あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

愛国心とは自分を愛する心である(自我その36)

2019-02-19 14:08:24 | 思想
人間の個人性は、自我にある。日本人も自我の一つである。人間は、自我がなければ、個人として存在できない。それ故、社会生活を営むことができない。そして、その自我は、構造体が存在して、初めて存在する。だから、人間は、自我を愛し(自我に執着し)、構造体を愛する(構造体に執着する)のである。言うまでもなく、日本人という自我は、日本という構造体が存在して、初めて存在する。それゆえに、日本人は、日本人と日本を愛するのである。さて、人間は、不安な生き物である。他者から評価されて、初めて、安心感を得、喜びを得ることができる。だから、人間は、常に、他者から常に高評価されることを望んで生きているのである。この、他者から常に高評価されることを望んで生きているあり方を対他存在と言う。それでは、人間は、何を高評価されるのを望んで生きているのか。それは、自分の自我とその自我を保証する構造体である。つまり、人間は、常に、自分の自我とその自我を保証する構造体を、他者から高評価されることを望んで生きているのである。日本人は、常に、日本人という自我と日本という構造体を、他者から高評価されることを望んで生きているのである。しかし、日本人は、日本人という自我だけを持っているのではない。さらに、日本という構造体だけに属しているのではない。ある男性は、山田家の父という自我を持ち、山田家という構造体に属している。だから、彼は山田家の父も山田家も愛している。ある女性は、都民という自我を持ち、東京都という構造体に属している。だから、彼女は都民も東京都も愛している。ある男性は、第千銀行の行員という自我を持ち、第千銀行という構造体に属している。だから、彼は第千銀行の行員も第千銀行も愛している。ある女性は、世界大学の学生という自我を持ち、世界大学という構造体に属している。だから、彼女は世界大学の学生も世界大学も愛している。つまり、日本人は、日本人という自我や日本という構造体だけでなく、自分が属している構造体とそこで与えられた自我を愛して、暮らしているのである。さて、世界中には、いろいろな国がある。しかし、どの国に住んでいても、人間は、誰しも、自分が住んでいる国を愛する心を持っている。ドイツに住んでいる人はドイツという国を、ロシアに住んでいる人はロシアという国を、アメリカに住んでいる人はアメリカという国を、中国に住んでいる人は中国という国を、韓国に住んでいる人は韓国という国を愛している。それが、言うまでもなく、愛国心である。なぜ、自分の国を愛するのか。それは、決して、自分の国が他の国よりすばらしいからではない。自分がそこに住んでいるから愛するのである。むしろ、愛国心が、自分の国が他の国よりすばらしいと思わせるのである。そして、自分の国が他の国より優れていると思われたら嬉しいので、オリンピックなどの国際大会で他の国と競うのである。だから、国というのは、単に国籍としてだけではなく、自我を保証する構造体として大切なのである。それゆえに、在日朝鮮人だけでなく、日本に暮らしている外国人を排斥してはならないのである。どのような国籍であろうと、その国に暮らせば、その国に愛情を抱くのである。また、反日と言って、つまり、日本や日本人に反感を持っていると言って、日本人や日本に住んでいる人の考え方や行動を非難する人たちが存在する。そのように非難する人たちは、自分たちだけが、真に日本や日本人を愛していると思い込んでいる。幼児思考の彼らは、日本や日本人の愛し方にはさまざまあり、日本人や日本に住んでいる者ならば皆愛国心を持っているのがわからないのである。そして、自分たちと考え方や行動が異なる人を反日と非難して、敵を捏造し、自分たちの存在をアピールして、仲間を募っているのである。