青木理『抵抗の拠点から 朝日新聞「慰安婦報道」の核心』は、朝日新聞の慰安婦報道へのバッシングをめぐる考察や、朝日新聞記者へのインタビューをまとめたもの。
「週刊文春」2014年2月6日号に植村隆氏は慰安婦問題について捏造記事を書いたという記事が載り、バッシングが始まった。
朝日新聞は8月5日6日に慰安婦問題報道に関する検証記事を掲載し、9月には社長が記者会見したが、朝日新聞や植村隆氏への攻撃は収まらなかった。
植村隆氏は1991年8月と12月に、はじめて名乗り出た元慰安婦の証言を最初に報道している。
しかし、続けて報道した北海道新聞や読売新聞など他のメディアは問題にされず、2本の記事を書いただけの植村隆氏だけが常軌を逸した攻撃を受けた。
新聞や週刊誌では、「国賊」「反日」「国益を損なった」「日本人をおとしめた」などの言葉が使われたし、ネットではもっともっとひどい。
なぜか。
ウィキペディアの「植村隆」の項に、植村隆氏が文藝春秋社と西岡力氏に損害賠償を求めたとあります。
(略)
裁判で被告である西岡力と文芸春秋社側は、「捏造」と書いたことについてそれを「事実である」と主張せず、「意見ないしは論評である」と答弁書で主張した。原告側弁護士の神原元は、「「捏造だ」は「事実の摘示」ではなく意見ないしは論評である」という第2回口頭弁論の被告側の答弁は、「捏造論が事実でないと認めた」に等しく、真実性を主張できない以上、「植村はすでに勝利したに等しい」と主張している。
植村隆氏の娘への中傷に対しても訴訟を起こしています。
松本サリン事件でマスコミから犯人扱いされた河野義行さんは、「週刊新潮」だけが謝罪しなかったと講演で話されていたのを思い出しました。
植村隆氏へのバッシングは個人の問題にとどまりません。
これによって慰安婦問題などなかったとされかねないし、メディアは非難・攻撃を怖れて萎縮するようになります。
吉田清治氏の証言が嘘だからといって、日本軍の関与による不当な募集や、強制的な管理・運営があったことは事実。
ところが否定派は、吉田証言はでっち上げだ、だから強制連行もなく、慰安婦問題は作られたものだと主張する。
そして、日本の負の遺産を伝えようとすると、猛烈な罵詈雑言の対象となってしまう。
小田嶋隆「表現の自殺」(「アンジャリ」32号)にこのように書かれています。
実態としての言論弾圧は、媒体や著者が当局や政府の意図を「忖度」して、あらかじめ自らに課したもので、その意味で、ほとんどの例は、形の上では「弾圧」というようりは「自粛」だった。
読売新聞や産経新聞は朝日新聞を叩くことで、メディア全体を叩き、自分で自分の首を絞めているわけです。
「週刊現代」2014年10月11月号のトップ記事《世界が見た「安倍政権」と「朝日新聞問題」》に、日本では大半のメディアが朝日叩きに狂奔しているが、〈世界の潮流〉は違うと書かれ、各国のメディア人や知識人らの声を紹介している。
安倍首相を始めとする日本の右傾化した政治家たちは、「朝日新聞は国際社会における日本のイメージを損ねた」と声高に叫んでいますが、事実は正反対です。仮に、日本の全メディアが産経新聞のように報道してきたなら、今頃日本は国際社会において、世界のどの国からも相手にされなくなっていたでしょう。
後藤正治『天人 深代惇郎と新聞の時代』深代惇郎がロンドン特派員時代に書いた文章が引用されています。
BBCも体制の一翼だ。しかし、われわれの体制とは、自分に敵対する意見を、常に人びとに伝え続けねばならないことだ。それが民主社会だと思っている。
青木理氏は「現在の日本では「政治が右と言うものを左と言うわけにはいかない」と言い放つ人物が公共放送のトップに座っている」と皮肉っています。
右翼と左翼の二項対立というのは単純です。