あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

永劫回帰(同じことの繰り返し)(自我その22)

2019-02-04 17:07:12 | 思想
ニーチェに「永劫回帰(永遠回帰)」という思想がある。世界の出来事は円環運動を行って永遠に繰り返すというものである。種々の辞書では、それは、「生の各瞬間はもはや単に過ぎゆく現象ではなく、無限回も生起し回帰するがゆえに永遠の価値を持つものとされる。」、「彼岸の生活などに希望を託さず、その一切の喜びや苦悩とともに現実の生を英雄的に肯定する立場から説かれる。」、「目的も意味もない永遠の反復を積極的に引き受けるところに生の絶対的肯定を見る。」、「宇宙は永遠に循環運動を繰り返すものであるから、人間は今の一瞬一瞬を大切に生きるべきだとする思想。」、「存在全体の根本性格は無限の時間の中での有限な力への意志の戯れの繰り返しである。」などと説明されている。私には、どの説明が正しいかなどと問いかけたり、この説明が最も正しいなどと断言したりする気持ちは無い。それぞれの人が自分なりに「永劫回帰(永遠回帰)」という思想を解釈して良く、それが他の人の考える糧になれば更に良いと思う。私自身は、この「永劫回帰(永遠回帰)」という思想に、二つのことを気付かされた。一つは、自然科学への寄与である。人間は、自然界は同じことを繰り返すと気付いたから、そこに公式や法則を作り上げ、自然を征服できたのではないか。つまり、数学、物理、科学、生物などの自然科学を生み出し、それらによって、自然を征服してきたのではないかと思うのである。もう一つは、我々の日常生活も同じことの繰り返しだということである。我々は、無意識のままに、毎日、同じことを繰り返しながら生活しているということである。誰に脅迫されているわけでもなく、誰に見張られているわけでもないのに、まるで神にでも導かれたように、我々は、無意識のうちに、同じ生活を送っているのである。もちろん、我々が同じ生活を送ろうとするのは、我々の意志による。しかし、この意志は、熟慮による決断でもなく、意識しての決断でもない。このような意志があることをすら意識していない。このような意識していない意志を深層心理と言う。つまり、我々は、自らの深層心理に導かれて、毎日、同じことを繰り返しながら生活しているのである。しかし、時には、いつも行っている学校や職場に行くことが嫌になったので、行くか行かないでおこうかと考える。そうすると精神的に疲れる。もちろん、この時の思考は意識の下で行われる。意識しての思考を表層心理と言う。表層心理の働きによる思考は常に疲れる。なぜならば、自ら意識して、意志を動員して行うからである。しかし、深層心理の働きによる思考は疲れない。なぜならば、自分の気付かない心の奥底で行われ、意識して意志の力を使う必要が無いからである。深層心理が、同じことの繰り返しを望むから、我々の日常生活は同じことの繰り返しになるのである。深層心理が、同じことの繰り返しを望むから、我々の日常生活が同じことの繰り返しになり、そうなれば、深層心理は満足し、心が安定するのである。言わば、我々は、深層心理の意のままに動いているのである。先に、「時には、いつも行っている学校や職場に行くことが嫌になったので、行くか行かないでおこうかと考える」と述べたが、「嫌になった」のは深層心理である。感情は、常に、深層心理の動きである。「嫌になった」深層心理のままに動けば、当然、「行かないでおこう」になる。しかし、本質的に、深層心理には、同じことを繰り返す安定志向の傾向があり、それは、「行く」ことを望む。その結果、深層心理は、「行く」と「行かないでおこう」の心情が対立することになる。そこで、どちらかに決めるために、意識的に「考える」ことが必要になってくる。表層心理の登場になる。表層心理は、深層心理が納得するまで、「考える」のである。このように、我々の日常生活は、深層心理によって同じことが繰り返されるが、そこに、迷いが生じた時、日常生活が破れた時、安定にひずみが入った時、表層心理による意識的な思考が行われるのである。我々は、深層心理の存在に気付いていないから、もちろん、深層心理が考えるということにも気付いていない。一般に、我々が言う、考えるということは表層心理によるものである。だから、我々は意識して考え、且つ、自分が今考えているということを意識することができるのである。ちなみに、感情は、深層心理の動きである。だから、自らの意志で、意識して、感情を生み出すことはできない。つまり、表層心理は、喜びの表情、怒りの表情、哀しみの表情、楽しい表情をすることはできるが、喜びの感情、怒りの感情、哀しみの感情、楽しい感情を生み出すことはできない。