あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

力への意志(権力への意志)について(自我その23)

2019-02-05 17:11:48 | 思想
ニーチェの根本思想に「力への意志」というものがある。「力への意志」は「権力への意志」とも言われる。そのために、「力への意志」は権力者になろうという意志のように解釈する人がいる。確かに、権力者になろうという意志は「力への意志」の一つであるが、それのみに限定すると、「力への意志」の思想は一部の人にしか通用しないことになる。しかし、「力への意志」は全ての人に当てはまる思想である。「力の意志」を辞書で調べると、「さまざまな可能性を秘めた人間の内的、活動的生命力。」、「不断の生成のうちに全生命体を貫通する力。」、「他を征服同化し、一層強大になろうという意欲。」、「存在の最奥の本質、生の根本衝動。」などと出ている。この中で、「他を征服同化し、一層強大になろうという意欲。」が、具体的な方向性を持っているが、これでは、権力者になろうという意志になり、「力への意志」の一部の意味しか表していない。他の三つは、人間を含めて生物の内からほとばしる生命の躍動的な動きを好意的に表したものだが、抽象的な表現にとどまり、具体的な方向性を示していない。しかし、いずれにしても、「力への意志」は、生命の積極的な力の発露であることは疑いない。私は、人間にとっての「力への意志」とは、「自分の存在を大きくし、自分の存在を他の人から認めてもらいたいという飽くなき欲望。」と捉えている。さて、ニーチェは、「人間は、意志することを意志できない。」と言う。つまり、「意志」は意識して生み出すものではなく、無意識のうちに生まれてくると言うのである。しかし、無意識と言っても、それは、無作為、無造作なものではない。ある方向性を持っている。だから、心理学では、意識の範疇や傾向や主体を表層心理と言い、無意識の範疇や傾向や主体を深層心理と言う。ラカンが、「無意識は、言葉のように(言葉として)構造を持っている。」と言うのは、この謂いである。つまり、無意識は、無作為、無造作なものではなく、深層心理として、範疇や傾向や主体を持っているということである。もちろん、「力への意志」は深層心理の範疇にある。深層心理には、他に、「対自存在」、「対他存在」、「自我」、「永劫回帰」の傾向がある。そして、「力への意志」、「対自存在」、「対他存在」、「自我」、「永劫回帰」の五つの傾向は密接に絡み合っている。「対自存在」とは、「物事を自分の視点で捉えること。」を言う。それに「力への意志」が加わると、飽くなき知識欲になる。だから、人間は、いろいろなことを知ろうと努めるのである。「対他存在」とは、「自分のことを他の人に認めてほしいという気持ちで、他の人からどのように見られているかと気にすることや他の人の身になって捉えた自分の姿。」を言う。だから、「力への意志」は「対他存在」の積極的な姿勢だということができる。「自我」とは、「人間の、さまざまな構造体における、さまざまな関係性を結んでの、ポジション・ステータス(位置・身分・地位)。」を指す。だから、自分や自己は常に一つであるが、「自我」は複数あるのが普通である。例えば、ここに、山田美奈という名の人が存在したとする。山田美奈は、いついかなる時でも、自分や自己を指す時は、本人一人しかいないから、一つである。しかし、彼女は、ある日、目覚めると、山田家という構造体で、家族という関係性の下で、次女になる。登校すると、大空高校の二年一組という構造体で、教師・生徒という関係性の下で、生徒になる。放課後、サッカー部という構造体で、顧問・部員という関係性の下で、部員になる。そして、帰宅すると、再び、山田家という構造体に入り、家族という関係性の下で、次女になる。つまり、この日は、三つの構造体に応じて三つのポジション・ステータス(位置・身分・地位)を持ち、それらを自己として暮らすことになる。それが「自我」としてのあり方である。「永劫回帰」とは、「毎日、同じことを繰り返しながら暮らすこと。」を言う。山田美奈は、平日は、山田家の次女・大空高校の二年一組の生徒・大空高校のサッカー部の部員という三つの「自我」を繰り返しながら、土日は、山田家の次女・大空高校のサッカー部の部員という二つの「自我」を繰り返しながら暮らしている。しかし、ただ、坦々と暮らしているのではない。そこに、「力への意志」がある。すなわち、山田家の次女という「自我」の時は両親や兄姉から深く愛されたいと思って仲良く暮らし、大空高校の二年一組の生徒という「自我」の時は教師や級友や家族から評価されたいと思って一生懸命に勉強し、大空高校のサッカー部の部員という「自我」の時は顧問や他の部員や家族から評価されたいと思って一生懸命に部活動をしながら暮らしているのである。そして、「永劫回帰」は「力への意志」を満足させることに必要なことなのである。なぜならば、人間は、同じことを繰り返すから、それが向上し、他の人から評価されるからである。山田美奈は、毎日、家族と仲良く暮らそうとしているから、家族に愛されているのである。毎日のように一生懸命に勉強すしているから、成績が向上し、教師や級友や家族から評価されているのである。毎日、一生懸命に部活動をしているから、サッカーの技術が向上し、顧問に認められて試合に出させてもらい、活躍し、顧問や他の部員や家族から評価されているのである。だから、「力の意志」とは特別な「意志」ではなく、誰もが持っている、向上の源である。