というので、青木新門『納棺夫日記』を再読しました。
第一章と第二章には感動したが、第三章がちょっと。
宮沢賢治が壊血病となって歯から出血して止まらず、結核の喀血もあって倒れ、40度の熱の病床で作った詩『眼にて云う』に青木新門氏は出会い、親鸞の教えが理解できたと言う。
「この『眼にて云う』という詩は賢治の臨死体験の作品と言える。ここにみる賢治の視点は、病床にある肉体に視点はなく、肉体から離れた空中の、医者や自分の出血がみえるくらいのところにある。そして、きれいな青空が見えるところでもある。
この詩に出会って、朦朧としていた親鸞の思想が霧が晴れたように鮮明に見え始め、辞書を繰っても理解できなかった仏典用語も、ごく自然に理解できるようになった」
『眼にて云う』が臨死体験を描いたものだ、というのはまあいい。
しかし、臨死体験の詩を読んで親鸞の思想や仏教用語が理解できたというのが困ってしまうわけです。
青木新門氏は臨死体験はさとり体験だと考えているらしい。
宮沢賢治が死の淵で見た透き通った空や風の世界を親鸞も体験していたのだ、と青木新門氏は言うわけで、臨死体験で見た世界が浄土だということになる。
「人が死を受け入れようと思い立った瞬間に生じる不思議な現象こそが、親鸞を解く鍵だと思う。この不思議な現象は、理性では理解できない異次元の現象であって、実体験以外に理解の方法はない」
「親鸞の中有の理解は、宮沢賢治の臨死体験の詩『眼にて云う』にあるような、『さんたんたる景色』と『すきとおった世界』とが同時に見える第三の視点に留まる時間を指しているようである」
そして、親鸞の浄土のイメージは『ひかりの世界』、阿弥陀如来は『ひかり』そのものだと言う。
この「ひかり」が問題でして。
「あらゆる宗教の教祖に共通することは、その生涯のある時点において、『ひかり』との出遇いがあることである。イエス・キリストをはじめとし、天理教の中山ミキや大本教の出口なおなど、すべての教祖は『初めに光ありき』から出発した体現者であった。
親鸞も、ひかりの体現者だったと言える」
「親鸞は『ひかり』との出遇いを体験し、『ひかりの世界』を垣間見たところから、この教行信証の著作を思い立ったにちがいない」
青木新門氏の考える「ひかり」とは、対象化される実体的なものじゃないかと感じられるわけです。
しかし、広瀬杲先生は臨終来迎についての説明の中で、「仏法は、いわゆる実体観から自己を解放していく道を説く以外に何もないのです」と言われているように、臨死体験や臨死体験で見る「ひかり」を実体化すると仏教ではなくなる。
だけども、青木新門氏の考える浄土は死後の世界ではないらしい。
「さんたんたる景色(現世)を横目で見ながら、すきとおる世界(浄土)へと直行(成仏)するわけで、死はどこにもない。死体や霊魂や死後の世界などは、さんたんたる世界にいる人々の関心事であっても、死者にとってはすきとおった風の世界からすき透るひかりの世界へとストレートに進むだけである。そこには死もないから、往生という。生きて往くのである」
このあたり、どうもよくわからない。
というのも、「死んでもまた会える世界があるんだ」ということをよく耳にする。
じゃあ浄土は死後の世界なんですかと尋ねると、そうではないと皆さん言われる。
死んでから行く世界が死後の世界じゃないというのはどういうことなのか、いつも不思議に思う。
そして、青木新門氏は「ひかり」について
「親鸞のイメージした光は、はかり知れなく、きわもなく、すべてのものをすき通す光であり、そしてこのような光がかたちもすがたもないまま永遠に存在し、永遠の彼方からやって来るのかと思うと、常に我々の近くにあって照らしつづけているといった光なのである」
と書いたあとに、「すがたもかたちもない、すべてのものをすえとおす」ニュートリノについて論じる。
ニュートリノの性質が親鸞がイメージした「ひかり」と共通しているということらしいんですね。
「すなわち星たちが死をむかえる一瞬にニュートリノが光速で抜け出し、次の瞬間に星の構成物質が爆発し、その残骸から再び新しい星が生まれる。
太陽も地球も、そして地球上の生物も、はるか昔に爆発して死んだ多くの星が残した死骸(物質)からできているのである。
