を突くからだと思う。
弱点はいろいろあるが、その一つが霊信仰であり、ご利益信仰である。

霊信仰は日本人の血となり肉となっているから、たとえば、先祖が霊界で苦しんでいる、先祖との因縁を切らないと不幸になる(あるいは、先祖の霊を成仏させると幸せになる)と言われると、どうしても気になる。
もう一つは、ご利益信仰である。
「ご利益を求めていない」と誰もが言うけれども、幸せを願うことがご利益を期待することなのである。
我々は「信仰すれば幸せというご利益をさずかる」とどこかで信じている。
だから、自分の幸せのために信心することがご利益信仰といえる。
他にも弱点はいろいろあるが、手かざしはこの二つの弱点をうまく利用していると思う。

『イソップ寓話集』にこういう話がある。

 英雄(ギリシア人は神と人間の間に生まれた者を英雄と呼んだほか、一種の死者崇拝として英雄を祀った)
家で英雄を祀り、惜しみなくお供えをする男がいた。生け贄のために連日金を使い、おびただしく注ぎこむので、英雄が夢枕に告げるには、
「そこの者、財産を蕩尽するのはやめよ。ことごとく使い果たして、貧しくなったら、わたしのせいにするのがおちだ」
このように、己れの無考えから不幸に陥っておきながら、神々のせいにする者が大勢いるものだ。

ご利益を期待して先祖を祀り、結局はスッカラカンになる人が古代ギリシャにもいたわけである。
ご利益を期待して信心する人には明恵上人のこのエピソードを読んでほしい。

ご祈祷をして下さいと希望する人がいれば、明恵上人はこのように答えられた。
「私は朝夕にすべて人々のために祈念をいたしておりますので、必ずあなたもその中に入っておられるでしょう。ですから、わざわざ特別にお祈り申す必要はありません。あなたの願いは、叶うことなら望みどおりになりましょうし、できないことなら仏のお力にすがってもどうしようもないことでしょう。
その上に、万事平等であれと思う心に反してあなたの願い事だけをお祈りするのでは、一方ばかりを贔屓したようになりますから、そうした依怙贔屓をするような者がお願いすることを、仏様や神様がお聞きとどけにはならないでしょう。
また仏はすべての人々を自分の子のように思って下さるのに、あなたの願い事を叶えていただけないのは、どうしても子細があるからでしょう。譬てみれば、子供が毒を毒と知らずに食べたがっているのを、親が奪い取れば、子供は恨んで泣くようなものです。
また仏を信じず勝手気ままの心の持ち主を千仏も救われません。ゆえに自分のいたらぬことを反省されて、我が身をこそ恨みなさい。自分の祈りが果たされない時でも仏の処置には子細があるのだろうと思いなさるがよいでしょう」
(『明恵上人伝記』)

ま、明恵上人のおさとしも受け取り方次第では妙なことになるかもしれない。

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2 コメント

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カルト宗教とは? (☆事態☆)
2007-12-09 21:42:04

真宗大谷派のお坊さん といえば
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/sinkousyuukyou.html
ですね。
このサイト、ずいぶん勉強させていただきました。

返信する
どうも ()
2007-12-10 20:41:02
お褒めいただきありがとうございます。
返信する

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