産経新聞8月15日の「産経抄」にこういうことが書かれてある。
▼なんといっても情けないのは、終戦記念日のきょう、靖国神社に参拝しようという気骨ある大臣がいないことだ。確かに靖国参拝を政治的に利用しようという動きは厳に慎まねばならない。だが、過去半世紀で初めて誰も大臣が参拝しないというのは、異常な事態だ。
▼心ならずも散華した幾百万の先人に真っ先に頭を垂れるべき防衛大臣にとって、九段の杜は、ワシントンのアーリントン墓地よりも遠いらしい。山本有二金融担当相に至っては「公的参拝は歴史的経緯からアジアの政治的安定を害する」と妄言を吐いている。
▼心ならずも散華した幾百万の先人に真っ先に頭を垂れるべき防衛大臣にとって、九段の杜は、ワシントンのアーリントン墓地よりも遠いらしい。山本有二金融担当相に至っては「公的参拝は歴史的経緯からアジアの政治的安定を害する」と妄言を吐いている。
「過去半世紀で初めて誰も大臣が参拝しないというのは、異常な事態だ」とあるが、8月16日の毎日新聞によると、それは間違い。
靖国神社刊行の『百年史』で、80年より前に閣僚が「8・15」した記録は、63年の賀屋興宣法相(元日本遺族会会長)ら2人だけだ。
「異常な事態」でも何でもない。
もう一つ気になるのが、「心ならずも散華した幾百万の先人に真っ先に頭を垂れるべき防衛大臣にとって、九段の杜は、ワシントンのアーリントン墓地よりも遠いらしい」ということ。
どうして靖国神社でなければならないのか。
そして、「心ならずも散華した」とあるが、「心ならずも」とは「本意ではない。しかたなく。やむをえず」という意味である。
戦死者は「お国のために」死んだのではないということになる。
「散華」は本来は仏教語だが、「戦死を美化していう語」として使われることが多い。
「心ならずも散華した」とは「不本意ではあるが、戦死を美化した」ということになる。
これが産経抄の本意なのか。
産経だから保守・反動、毎日だからリベラルというような先入観が私にもありますが、記者さんたちは皆それぞれ。社説やコラムや一面の記事というような目だったところは購読者にあわせて対立軸を(わざと)明確に打ち出すそうですが。小さな記事では、必ずしも先入観とは違った記事が載ることを目の当たりにしました。
とまあそれはさておき。映画『靖国』の次は、南京事件を扱った映画がありますね。犠牲者の数によって、これは「大虐殺」ではなかったんだとの主張もなされますが。
http://www.nankinnoshinjitsu.com/
この↑映画の予告編では、二百数十万の英霊と出ますが。まあ、うちのオヤジなんかも戦争へ行きましたが、「天皇陛下万歳」派ではないんですね。もし戦死していたら、この英霊にカウントされてたんでしょうけど。
靖国神社に祀られている英霊(と称される戦死者のうち、生前自覚的に死後の自分をそう規定していた人)の数も実はかなり減ってしまうんじゃないでしょうか。真宗大谷派が同朋会運動をはじめたときには、「門徒ひとりもなし」と言われたそうですが。信仰のあるなしというのをカウントするって難しいですね。
文化庁の宗教年鑑を見るとそれぞれの宗教団体からあがってくる信者数をトータルすると日本の人口を上回ってしまいますね。私のまわりでも、とりたてて○○教の信者ですという人の方が少ないですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99
まあこういった統計のゴマカシは、宗教の宗教たるゆえかな。
取材記者の書く記事がそのまま新聞に載るわけではないそうです。
http://www.chunichi.co.jp/nie/make/1_2.html
ある新聞の記者が言ってたんですが、死刑反対の記事を書きたくても、デスクが社説と違う記事はダメだと言うんだ、と愚痴ってました。
朝日だから左、産経は右だとか、そういうのではなく、こういうふうに書けば読者が喜ぶというのがあると思います。
>犠牲者の数によって、これは「大虐殺」ではなかったんだとの主張もなされますが。
30万人かどうかと論争があるそうで、検索すると、30万人なんて嘘だというサイトがたくさんあります。
じゃ、1万人が殺されたら虐殺じゃないのか、何人以上が虐殺なのか、あるいは南京以外はどうなのか、と思います。
>靖国神社に祀られている英霊
中村輝夫ことスニヨンさんが仮に英霊として祀られていたとして、スニヨン中村さんは喜んだか疑問に感じます。
http://archive.mag2.com/0000234479/20071226015500000.html?start=40
真宗一千万門徒とかつては言われてましたが、自覚的門徒ははたして何人でしょう。