このようにして生まれた我々人間も、その生死の瞬間における現象が類似しており、それゆえに、回帰本能や複製本能が、生命の起源や太陽系の誕生やさらに宇宙の誕生といった母の母なる根源へと遡上を促されるのかもしれない」
「我々人間の生死の瞬間にも、精神と肉体と世界などが統一される瞬間があるのかもしれない。その瞬間を仏教では、一如と言っているのだと思う」
うーん、科学的知見を持ち出して自己の主張を証明しようとするところがニューエイジっぽいのである。
もしも『おくりびと』のラストが、死んだ父親が天井から息子が自分の身体を清めているのを見て、そして光に向かっていく、というようなシーンだったら、キネ旬のベスト1にはならなかったと思う。
お子さんを亡くされた方が光体験ということを話された。
「愛する子供は失われたわけです。その失われた子供は二度と取り返すことはできませんが、失うことによって「自分自身」を知ることができました。そして、その自分がどんなに不安定なところで生きていたか、そういう自分の足下を見ることもできたわけです。
そして、その不安定で真っ暗な世界の底にも暖かな光が注がれていることを知りました。それは、どん底の暗闇を知らない人には見ることができない暖かな光だったわけです(もちろん、精神的な光、たとえですよ)。子供を失った悲しみ苦しみを持ちつつも(いえ! 持っているからこそ)出会えた光の存在。これなんです」
それに対して、「光」とは具体的にどういうことかと尋ねると、このような返事をもらった。
「「光」というと、何だかとってもまぶしくて、幸福一色の感じがしてしまう表現ですね。だから、「光」という言葉はこの場合、ふさわしくないのかもしれません。ただ、私が陥ってしまった絶望の世界は、あまりにも真っ暗闇だったので、そこに差し込んできた「光」はとっても有り難くて、精神的には目映く感じてしまったのでしょう。
その「光」をもっと具体的にお話ししましょう。我が子の誰の死もなかったとします。つまり、普通の人生ではそうですよね。子供の死という経験は特別です。あまり経験される方はいないでしょう。
その場合、きっと可もなく不可もなくという感じで人生が終わったことと思うのです。子供が「存在」するというだけで幸福だなんて思わなかったでしょう。自分の「存在」を有り難いと、自分の人生があることを感謝することもなかったに違いありません。今のように日常の当たり前な事柄一つ一つに感謝したでしょうか?(今は、感謝感謝です)
それから、時たま腹立たしいことに遭遇することはあっても、後になって、「それも私の人生には必要なことだったなあ」と、感謝できる私になったこと。
それら全ては、子供の死がなかったら味わえなかった世界観です。子供を失うという経験が、今までできなかった思考の仕方を生んでくれたのです。それは「光」でなくてなんでしょう? これが私にとっての、大事なものを失った時に初めて得られたことだったのです。
私は視力を失う経験は持っていませんが、目が見えるという素晴らしさが本当にわかるのは、視力を失った人だと思うのです。「今生きている!」この不思議で素晴らしいことについて、死を間近に控えた人が一番わかるように。
子供の死によって自分の死を疑似体験した私です。自分の死とは違うと言われてしまえば、それに反論はできませんが、自分の死に一番近いのが、我が子の死ではなかろうかと思います。もっと言えば、ある意味、自分の死よりもつらいわけですから。
わたしの光体験というのは、日常(生きているという事実そのもの)が有り難く、「自分の力を越えたもの」で成り立っていることに気がついたということですから。つまり、「他力本願」なのですよ、根本はね。「光」に自力で出会えた、というよりも、「光」が自分を照らしてくれていた(人生の初めから今までずっと)ということに気がついた、ということだと思います。悲しいことに子供のの死がなくてはその真実に気がつかなかったということです、私の場合は」
この方の光とか自分の力を超えたものについての話は納得できます。
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