東京-大阪 単身赴任 旅物語

2003年10月1日から2012年9月30日まで経験した単身赴任。帰省旅行の思い出と、お得情報を綴っています。

9月の長い旅(1)

2005-09-16 23:43:00 | ムーンライトながら
復路:9月16日(金)
八王子→東京 :中央線快速
東京 →名古屋:ムーンライトながら
名古屋→鶴橋 :近鉄特急
鶴橋 →天王寺:大阪環状線

夏の青春18きっぷのシーズンが終了し最初の週末となった。

本日より、長い旅に出る。といっても、長いのは、切符だけで、長期におよぶ旅ではない。

2週連続して、帰省することになったのであるが、単純往復ではつまらないし、飛行機やバスはちょっと敬遠したい気分である。そこで鉄道マニアがよく使う周遊券京阪神ゾーンの行き券を一筆書き切符にして、試行錯誤の末に、次のようなルートを考えた。我ながら、良くできたルートだと自画自賛している。

●八王子→茅ヶ崎(普通乗車券)
★周遊切符行き
  茅ヶ崎→金山(金山で途中下車;金山←→鶴橋は普通乗車券と近鉄で往復)
  金山→新宿(八王子で途中下車)
  新宿→高崎
  高崎→長岡
  長岡→京都(周遊切符の入口)
★周遊きっぷ京阪神ゾーン券
★周遊切符帰り
  京都→茅ヶ崎
●茅ヶ崎→八王子(普通乗車券)

結構ややこしい。発券にも時間がかかった。ルートを図示すると次のようになる。

さて、いつものように東京駅に出て、銀河を見送った後、10番線ホームベンチに座って、この駄文をしたためる。今宵は寒い。上着を羽織る。

3連休の初日ということもあって、18きっぷシーズンでないにもかかわらず、ムーンライトながらの指定席は満席とのアナウンスが流れている。

結局、3週連続でムーンライトながらに乗ることになるのであるが、別に、好き好んで乗るわけではない。18きっぷシーズンに余った指定券があったのと、コストを考えると、ムーンライトながらしか選択肢は無かった。今から思えば、行きのルートは600kmを越えているので、東海度新幹線でも良かったのだが。

小田原からの混雑に辟易してきたので、今宵は、どうしても、名古屋までの指定の車両に陣取りたかった。しかし、予約のタイミング悪かったので、窓側だと2号車喫煙席しかとれなかった。まぁ、私もライトスモーカーであるし、夜行列車ゆえ、それほど、煙たいことはなかろう。

今宵の宿は、3週連続で、ムーンライトながらである。

列車は、23時43分定刻に発車。さすがに、車内は落ち着いた雰囲気で年齢層も適当である。隣客は、小柄なおばさんで、連れはいないようなので、特に問題はない。

同じ列車でも、青春18きっぷシーズンと様子が違う点がたくさんあった。まず、検札が早い。品川を出ると、早速回ってきた。次に驚いたのは、車掌の言葉使いが非常に丁寧なことである。”夜分すいません、検札のご協力をお願いします”、”申し訳ございません、大変お手数かけます”などという言い方は、18きっぷシーズンには聞いた事がない。噂通り、18きっぷユーザは差別待遇されているということだろうか?

車掌から、金山名古屋間のきっぷを購入し、眠りの準備に入ろうとする。しかし、いつものように眠れない。今宵は元々涼しい上に、冷房が効き過ぎているのが原因である。窓側席ゆえ、上着を着てもまだ寒い。私としたことが迂闊だった。毛布かなにかを持参するべきであった。

結局、眠るのをあきらめて、パソコンを開く。深夜にも関わらず、停車する各駅では、それなりに乗客の乗り降りがある。人、それぞれに事情があるのだろう。ムーンライトながらの本来の意義を確認した。

静岡をすぎたあたりで、さすがに疲れてきたので、ようやく眠れた。

翌朝目を覚ますと、刈谷停車中であった。3時間くらいは眠ったか。デッキは少し混雑しているが、名古屋まで指定の2号車の通路には人はいない。空席もある。

名古屋に、予定通り5分遅れで到着。これは18きっぷシーズンと変わらない。そして、これまた、3週連続で6時30分発の近鉄難波行き特急に乗り換える。

同じく、2席使って曝睡し鶴橋に到着。睡眠時間は、合計5時間ちょっとである。さすがにムーンライトながらも3週続くと、疲れてくる。結局、自宅到着後に睡眠を補充することになる。

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