あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

深層心理、表層心理、思考、痛みについて(自我その24)

2019-02-06 18:26:34 | 思想
まず、人間の心理構造を二つに分けないと、深層心理と表層心理というふうに二つに分けないと、心の問題は解けないように思う。この深層心理と表層心理が深く関わりながら、我々の思考は動いていくと考えた方が良いように思う。無意識の行動とは、深層心理だけで考えた行動であり、簡単なことやいつも行っている行動である。この行動は、我々が意識して考えることをせず、表層心理は承認するだけだから、我々は疲れを覚えない。しかし、複雑なことやいつもとは異なることが起こると、まず深層心理で考えるのだが、容易に結論が出せず、結論を出しても、表層心理が納得せず、考えることが継続することになる。つまり、意識して考えることが長く続くから、それが精神的な疲労になるのである。例えば、我々は、夏の日、部屋の中が暑く感じたので、エアコンのリモコンスイッチをオンにして、部屋を涼しくすることがある。この時のプロセスは、二つ考えられる。一つは目のプロセスは、部屋の中に入ると、寒さを感じたので、深層心理がエアコンを付けることを考え、表層心理がそれを受け、いつもの所にあるリモコンスイッチをオンにしたのである。このプロセスは、ほとんど、無意識の下で行われ、精神的な疲れがない。後で思い出しても、このようなことをした記憶が薄い。二つは目のプロセスは、部屋の中に入ると、寒さを感じたので、深層心理がエアコンを付けることを考え、表層心理がそれを受け、いつもの所にあるリモコンスイッチを探したが、見つからない。そこで、表層心理は意識して考えながら探して、ようやく、リモコンスイッチを見つけ、オンにしたのである。このプロセスは、有意識の下で行われ、精神的な疲れが残る。後で思い出しても、この記憶は鮮明に残っている。また、思考という言葉がある。言うまでもなく、思うと考えるの合成された言葉である。しかし、思うと考えるは、同じ状態ではない。思うのは深層心理だけの行為であり、考えるのは表層心理まで行った行為である。思う時は楽しいことが、考える時は辛いことが心の中にある。我々は何かを思っている時、楽しいことを思い浮かべ、何かを考えている時、差し迫ったことを考えている。例えば、彼女について思っている彼の心には楽しい像があり、彼女について考えている彼の心には辛い像がある。だから、ストーカーは、彼女について考えることはよくあるが、彼女について思うことはほとんど無い。だから、ストーカーは精神的に常に疲れている。さて、痛みが起こるのは、非日常的なことだから、意識して考えること、表層心理が考えることまで及ぶのである。むしろ、我々は、痛みを覚えることがあって、初めて考えるのである。その痛みを除去しようとして考えるのである。痛みがある間、我々は、考えることをやめない。だから、痛みが続けば続くほど精神的な疲れは累積する。