震災後二年を前にして、仙台の粟野さんのところへ取材に行きました。これまでの断片的な情報を総括して聞くことができ、生産基盤の変化は相当深刻なものとわかりました。
第一は、土壌が変化したこと。海水による塩害はもちろん、津波で運ばれてきた砂状土などで土が締まり水はけが悪くなった。さらには地盤沈下も加わりました。「数年に一度だったのに、今では年に数度」となった豪雨にはとても耐えられません。これに河川氾濫が重なり「全滅被害」が多発しました。
第二は、生態系の変化です。「一年目はじゃがいもにテントウムシダマシが大発生しましたが、その後もやけに多いんです。」とまずは害虫の変化。そして「ネズミが野菜を食い荒らしていくんですよ。」「ブロッコリーなんかは茎を、白菜なら一番甘い中心分だけを食べていく、がっかりしますよ。」。「こないだも小松菜二反歩が鴨にやられた。」と嘆きます。「小さな鳥がつつくのとわけが違うのよ。葉先から茎まで丸ごと食べていっちゃう。はじからはじまで。」。作付けした田畑は津波被害が軽度だったところ。しかも辺りを見渡しても畑は点でしか存在しないのです。その畑に被害が集中し、「今までになかった」状況になっているのです。結局は昨年収穫できたのは2割程度だったのです。
希望を託せるのは新設したハウス。冬に始まった一作目は失敗が許されず堆肥+化成肥料でスタート。7割程度の収穫を確保。それでも「昨年は爆弾低気圧で、先日も強風で作られたばかりのハウスが三棟全壊していたんですよ、風は本当に怖い。」と別なリスクが存在します。
「今は全滅を覚悟しながら作付けしている状態。補助事業でも借金を背負っている以上、ハウスも回転数をあげて収入を得ていくしかないんです。」と目を赤くしながら心情を語る粟野さん。
ハウスを備えた新体制の一年目は収入を確保することを優先にしてもらうことになりますが、言葉の端々にみなさまへの想いを感じ、粟野さんが自信を持ってお届けできる野菜を作る日はそう遠くないと思いました。